「失礼なことを尋ねるけれど、貴方このあと自殺したりしないわよね」
スネイプは一瞬、忘我の状態に陥る。まさか話しかけられるとは思っていなかったし、もし話しかけられるとしても陰鬱な自分に対しての悪態がせいぜいであると思っていたからだ。
なのになぜ、この女性は初対面の自分を気遣うようなことを尋ねてきたのだろう。彼がそう思考に沈んでいると、もう一度女性の方から言葉が掛かる。
「無躾よね。自覚してるわ。でも、目の前で今にも死にそうな顔をされたら、いくら私でも気になるわ」
「いくら私でも」と言われても、スネイプには目の前の女性の性格を一切知らないので、普段の彼女が優しい性格なのか冷たい性格なのかは分からない。しかし、今の口振りからすると、あまり他人の事情に口を挟むことをしない、所謂おせっかいなタイプではないということを自覚しているようだ。
先程は一瞥しただけだったが、改めて女性の風貌に目をやると、基本的に黒でコーディネートされた服装だ。濃い茶色のベルト付きトッパーカーディガンに、黒のカットソー。スカートグレーのジャンパースカート。その服装に合うかのように、声色も抑揚があまりない落ち着いたもので、全体として知的な印象を覚える。そして知的であるということは、どこか冷たい印象も与えるものだが、最初の印象通り、彼女も普段はその例に漏れないようだ。
そんな女性が思わず声をかけてしまうほど、今のスネイプは暗黒の雰囲気を漂わせていたということだろう。
「……いや、こちらこそ居心地を悪くさせて申し訳ない」
普段ならば、初対面の女性に対してそんな言葉を向けるスネイプではない。しかし、先述のとおり今の彼は非常にナイーブな状態にあり、かつ自己嫌悪の念で押しつぶされんとしている。通常の数倍も自己肯定力が減退しているため、相手に対する応対も、常に無く気を遣ったものとなった。
「そう、気分を害していないようでよかった。それで、話を繰り返すようで申し訳ないけれど、貴方、今にも自殺しそうな顔をしているわ」
「……それほど、ひどい顔をしているだろうか」
「してる。それで、貴方さえよければだけど、その鬱屈した気持ち、少し私に話してみない?」
「…………」
スネイプは今度もまた言葉を失い、驚愕する。いったい目の前の女性は何を言っているのだろう?
「何を言っているのだろう、という顔をしているわね。ええ、唐突で無遠慮な提案であることは自覚しているわ。でも、そうね。経験から出た言葉というのは、案外あてになるものなの。心に溜め込んだ鬱憤や知人には話せないような相談は、赤の他人にする方がいいものなのよ」
まあ、これも受け売りだけど、と彼女は続けたが、スネイプは一理あると思った。今の彼の心境や立場は、死喰い人の連中には到底話せるものではないし、自慢にならないが友人らしい友人もいない。ダンブルドアに話しても、おそらく告解所の神父のような言葉しか返ってこないのは予想できる。
ならばこそ、一期一会でしかない相手に話すことで、少しでも心境が良くなるというのなら、試みても良いだろう。そう思うほど、今のスネイプは精神的にまいっていた。変にプライドが高い彼が、見ず知らずの女性に心の内を見せることなど、おそらく一生でこの瞬間しかないであろう。
「……貴女の提案には頷けるものがある。迷惑でなければ、私の相談に乗って貰いたい」
「貴方の望む言葉を掛けてあげられる保証は出来ないけれど、少なくとも私に話すことで、自分の気持ちの整理にはなると思う」
女性の返答は、あくまで冷静だった。スネイプには、それが有難い。そして『望む言葉』が掛けられることはないだろう。なにしろ、スネイプ自身がそれが何なのかを分かっていないのだから。
そうして、セブルス・スネイプは語り始めた。今の自分の立場、してしまったこと、今自分は何をすればいいのか、それらを隠すことなく打ち明けた。
無論、魔法界に関わる事象はぼかしながらであるが、本質的なところはすべて話した。
「……なるほどね。つまり貴方は、今も想いを寄せている既婚者の幼馴染がいて、彼女の身に危険が及ぶことに手を貸してしまい、それを解決できる相手に話したものの、自責と罪悪感に囚われている。まとめとしてはこれで良いかしら?」
こんな要約で申し訳ないけれど、とブルネットの女性は言ったが、スネイプにそのことを責めるつもりはない。むしろ、時系列が一定せず、途中で何度も黙り込んだりして流れを中断させたりした話を、よく簡潔に纏めてくれたものだ。
この晴れた昼下がりのカフェテラスでも読書をしていたというだけはあり、読書家ゆえに文章を纏める能力が高いのだろうか。
「それで間違っていない。なんとも情けない話だと我ながら思っているが……」
「そう? 私は別に情けないとは思わないわ。まあ、犯罪行為は良くないことだと、一般的倫理観に照らし合わせば言えるけど」
大仰に『身の危険が迫る』と聞けば、まず思いつくのは犯罪組織関連だろう。スネイプの話を、ブルネットの女性は『スネイプが犯罪組織に加担したことによって、リリーの身に危険が迫った』と解釈したようだ。そしてそれは別に間違っていない。死喰い人などという存在は、マグルの価値観に照らし合わせれば、せいぜいが『テロリスト』、精一杯譲歩して『過激派政治集団』となる。
こんな話を、彼女は特に眉を顰めるでもなく、紅茶を時間を掛けて飲みながら聞いてくれた。余談になるが、セブルス・スネイプにとって目の前の女性のようなタイプと対話するのは初めてだ。これまで彼が関わってきた女性は、母親や死喰い人の女たちのようなヒステリック、もしくは陰湿な連中か、敵対する『不死鳥の騎士団』の女衆のような勝気な女性ばかりだった。例外として、彼の女神であるリリー・エバンズのような優しい女性がごく少数。
しかし、この女性は冷たいわけではないが、けして優しいわけでもない。落ち着いているが(自分のような)暗い雰囲気はなく、けれど朗らかな印象も受けない。なんと形容すべきか、そう深くない海の底から見る太陽のような仄かな光を彷彿させる女性だった。この雰囲気がなければ、自分はこんな自らの恥を晒す話を他人にしていなかっただろう。
「返す言葉もない。自分でも自棄になっていたのだと、いまでは自覚できる。私は嫉妬に狂っていたのだ」
「その女性を自分のものに出来なかった嫉妬ということ? ……それは違うと思うわ。きっと貴方はその人に想いを伝えられなかった自分の勇気の無さに後悔していたのだと思う」
「そう、だろうか」
「ええ。だって貴方の口から、その女性の夫になった男性を悪しざまに罵る言葉は出てこなかったのもの。嫉妬していたのなら、多少は出ていたと思うわ。『あいつよりも自分の方が』といった話が一度もなかったのだから、きっと貴方はその男性のことを認めているのだと思う」
「………確かに、そうかもしれない。いや、そうなのだ。あの男のことは今でも嫌いだが、それでも彼女への想いに関しては、私のように恐れることなく、真っ直ぐにぶつかっていった」
グリフィンドールとスリザリンという対立関係にある寮生という立場、マグル出身と混血という出自の違い。そうした今思えば『些事』にスネイプが拘り燻っている間にも、ジェームズ・ポッターはどこまでも真っ直ぐにリリーに愛を伝えていた。
………自分は、ついぞただの一度もリリーに対して想いを告げないままだったというのに。
この一事を見ても、どちらがリリーに相応しいかが分かるというものだ。その上、自分は彼女に言ってはならない暴言を吐き、そのことに謝罪しないまま別れている。本当に、誰がこんな男を選ぶものか。
だというのに、未だ未練がましく彼女を想っているのだ。なんというみっともない男だろう、少しは引き際というものを知るべきだ。
ブルネットの女性に話すことにより、自分をより客観視できる状態になっていることを、スネイプは自覚した。なるほど、たしかに赤の他人に話すことにより自分の気持ちを整理することには成功しているようだ。成功したところで、苦味しか出てこなかったのは因果応報というべきだろうか。
「一つ確認させて欲しいわ。貴方は、その女性を今でも愛しているの?」
「ああ、我ながら未練がましく、どうしようもないことだとは自覚しつつも、それでも彼女を、うむ、愛して、いるのだろう」
こうして、リリーに対する気持ちを口にしたのは、もしかしたら初めてかも知れない。まったく、自分はそんなことすらしていなかったのかと、なお自己嫌悪が深まる。そうなると、必然的に自嘲的な言葉が続く。
「本当に、情けないな。客観的に見ても、許されざる相手に想いを寄せていると理解できる。………貴方も、こんな男の相談など乗るべきではなかったと、後悔しているのではないかな」
これは本心だった。逆の立場になっても、こんな話を聞かされたら「その腐った性根を直せ」以外に言葉はないだろうということぐらい分かる。もしスネイプがこんな相談されたものなら、「潔く自害しろ」と言いながら毒薬を贈ることだろう。
…だから、女性から返された言葉は、まったくの予想外だった。
「いいえ、全く。私も世間一般では許容されない相手を愛しているから、貴方の気持ちの幾ばくかは理解できるわ」