文字数は短めで、12~14話くらいでまとめようと思ってます。
豆腐メンタルですが、感想いただけると歓喜して転がります。
1話 苦悩の男
有り体に言って、セブルス・スネイプは苦悩していた。
その姿を目の当たりのした人間は、きっと『事業で失敗した男』『恋人に捨てられた男』などの想像を掻き立てられずにいられないほどの状態であり、今を生きる聖職者なら、即座に呼び止めて神の愛と人生の素晴らしさを説いただろう。
端的に言うと、今にも自殺しそうな雰囲気がにじみ出ているのだ。
それもそのはず。彼には幼い頃から成人した現在まで、一途に思っている女性がいる。その名はリリー・ポッター。旧姓エバンズ。今現在、彼女は命を失う危機に晒されている。
他ならぬ、セブルス・スネイプが原因で。
無論、一から十まで彼の責任という訳ではない。主犯は無論、今をトキメクかの闇の帝王であり、彼を打ち倒すと予言された存在の間近にリリーがいるのだ。命を失うことをどこかのイタリアンマフィアのボスより恐れているヴォルデモートがそんな存在を無視するはずもなく、それが故に彼女に振り掛かる危険度は、台風の日に田んぼの様子が気になった老農夫より高い。
しかし、そんな「死ぬのはいかん、あれだけはいかんのじゃ」を地で行くヴォルデモートに、その『彼の破滅に繋がる存在の予言』が齎されたことを報告したのが、誰あろうセブルス・スネイプその人なのである。
死喰い人としては大手柄であり、リリーの幼馴染みとしてはただの屑。
そう言われてもおかしくない状況を作り出してしまっていたのだ。現に『愛の伝道師』と言わんばかりに慈愛を説いているアルバス・ダンブルドアをして、靴の裏に貼り付いたガムを見るような目で見られたほどである(無論、スネイプの被害妄想も多分に入っているのではある。実際は呆れはしても蔑んだ目ではみていない)
スネイプはすでにダンブルドアに事の顛末は報告し、ヴォルデモートを裏切った状態にある。ダンブルドアはなんとか『予言の子』であるハリー・ポッターもしくはネビル・ロングボトムを守るためにあらゆる策を講じてはいるが、卑劣な作戦立案となりふり構わない暴走にかけては、死喰い人の方に一日の長があるのが現状であり、その劣勢を打破するためにも、スネイプは『不死鳥の騎士団』のスパイとして、表向きは未だ死喰い人として活動することとなっている。
つまり、スネイプ自身がリリーを守ることは出来ない立場なのだ。無論、そうなることが当然であるし、むしろリリーに合わせる顔などない。
だからといって、澄ました顔でスパイ活動出来るほどには、セブルス・スネイプという男の心臓は強く出来ていない。むしろ、相当にナイーブで繊細な心を持ってしまったが故に、かなり面倒くさい性格に成長してしまったのがこの男だ。
なので、今彼はとにかく「遠くに行きたい」心境にあった。未だダンブルドアからスパイとしての活動方針も聞いておらず、せいぜいが他の死喰い人に裏切りがバレないように、と注意された程度。要するに、今は体が空いているのだ。
何かしらの『指令』が与えられた状態であれば、それに専心し、悶々とした心境を一時とは言え薄れさせる(ここで忘れさせる、ではなく薄れさせるまでしか出来ないのが、セブルス・スネイプたる所以である)ことが出来ただろうが、なまじ空いた時間が出来てしまったがゆえに、自己嫌悪と焦燥という苦悩スパイラルに陥ってしまったのだった。
だが、そうはなっても、彼は自身の心の煩悶を、他者へ向けさせないところは美点である。今の彼のような状態に陥ったとき、特に男性は暴力性に身を任せたり、酒に逃げたりすることがあるが、スネイプはそうした行動を思いつくことすらしなかった。
思えば、この男は自身と周囲が思っているほど、他者に対する暴力性が高くない。むしろ、男性の平均よりよほど低いだろう。リリー・エバンズが憎きジェームズ・ポッターと結婚することを聞いたときも、彼は『ジェームズを襲う』『リリーを攫う』などのような行動を考えもせず、ただ一人で慟哭し、身を引いただけだ。
しかし、だからこそというべきか、彼の心情は内に篭りやすく、その末に出た行動は陰湿に映るのだ。そして今、その溜まりやすい負の感情が彼の肉体を螺旋を描いて巡っている。
そうした経緯を辿った末、彼はマグルの世界にいる。魔法界にいると、どこへいっても常に「例のあの人」だの「死喰い人」だのの単語が耳に入ってくるので、自分がやらかしたことを嫌でも想起させ、その度に苦悩スパイラルは深まり、自分の価値などレプラコーンが作った偽金貨より低いのではないかという気持ちになり、反射的に自分に杖先を向けて磔の呪いを放つ衝動に駆られる。
マグル界ならば、そうした言葉は入ってこない。なので彼は逃げるように、いや実際逃げているわけだが、イギリスの地方都市の一つであり、観光名所でもあるバース市のカフェテラスにいた。人気のない場所だと一人で悶々と負のスパイラルに陥るので、なるべく喧騒の中にいたかったのだ(彼の人生で非常に稀有なことである)。
彼の気分は陰鬱そのものだが、そんな彼をあざ笑うかのように天気は晴れ渡り、道行く人々も笑顔に満ちている。無論、こんな天気の良い日の観光地のカフェテラスで、明日世界が滅びるとでも言われたかのような雰囲気の男こそが異質なのであるが。
現在彼がいるカフェテラスは満員で、店員は新たに来た客に相席の是非を確認している状況であるが、誰も彼のテーブルに寄り付こうとしない。むろん、スネイプも席を立とうとはしない。飲み物の注文は何度かしているので、迷惑な客と言うわけではないが、店側としては早く帰って欲しい客である。この観光風靡な街のカフェで、その一角だけが暗くなっているのだから。
そして当のスネイプは、これだけ周囲に気分を明るくさせる材料が揃っているのに、思考はどんどん埓のない方向へ向かっていた。
ああ、タイムターナーを魔改造すれば、過去に戻ってやり直せるだろうか。
いや、いっそポリジュース薬を飲み、自分が生まれてくるリリーの子供に成り代われば彼女は安全では?
いやいや何を考えているのだ、もういっそあそこのトラックが突っ込んで来てくれれば、こんな気分もしなくて済む。
そうしてこことは一切関係ない異世界に旅立てたりしたら、どれほど楽だろうか。
などと本当にどうしようもない考えに嵌っている彼に、今日初めて変化が訪れた。
「相席、よろしいかしら」
一瞬、自分に掛けられた言葉だということに気づかなかった。というよりも、彼はいま自分がいるカフェテラスの状況にすら気づいていなかった。今更ながら現実に立ち戻った彼は、死んでいたも同然の脳細胞をフル活動させ状況を把握に努める。
なるほど、どうやらこの店は現在満席で、そのために彼女は唯一空いている自分の対面の席を求めているのだ。
「構わない」
彼は事務的に、感情の篭らない声で返答をする。常の彼であれば声に微量の『不機嫌』という名のアクセントが付いたかもしれないが、今の彼は平静さを繕うだけで精一杯だ。
「ありがとう」
そんなスネイプと同様に感情の乗らない返答と共に女性は席に座り、ウェイターに注文を告げた。その際、ウェイターが女性へ何とも言えない視線を向けていたが、今のスネイプにはそのことに気づく余裕はない。
もちろんウェイターの視線の正体は、「よくこんな人と相席できるな。自分なら他所の店いく」といったものであり、奇特な女性もいたものだ、と感心の色が濃いものである。
そうした変化はあったものの、スネイプの行動は変わらない。街並みを見ている振りをしながら思考の沼に嵌まり、暗黒オーラを周囲に撒き散らす。そして対面の女性はそんな彼に特に気構える様子もなく、紅茶を一杯飲んだ後は、トートバッグから取り出した文庫本を読んでいる。
周囲の目から見れば、どこか浮いた光景であった。彼らの周囲だけ体感気温が低くなっているように見える。しかし、多くの人間は連れとのお喋りやこれからの観光スケジュールの確認に忙しく、異質であっても害はない他人になど、興味が続くものではない。
その状態のまま、時計の長針が半周していた。流石のスネイプも対面に居る人物のことは完全に意識の外に置くことはできず、彼女をきっかけとして周囲と自分の雰囲気の落差をようやく察知した。なるほど、自分は悪い意味で『浮いている』状態にあるのだと分かったが、分かったところで特になにも変わらない。例え他の店に移ったところで、自分の心境に変化が訪れるとは思えなかった。
となると、そんな陰鬱な雰囲気を放つ自分に怯むことなく相席している女性は、よほど肝が座っているのか、それとも単なる変わり者か。彼はようやくその事実に気づき、女性の様子に目をやった。
腰まで伸ばしたブルネットの髪は、スネイプのかつての恋敵(もう決着はついているため「かつて」)のような癖は無くまっすぐで、黒を基調とした服装と、整っているがゆえに近づき難さを覚えさせる顔立ちという組み合わせは、どこか冷たさを感じさせ、人によっては威圧感を覚えさせるものかも知れない。
年齢は自分より少し若いくらいだろうか。マグルの世界であれば、まだ学生か。しかし女性の年齢というのは測り難いものなので、もしかしたら同い年かもしれない。
全体としては怜悧な雰囲気を感じさせる。スネイプの経験によれば、こういう雰囲気の人物はレイブンクロー生、特に成績上位者に多く、『他者が何をしていようと興味がない』というスタンスだ。ならばこそ、今の自分なんかと相席できたのだろう。
そうスネイプが失礼にならない範囲で観察している間も、目の前のブルネットの女性は静かに文庫本のページを捲っているだけだ。
彼の耳には観光客の喧騒に、新しく女性が規則正しく捲るページの音が加わった。けれどそれは彼のが陥っている苦悩スパイラルを解決させるBGMにはなりえない。
その状態は変わらず、さらに時計の長針が半周する。
そうして、セブルス・スネイプの人生を左右する会話は、唐突に始まったのだ。
「失礼なことを尋ねるけれど、貴方このあと自殺したりしないわよね」