小学生期
ここはとある山奥の田舎町、アスファルトよりも砂利道の方が多く、牛が道路を横断するような、そんな小さな町。
その田舎町のさらに山奥に一件のログハウスが立っている。
「じいちゃん、行ってきます!」
「夕方までには帰ってきなさい」
「はーい」
しわがれた声を背にログハウスから元気よくつなぎを来た一人の少年が飛び出してきた。彼の名前は桐生結葵(きりゅうゆうき)。
階段を使わずジャンプで着地する姿は名前の通り活力があふれている。
愛用の自転車にまたがり坂道を一気に下る。
すると目の前に狸の親子が飛び込んできた。
「おっと失礼~!」
最低限のブレーキをかけて難なくそれを避けて再びスピードを上げる。
涼しい木陰の中、夢中でペダルを漕ぐ。今は夏真っ盛り蝉も自らの存在を示すように必死に鳴いている。
盛大な蝉の合唱を聴きながら山道を抜ける。ひとまずの少年の目的は駄菓子屋へ行くことだった。
ゆっくりと速度を落として、店の前に自転車を止める。
「おばちゃん、こんにちは」
「おや、結葵ちゃんいらっしゃい。」
結葵は百円を渡してラムネの瓶を取り出す。一度店の外に出ると、排水溝の上でラムネのガラス玉を押し出した。
カラン・・・シュワ~
ガラス玉が落ちる小気味のいい音と炭酸の弾ける音が混ざり合う。
「・・・ぷは~、やっぱ夏はラムネでしょ。」
「お、ユウじゃん来てたの?」
店の奥から一人の女の子が出てきた。
「お~、楓ちゃん。来てたよ~」
「どしたの?」
結葵はにんまり笑うと自転車を指さす。そこには竹の棒が数本入っていた。
「昨日ザリガニの穴場を見つけたんだ。釣りに行こうよ」
「別に良いよ。私も暇してたところだし。」
結葵は器用に舌でガラス玉を押し出しながらラムネを一気に飲み干した。
「あ、せっかくだしこのみも呼ぶ?」
「お、良いね。呼ぼう呼ぼう。」
ラムネの瓶を空き瓶ケースに戻しながら結葵は楓の提案に賛成した。
「よし、着いた着いた。ここだよ」
結葵達は人気の少ない小川に来ていた。
「わーすごーい、お魚さん達がいっぱいだー!」
水面を覗いたこのみが興奮したように声を上げていた。
「なあ、ユウ。ザリガニなんて見当たらないぞ?」
疑うような顔を見せる楓をよそに結葵は得意そうに舌を鳴らした。
「ちっちっち、ここのザリガニは数が少ないんだけどその分でかいんだよ。よーく石の陰とか見てみろよ。」
結葵の言われたとおり、楓は石の陰や川岸の溝をよーく観察した。
確かに大きな赤いはさみが見える。
「おー、ほんとだ。」
「大きいヤツは食い意地が張ってるけど用心深いからつり上げるのは難しいぞ」
そう言いながら結葵は竹の竿を二人に手渡した。
「おもしれぇ、やってやろうじゃねーか。」
「いっぱいつるよ~」
各人手渡されたのはスルメが三つと煮干しが五匹分。泣いても笑ってもこれだけだ。
「一番小さいの釣ったヤツが二人にラムネな。」
「良いけどお前本当にラムネ好きだな。」
「うん、がんばる!」
ここで釣った数を競わないのが三人のルールだった。釣ったザリガニを逃がしてほかのを狙うか、そのザリガニをキープするか。
そちらの方が賭け事のようで楽しいし、何よりも小さな生き物に対する配慮だ。
「よし、そのまま放すなよー放すなよー・・・あーくそ、普通サイズか。」
「・・・ったく何で私のスルメだけ食いつか無いんだよ!?」
「んー煮干しとスルメ一緒なら・・・やった釣れた!・・・うぅ~小さい。」
時間がたつのも忘れて夢中で三人は大物を狙っていた。
「・・・でこの場合どーすんだよユウ。」
大物を狙い過ぎた楓と結葵は結局すべてのザリガニを逃がしてしまい手持ちはゼロ。
そしてこのみは最初に釣ったザリガニ以降全く釣る様子は無かったが、一応手持ちはある。
「まあ、このみちゃんの勝ちかな?」
「わーい、わたしの勝ちー!」
結局楓と結葵が半分ずつ出し合うことで収まった。
このとき結葵と楓が小学四年生、このみが二年生だった。
年が近い三人は暇さえあればいつも一緒に遊ぶことが多かった。
「ただいま、じいちゃん。って、すげー!!」
家に帰るなり歓声を上がる結葵。庭で結葵の祖父が大きな鹿を解体していたからだ。
「結葵丁度良いところで帰ってきた。ちょっと手伝っておくれ。」
「うん!!」
結葵の祖父は役所の要請で増えすぎた野生の鹿をこうして度々獲ってくることがある。
鹿の肉は固いのでだいたい煮込んでシチューやカレーに使うが、近隣の住民にお裾分けする場合が多い。
あっという間に解体していく祖父の手つきを結葵は真剣に見つめていた。
「じいちゃん、この鹿ってどうやって獲るの?やっぱり猟銃?」
「いや、じいちゃんは猟銃を持ってないんだよ。だから罠を仕掛けて獲ってくるんだ。」
そう言って祖父は腰に差してあるナイフを指さす。
「多少暴れるけど急所さえ外さなければ簡単に仕留められる。」
「ふ~ん・・・俺もじいちゃんみたいになれるかな?」
それを聞いた祖父はにっこりと笑って、手袋を取った手で結葵の頭を撫でた。
「できるさ。熊にひっかかれても、あの森に行く結葵なら。」
「へへへっ」
照れくさそうに笑う結葵の頭を今度はぎりぎりと片手で握り始める祖父。
「だ・が、じいちゃんが良いって言うときだけだと何度言えば・・・」
「イデデデデ!ごめんなさいじいちゃん!!」
ダメと言われると無性にやりたくなるのは子供の性である。
「ほれ、富士宮さんの家にこれを届けてきなさい。」
鹿の肉が入れられたビニル袋を結葵に差し出す。
「ちなみに今日の夕飯は?」
「・・・鹿肉は明日」
「は~い」
日はすでに傾いていてあたりは薄暗い。手を抜くのが嫌いな祖父は鹿肉の調理をする際はしっかりと下ごしらえをしなければ気が済まないようだ。
結葵は素直に従い、自転車にまだがりペダルを漕ぎ始めた。
「ごめんくださーい、結葵でーす!」
富士宮家の玄関を開けて大声で言う。
「あら、結葵くんどうしたの?こんな時間に。」
出てきたのはこのみの母親だった。
「じいちゃんが鹿肉を届けるようにって。」
そういってビニル袋を見せる。
「あら、ありがとうわざわざ。あ、そうそう。今日はありがとうねこのみと遊んでくれて。」
「いえいえ、人数はいた法が楽しいですから。それじゃあ、失礼します。」
「また遊んであげてちょうだいね。鹿肉、ご馳走になるわね。」
富士宮家に鹿肉を届けるようになったのはだいたい一年ほど前だ。
結葵の祖父とこのみの祖父が幼馴染ということもあり、度々このみの祖父が桐生家に訪れていた。
その日は富士宮家の全員が桐生家に来ていた。
「しばらく見ない間に随分大きくなったね、このみちゃん」
「そりゃそうですよ。前ここに連れてきたのは1歳のときですから」
このみの母が笑いながら答えた。
今日富士宮家を呼んだのは、今朝肉質の良い雌の鹿を捕まえることができたからだ。
「もう少しで準備ができるからそれまで結葵と遊んでいると良い。」
結葵の祖父は庭を見渡した。結葵は遊び疲れたのか、ハンモックで寝息を立てていた。
「結葵!お客さんだ!」
「へ?うわっ、へぶ!?」
驚いた結葵はハンモックから落っこちてしまった。
「いってー、・・・うわ!?」
頭をさする結葵の目の前に、いつの間にかこのみが立っていた。
「えーっと、君の名前は?」
「わたし、このみ。ふじみやこのみ。よろしくねつなぎくん!」
自分のことをそう呼ばれたことに結葵は一瞬反応できなかった。
「えーっと、俺のは桐生結葵って名前が」
「だめっ!つなぎくん!」
「せめて他の呼び方を」
「やだ!つなぎくん!」
「・・・もう良いよそれで。」
押し切られてしまった。結葵は諦めたように立ち上がった。
「ねーねー、つなぎくん。これなーに?」
このみは興味津々な様子でハンモックを指差す。
「なにって、ハンモックだよ。」
「わたしもはんもっくのりたい!」
「うーん、まあ良っか」
と言っても小さな女の子1人で乗るのも難しいので結葵が抱き上げた。
「わーすごーい、おもしろーい!」
ハンモック特有の体が沈み込む感覚が楽しいのか、このみはハンモックの上ではしゃいでいた。
結局結葵の祖父が呼びに来るまで、二人はハンモックで遊んでいた。
「さ、これが今日獲れたての鹿肉のステーキだ。」
鹿の骨からスープを取ったシチューに、鹿肉ロースト、鹿肉のステーキなど。今日の夕食は鹿肉のオンパレードだった。
「わー、おいしそう!」
所狭しと並べられる鹿肉料理にこのみは目を輝かせていた。
この日を境にこのみはすっかり鹿肉の虜になってしまった。
それならばと、結葵の祖父が定期的に富士宮家に鹿肉を届けるようになったのだった。
鹿肉はしっかりと加熱処理をしないとヤバイです。