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僕は緊張で手が震えるのを感じながら、ゆっくりと鍵をさし、ドアノブを捻った。
ピンク色とハートのモチーフが大部分を占める部屋だ。中央には大きなベッドがあり、YES NOと書かれたクッションが置いてある。言っちゃ悪いけど本当にラブホテルみたいだな…。
そして、ベッドの上にちょこんと座っていたのは……片原さんだった。
この部屋では、他のみんなは僕を相手に妄想をし始めるんだよな…。片原さんは、僕を相手にどんな妄想をしているんだろう…?
「こむぎ!」
「えっ!?」
「早く、ここ!隣に座ってほしいっす」
いきなり片原さんに名前で呼ばれてびっくりしてしまった…慎重にベッドの上に乗り、隣に座る。
彼女の中で僕はどんな設定になっているのか、早く理解しないとな……。
「えっと…片原さん」
「どうしたんすか?いつも通り、桃でいいのに」
「…!?も、桃……?今日は2人きりで呼び出して、どうしたの…?」
こ、これでいいのかな…?相手の機嫌を損ねると、機嫌を損ねた相手は悪夢を見てしまうらしいから気をつけないとな…。
「実は親友のこむぎにだけ、相談したいことがあって……」
片原さんはそう言ってまっすぐに僕を見つめる。
どうやら僕は彼女の親友ということになっているらしい。いつもの底抜けに明るい笑顔とは少し違う、真剣な眼差しだ。
「僕でいいなら、相談に乗るよ。どうしたの?」
「…桃は"超高校級の解体者"だから、今までずっと家畜を解体してきて、それが当たり前だと思ってた」
「…うん」
「でもだんだん、それが普通じゃないってわかってきて、桃は普通の人よりたくさんの生き物の命を奪ってるんだって…大きくなっていろんな人と会ってから気づいた」
片原さんの実家は屠畜場らしいから、彼女も家業を手伝ってきたんだろう…。確かに、それは僕には考えられない世界だ。
「それで、本当にいいのかなって…。当たり前のように家畜を解体してきたけど、桃たちだって同じ命を持ってる。なのに桃はこうやって、家畜たちの命を奪ってるっす」
「………」
「それに、時々不安になるんす」
「…不安?」
「あの家畜たちみたいに、自分や他の人が突然ふって消えちゃうんじゃないかって…自分がちゃんと生きてるかわからなくて…怖い」
普段たくさんの命を奪っている片原さんだけが知っている、命の重み。彼女はそれに、たった1人で押しつぶされそうになっているんだ…。
「…気づいてあげられなくて、ごめん」
「いいんすよ。こむぎはわからなくて当たり前だよ、普通に暮らしてるんだから」
「………」
「それで、1つお願いがあるっす」
「お願い?」
「その、桃やこむぎが、ちゃんと生きてるってことを確かめたくて……」
「僕でよければ、片原さ…桃の、力になるよ」
何か自分にできることなら片原さんのためにしてあげたい、そう心から思って僕は言った。
「…ありがとう」
片原さんはようやく安心したように笑った。
「それで、僕はどうしたらいいかな」
「…手を、握らせて欲しいっす」
「手…?」
おずおずと手を差し出すと、片原さんは僕の手をぎゅっと握りしめた。
「…あったかい。こむぎはちゃんと、今生きてるんだね」
「うん。桃の手も、あったかいよ」
手を握ったまま、片原さんは今度はすとんと僕の胸のところに耳を当てた。距離が近くてかあっと顔が熱くなるのを感じる…。
「な、何してるの…?」
「心臓の音を聞いてるっす」
「心臓の、音……」
「どくん、どくんって聞こえる。これも、こむぎが生きてる証っすよね」
「…そうだよ。僕達はちゃんと生きてる。だから、不安になんて思わないで、今の一瞬一瞬を大切に過ごそう」
「…わかったっす」
片原さんは、こくりと頷いた。近づいてわかったけど、こんなに小さな体で、いろいろなものを抱えて生きてるんだ。彼女の背負ってるものを分け合って、これからも一緒に歩いていけたらいいな…。
「これからは、楽しいことだけ考えて、過ごすようにするっす。
…でも、今晩は、この音をもう少しだけ聞いていい…?」
「…うん。いいよ」
僕達は体を寄せあって、お互いの暖かさを分かち合いながら、ゆっくりと深い眠りに落ちていった……。