また新しい世界を産み出してしまいました。果たして今回は完結するんでしょうか。
完結……させます……
濁った目で空を眺めている。血走ったような赤に縁取られた視界が、もくもくと空の果てまで延びる煙を捉えている。灰色に曇って太陽すら拝めない空がいつもより随分と遠くに見えて、なんだか面白い。
腰から下の感覚がない。お腹の熱さと、胃の中の物全部吐き出しそうな圧迫感に、自分の体が何かに押し潰されていることが何となく感じ取れた。視線を自分の体に向けると、やっぱり。下半身が瓦礫に押し潰されてる。
寝る直前みたいに意識がふわふわしてまぶたが重いのに、死ぬまで意識を失う事は絶対にないだろうと思うくらい意識がハッキリしている。その矛盾が気持ち悪い。
血を失う感覚。指先が冷たい。治癒魔法を使おうにも、こんな意識じゃまともに集中なんてできやしない。
ここまでくれば誰にでもわかる。あたし……もう死ぬんだ。
ああ……ついてない。
自らの運命を悟ったとき、あたしが真っ先に思ったことがこれ。全ッ然面白くない、その他大勢みたいな感想。……でも、そう思うのは仕方ない。
貴重な時間を、魔法書も読めない真っ暗な部屋の中で潰したくなくて。自分の生命を無価値に終わらせたくなくて。青い空を、一度でも見てみたくて、逃げ出してきたのに。こんなに早く、それも無価値のまんまで終わるんだ。色んな感情が頭のなかをぐるんぐるん渦巻いて、そんなのこんなボーッとした頭じゃ処理しきれなくて……ボキャブラリー豊富な遺言なんて思い付くわけがない。ま、思い付いたところで、それを伝える相手すら近くにいないんだけど。後悔したってもう後の祭りで、自分の行く末はもう決定的で。だったらもう諦めて思うしかないじゃん。『ついてない』って。結局、あたしの……『ジェヘナ』の一生なんて、ついてないって一言で片付いてしまうようなちっぽけなものだったんだ。
どうせなら、こんな意識も早く失ってしまって、ごちゃごちゃ何かを考えることも、苦しむこともなく死んでしまいたいのに。この役立たずの体は、それすらも許してくれない。ゆっくりゆっくり、一秒ずつ明確に時間を感じながら死ぬのを待つしかないって。
そう、思ってたんだけど。
人の気配なんて微塵もないこの場所に。噎せ返るほどの血の臭いに満ちたこの場所に。あたし以外に生きているやつなんて一人もいないと思ってたこの場所に。足音が、響いた。
知ってる人が聞けばすぐに結構重い鎧を着てるんだとわかるくらいに騒々しいのに、やけに軽やかな足音。それが、もうほとんど機能してないあたしの聴覚でもわかるくらいはっきりと、あたしに近づいてくる。
まるで勇者サマみたいな真っ白な鎧を着た足跡の主は、とうとうあたしのところにたどり着いて、あたしを覗き込んだ。
「……きて…………る……か? ああ、生……て……!」
なに言ってんのかはさっぱりわかんなかったけど、そいつが驚いてるのはハッキリわかった。だって、さっきよりもあたしの視界を埋め尽くした血走ったような赤の縁取りの隙間から、ビックリするくらいまん丸いそいつの目が見えたから。
あたしは必死に、多分今まで生きてきて一番必死に、そいつに向かってまともに動かない腕を動かした。
あたしは、生きている。まだ、生きてここにいるって! そう、はっきり伝えるために!
そいつが必死に伸ばしたあたしの手をガッシリと掴んで、それで……
「ジェヘナ殿おおおおおおおおお! ぃいらっしゃいますかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「わぁあああああああ!? なになになになになになになになになになになになになになになになに!?」
家の外から聞こえる、なんかが爆発したんじゃないかと勘違いしちゃうくらいどでかい声であたしは飛び起きた。
……ちょっぴり、懐かしい夢を見てたらしい。
王都中央街道。真っ直ぐ進めば王城に繋がるこの道に、鋭いヒールの音と鈍い鎧の音が響く。
ヒールの音の主はあたし。王城から黒魔導師に支給される一般的なローブを身にまとい、深くかぶればあたしの顔が全部隠れちゃうくらい大きいとんがり帽子をかぶってる。ザ・一般黒魔導師みたいな格好だけど、他の黒魔導師とはちょっと違うところがある。それはツヤツヤサラサラに手入れした、ストレートロングの赤毛。赤毛の人間ってかなり珍しいからとっても気に入ってる、あたしの一番のチャームポイント!
んで、ガシャガシャうるさい鎧の音を響かせてんのは、さっきあたしを大声で起こした男、レオ。こんなスマートそうな名前してるのに、ゴリゴリマッチョの大男。丸刈りの頭にアゴヒゲ蓄えて、上級騎士である証の銀の鎧に身を包んでる。得物は両手持ちの大剣の癖に、意外と色んな武器も扱えて技術もあるもんだから、剣術指南役なんてのもやってる。いつもいつも声が爆弾みたいにでっかいことを除けば、けっこー優秀な男。声が、でかいことを、除けば。
「ったく! 毎度毎度言ってるけどね、大声出して起こすんじゃなくてノックしなさいよノック! ドア一枚隔てて遠くにいても隣で大声だしてるくらい音がでかいなんて、あんたの声はどーなってんのよ! 近所迷惑だしやめなさいよね!」
「いやー! 申し訳ない! 早急にジェヘナ殿をお呼びしなければと気持ちが逸ってしまって! 深くッ!!!!! お詫び申し上げるッ!!!!!」
「あんたあたしの言ってることわかってないでしょ!? 既に声がでかいのよ、もっと小さい声でしゃべりなさいよ!」
「しまったッ!!!!!! 本当に申し訳ないッ!!!!!!」
「バカー! んもう、なん、その、バカーーーーー!!!!」
言ったそばからバカでかい声でしゃべるもんだから、何言えばいいかわっかんなくなってバカとしか言えなかった。こいつと話すとなんかいつもこうなるから、ほんっとしんどい。嫌い。あたしこいつ嫌い。
「はぁ……で、今日は何の用よ。中央街道歩いてる時点でなんか何となく察しはつくけどさ。一応聞かせなさいよ」
申し訳なさそうに頭をポリポリと掻くレオをジトーッとした目で睨み付けながらあたしはそう言った。中央街道を歩く目的なんて、大体王城に向かうってことくらい。大きい街道だから露店もいっぱい出てるけど、こいつに呼ばれて露店関係だったことは皆無だからその可能性は除外してよし。っていうか露店のトラブルだったらわざわざあたしなんか呼ばないでしょ。立場がちょっと特別とは言え、ただの魔導師だし。そこに口出しする権利なんてあたしは一切持っていないから。
で、目的地が王城なら、王様に直接呼ばれたか……最悪なのは、王城の中にある兵士訓練所関連のことなのだけど。
「ハッ! しまったッ!!!!! 申し訳ないッ!!!!! ジェヘナ殿をお呼びすることだけに気を取られてッ!!!!! 本題を伝えることをさっぱりと失念していたとはッ!!!!!!! 重ねてッ!!!!! 重ねてお詫び申し上げッ!!!!!!」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!! わかった、わかったわよもういいから! さっさと用件伝えなさいよ!」
何度言っても懲りずに大声出しまくるレオの言葉を全身から絞り出した声でなんとか遮って、続きを促す。謝罪とかほんと要らないから。あたし用件を話してほしいだけだから。その辺の文句をもろもろ詰め込んだ、あたしがレオを睨む目つきはもはや狼みたいでしょうねぇ。
「承知! 実は! 本日は勇者アドルフ殿に兵士訓練所にお越しいただき! 兵士たちに稽古をつけていただいていたのだが! アドルフ殿に熱が入ってしまいッ! そのッ! 大量に怪我人がッ!」
「あーあーはいはいやっぱりね。その大量の怪我人をあたしに治すの手伝わせようってことねそんなことだろうと思ったー。はぁ……あの男、勇者の癖になぁんで手加減できないのよ……」
今回のお呼ばれの理由、最悪コース確定。これ、あいつが稽古をつける時は毎回やらされてる気がするんですけど。あーもう最悪、本当についてない! 治癒魔術って相当集中力がいるから死ぬほど疲れるの。それを大量にやらされる大変さっていったら! ……想像するだけで嫌になってきた。
「いえッ!!!! これはひとえにッ!!! 我らの実力不足によるものッ!!!! 大変ッ!!!! もうしわけ」
「だぁからうるさいって言ってんの! もう用件はわかったから口を塞ぎなさいよ。それか小さい声で喋って」
「しまったッ!!!!! 大変申し訳」
ガツン! と。金属になにかがぶつかる音と共にレオの言葉が止まる。そのぶつかった物ってのはあたしの魔導杖で、それをぶつけたのはあたしな訳だけど。ん? なんのためにぶつけたのかって?
「次口開いたら『ファイア』ぶちこむわよ?」
こいつを脅して黙らせるために決まってんじゃないの。こいつ、こうでもしないと一生口閉じないから。
真っ青な顔したレオが、無言のままこくこくとうなずくのを確認してから、あたしは突きつけた杖を引っ込める。あー、もう、こいつと話すの本当に疲れる! なんでこいつがあたしを呼ぶなんて雑用してんのよ。上級騎士でしょ? 剣術指南役でしょ? 剣術指南させときなさいよ剣術指南! こいつがあたしを呼びに来るの毎回だからね? 今回みたいに誰も動けないから仕方なくじゃないからね? あー、なんかもうほんと……ほんと、疲れる……。
「あ、あのー、レオ殿、ジェヘナ殿、お疲れさまです……」
あたしがもう何度目かもわからない重苦しーいため息を吐いたその時、目の前からレオじゃない男の声がした。顔をあげると、そこには見慣れたくなかったけど見慣れてしまった衛兵の姿が。レオと話すのに夢中になって気づかなかったけど、いつの間にか王城に着いてたみたい。
「うん……あんたも、お疲れ様 ……」
見苦しいものを見せたのに挨拶してくれた衛兵に軽く手を振って、あたしとレオは王城の中に入っていく。これからやらなきゃならない大量治癒のことを想像してげんなりとしながら、兵士訓練所に向かった。
重い足取りでやってきた兵士訓練所に繋がる扉の前で、あたしは立ち止まった。
「……ジェヘナ殿? つきましたぞ! なぜ立ち止まっているのです?」
「うっさい。心の準備をしてるのよ。ちょっと待ってなさい」
いつもの通りなら、怪我人が山のように積み上げられていることでしょう。あたしは目を閉じて、深く息を吸い込む。深呼吸ってやつね。治癒術ってのは、結構難しい。集中力が大事。だからこれから挑む治療のための、集中力を高めるために。レオのやつに散々荒げられた自らの心を落ち着けるために。そして、ただの怪我だって言っても人の命を預かることになるんだから、その覚悟を決めるために。あたしは、深呼吸をする。……うん、よし。そろそろ落ち着いてきたかも。完全に落ち着くためにあともう何回か深呼吸を……
「お待たせいたしたッ!!!!! ジェヘナ殿を連れて参ったぞっ!!!!!」
あれ、扉が開いた音がした。レオもなんか言ってる。……嘘でしょ? まさかこいつ、扉開けたの!?
あたしは深呼吸を中断して、閉じてた目をものすごい勢いで開いた。その視界に写ったのは! ……大体三十人くらい? 部屋を埋め尽くすほどずらーっと並んだ怪我人と、慌ただしくそれを治療する白魔導師が数人いる、完っ全に扉の開いた兵士訓練所だった。
「……レオ。あたし言ったよね? ちょっと待ってなさいって」
「確かにおっしゃられましたがッ!!!! なるべく早く怪我人の治療に取り掛かった方が良いと思ったのでッ!!!! ……ジェヘナ殿? 何故杖を構えるのです? 私は特に怪我などはしておりませんが? ジェヘナ殿?」
「『
「ぬおおおおおおおおおおおッ!? 何故ぇぇぇぇぇぇぇぇッ!?」
問答無用。こいつの暴れっぷりに我慢の限界を迎えたから、『ファイア』で焼いてやったわ。死ぬことないくらいには威力を調整したから、そういう心配はいらないんだけど……ま、それをわざわざ言ってやる義理もないか。今までこいつから受けてきたストレスの量からするとこの程度じゃ全然スッキリしないけど。はぁ、ほんとこいつやだ。
「来てくれたか、ジェヘナ。すまないな……」
そんなことをしていると、扉の横から声をかけられた。そっちに視線を向けると、そこには疲弊した顔でマナポーションを呷る中年の男……アドルフがいた。
このアドルフって男は、この国お抱えの勇者。勇者の中でも異例中の異例な人物で、それで……あたしの、パーティメンバーだ。
勇者ってのは、利き手の甲に聖印って言う痣を持って生まれた、神に選ばれた者、らしい。勇者は生まれつきすべての魔法属性に適正を持ち、肉体も強く、魔力も豊富、と。正直反則としか言えない能力を持ってるって聞いた。勇者は幼い頃から親と引き離されて、剣術とか魔法とかの訓練をして。大体若いうちに魔族と先陣切って戦って、その戦いの中で命を散らすらしいんだけど……不運なのか幸運なのか、アドルフは歴史上最も長く生き残ってる勇者なんだってさ。ここ、第一の異例ポイント。
彼は金髪碧眼の、そこそこ整った顔をした偉丈夫で、若い頃は結構モテたんじゃないかと思う。勇者は自らが勇者であると言うことをアピールするために、常に伝統ある勇者用の鎧(白地に金の装飾がついた高級感のあるやつ)を
着用する義務があるらしくて、それに従ってアドルフはいつも勇者の鎧を身に付けている。あたしこいつと会ってから結構月日が経ってるんだけど、こいつが普通の服を着てるの見たことないのよね。ちゃんとした服持ってんのかな……? 年齢は、今三十七歳って言ってたかな。そこそこのおじさんよね。聖印のおかげなのかなんなのか知らないけど随分と若々しいから、本当なのかは知らないけど。あたし、こいつと知り合ったのは最近だから本人から聞いただけなのよね。初めて聞いたときは驚いたわ。見た感じ二十代後半くらいなんだもん。
「すまないな……じゃないわよ。毎度毎度城中の兵士巻き込んで稽古して、度を越えた怪我人出して。いいかげん、程度と加減ってものを覚えてよね」
勇者が持つ全魔法属性の適正の中には、当然治癒魔法も含まれるの。だから普通の勇者は自分で出した怪我人くらい自分で治せるはずなんだけど……ここからが第二の異例ポイント。アドルフって、歴代の勇者の中で最も魔力量が少ないの。それでも一般魔導師なんかよりはよっぽど多いんだけど、治癒魔法ってかなり魔力使うから、こいつは治せて精々十人が限度ってところね。んで、こいつが城の兵士に稽古をつける時は、城にいるほとんどの兵士を巻き込むの。だから、一度の訓練で出す怪我人って軽く三十人を越えるわけで。自分で治せもしないのに大量の怪我人を出しては白魔導師に迷惑かけて、そんで手が足りないから毎回あたしにも治すの手伝えっていうの。正直バカよね。こいつ。
「いや……これは本当に申し訳ないと思っているんだが、稽古に手は抜けない。手加減をしてしまっては、俺を信じて向かってきてくれる皆に失礼だからな」
「あんたのそういう価値観、あたし全然わかんないわ。ほんと頑固って言うか融通が利かないって言うか。……パフェ、奢りなさいよね」
「ああ、すまない」
バカなんだけどさ。怪我人出ちゃったらなに言っても今更だし、何か言ったってこいつは変わんないし。適当に報酬吹っ掛けて治療してやるしかないのよね。戦場で戦う人間同士の礼儀ってやつ? そういうのばーっか気にしてる、堅物な勇者なのよ。ちょっとはあたし達のことも考えて欲しいもんだけどね。
さて。やっと覚悟も決まったことだし。治療に取りかかるとしますか。今からこの人数だと夜までかかるし。早めに取りかからないとね。
所変わって、またまた中央街道。もう空は真っ暗だけど、響く音は昼間と変わらず、鋭いヒールの音と鈍い鎧の音。鎧の音の主はレオじゃなくてアドルフだけどね。
「だぁーーーーーーあーーーーーー! ……疲れた」
結局、あたしが解放されたのは日が全部沈んでからしばらく経った頃だった。怪我人? そんなん全員きれいさっぱり全快まで治してやったわよ。お城の白魔導師もみーんな途中で音を上げて、最後はあたし一人だったけど。おかげでもう足ガックガクよ。まともに歩けやしない。っていうか、私怨でレオを焼いたのは失敗だったわ。あれやったせいで治さなきゃいけない人数が一人増えた。あたし、レオのこと絶対許さないわ。
「……ジェヘナ。やはりおぶろうか? 歩くのも辛いだろう?」
アドルフがいつもと同じしかめっ面であたしの顔を覗き込んでくるけど、あたしは虫を払うように、アドルフの顔を手で追い払った。
「いいわよ。休んでずーっと見てただけだったとは言え、あんたも治癒魔法使ったんなら疲れてるんでしょ。あんた治癒魔法苦手だもんねぇ?」
「君よりは疲れていないし、君をそんなに疲れさせてしまったのは俺だ。おぶって帰るくらいはしないと申し訳が立たん」
「だったらあんなに怪我人だすのやめろっつーの。っとと」
不覚にもあたしがよろめいたところを、アドルフに支えられた。そのことになんか納得いかなくて、あたしはアドルフのしかめっ面を思いっ切り睨んだ。
「なんだその顔は」
「……なんかムカつくだけよ。ありがと。もう立てるわ」
あたしがアドルフから離れて歩き出すと、いつもはさりげなくあたしに歩幅を合わせて歩いてるアドルフがあたしの前に回って、目の前でしゃがみこんだ。
「何よ。邪魔なんだけど」
「やはりおぶる。無理しているんだろう? もうそろそろ限界のはずだ」
「だから! 大丈夫だって言ってるで……うわっ!?」
あんまりにしつこいアドルフに腹をたててちょっと怒鳴ったら、急に力が抜けてその場に倒れそうになっちゃった。アドルフがしゃがんだ姿勢からあり得ない速度であたしのことを支えてくれたから、転ばずには済んだけど。
「ほら、言わんこっちゃない。おとなしくおぶさっておけ」
「……仕方ないわね。不本意だけど。ほんっとーに、不本意だけど! そこまでいうなら、おぶわれてやるわよ」
こいつに頼るのがなんか嫌だってだけのただの意地で今まで断ってきたけど、どうやらアドルフの言う通り限界みたい。アドルフにも言った通り本当に不本意だけど、おぶわれてやることに決めた。
「……よっと」
一気に視界が高くなる。こいつとあたしは頭二つ分くらい身長が違うから、なんだか不思議な気分になる。アドルフってこんな風に世界が見えてるのかなーって、ちょっと思った。こんなに高くて怖くないのかしら。怖いわけないか、地面に足がついてるんだものね。
「……鎧が固いわよ」
あと、鎧が固いことには文句言っとく。胸が圧迫されて苦しいのよ。絶対におんぶに向いてないから、これ。
「すまんな。鎧を脱いでおいていくわけにもいかないんだ」
「わかってるわよそれくらい」
ちらちら見えるアドルフの横顔は、さっきから一ミリたりとも変わらないしかめっ面。……あたし、こいつのしかめっ面そんなに好きじゃないのよね。
お昼の居眠りで見ていた夢。あれは昔本当にあったこと。ある町で魔族との戦いに巻き込まれて、瓦礫に下半身を潰されて、死にかけた。その時あたしを助けてくれたのは、アドルフだ。あの時はほとんど目が見えなかったけど、それでも覚えてる。勇者の鎧以外には存在しない白の鎧に、碧眼をこれでもかってくらいまるくまるーく見開いてたのを。……うん。こいつ、驚いた顔とか出来るのよ。なのに、あたしが目覚めてからはしかめっ面のまんま、一切表情を変えないの。こいつといる間はずーーーーーーーっとこいつの顔を見ているから、疲れてるな、とか今日は元気そうだな、くらいの違いはわかるけど。笑ったり、泣いたりみたいに、はっきりと感情が読み取れるくらい表情が動いたことは一度もない。
なんか、ムカつくじゃない。いつも不機嫌そうにムスっとしてるの。不機嫌じゃないのはわかってんだけど、あたしが気に入らない。だからあたしは、一つ心に決めてることがある。
いつかこいつを
「あ、そーだ」
「む、どうした?」
あたし、こいつからもう数えきれないくらい稽古での怪我人の治療を頼まれてんのよね。こんなに疲れることになったのは初めてだけど。治療を頼まれる度にパフェで済ませてやってたんだけど、今回は死ぬほど疲れたし、報酬、ちょっと追加してもいいよね?
「あんたさ、明日って暇?」
「明日……確か、何もないが。何かあるのか?」
「あたし今日は今までで一番疲れたからさー。いつものパフェだけじゃなくて、もう一つ報酬を要求しても許されると思わない?」
「……まあ、そうだな。確かに君の言う通りだ。それで、何がいいんだ?」
「パフェ奢るついでにさ、あたしに服買ってよ。デートしましょ、デート!」
どうよ? うら若き美少女からいきなりデートのお誘いを受けたら、おじさんなら動揺するんじゃない?
「……それはデートと言うんだろうか? まあいい。服だな。慎んで付き合おう」
……ダメだ。ずっと顔覗いてたけど、眉毛一ミリすら動かない。忘れてたわ。こいつ、堅物なんだった。デートなんかで動じるわけ無いじゃない。バカかあたし。あと、男女が二人で服買いに行ったらデートでしょ。そこんところの認識ちゃんとしといた方がいいんじゃないの? アドルフ。
「……どうした、そんなに睨んで」
「なんでもなーい。じゃ、明日九の刻にあたしの家まで来なさいよ。約束だからね?」
「わかった」
とりあえず約束の時間だけ伝えたけど、どうしよ。デートって言う程度じゃ動揺しないとなると……あ、そうだ思い付いた。こうなったらあれよ。服屋でとびきり肌を露出したセクシーな服を試着して、こいつに見せればいいんじゃない? いくら堅物でも……いや、堅物だからこそ! そんなことになったら動揺するんじゃないかしら!? いや、動揺するわ! あれ、あたし天才じゃない? 天才よねこれ!
「ぐ、ぐふ、ぐふふふふふ……」
「……おい、ジェヘナ。さっきからどうしたんだ本当に。その笑いかたはちょっと気持ち悪いぞ」
「うっさい! あたしは今機嫌がいーの。さあアドルフ! あたしを早く家に帰しなさーい!」
あたしの気分はもう貴族のお嬢様! うふふ、明日が楽しみね!