八月も下旬になったというのに、外は相変わらず暑苦しかった。蝉が鳴き、太陽が照りつけ、まだまだお天道様は夏を満喫したいようであった。
「今日も暑いな~リエスー。」
「へっへっへっへっへ・・・」
毛皮の厚いリエスは一日中縁の下に掘った穴や、木陰でだらりと舌を垂らしていた。そのようすを結葵はすこし気の毒そうな目で見ていた。
「滝でも行って涼むか?」
「あ、私も行きたい!」
ハンモックで横になっていたこのみが体を起こす。晴れて恋人同士になった二人だったが、お互いの呼び方が変わったくらいで今まで通りの様子だった。ただ一つだけ大きな変化があった、このみが毎日結葵の家に訪れるようになったのだ。以前は三日に一度遊びに来る程度だったのだが、朝昼晩の食事に始まり、掃除、選択、結葵の仕事の手伝い等々。今のこのみを一言で表すなら押しかけ女房、それが一番ぴったりくる表現だった。
「それじゃあ一度家に帰る?そのまま水に濡れるわけにも行かないでしょ。」
「うん、そうするー。」
このみは自転車にまたがり、颯爽と坂を下っていった。その表情は幸せでたまらないと言った様な、実に言い笑顔だった。
「へっへっへっへ。。。」
このみの背中を見送っていた結葵の顔をリエスがなめ回す。いつもより弱々しい。
「どうしたんだよ、まさかヤキモチか?うりうりうり~」
構ってくれオーラを放つリエスの要求通りに、結葵はこれでもかとその体を撫で回した。毛皮は少し熱がこもっていた。
「ワン!」
どんなに熱くても結葵に構ってもらえるととても嬉しいリエスだった。
待つことおよそ一時間。坂の遠方からこのみ以外の人影も確認できた。越谷三兄妹、宮内三姉妹、一条家長女、加賀山家長女。みごとに全員集合だった。
「家に帰ったら丁度なっちゃんたちが来てて・・・。」
「あー・・・それで芋づる式にみんな着いてきたわけね。」
「ぶーぶー抜け駆けはズルいぞーツナギー。」
水中眼鏡を頭に付け、夏海はすでに準備万端だった。夏海に限らず、みんな少なからずわくわくしているようだった。
「そりゃそうよ、あそこまで行くのに全然目印とか無いんだもの。アンタがいなくちゃすぐに迷子だよー。よいしょっと・・・はー重かった。」
そう言ってひかげはでっかい水鉄砲や、空気の抜けた浮き輪等が入った鞄を地面に置いて肩をほぐす。
「これまた重装備で・・・、てゆーか楓ちゃんも良く来る気になったね。」
「あーその・・・なんだ。保護者が多い方が良いだろ?」
「駄菓子屋ユウユウのとこ行くって言ったらすぐに来たのん。」
「・・・ほう。」
楓は今にも舌打ちをしそうな、心底ばつが悪そうな顔をしていた。
「そんなことより早く行こうよー、ツナギー。」
夏海の言うとおりここにいればすぐに暑さにやられてしまうだろう。一行は結葵の先導で山道に入った。
山の中は、木々に覆われて幾分気温が低く感じる。蝉と山鳥が声の大きさを張り合い、かすかに聞こえる川の音や地を踏む音が耳に届く。成長の早い草や木の枝を、腰に差してある鉈を使い、道を切り開いていく。
そして少しずつ水がたたきつけられる音が大きくなってきた。
大きな水のたまり場を囲むように滝の水が落ちる様子はまるでカーテンのようだった。たたきつけられた水が細かい粒子となって、体全体を包み込む。ひやりとした空気を吸い込むと、本当に全身で水分補給をするような気分になる。
「うおおお滝なのん!」
「よっしゃあ、水だー!」
浮き輪を持ったれんげとゴーグル装備の夏海は真っ先に水の砲へ突進していった。それに我慢の限界を超えたリエスも加わる。助走をつけて思い切り跳躍、あっという間に夏海とれんげの頭を越えて、水の中に飛び込んだ。ザッパーンと大きな水しぶきとともに、波が岸の方まで伝わってくる。
「リエスのヤツよっぽど暑かったんだな。」
「結葵は行かないの?」
このみは結葵の隣で軽く準備運動している。彼女も張り切ってる様子だった。
「もちろん入るよ。その前に、なんか浮かない顔してる人がいるからさ。」
結葵は蛍の方に視線を移した。そのばて立ちすくんでおどおどしていた。
「どうしたの蛍ちゃん?」
「えっと・・・その、皆さん服着たままですけど大丈夫なんですか?」
「どうせ帰ってくる途中で乾くしね。あ、泳ぎづらいなら水着になったら?」
「は・・・はい・・・その・・・。」
煮え切らない返事をする蛍を結葵は不思議そうな顔で見る。
「はい、状況を察せない結葵はあっち行ってて。」
「ちょっと待ってこのみ。それじゃあ俺がデリカシーが無いみたいじゃないか。」
「そう、デリカシーが無いの。ほら、蛍ちゃんあっちに行こ。」
何かを察した好みは黒色のTシャツを持って蛍をどこかへ連れて行った。程なくして帰って来た蛍は、先ほどの黒いTシャツを着て現れた。それを見て結葵は、蛍が白いシャツが透けてしまい恥ずかしいと言うことに気がついた。
「蛍ちゃんももう大人だね、私とあんまり変わらないよ。」
「えっと、そんなに大きな声で言わないで下さい・・・。」
蛍と視線が合い結葵は慌てて顔をそらした。その様子を見ていた楓がぎゅっと、結葵の脇腹をつねった。
「痛い痛い!なにすんのさ楓ちゃん!」
「何となくそうしなくちゃいけない気がしたから。」
赤くなっていく脇腹もなすすべ無く、結葵は理不尽に悶えた。
「さて、それじゃあいっちょやりますか!」
ひかげがばかでかい水鉄砲を引っ張り出し、楓に先制攻撃。勢いよく放たれた水は楓の全身をびしょ濡れにしてしまった。
「・・・・・・。」
無言で楓は結葵が持ってきた竹筒水鉄砲(ショットガン仕様)に限界まで水を入れて、一気に押し込んだ。バシュッ!と水鉄砲では考えられないような音が発せられた。
「へぶ!?」
ばっしゃーん!
複数の小さい穴から解き放たれた水はひかげの顔面を直撃、そして勢いそのままに水辺に倒れてしまった。
「おら、まだまだいくぞ。けんかふっかけてきて自分から止めるなんて言わないよなぁ?」
なにかスイッチが入ったらしく、楓は尻餅をついたひかげに対してさらに追い打ちをかけ続けた。
バシュッ!バシュッ!バシュッ!
「ち、ちょっ・・・駄菓し・・・やめ・・・!」
「ひか姉がピンチだ。こまちゃん、れんちょん行くぞー!」
「おー!」
「な、なんで私まで・・・。」
夏海は中型の、蓮華と小鞠は小型の水鉄砲を構えて加勢しに行った。
結葵、このみ、蛍はその様子を遠くから見ていた。
「楓ちゃん一人なのによく当たらないな。」
「蛍ちゃんも行けば良いのに。」
「その、もう水鉄砲が無いみたいなので。」
「それじゃあ、そんな蛍ちゃんにこれを貸してあげよう。」
結葵は球体のものを蛍に手渡した。
「水入れて、ねじって、投げるだけ。簡単でしょ?」
「あ、ありがとうございます。」
結葵の指示通り蛍は、球体をかぱっと二つに割り、水に沈めて満タンまで注水する。分かれた半休をはめ込んで、限界までひねってから、それを抱えて夏海達の元へと向かった。
「ほたるんヘルプ!駄菓子屋を止めて!」
「はい!」
水が飛び交う中心地、夏海と楓に向かって球体を投げ込んだ。
「よし、逃げるぞこのみ!」
結葵はこのみの手を握って、ある程度距離を取った。
綺麗な放物線を描いて、飛んでいったそれはチャポンと二人の足下に沈んでからゆっくりと浮かび上がった。
「・・・ほたるん、これ何?」
夏海は身をもってその問いの答えを知ることになった。かちっという音が聞こえた瞬間、その球体が拘束で回転し始める。それと同時に勢いよく水を飛ばし始めたのだ。でたらめな方向へ、尚かつ水鉄砲とは比べものにならないほどの勢いで放たれるそれはまるで地雷のようでもあった。加えて水中の水をくみ上げているのだろうか、勢いは全く衰えない。
「くそ、止めろ夏海!」
「む、無理だよー勢いが強すぎるって!」
「お二人とも大丈夫ですか!?・・・きゃあ!」
動力がつきて、球体が止まる頃。乱戦を繰り広げていた5名プラス蛍は、無情にも全身びしょ濡れになってしまったのであった。この後、結葵は怒った楓にさんざん沈められそうになったのは言うまでも無い。
「よし、兄ちゃんいいよー!」
「・・・・・・(こくり)。」
夏海の合図と同時に、滝上から卓は飛び上がり正座の姿勢で入水した。
ざっぱーん!
「うぅ・・・こわい・・・。」
「こまちゃーん!怖いなら止めてもいーよー!」
「怖くないし!精神統一してるだけだから!」
度胸試しの滝ジャンプだ。
「相変わらず変な姿勢だね、流石眼鏡君。」
「越谷家は元気だね~。」
「ほら、10匹目だ。これで夕飯のおかずが一品増える。」
「駄菓子屋、かにさんたべるん?」
「素揚げにすると美味いんだぞ。」
「ウチも食べたいのん!」
このみと結葵はその様子を眺め、れんげと楓は沢ガニを捕っていた。
「ひやああああああ!」
ざぱん・・・。
悲鳴を上げながら小鞠は小さな水しぶきを上げる。
「ほたるーん、大丈夫ー?」
「はーい、大丈夫でーす。」
最後に残ったのは蛍。生まれて初めての高い場所からの飛び込みに、興奮と不安が同居して二つの意味でどきどきしていた。一度大きく深呼吸をして、勢いよく飛び上がった。ふわりとした一瞬の浮遊感の後に、水面に向かってどんどん吸い寄せられていく。目を閉じて、息を止め、ザブンと言う音とともに水へ飛び込んだ。滝が水面にたたきつけられる音が聞こえるだけで他は何も聞こえない。目を閉じたまま体が浮いていくのを待つが、何かに押さえつけられるような感覚を覚えていっこうに浮かび上がる気配を見せない。おそるおそる目を開けると、思ったよりも深く沈んでしまったことに気がついた。早く上がらなければ息が持たない、しかし体が浮かない。強く脈打つ心臓。まるで全身が心臓になってしまったかのようだった。
息が続かない・・・苦しい・・・誰か、誰か助けて・・・・・・。
頭が少しぼーっとし始めたところで、ふわりと体が浮き上がった。信じられない勢いで水面まで上昇していく。
「・・・ちゃん。蛍ちゃん聞こえる?」
「・・・結葵さん?」
「良かった・・・滝壺にはまってパニックになっちゃったんだね。」
脳へ酸素が送られ、少しずつ周りの状況を確認することができた。今自分は結葵に抱きかかえられていること、結葵が沈んだ自分を担ぎ上げてくれたこと、自分が滝壺にはまったこと、そして最悪二度と浮かび上がれなかったかもしれなかったこと。
「無理に上がろうとせずに、横に泳げば・・・って、蛍ちゃん?」
「うぅ・・・ぐす・・・」
もしかしたら自分は死んでいたかもしれないという現実を肌で感じた瞬間、恐怖が体を支配し。それは涙としてあふれ出てきた。
「怖かった・・・よ・・・ひっく・・・ふぇぇえん・・・。」
「あー大丈夫だって。ほら、一回上がるよ。」
結葵は蛍の頭を撫でながら、ゆっくりと浅い場所へ泳いでいった。蛍は結葵にぎゅっと掴まり、小さく方を震わせていた。
「ほたるん大丈夫!?」
「はい・・・すみません。ご迷惑をおかけしました。」
涙を拭きながら、蛍は返答する。
今思えば、夏海達は助走を付けて滝壺よりも遠くの場所にダイブしていた。それに比べて自分が落ちた場所は滝の真下、正真正銘滝壺のど真ん中だったのだ。あのような目に遭ったとは当然だったのかもしれない。
相変わらず大きな音を立てる滝が何だか自分を朝明笑っているような気がした。そう思うと無性に悔しく、腹も立ってきた、蛍は再び滝の上へ向かおうと立ち上がる。
「ちょ、ちょっと?まさかまた行くの?」
「はい、今度こそ成功させます!」
「またはまったらどうするの?」
「結葵さんに言われたとおり横に泳ぎます!」
小鞠の制止を聞かずに、蛍はまた同じ場所に立つ。先ほどの恐怖心はどこへやら、今は悔しさでいっぱいだった。
勢いよく助走を付けて、大地を蹴る。さながら時間を超えて行く少女のように。見事な大ジャンプを決め、滝壺よりも遙か遠方へ飛び込んだ。
「・・・・・・ぷはあ、結葵さーん!成功しましたよー!」
「お、おー・・・おめでとー!」
満面の笑みを浮かべて手を振る蛍を見た一同は、彼女の見方を少し変えることにした。
それから思い思いにはしゃいだ後、結葵の家で解散となった。
そして最後に残った結葵の仕事は、ここへ戻ってくる際にすっかり泥だらけになったリエスを洗うことだった。
「全く・・・だから毛皮は嫌なんだよ。」
「けど、生え替わりの時期は過ぎたから楽じゃない?」
「そうだけどさ・・・。」
ごしごしとこのみと結葵の二人がかりでリエスを洗う。妙に泡立ちの良い毛皮はあっという間に石けんで包まれていった。
「あははは!羊みたい。」
最後に泡をざーっと流すと、何だかほっそりとした狐のようなシルエットになった。ついに我慢の限界を超えたリエスはぶるぶるぶるーっと体を震わせた。
「ちょっとリエス、今それをやるなよ!」
あおりと食らった二人は、再びびしょ濡れになってしまった。このままでいられないので、服を乾かす間結葵はこのみにつなぎ服を貸すことにした。
このみの体には大きいのか、襟元から鎖骨が見え隠れしていた。おまけに、下着まで濡れてしまっているのであのつなぎ服の下は何も著ていないのだ。
「結葵ーさっきからチラチラこっち見てどうしたの?」
「・・・・・・~♪」
このみの視線を避けるようにして、結葵は誕生日にプレゼントされたハーモニカを吹く。五線譜を眺めて音符を追うと、邪念が払拭される。
「ねーってばー。」
ふわりとこのみが後ろから抱きついてきた。ぎゅーっと抱きしめられれば、背中に感じるこのみの体や、直に触れ合う耳元で聞こえる声を意識してしまう。赤くなる結葵の耳をみてこのみは笑った。
「結葵さ、溺れそうになった蛍ちゃんを抱き上げたとき・・・ちょっとどきっとしたでしょ?」
「・・・ばれた?」
「まあ、あのときは仕方が無かったし、あの子も綺麗だし、結葵だって男の子だもんね。」
このみの話す声のトーンがほんの僅か下がる。
「あのねこのみ、小学生相手に嫉妬するのもどうかと思うのですが?」
「・・・はむ」
「うひぃ!?」
結葵の数少ない弱点である耳をこのみがモグモグと甘噛みする。しばらく唇と舌でもてあそんだ後、満足そうに解放した。
「結葵って誰にも優しいし、みんなに好かれてるんだよ?・・・でもね、やっぱりそんな結葵を独り占めしたいの。」
結葵がみんなに好かれていることは嬉しい、でも私だけに優しくして欲しい。そんな矛盾をもった感情。
「私、欲張りなの。ねえ、結葵は・・・どう?」
楓や、蛍達はもちろん大切だ。だけどこのみだけは違う。結葵にとっては川や、山のように当たり前、そしてなくてはならない存在なのだ。
「ふーん・・・つまり?」
「えっと・・・・・・好きってこと。」
誰に対してもどれだけ優しくしようと構わない。ただ一言好きと言葉にしてくれれば良い。一番の好きを与えてくれればそれで満足なのだ。
「ふふふ・・・ありがと、結葵~」
結葵の頬にこのみの唇が押し当てられる。結葵はこれからこのみにだけ”好き”を使おうと心に決めた。