「………なるほど、この小癪な小僧の妙な自信の理由はこれか」
ゴドリックの谷にあるポッター一家の隠れ家は、すでに原型を留めておらず、瓦礫の山と化していた。いや、家だけではない、周囲一帯が地滑りかなにかでも起きたのかと言わんばかりの惨状だ。地面は抉れ、崖は崩れ、木々は残らず吹き飛ばされている。
これが、シリウスとヴォルデモートの戦いの壮絶さを物語る、何よりも証拠だろう。そして勝者であるヴォルデモートも、たかが一人の若造にここまで苦戦するとは思っていなかった。
彼の左腕は消し飛び、右目は完全に潰され、全身に裂傷が刻まれている。これほどの苦戦する相手は、アルバス・ダンブルドアだけだと思っていたというのに、この有様となったからには、そこになんらかの理由が無いとおかしい。
果たして、それは存在した。シリウスの死体の脇に転がっている空き瓶…… これがヴォルデモートが苦戦した理由である。
それこそは最も調合が難しく希少である魔法薬の一つである、『フェリックス・フェリシス』に他ならない。それも尋常でない量が入っていたのが伺える。この幸福薬は一滴飲むだけでも効果は抜群であるというのに、この骸となった男は、戦闘の直前に一瓶まるごと飲んだようだ。
それならば、たった一人の若造に闇の帝王たる自分がここまで苦戦したことも頷ける。ようは、今後の人生全てをチップにして賭けに出たのだ。
仮に、“幸運にも”闇の帝王を討ち果たすという奇蹟が起きたとして、その数時間後には“不運な事故”で死ぬことが決定づけられる。だからこそフェリックス・フェリシスは禁忌の魔法薬の一つにも指定されるのだ。極めて用法用量が難しい薬として。
「だが所詮人間よ。この不死のヴォルデモート卿が、たかが若造一人が捨て身になったくらいで敵う相手ではないわ」
ククク、と勝利の高笑いをしているものの、満身創痍で今にも倒れそうな姿では様にならない。それくらいの負傷であり、その負傷故に思考も途切れがちで単純になりつつある。
「さて、すぐにドロホフたちと合流する必要があるが…… 今はしばし休む必要があるな」
勝利したとはいえ傷は深い。この状態で配下と合流すれば、もし戦闘中であったり追手がいた場合、万が一が起こりえる可能性も捨てきれない。さすがに配下たちではダンブルドアを倒すことなど出来ないだろう。
ムーディにしてやられた拠点の状態も気になるが、それらもまずは今の状態を回復させてからだ。
しかし、とりあえず腹心の一人には連絡すべきかと思案していたところへ、一人の男が姿現しでヴォルデモートから少し離れた地点に現れた。
「何者だ」
やはり傷の状態が響いているのか、万全の状態よりもずっと緩慢な動作で杖を構える。
この図ったようなタイミング、まさか闇の帝王の能力を、実際以上に心酔している配下の誰かが自分の心配をするなどあり得ないため、ヴォルデモートは『とどめ役』の可能性をまず疑った
流石にこの状態でダンブルドアやムーディクラスと対峙すると不味い、とヴォルデモートは内心で警戒を強めていたが、案に相違して、現れた男は敵ではなかった。
ヴォルデモートの認識では、敵ではなかった。
果たして、姿を現したのはセブルス・スネイプであった。ヴォルデモートほどではないにしろ身に着けているローブは汚れており、その腕には布に包まれたなにかを抱えている。
「我が君! ご無事でしたか! いや、私は信じていましたぞ!」
常に陰気な顔に珍しく喜色をうかばせながら、スネイプはヴォルデモートに駆け寄っていく。その姿を確認しながら、ヴォルデモートは対照的に顔を顰めながら杖を向けた。
「まて、そこで止まれ」
「どうされました? まさか私をお疑いなのですか?」
「当然だろう。敵の目論見を破ったとはいえ、追撃がある可能性は高い。むしろ無い方が不自然という状況だ、貴様がスネイプに化けた『騎士団』の連中でないという保証がどこにある?」
ここで、目論見に嵌った、と言わないあたりが実にトムである。シリウスを倒したとはいえ、満身創痍になったのだから十分に『罠に嵌った』と言える状態だが、それは闇の帝王を名乗る者としてプライドが許さない。
だが、その警戒心は本物だ。ここまで傷を負ったのならば、味方の顔を見た瞬間に気が緩むのが常人というものだが、ヴォルデモートはむしろ一層に猜疑心を強めたのだ。
ヴォルデモートの一番の長所は、この生き残ることへの渇望と執着心であると言えるだろう。
「この不遜な小僧を捨て駒にするなどは、ダンブルドアのやり方ではないが、此度の作戦はあの気狂いムーディの発案だという。ならば、ここで多少なりといえども傷を負った俺様に対して『後詰め』を差し向けなければ画竜点睛を欠くというものだ」
これは自信過剰ではなく事実だ。いくらシリウスが禁忌の魔法薬によってドーピングをしたとはいえ、単身でヴォルデモートに勝てる可能性は極めて低い。ならばそれを見越して次なる手を考えない筈がない。
シリウス・ブラックという男は小癪で不快な男であったが、その実力は確かなものであった。そんな男を、まさかヴォルデモートを足止めするだけのために使い捨てる筈がない。『騎士団』の人材にそんな余裕はないはずなのだ。
「そもそも、貴様はどうやってここに来たのだ? なぜ今この瞬間この場に現れた?」
スネイプに杖を向けた状態でヴォルデモートは問いかける。スネイプはムーディがペティグリューに化けて潜入していた例の拠点にいた筈、それがどうしてこのタイミングで現れたのか?
闇の印による姿現しは、あくまで主人側からの呼び出しに応じるもの。闇の帝王が呼んでもいないのに死喰い人が勝手に来るなどという不遜は許されない。
「確かに、これは申し訳ありません。焦るあまり、真っ先に報告するべきことを失念してしまいました。我が君、我々は謀られました、あの裏切ってきた小男…… ペティグリューはあのアラスター・ムーディが変身していた姿だったのです! 突然不意打ちを受けた我々は混乱の極みに達しました」
「………続けろ」
「あの男はペティグリューの姿で『裏切り者だ! 裏切り者が出た!』と叫びながら暴れ、その言葉に惑わされた我々は目に付くもの全てを敵と誤認し、同士討ちをしてしまうことに…… 私もいくつかの手傷を負いました」
「………」
内心で舌打ちをしながらも、ヴォルデモートはさもありなん、と納得は出来た。この時点で拠点に残っている者たちにさほど優秀な人間はいない。おそらく、このスネイプが残留組の中でもっとも能力が高い男だろう。
魔法省襲撃組、ロングボトム抹殺組に主力を配置しすぎたことが仇となった。せめてレストレンジあたりでも残しておけば……
「どうやらこちらの作戦はムーディによって筒抜けだったようです。拠点を制圧…… というよりも同士討ちで壊滅させたムーディを『騎士団』の連中の一人が迎えに来ました。どうやらロングボトム方面の戦いが激化しているため、加勢をしてほしいと焦った様子で話していました」
「………それで、貴様はなぜここへ来た。ムーディがドロホフたちの元に向かったのならば、貴様もまた加勢に行くのが当然だろうに」
「はい、私もそうしようと思いました。しかし、ムーディと交代するように現れた男の行動を見て、私はある策を閃いたのです」
「策、だと?」
「はい。帝王、拠点に数人の捕虜を囚えていたのをご存じでしょう?」
服従の呪文や磔の呪文によって情報を吐かせるために、ダンブルドア側の人間や魔法省の人間を数人地下牢に囚えていた。それがこの状況でどう関係するのか。
「私は物陰に潜んで、せめてその男だけは倒そうと隙を伺っていましたところ、奴がどうやら捕虜を解放しようと探していることに気が付いたのです」
同士討ちとムーディの大暴れにより、拠点にいた死喰い人の大半は倒されるか逃げ散るかとなっていたのなら、捕虜の解放はたやすく、一介の騎士団員でも造作もない仕事だろう。そんな雑用をムーディにやらせるよりは、激戦地に向かわせる方が理に適っている。
「これがムーディならば油断せずに捕虜一人一人が本物かどうか確かめたでしょうが、その男はムーディより遥かに劣る男で、捕虜を皆すぐに『騎士団』の拠点へと送ったのです。……そう、捕虜に扮した私も共に」
自らの策が通ったことが愉悦なのか、スネイプは唇を歪ませた。確かに並みの騎士団員にムーディ並みの警戒心を常に待たせることなど無理だろう。ムーディを激戦地へ送ったことは問題ないが、代わりの人員の能力は確かではなかったようだ。
「幸い、捕虜の一人は私の学生時代の同期で多少なりとも知る男でした…… 私の魔法薬の手腕はご存じでしょう? 常備していたボリジュース薬の一つに捕虜の髪を入れ、そいつを隠して私は捕虜に成り代わったのです」
死喰い人の中でも、こと魔法薬に限ればスネイプの腕前は一・二を争う。本来は長持ちしない『作りかけ』の状態を維持し、他人の一部を入れれば直ぐに使用可能な変身薬の備蓄を、この男はやっていた。この手法については、他にバーテミウス・クラウチ・ジュニアが得意としている。
むろん、正規の手順で作られたものよりは効果時間は劣るが、急遽必要な時に活用でき、死喰い人たちも重宝していた。今回も、それが活きたということか。
「捕虜に扮した私は奴らの拠点の医務室に運ばれ…… そこでコレを見出したのです!!」
これまでも多少興奮気味であったが、ここでスネイプは一気に声を荒げた。その顔は狂笑ともいえる表情に歪んでおり、この男がこんな表情をするのを見るのは、ヴォルデモートも始めてである。
興奮の極みに達したスネイプが掲げたのは、腕に抱えていた布の包みだった。よく見ればそれはもぞもぞと動いている、何かの生き物のようであった。
「ご覧ください!! 確かに我々は多少出し抜かれましたが…… 目的は果たすことが出来たのです!!」
スネイプが勢いよく剥がした布の下に現れたのは、果たして人間の赤子だった。
そして、この状況でスネイプがこれほど目をぎらつかせる赤子など、言うまでもない。
「貴様…… よもやそれはポッターの赤子か!?」
「はい! さようでございます帝王! 私が運ばれた医務室にはなんとポッターの妻がいたのです、そしてその傍らには無論その息子も!!」
その瞬間を思い浮かべているのか、スネイプの興奮と笑みはますます深くなっている。
「その場で殺すことも考えましたが、とっさの判断で奴らが怪我人の治療に集中している瞬間を見計らい、赤子を抱えて脱出し、この通り帝王の元にはせ参じたのです!」
「その判断をしたのは何故だ?」
「当然、くだらない予言を崩し、帝王こそがこの世の支配者であることをこの目でしかと確かめるためです! さあ、あの憎きポッターの子倅めを始末し、ヴォルデモート卿の無謬たるを私に見せてください!」
「そうか、なるほどな……」
興奮ではぁはぁと肩で息をしているスネイプの様子を見れば、今の言葉に嘘はないように見て取れる。ヴォルデモートの記憶では、スネイプは『騎士団』の一人のポッターを憎悪しており、それが故に死喰い人になったとすら言われていた男だ。
また、予言の存在を自分に知らせたのもこの男である。その報告をしたことによってレストレンジなどの狂信的な信奉者から「闇の帝王が赤子などに倒されるなど、下らん話を聞かせるな、耳が汚れる」だの「そんな予言を信じるなど、貴様は帝王様のお力を信じていないのか」と罵倒をされ、一時立場を失っていたこともあった。
なるほど、確かに此度の襲撃には反対意見も多かった。「たかが赤子に」という声も多かった中で、そもそもの発端であったスネイプも心苦しい状況にあったのだろう。
そこでスネイプが件の赤子を殺せてしまえば、下らん些事に闇の帝王を惑わせたとして、まずます立場がなくなる。だがヴォルデモートが直接手を下せば、彼は『闇の帝王が予言を打ち破った』を手助けした存在となれる。
実に死喰い人らしい保身的な行動である。そこにおかしな所は見られない。
「では、どうぞこの赤子に帝王の裁きを……!」
「分かった。だが、その赤子はそこに置け」
「ど、どういうことでしょうか? まさか私をお疑いに?」
「このヴォルデモート卿は常に警戒を怠らんのだ。貴様の言い分に疑わしいところは無いが、貴様自体が騙されている可能性はある」
「ま、まさかこのポッターの赤子が偽物? そ、そんな筈はありません! 奴らはまるで警戒していた様子はなかった…… これはまぎれもなく本物のポッターの赤子です!」
心外だと言わんばかりに叫ぶスネイプだが、今この状態を作ったのはあのムーディであるのだ、奴が主導した作戦に限り『そんなまさか』は通用しない。だが、『後詰め』が現れない理由は納得した。おそらく、『騎士団』側も消えたハリー・ポッターのために混乱しているのだろう。
「安心しろスネイプ、何も貴様を疑っているわけではないだ。この闇の帝王は常に万全を期す、それのみよ。さあ、その赤子を足元に置き、貴様も5、いや10歩ほど後退しろ」
「……畏まりました、我が主」
納得は出来ない様子だが、主命とあれば反論できない。興奮に冷や水を差されたような憮然とした表情で、スネイプは言われたとおりに赤子を置き、後退した。
「なに、そう顰め面をするでない。貴様の憎きポッターの子を始末するには変わらんのだ」
ヴォルデモートもまた数歩下がり、やや離れたところで杖を赤子に向けた。この距離ならば、本当に万が一この赤子がムーディの罠であっても、対処できる。あらゆる呪文や罠に精通すると自負している彼には、その自信があった。
……結局、やはりその過剰な自信こそが、ヴォルデモートが滅ぶ要因であったのかもしれない。
かれが地面の赤子に対して死の呪文を放った瞬間すべては終わった。
闇の帝王を称していた男の意識と肉体は、完膚なきまで吹き飛んだ。
轟音と共に起こった、建物も粉々にするほどの大爆発によって。
スネイプの仕掛けた罠の詳細については次話にて
予言の解釈や“トリガー”についても、簡易的ながら一応説明はする予定です。
ただ、本作の本命は予言についてではないので、あくまで補足的なものとなります。