「単刀直入に言おう。貴様たち『騎士団』の中に裏切り者がいる」
「なに!?」
スネイプが前置きなしに放った言葉に、シリウスは瞠目する。
「まあ、吾輩が闇の帝王を裏切ったわけだから、ある意味痛み分けだな」
そんな皮肉げなスネイプの言葉は無視しつつ、シリウスはその「裏切り者」が誰かについて思いを馳せる。その上でほぼ無意識に呟いてしまった内容が、スネイプの耳に届いた。
「まさか、本当にリーマスが……?」
「なに?」
今度はスネイプが訝しがる番となった。まさかこのタイミングでその名前が出てくるとは、予想だにしていなかったので、こちらも反射的に声を出す。
「待て、今の言葉はどういうことだブラック」
「……聞こえていたのか」
「そこはどうでもいい、なぜ今リーマス・ルーピンの名前を出した?」
「………違うのか?」
「よもや、な。………これは人選を誤ったか」
そのシリウスの声を無視し、スネイプは何やら思案に入る。そうした思いがけぬ姿に却ってシリウスは自分が取り返しのつかないことを口走った事実に気付く。自然、あげる声も大きなものとなった。
「待て、話を聞け! リーマスが裏切り者というわけではないんだな!?」
「吾輩としては、お前がそうした考えを抱いていた事こそが驚きだ。………呆れたな、散々吾輩に友情の尊さだの素晴らしさだのを自慢していた貴様が、その様とは」
そう言い放ったスネイプの目には、明確に侮蔑の色が浮かんでいた。そして、もはやシリウスはその目に反抗する気力を失いかけていた。今スネイプが言ったとおり、彼は学生時代常に孤独であった少年スネイプに「いつも一人ぼっち」「歪んだ性格のせいで友達がいない」と散々馬鹿にしていたのだ。
だが、いまやシリウスこそが友人を疑っている。それもかつて永遠の友情を誓い合った友を、だ。
自分が『他のブラック家の人間』たちと大差ない行いをしていたことに気付いた時と同様、これまでは特に気付かなかったが、一度気づいてしまえば愕然とした思いになる。いったいいつから自分は『友を疑う自分』に違和感を持たなくなっていたんだ?
シリウスの視界がぐらりと揺らぐ、これまで自己を自己たらしめてきた骨子に重大な亀裂が走った音がし、まるで地面が飴細工になったように不確かだ。誰かが沼化の呪文でも遣ったと言ってくれればどれほどマシか。
そのシリウスの様子を冷ややかに眺めながら、スネイプは続けた。最近まで死喰い人であった彼だからこそ言える視点での言葉を。
「リーマス・ルーピンは今もダンブルドアに忠実な騎士団の一人であり、闇の帝王の敵だ。グレイバックがあれだけ暴れ、ただでさえ風当たりの強い狼男の風評が最低になっているこの時でさえ、辛苦に耐え死喰い人と敵対している。我輩ですら『敵ながら見事』という思いを抱いていた男だというのに、その男を貴様が裏切り者と疑っていたとはな」
「………」
もはやシリウスには、長年の敵であったスネイプの言葉に反論する気力は残されていないようだった。黙り込んだまま片手で顔を覆い、小さく痙攣するように揺れている。
(俺は、簡単に友を疑うような男だったのか? やはり所詮はブラックの男だったということか? 狼人間を心の内では見下していたのか?)
これまで無縁だった「自己嫌悪」という感情の渦に飲まれたシリウスは、それに対抗する方法を持たなかった。
目の前にスネイプがいるという事実すら忘れたように、彼は自己を糾弾する感情の渦へ飲まれていった。
(これはダメか)
その姿を眺めながら、スネイプは内心で舌打ちをする。実力が勝る相手を倒すのに、熟考した結果として『シリウス・ブラックとの共闘』という(不本意な)結論に至ったのだが、どうも期待はずれで終わりそうだ。
そうとも、こんな男をアテにしたのがそもそもの間違いだ。どう考えても自分とこの男とは相容れない、ならば早々に見切りをつけ、別の手段を……
(いや、違う)
そこでスネイプは思いとどまった。それでは『今までのセブルス・スネイプ』でしかない。物事を熟考し、理性を以て判断を下したつもりで、内実は私情が優先という、実にこれまでの『セブルス・スネイプらしい』行動だ。
感情的な嫌悪感を根底にし、賢いつもりでいた過去の自分と何も変わらない。
決めたのではなかったか、『これまでの自分らしくない行動をする』と、あのブルネットのリリィと邂逅したことで、これまでの自分を辞めると決めたのではなかったか。
ならば初志貫徹しよう。『セブルス・スネイプらしくない』行動を全うしようではないか。
ならば、この『とっさの思いつき』に自分の運命を委ねよう。『その時の思いつきで突っ走るセブルス・スネイプ』とは、なんとも、これ以上『らしくない』行動は有り得ないだろう! 自分でも笑ってしまうほどに。
では、始めよう。最高におぞましく、考えることすら吐き気がする、シリウス・ブラックに助けの手を延べるという行動を。
業腹だが、今なら分かる、理解できる。自分とブラックがどこまでも反りが合わずに対立するのは、偏に『同族嫌悪』であるからだと。
「貴様の今の気持ち、吾輩、いや私も分からんでもない」
その苦虫を噛み潰したかのように吐かれた言葉に、呆然自失としていたシリウスも、思わず我に返ってスネイプを見返す。今の言葉に、彼に正気を取り戻させるほどの衝撃があったのは間違いないだろう。なにしろ、セブルス・スネイプがシリウス・ブラックを気遣う言葉を放ったのだ。
それに、スネイプは意図して一人称を変えた。敵対する相手や信用できない相手に身構えて話す際に用いる「吾輩」ではなく、胸襟を開けて話す相手に使う「私」と言ったのだ。これには、無論スネイプも相当の気力を要したのだが。
「今の貴様は自己嫌悪の感情に飲まれているのだろう。それは私がずっと抱いてきた感情だ、よく知っている」
「い、いったいどうしたスネイプ!? 調合に失敗した薬でも飲んだのか? それとも原材料のまま喰いでもしたのか!?」
流石のシリウスも気落ちした気分が一度吹き飛び、あまりに異常事態に声を荒げる。セブルス・スネイプが自分を気遣うなど、トロールがマグルのくっそ訳わからない数学とやらを解くようなものだ。
想像してみほしい。トロールが「ここは波動関数が……」などと言いながら数式を解く光景を。
ありえない、怖い、SAN値がみるみる減っていく。
「混乱する気持ちは痛いほど分かる。私とて貴様にこんなことを話すのは死んでもごめんと思ってるのだ…… だが、そんなことは所詮些事だ。私の目的のためにはな」
「これほどの異常事態を些事とするほどの目的だと?」
「まずは黙って聞け。どうやら貴様、私が最初に言った皮肉に自覚があったようだな。これは私としては信じ難いほどの驚きだ、あの傲慢で高貴なる純血のブラック様に、そんな殊勝な心があったとは」
「……なんだ、調子がもどってきたじゃあないか、安心したよ」
「それは何より。で、話を続けるが貴様は自身に流れる『ブラックの血』を、私が思っていた以上に意識していたようだな。過去の自分の行いが、自らが毛嫌いしていた行為そのものだと」
「…………今のお前はいつもと違う。だからどうも俺もおかしなことを言ってしまうな。……そうだとも、今になって振り返ると、俺が学生時代に笑いながらやっていた行為は、俺が知る『ブラック家』の姿だった」
「ようやくにして、自分の悪行を理解していただけたようで、涙がとまらんよ。まあ、そこは既にどうでもいい」
もはやシリウスの心境は、制御を失った箒や、特に凶暴なブラッジャーのように乱高下していた。なんだこいつは? このなにやらスッキリした表情で過去を語る男は、本当にセブルス・スネイプか?
どうでもいい? あの過去が? なんだ? いったいこの男になにが起こったんだ?
まさしく混乱だった。シリウスが知る限り、そんなことを言える男はセブルス・スネイプとは言わない。
「その阿呆づらを少しは引き締めて聞け。先程もいったな、今の貴様の気持ちを私は理解できると。つまりだな、私もそうだったわけだ」
「お前もそうだった? 自己嫌悪に苛まれていたということか?」
「そういうことだ。混血でありマグル界育ちというコンプレックス、それが私を蝕んでいた枷だ。それを植え付けたのが母親であるという点は、貴様との共通点ではあるな。実に気持ちわるい話であるが。実に気味が悪い話だが」
よほど大事なことだったらしい。2度も同様の内容を繰り返した。
「それは同感だが、お前はプリンスの血を引くことを誇っていたのではないのか? だからこそスリザリンにはいったんだろう?」
「逆だ、コンプレックスであるがゆえに、必要以上に誇張したのだ。マグルを嫌い、純血を尊ぶことで『マグル育ちの混血』というコンプレックスを解消しようとしていた」
「コンプレックス、か」
自分が『母を否定するため』に必要以上にブラック家らしくないことをしたように。マグル生まれを擁護し、人狼と友になり、校則などどこ吹く風で自由気ままに生きようとしたのは、やはり根底に薄暗い母への憎悪があった。
その行動の根底が憎悪であるため、どうしてもシリウスの行動には僅かであっても常に陰を帯びていた。それは今のシリウス自身も自覚している。だからこそ、そういった影がないジェームズが羨ましかったのだ。
ジェームズと共に悪戯をしている自分は、皆から好かれる“悪戯小僧”でいられる。だからこそ、ジェームズはシリウスにとって無二の光だ。
そして、同時に『正反対の同類』であるスネイプを、必要以上に嫌った。
何よりも、シリウスとは異なる理由でジェームズもまたスネイプに対してだけは陰と言うべき昏い想いをぶつけてしまう。あの天性のお調子者が、女を巡って争う不倶戴天の男にだけは、無心ではいられなかった。
それもまた、ジェームズの人間らしさとも言えるが、客観的に見れば何とも巡り合わせの悪い縁ではあった。全く根底が異なる理由で陽性な二人が、陰気な憎悪を向けてしまうのだから、絡まる糸にもほどがある。
「そうだ、虫唾が走るが貴様と同様に、だ。お前は『ブラック家』であることに、私は『マグル育ちの混血』であることに反発し、それと真逆の行動に走ることによって、解消しようとしていたのだ」
その果に、スネイプは最愛の人に「穢れた血」と言い放ってしまったのだ。これは誰にも話すことの出来ない、彼の人生最大の汚点。いや、最近その汚点NO1は更新された(予言密告事件)ので、穢れた血事件は汚点No2にめでたくもなく降格になったのだが。
こうして話していると、シリウス自身も自分の行動を客観視出来るようになってきていた。それは目の前にスネイプという、歪んだ鏡が立っていたからだろう。今までは頑として認めていなかった「スネイプと自分は同類」という事実を、虚をつかれたショックのおかげもあり認めたシリウスは、最近の自分の行為を振り返って思考する。
(そうだ。俺はまたも反発していたのだ。死喰い人の暴挙を何度も繰り返し見るたびに、自分は違うと躍起になった)
それは、シリウスが幾分大人になったことで、学生時代のスネイプに行ったことが忌むべき「奴ら」と同様だと気づいたから尚更に。
そうして、彼はドツボに嵌ってしまった。「自分は違う」と躍起になればなるほど、行動は冷静を欠き、思考は先鋭化する。
(だが、そうなると……)
こうして考え方の転換が出来たあとでは、自分の取ってきた行動、提案したアイデアを見直す必要はないだろうか?
業腹だがどうやらスネイプの言うとおり、自分は焦り、冷静さを失っていたことに自覚症状がなかった。であるならばそんな状態の自分の行動に、なにか途方もない落とし穴はなかったか?
冷静さを取り戻し、自分の瑕を直視すると同時に、シリウスの心の中にこれまでに漫然とあった不安感とは別の、危機感とも言うべきものが浮かび上がる。
あるいは、それこそが“闇の帝王”という存在がもたらす真の厄介さであり、誰も幸せにしない悲しい宿痾なのかもしれない。
ヴォルデモート自身すらも含めた誰も彼もが漠然とした不安にばかり怯え、疑心暗鬼になり、攻撃的になり、そして仲間同士で相争う。
そんな闇から光を目指すからには、まず見つめるべきは自分自身に他ならない。
見つめるべき先を自覚し始めた男は、歪んだ鏡の向こう側、己の行動と決断のもたらす先について考え始めるのだった。