シリウス・ブラックは思考する。自己改革に手を掛けようとしている男は、自分の過去の行いを目まぐるしく遡り、思考していた。優先順位を絞ろう。死喰い人どもとの散発的な交戦などは考えなくて良いだろう。そうした日々の活動ではなく、重大なことを任せられた案件と言えば……
(ジェームズたちに対する『秘密の守人』…… 任された仕事の中で、一番重大なのはこの人選だろう)
そして、自分はその守人にワームテールことピーター・ペティグリューを選んだ。ジェームズ・ポッター夫婦の守人として、敵味方問わず思いつくのがシリウス・ブラックであり、その自分が囮になることで、真の守人ピーターは一切警戒されない。
それが名案だと、その時の自分は信じて疑わなかった。いや、つい先ほどまで疑っていなかったのだ。だが、もっと視点を広げてみたらどうだ? 自分のこの案には、なにか致命的な陥穽があったのでは?
視点を広げる…… そう、例えば自分が学生時代にスネイプに行ったことが何を意味していたか気づいたように。被害者の視点から見れば、自分はどこまでも『傲慢なブラック』であったことに気づけたように。
………まて、被害者の視点? 自分からみれば名案だったこの方法、確かに『シリウス・ブラックの立場』からは完璧だ。ジェームズたちの秘密を長く守れるし、自分が捕まらない限りピーターまで捜索の手が伸びることもないだろう。誰も重大な秘密をピーターが持つなど、『騎士団』の連中ですら思わない。例え数人がかりで襲われようとも、死んでも口を割るものかと決めていたし、服従の呪いに対する対策も万全、最悪口を割る前に死ぬ覚悟だった。
だが、ピーターにその覚悟があったか?
(そうだ、俺はあいつが自分に逆らう事などないと決めつけていた。だからアイツにこの作戦に賛成かどうかということすら……)
確認していない。そうだ、自分はジェームズと自分の危険度を天秤にかけたが、『ピーターの危険度』を一切考慮していなかった。自分が囮になる限りあいつは捕まらない。もし狙われたとしてもあいつは逃げるのが上手いから大丈夫。そんな程度に考えていなかったか?
”ジェームズとリリーを守る最善の方法だ。もちろんやってくれるだろう?”
”あ、ああ、もちろんだよ。うん、2人のためなら当然さ”
”よし。まあ狙われるのはまず間違いなく俺だ。万が一お前のもとに来ても、ネズミになって逃げれば大丈夫だろう”
”そ、そうだよな。僕は逃げるのだけは得意だから、ハハハ”
(…………なんだこれは)
ついこの間に交わしたやり取りを思い出す。ああ、改めて嫌なことに気づかされる事の多い日だ。
高圧的で傲慢で、自分より下と見た者に対して慈悲がない。尊重するのは自分と同等と認めた相手だけで、そうでない相手をまるで奴隷や召使のように扱う。それがブラックという家系。マグルどころか混血さえ自分と対等と扱わずにきた、純血狂いの一族。
(重視するのが血筋から能力になっただけだ。ククク、もはや笑うしかないな。どこまで『ブラック的』だったんだ自分は)
よし、わかった認めよう。俺はやはりブラックだった。これを否定し続ければ、自分はもう一生この腐った気持ちを抱えたままだろう。ならば発想の転換だ、前向きなブラックの人間でいようじゃないか。
他のブラック家と違い、自分は『能力主義』であり、格下と思う人間相手には傲慢な男。うん、たぶんこれはもう改善不可能だ。開き直ろう。ここをどうにか出来たら、それはシリウス・ブラックではない。
だが、格下と思っていた相手が実は凄い存在だと分かったならば、(心の中だけでも)自分の非を認め、素直に賞賛しよう。家柄はそう簡単に変わることはないが、能力は当人の努力次第で如何ようにも変化する。他のブラックと自分の違いはそこだ。そして、その最たる例が、この目の前のセブルス・スネイプとなる。
よし、OK、了解だ、ならば認めよう。業腹だが認めよう、歯ぎしりしたい気持ちがとめどなく湧いてくるが認めよう。
今、この状況下において、正論はスネイプであり、非は自分にある。ならばこいつを(口には出さないが)賞賛し、大した奴だと(態度では示さないが)受入れようではないか。
こうしてシリウス・ブラックもまた、自己の瑕を直視し、開き直ることに成功した。
もともと、直情傾向で思い切りがいい男である。きっかけがあれば変わる速さはスネイプよりも早かった。そのあたりは非常にグリフィンドールらしいと言える。
自己変革に足を掛け、自らの行いと周囲の状況に対して冷静になれる頭を取り戻せたのなら、気づかなければ頭トロールだ。
そうして、黙り込んでいた口を開き、冷たい目で自分を見ている、いまや同等どころか精神的には自分の上位に立っていると認めた男に向けて告げた。
「裏切り者は、ピーター・ペティグリューか」
「ほう?」
なにやら黙り込み思考に沈んでいたシリウス・ブラックの様子を、スネイプは静観して眺めていたが、その言葉を聞き思わず口元を歪ませた。笑みというにはあまりにも不格好だが、今の彼にとってこの仇敵の変化は喜ばしいものである。
無論のこと、彼はブラックを見直したわけでは断じてない。まともに回転する頭脳を取り戻した早さを考えて、自分の作戦の成功率が上がり、己の目は節穴ではなく、また判断も間違っていないと確信できたからだ。
つまり、彼が内心で褒めたのは自分であり、ブラックではない。つくづく面倒くさい男であった。やはり吹っ切れた程度では性根はなかなか変わらないらしい。
「その名前にたどり着いたか。そうとも、こんなことは私に言わせれば当然だ。むしろ、あのネズミの精神で短期間であるとはいえ、闇の帝王が自分の元に来る不安に耐えられたと感心できるほどだ」
この数週間の情報収集の最中、彼はある秘蔵の薬を使用した。それはかの幸福薬『フェリックス・フェリシス』であり、多用すると破滅をもたらすものであるが、リリーを救えるのならばその後の人生など知ったことか、という今のスネイプに使用を躊躇する理由はなかった。彼はスリザリン出身、目的のためには手段を選ばない。
そうして人為的な幸運に恵まれ、多くの情報が集まったが、その最たるものは『ピーター・ペティグリューの裏切り』に立ち会ったことである。幸福薬の賜物か、あのネズミ男がヴォルデモートに頭を垂れて情報を売り渡した場面に出くわしたのだ。
その好機を活かせないならば、もはや知性を持って生まれた意味がない。彼はピーターに対して『先輩死喰い人』として接触し、恩着せがましく今後の立ち回り方などを指導したのである。
ピーターにしてみれば、スネイプは知らない相手ではない。学生時代に敵対関係にあったとは言え、それは『親分』であったシリウスが敵対していたからであり、彼自身がスネイプに危害を加えたことはごく稀なことであったので、ピーターの中では「自分は憎まれてはいないだろう」と思える存在であった。無論のこと、スネイプにとっては敵の『子分』は当然敵である。憎むには値しないが、嫌悪はしている。
だが、今のスネイプにとってピーターは『使える存在』である。内心を顔を出さず(つまりはいつもの仏頂面)死喰い人の新入りとして歓迎する態で接すると、小心なネズミ男は安心したのか、こちらが聞かなくてもベラベラと話してくれた。
その内容は小心者の不安の吐露であり、これまで溜まっていた不満の爆発であり、裏切り者になったことへの懺悔であった。
幸福薬の効果もあるのだろうが、あまりにも欲しい情報が簡単に手に入ったので、拍子抜けするほどであり、情報の価値に対して割いた労力は小さく、まさに『思いがけない収穫』だったが、その話の長さには辟易した。なにも、学生時代に遡って長話することもなかっただろうと思うのだが。
しかし、それによって彼はシリウス・ブラックという男への交渉材料を手に出来た。彼のコンプレックスを察することが出来、それが会話冒頭の立場の優位に繋がっている。
「そうともブラック、貴様の作戦には致命的にある視点が欠けている。それは」
「ピーターの精神力、つまりはストレスだろう。あいつはこんな重大な役割に耐えられる強さを持ってない」
「そうだ、こんなもの考えずとも分かるだろう。奴は闇の帝王がもっとも欲する情報の持ち主になったのだぞ? あの男がそんな不安に耐えられるとでも?」
「思っていたんだよ、さっきまでの俺は」
「馬鹿め」
「言われたのが貴様じゃなければ同意していたところだ」
いくらシリウスが囮になるといっても、完全に狙われなくなるわけではない。ピーターとて『騎士団』の構成員なのだから。
「奴の小心さは誰よりもキサマらが知っていたことだろうに。ならば奴が闇の帝王に対する恐怖心から、その能力を過大評価するのも自然だ」
「あの恐ろしい『例のあの人』なら、秘密の守人が誰かを当てる方法を見つけてもおかしくない。そうなれば俺が囮になっていることなど、何の役にも立たない」
自分の隠れ家の前にヴォルデモートが現れる姿に怯える毎日。あの臆病者に耐えられるはずもない。
「そこで秘密の守人ではなく、秘密そのものを見つけられるかもしれない、という思考にならないのが、奴の奴たる所以か」
思考の起点が『自分の安全』なのだから当然といえば当然かも知れない。つまり、ピーター・ペティグリューは秘密を担う不安と重責に耐え切れなかったのだ。
「どうして俺は、あいつを守人にしてしまったんだ。今となってはまるで分からんぞ」
「馬鹿め、知るか」
こうして考えると見事に穴だらけというか、うん、どうして上手くいくと思ったんだろう自分は。むしろ、あのワームテールの性格で1週間も耐えれたことがむしろ信じられない。やはり根っこのところでグリフィンドールだったということだろうか。
シリウスが知るあのネズミ男の性格なら、半日も経たずに音を上げていてもおかしくなかった。これはむしろ賞賛すべき事態かもしれない。ここまで来ると裏切ったピーターに対する怒りや憎しみは湧いてこない。湧いてくるのは提案した自分に対しての呆れの念だけだ。
スネイプの言葉も最もである。まあ、絶対に口で賛同したりはしないが。
ただまあ、客観的に判断するなら“守り人のすり替え”という発想自体は悪くないのだ。例えば、ピーターではなく、アラスター・ムーディを守り人にしたのならば、致命的欠点とはならない。彼の心の強さと図太さは、もはや誰もが疑わない常識レベルの話だ。
当然、守り人となったマッド=アイが殺されるリスクは残るが彼は凄腕であり、死喰い人との真っ向対決ならば少なくともシリウスよりは生存率が高い。彼でなくともリーマス・ルーピンを守り人にして、シリウスが囮になるという策ならば決して悪くはない。
とはいえ、既に失敗してしまい、賽はふられてしまった。自分を呆れてばかりはいられない。大事なのはこの先どうするか、だ。
「OK、わかった、わかったとも。ここまで来れば是非もない、自分の失態は認めよう。で、その上でお前はどんな作戦があるんだ?」
「私が知るふてぶてしくて糞忌々しいブラック殿に戻って頂けたようで、生ける屍の飲み薬でもおごってやりたい気分だ。まあ、これでようやく初めの一歩に踏み出せるわけだが……」
そこでスネイプは言葉を止め、たっぷりと『溜め』をつくった上で問いただす。
「私が提案する作戦は、我々2人の生還を前提としていない。それでも聞くか? 聞いたならば後は退けんぞ」
スネイプの言葉の内容に驚くことなく、シリウスは静かに目を閉じ、ほんの数瞬思考した後、ハッキリした口調で答えた。
「望むところだ。命を懸ける程度で、なぜこのシリウス・ブラックが臆する必要がある?」
その顔は、スネイプが一番嫌いな、自信過剰で向う見ずな男のものだった。彼がよく知る呪うべきシリウス・ブラックのそれであった。
ほんの少しのきっかけで、こんなあっさり立ち直るとは、脳みそが単純なのも時によっては助かるものだ、とスネイプは内心で皮肉の笑みを浮かべた。
そう、偶然出会った女性とほんの少し話しただけで人生観を変えた男は、他人事のようにシリウス・ブラックの単純さを嘲笑うのだった。