「このみ、なんか最近変わった?」
結葵が去ってから五ヶ月が経つ。梅雨も明けて本格的に気温が上がってきた。照りつけるような強い日差しと蝉の鳴き声がよりいっそう夏の到来を知らせてくれる。
このみは高校二年生になっていた。楓は卒業して今は駄菓子屋を経営している。
「そうかな?」
昼食中友人に問いに曖昧に答える。
「うん、なんか大人になったって言うか・・・余裕があるって言うか。あ、まさか桐生先輩関係?」
「違うよ、そんなんじゃないって。」
リエスの散歩に行くために朝早くから起きるこのみは、朝食と弁当を自炊するようになった。
休日に入るとほとんどの家事はこのみがするようになっていた。
まるで嫁修行のようだとこのみの母親は冗談を言ったことがある。
「じゃあ、その秘訣は何ですか?」
友人が目に見えないマイクをこのみに向けるような仕草をする。
「うーん・・・秘密かなー。」
このみ自身寂しさをできるだけ忘れようとするために家事に没頭しているのかもしれない。
でも時々寂しくなったときは結葵の家の外にあるハンモックに横になったりしていた。
一日一日がとても長いように感じた。
「ねーねー、このみちゃん。お願いがあるんだけどさ。」
「なにー?なっちゃん。」
台風シーズンも終わり、どこか寂しさを感じる秋。
越谷家に遊びに来ていたこのみに夏海がこんな事を頼んできた。
「一度リエスさんとお散歩させてください。できれば一緒に遊ばせてください!」
越谷家で飼っている動物は無く、いつか犬を飼いたいと前から夏海は言っていた。
しかし、どうせ世話をするのはお兄ちゃんか母さんなんだから。というもっともな意見であっさりと夏海の願望は却下されてしまったそうだ。
「うーん・・・でもなっちゃん一人じゃ心配だなー・・・。」
「そこを何とかー!!」
「そうだ、じゃあみんなで山に行こうよ。それならリエスも喜ぶはずだよ。」
富士宮家で預かり始めて半年以上が経つが、すっかりリエスはこのみに懐いたようだ。
一度山道を散歩中にはしゃいだリエスがどこかへ行ってしまったことがあった。
しかしこのみが声をかけると必ず一目散に戻ってくるようにまでなっていた。
「ありがとうございます!!」
その日の夜、このみはリエスを撫でながら明日山に行くよ。と報告した。
何となくリエスが喜んでいるように見えた。
翌日、小鞠、夏海、このみ、それに楓は山を少し登ったところにある野原に来ていた。
「よし到着。ここなら見失わないよ。」
「ったく、なんで私があいつらの面倒見なくちゃいけないんだ。」
面倒くさそうに楓は野原にブルーシートを広げていた。
夏海以外の三人はブルーシートの上に座って一休み。夏海だけは待ちきれないといった様子で、鞄からフリスビーやらを取り出している。
「リエス、ちょっとココに伏せててくれるかな?」
「ワン!」
このみの言葉に従ってリエスはこのみの横に伏せた。そしてつないでいたリードを外してしまう。
「おい、このみ。大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫ー。」
楓の心配をよそにこのみは首輪も外してしまう。しかし、リエスはいきなり飛び出したりはせず、じっと大人しく伏せていた。
「ほ、本当に大丈夫なの?このみちゃん・・・。」
オオカミのような外見のリエスを怖がる小鞠はできるだけ、離れた位置で座っていた。
「大丈夫だよー。ほら小鞠ちゃんも触ってみれば?」
このみに撫でられて気持ちの良さそうな表情をするリエスをみて小鞠の警戒心も少しだけ薄れる。
「じゃあ、ちょっとだけ・・・。」
おそるおそる近づいていく小鞠。
「よーし、やっちゃえリエス!」
「ガルルルル!」
このみがそう言うと、リエスは小鞠に飛びかかっていった。
「わぁぁぁぁ、何何なになに!?大丈夫って言ったのに!!大丈夫って言ったのにー!!」
「ヘッヘッヘッヘッヘ。。。」
顔中なめ回されている小鞠は、恐怖の叫び声を上げていた。
「あはははは、良かったね小鞠ちゃん。気に入られたみたいで。」
「良くない!怖いよ!笑ってないで助けてよおおお!!」
「ほら、リエスそこまでにしてあげて。小鞠ちゃん困ってるよー。」
リエスは渋々小鞠から離れて再びこのみの横に伏せる。
「けしかけたのはこのみだろ・・・。」
「楓ちゃんもしてもらう?」
「・・・マジ勘弁。」
「あー、こまちゃん良いな~。真っ先に遊んでもらって。」
フリスビー片手に夏海が羨ましそうな声を上げていた。
「じゃあ、なっちゃん行ってらっしゃい。ほら、リエスなっちゃんが遊んでくれるって。」
「あっははは、よしじゃあまずはフリスビーからね!一度やってみたかったんだ~。」
夏海はリエスにフリスビーを見せてから力一杯投げた。
「ほーら取ってこーい!」
「ワンワンワン!」
全力駆けだしたリエスは途中でフリスビーを追い抜いてしまった。慌てて引き返すもフリスビーは地面に着いてしまう。
リエスはそれを咥えて駆け戻る。
「あー惜しかったねー。じゃあもう一回!」
リエスに手のひらを出す夏海。しかしリエスは夏海の目の前で急停止。そして挑発するかのように左右にステップを踏む。
「む、返してってば~。」
夏海が駆け寄るとリエスは咥えたまま逃げ出した。
「あ、待てー!」
それを追いかけ始める夏海。
「これ、完全に犬に遊ばれてるな。」
「そうだねー。」
「わーなんか後ろにいる!?」
そしていつの間にか追いかけられている夏海。どうやらぐるぐる回っているうちにリエスの方が追いついてしまったようだ。
「よそから見るとオオカミに襲われる人間だな。」
「確かにねー・・・あ、捕まった。」
「ヘッヘッヘッヘッヘ。。。」
「わー・・・ちょ、ちょっとうわっぷ!」
押し倒された夏海は、小鞠同様に顔中をなめ回されていた。
「こらーリエスーなっちゃんで遊ばないのー。」
タオルを持ったこのみは夏海とリエスの方へ向かった。
「大丈夫?なっちゃん。はい、タオル。」
「ありがと、大丈夫だよ~。」
「ねーねーなっちゃん。私もやってみて良い?」
このみはリエスが落としたフリスビーを拾い上げる。
「うん、いいよー。」
「じゃあ、いくよリエス。とってこーい!」
「ワン!」
夏海ほどは飛ばなかったが、二回目で勝手を覚えたリエスは見事にジャンピングキャッチを決めた。
「すごいすごい、ナイスキャッチ!」
嬉しそうにしっぽを振り回すリエスは二回目を催促するように、フリスビーをこのみの足下に落とす。
「ほら、なっちゃんリベンジ。」
フリスビーを夏海に返す。
「よ、よーし、今度こそ・・・それ!」
夏海の投げたフリスビーは一度地面に着いてから浮き上がるようなアクションをした。一瞬だけリエスは躊躇した。
しかし、それをリエスは簡単にキャッチする。完全にコツをつかんだようだった。
「おぉー!できた!!」
夏海は嬉しそうにガッツポーズを取っていた。
このみも楓もこの時を純粋に楽しんでいた。
ズズズズ・・・ドサッ・・・
世闇の中雪が屋根から落ちる音だけが響いていた。
結葵が去り大体一年が過ぎた。
誰に渡す訳でも無く好みと楓はまたチョコを作っていた。
この年は大雪の年のようで、チョコを作り終えた頃には帰るのが難しいほど雪が降っていた。
「前にもこんな事があったな・・・。」
二人が布団に入っているとき、楓がぽつりとそう呟いた。
「まさかツナギ君と?いつ?いつの話?」
「確か中三の時。」
「わあ、楓ちゃん大胆ー。でもさすがに一緒の布団じゃ無いよね?」
「・・・・・・。」
「一緒の布団だったの!?」
楓は恥ずかしそうに、寝返りを打って背中を向けてしまう。
「もう、言わないと楓ちゃんの好きな、耳にふーするよ、ふー。」
そう言って、二回楓の耳に息を吹きかけるこのみ。
「ひゃぃっ・・・んん!・・・ってやめろ!分かった話すから!」
「で、一緒の布団で何かあったの?」
観念したように楓は再び好みの方に向き直した。
「何もしてねーよ。ユウのヤツさっさと寝てさ。まあ、おかげで良いものできたけどなー。」
「良いものって何?」
吹っ切れた楓はこのみに自慢するように言った。
「腕枕だ。いやー最高の寝心地だったわ。良い筋肉って力抜いてると柔らかいんだよ。知ってたか?」
「うでまくら・・・って、何その羨ましいシチュエーション・・・。」
「あははは、まあ朝起きたら私がユウを抱き枕にしてたんだけどねー。いや、一生忘れられないわ。ユウのあの焦った顔。」
「逆にそこまでされといて、気づかれない楓ちゃんって・・・。」
「なんか言ったかコラ。」
楓はこのみの頬をつまみ上げた。
「ご、ごふぇんにゃさい・・・。」
「はぁ・・・ほら、さっさと寝るぞ。」
「あ、そうだ。明日一緒にリエスの散歩行こうよ。」
「・・・分かったよ。」
翌日、楓からスノーブーツを借りたこのみと楓は歩いて富士宮家に戻ってきた。
「ワンワンワンワン!!」
「あれ、今日のリエスはちょっとはしゃぎ気味かな?」
リードをついないで、楓と道を歩いているといつもの交差点でリエスが止まった。
「ちょっと、そっちじゃないよ?」
いつになく強情なリエスに負けてこのみはリエスの行きたい方に進んだ。
「なんか急いでないか?」
「そーだね・・・どうしたんだろ。」
二人はリエスの進む方に集中していてどこへ進んでいるのか注意を払っていなかった。
しばらく歩いているとリエスは突然走り出した。このみはリードから手を放してしまった。
「あ、リエス。どこに行くの?」
幸いにもリエスの足跡が雪で残っていたので、二人はその足跡を追うことにした。
「・・・・・・ワンワン・・・」
足跡をたどるうちに少しずつリエスの鳴き声が大きく聞こえてきた。
「なあ、このみ。この道って・・・。」
「うん、ツナギ君家の道だよね?」
期待と不安を胸に二人は桐生家に着く。
すっかり建物と庭は雪で覆われて真っ白になっていた。その庭の真ん中にリエスとじゃれている青いツナギの男がいた。
「ユウ!」「ツナギ君!」
二人の声に気がついた結葵は笑いながら手を振った。
真っ先にこのみが駆け出した。思ったよりも雪は深く積もっているようだ。
「うわぁっ」
雪に足を取られたこのみはバランスを崩してしまう。そしてそのままの勢いで結葵へとダイブ。
「あ、ちょっと!?」
このみに押し倒される形で二人は雪の中へ埋まってしまった。
「会いたかった・・・会いたかったよぉ・・・。」
このみは結葵の胸に顔を埋めて力一杯抱きしめていた。
「く、苦しい・・・このみちゃん。」
「うるさい・・・どれだけ寂しかったと思ってたのさ。」
「・・・スミマセン。」
「いつ帰ってきたんだ?」
このみを抱き起こしながら、結葵は自分とこのみの雪を払う。
「昨日の夜くらいかな。やっぱ凄いよなこっちの雪は。」
「ねえ、ツナギ君。ちょっと顔色悪くない?あー、目にクマができてるよ?」
至近距離で結葵の顔を覗いていたこのみが尋ねた。
「まあ、いろいろあってね。とりあえず中に入りなよ。ここじゃ寒いだろ?」
結葵は二人を家の中へ招き入れた。
「お茶煎れるから少し待ってて。」
結葵は暖炉の隣のテーブルに二人を座らせる。そして三人分のハーブティーを用意した。
「さて、じゃあ俺が帰ってきた経緯から話そうか。」
結葵が東京に来てまずはじめに驚いたことが、あまりにも環境が違いすぎることだった。
人と車で混雑している通り道。騒音と光が支配する街というのが結葵の最初の印象だった。
住宅街も家が密集し、窮屈な印象を受けた。
バスの本数が多くて、近くにコンビニがあり、電車が五分おきに来ることは大変便利だと結葵は感心した。
おかげで待つことが少なくなったが、何か急かされるような気分だった。
何より結葵を悩ませたのは自室のベッドだった。
およそ二十年間ハンモックで寝続けた結葵はベッドのスプリングで何度も目を覚まされた。
床で寝ようとするも、フローリングは冷たくて堅くて寝られたものじゃ無かった。
次第に結葵は睡眠不足に陥り始めた。近くに工場があり、騒音と目にしみる空気が嫌になった結葵は徐々に外出しなくなり始めた。
次第に顔色が悪くなりやつれ始めた結葵を見てさすがに両親は心配し始めた。
そしてついに結葵は両親に切り出した。
「田舎に帰らせてください」と。泣きながら訴える結葵を見て、両親は結葵を帰す事を決めた。
「・・・・・・とまあ、こんな具合なんだけど。」
「確かに帰って来たけど、あまりかっこよくない。」
「なんつーかハイジみたいだな。」
二人の評価はあまり良いとは言えないものだった。
それもそのはず、二人は心の中でこう叫んでいたからだ。「だったら何ででもっと早く帰ってこなかった。」と。
二人の表情で察した結葵は付け足した。
「いや、東京にいた方が便利なことも結構あったんだよ。資格とか、免許とか。」
「お、ユウ免許取ったのか?」
免許という言葉に楓が反応した。
「うん、普通車と普通二輪。」
「わたしは普通車と小型二輪だ。本当は普通二輪が良かったんだけどさ。」
「あー、さては引き起こしであきらめたな?」
「悪いかよ、良いんだよ別に不便じゃねーから。」
しかし、小型車に乗る楓の姿は田舎の不良のようで妙に様になっているのは確かだった。
「あ、そう言えばツナギ君。帰って来たのは良いけど、食べ物とかどうするの?この雪じゃ買いに行けないでしょ?」
このみの言葉で結葵の白くなった顔がさらに青くなった。
「明日になれば車で買い出しに行こうと思うんだけど・・・今日はどうするか。」
「「だったら私が作ろうか?」」
一字一句違わずに楓とこのみは言った。はっとした二人はお互いの顔を見つめ合う。
「じゃあ、こうしよう。朝はこのみちゃんの家でご馳走になるよ。リエスの食事もあるし。それで昼食は楓ちゃんが作ってよ。」
「それじゃあ夕食はどうするんだ?」
「そうだな・・・。」
考え込む結葵にこのみが提案した。
「だったら、みんなで食べようよ。越谷家とかも呼んで!」
「ああ、そりゃ良いな。だったらここ使いなよ。多少騒いでも近所迷惑にならないし。」
「じゃあ、越谷家にはこのみが連絡な。私は先輩のトコに連絡するから。」
ふと結葵は太ももに何かが乗ってる感触を覚えた。
「・・・ク~ン。」
下の方に視線を移すと、リエスが下あごを結葵の太ももに乗せていた。ごはんを催促する合図だ。
「あー・・・、リエスが訴えてるから早速お邪魔して良いかな?」
「うん、じゃあ私先に帰ってるね。リエス、行くよー。」
このみはリエスを連れて先に帰っていった。
結葵はティーカップを片付けて準備を始める。
玄関を出て、扉に掛けてあるプレートを留守中にひっくり返す。野生動物進入防止のためにしっかりと鍵を掛ける。これで準備完了。
軽く深呼吸。冷たい空気が肺を満たし、土と落ち葉の臭いがここに立っていることを実感させてくれる。
「ユウー!早くしないと置いていくぞー!」
「今行くー。」
楓と並んで坂道を下る。
「あ、そうだ。このみちゃんにも言い忘れたことがあった。」
「何?」
結葵は少年の様な笑い顔でこういった。
「ただいま、楓ちゃん。」
驚いた様な顔をした楓だったが、優しい微笑みで返す。
「・・・・・・お帰り。ユウ。」
そう言って結葵の腕に寄りかかった。
「あの、歩きにくいんだけど?」
「坂下るまでで良いから。このみは抱きついたんだ・・・これくらい良いだろ?」
「お、おう・・・。」
結葵はこの一年で二人の間に何か変化があったことを、感じた。
次回から本編に突入です。