9話 煽る悪童
闇の帝王を自称する男、ヴォルデモート卿こと、本名トム・リドルは、ゴドリックの谷のポッター夫婦が隠れている家屋へ、単身足を運んでいた。
その目的はもちろん、『予言の子』を始末すること。そのために魔法省襲撃という大掛かりな囮を用意し、腹心の部下たちにはもう一人の『予言の子』候補であるネビル・ロングボトムを始末する作戦へ向かわせている。
この闇の帝王たるヴォルデモート卿が、たかが赤子に滅ぼされるなどあり得ないが、念には念を入れておく必要がある。東洋の諺に、獅子は兎を狩るにも全力を尽くすというではないか。慢心は死亡フラグ、べらべらと計画を演説したりするのは論外。
周囲にダークな感じのオーラを漂わせながら、威厳たっぷりに歩き、ポッター夫婦が隠れている家へ近づいていく。大物というものは、せかせかせっかちに歩いたりはしないものだ。一歩一歩しっかりと、自らの存在を誇張するように振舞ってこその闇の帝王である。
帝王ウォークで目的地へ進み、遂に視界に入ってきたところへ、何やらその前に立ちはだかっている人影が見える。
ポッター夫婦のどちらかと思い、杖を構えながら近づいていくと、予想に反してその人物はポッター夫婦ではなく、なにやら見知った顔立ちの男がそこにいた。
「よい夜だな爬虫類の王様、よくまあノコノコ来たてくれたもんだ」
月の光を背に、仁王立ちの形でヴォルデモートを待ち受けていたのは、誰あろう、シリウス・ブラックに他ならない。彼は単騎にて、今の魔法界を騒がす元凶を討ち果たすつもりでいるのだろうか。
「貴様は、たしかレギュラスの兄のシリウスだな? たかがブラック家の子倅が、この闇の帝王に対しなんたる不遜な物言い。よほど死にたいと見える」
「おいおい、見た目通りに知能まで爬虫類並みに低下したのかいトム先輩? この俺がここで待ち受けている意味を理解できないと見える」
「なるほど、分かった、すぐさま殺してやろう」
瞬間、ヴォルデモートの杖から19世紀の西部のガンマンの抜打ちのような素早さで、緑の閃光が放たれた。しかし、シリウスはそれに対して杖を抜くまでもなく、体を僅かによじらせるだけで回避する。
「………なんだと?」
「おっと、ずいぶん余裕がないじゃあないかマールヴォロ君。それとも、やっぱり頭の中までヘビやらトカゲやらになっちまったのかい? 人間の頭と面を捨ててまで、トカゲになりたかったとは、闇の帝王様の考えは凡俗には分かりませんなぁ」
ホグワーツの悪戯問題児だった頃の本領発揮とでも言おうか、相手を煽り貶すことに関しては、天下一品の男である。その姿、まるで水を得た魚のごとし。
「まぁそこでシューシュー鳴いてないで、少しは足りないオツムで考えてみたまえトム君。どうしてポッターの家族しかいないはずの『秘密の守り』で保護された場所に、このシリウス・ブラックがいるのかを」
大仰に両手を広げ、まるで上位にいるのは自分であり、挑戦者を待ち受けるチャンピオンでもあるかのように振舞うシリウスに、ヴォルデモートの沸点はすでに臨界に達しているが、しかし自分は帝王、自分は帝王、と自己暗示し気を落ち着かせ冷静になると、この状況がおかしいことに気づかされる。
シリウス・ブラックとジェームズ・ポッターが友人関係であることは情報として知っている。ならば、この日に偶然居合わせることもあるだろう。その場合もただ殺す人間の数が3人から4人へ変わるだけのことである。しかし、『待ち受けていた』となれば話は別だ。
「ようやくにして察して頂けたようだな。そうとも、俺がこうしてお前を待ち構えているということは、お前らの襲撃計画なんざ、とっくにお見通しだったってことさ」
「……どいつがスパイだ? それを言えば貴様の命だけは助けてやらんでもないぞ」
「やれやれ、ガッカリさせないでくれトカゲの帝王様。そんなもの教えるはずがないだろう? ああ、爬虫類扱いして悪かったよ。こうまで脳のめぐりが悪いんじゃ、爬虫類たちに失礼だ。非礼を詫びよう、全爬虫類の諸君」
言いながら、本当に偶然カサカサ這っていたトカゲに対して大仰に頭を下げるシリウス。ここまで煽られれば誰もが「取り消せよ、今の言葉!」と激昂してもおかしくないほどに、今のシリウスの舌は絶好調の模様。
「で、脳みそキャベツワームのリドルボーイに、ここはひとつグリフィンドールの優等生ブラック様が教えてやろうじゃないか、おっと」
舞台役者のような仕草で説明しようとするシリウスに対し、再び無言即死呪文を放たれるも、これまた紙一重でシリウスは躱す。
「………貴様はいったいなんだ? なぜこの俺様の呪文をこうもあっさり躱せる?」
「その質問に答える前に、こちらの種明かしが先だ。いかにして自分が無様に嵌められたかを聞いてからでも遅くないだろう?」
「いいだろう、貴様の遺言代わりに聞いてやろう」
ヴォルデモートは、この目の前にいる今にも踏みつぶしてやりたい不快な男が、なにをしたがっているかを察した。ようはこの男、自分が仕掛けた罠が成功したことに酔っているのだ。だから聞かれてもいない種明かしをベラベラ喋りたがっている。まったく、なまじ自分が有能で頭がいいと思い込んでいる魔法使いにありがちなことだ、呆れてしまう。
余裕ぶった態度でいると、すぐに足をすくわれることを知らないのだ。まったく、これだから自信過剰な男というのは……
だがちょうどいい、自分から種明かしをするといいのなら、その中に有益な情報があるだろう。この煽り男を嬲り殺すのは、その後でいい。
「まず、スパイと言ったな? そこが間違いだよ鼻なし野郎。そもそもにおいてお前たちは最初の一歩を間違えている。ジェームズたちの『秘密の守り人』は、ペティグリューじゃかったのさ」
「何? つまらん嘘をつくなよ小僧」
先日、ポッター夫妻の情報を売り込みに来た小男。あの情報によって探そうとしても阻まれていたポッターたちの居所が分かった。ならばそれは、『秘密の守り人』がペティグリューだった証拠に他ならない。
「まだ分からんか? お前たちがペティグリューだと思い込んでいる裏切り者…… そいつが実は裏切り者じゃなかったとしたら?」
「ペティグリューの投降が、偽装だったとでも言いたいのか?」
「おいおい、死喰い人の情報網は、ホグワーツの監督生よりザルなのか? こっちの構成員の情報くらい把握していてほしいもんだ。あのピーター・ペティグリューに偽装投降なんてする度胸があるものかよ」
「ふん、だからどうした愚か者めが。奴がペティグリューであり、その投降が本心から来たものであることは確認済みだ」
『不死鳥の騎士団』の主要な人間の性格や家族構成くらい、無論ヴォルデモートたちとて把握している。そうであるが故に、ペティグリューの投降が真実だと判断したのだ。闇の帝王は卓越した開心術師であり、その上で真実薬を飲ませて裏を取ったのだから、ペティグリューの投降が嘘であるはずがない。
しかし、シリウスはその言葉を待っていたとばかりにニヤリと笑った。
「そう、それが間違いだよトミー君。いったいいつから投降したのがペテュグリュー本人だと錯覚していた?」
「何が言いたいのだ貴様」
「真実薬は確かに強力だ、しかし、それを防ぐ方法もご存じだろう?」
「強力な閉心術。しかし、それには高い適正と長い訓練を要する。あの小男にそんなことが出来る情報もなければ、様子もなかった」
「はぁ…… まだ分からんか。仮にも巷を騒がす『例のアレな人』…… ああ失礼、『例のあの人』だろうに、これくらいは察してほしいものだがな」
ワザとらしく通り名を言い間違えた上に、やれやれこれだから頭が悪い奴は困る、と言わんばかりに肩を竦ませたシリウスは、これ以上ないドヤ顔で語る。
「仕方ない、種明かしをしよう。お前たちがペティグリューだと思い込んでいる裏切り者…… そいつの正体は、アラスター・ムーディだよ」
「馬鹿な、ありえん」
流石に、その言葉にはヴォルモートも虚を突かれたように一瞬たじろぐ。だが、心に焦りが生じたのもまた確かであった。
「なぜあり得ないと思う? その根拠はなんだ?」
「変身術やボリジュース薬の解除も試した上で真実薬を飲ませたのだ。あの小男がアラスター・ムーディのはずがない」
「まあ、そこばかりは責めるわけにはいかないな…… と言いたいところだが、お前さんはいつも口癖のように吹聴していなかったか? 貴様らが思いもよらぬ、闇の魔術の真髄がうんちゃらとか。今回はその逆だよ、トム先輩、あんたはやっぱりダンブルドアに教師を断られたことが致命的だったようだ」
「なに!? やはりあの老いぼれが何かを隠し持っていたのか?」
「おっと、それが何かを言うつもりは流石に無いな。だが、この方法で姿を変えた者は、ボリジュース薬や変身術を解く方法では分からない。そこに目を付けたあのマッド・アイが、敵本拠地への単身潜入というまさかの方法を思いつき、実行したわけだ」
「馬鹿な……」
「さっきからそればかりだな帝王さま、まあよほどのショックだったようで何よりだ。しかし、ダンブルドアもかなり止めたんだよ。お前たちのほうにそれを見破る何らかの道具がある可能性もあるし、そうなったらムーディは孤立無援で敵陣のど真ん中だ。だが、流石はマッド・アイ。ダンブルドアの説得を振り切って実行したってわけだ。まったくつくづくあの闇祓い殿の行動力の凄まじさには驚かされる」
「………」
「今頃お前たちのアジトは、ムーディが暴れて死喰い人どもをひとりひとり始末してる頃だろう。そして、お前たちの計画はこちらに筒抜け、ポッター一家は避難し、ロングボトム一家の方の備えも万全だ。どうだ? 完璧にして偉大なるヴォルデモート卿さま、自分たちの襲撃作戦は完璧だとでも思っていたか? 残念だったな、油断大敵!」
シリウスは得意の絶頂と言わんばかりに嘲笑を浮かべた。対してヴォルデモートは眼球から緑の光線を出さんばかりの表情で、シリウスを睨みつけている。
つまりは、彼も認めたというわけだ。自分は『騎士団』、いやあの忌々しい気狂いのマッド・アイにしてやられたことを。
だが、それは………
(まあ、全部作り話だがな)
嘘である。そう、これこそがシリウスとスネイプの作戦。ピーター・ペティグリューが裏切ったという事実を逆手に取り、偽りの情報を流して、まずヴォルデモートの精神を揺さぶる。
これは作戦完遂の必須条件であり、これが決まらなければ上手くいかない。そのために、シリウスはその天才的悪戯頭脳をフル回転させ、『信じてしまう作り話』を仕立て上げた。
要になってくるのは当然マッド・アイことアラスター・ムーディだ。出し抜く方法を立案したのがシリウスだとすれば、流石にヴォルデモートも疑ってかかるだろう、しかし『あの』ムーディなら?
その徹底したやり方から敵味方から気狂い扱いされるが、同時に世界最高峰の魔法戦士であるムーディならば、やりかねない。どんな荒唐無稽な作戦も、それが闇の魔法使いを殲滅するのに最適ならば、あのムーディならばやるだろう、マッド・アイならばやりかねない、誰もがそう認識している。
さらに、ヴォルデモート自身が最も警戒している魔法使いであるダンブルドアが、自分が知りえない魔法具などを有しているのでは、と常々から危惧していた事実が加わる。
故にこそ、この作り話は真実味を帯びる。現に聞かされたヴォルデモートにしてからが、一瞬でも自分は出し抜かれたと思ってしまったのだから。
これがただのほら話ならばともかく、“居るはずのないシリウス・ブラックが自分を待ち受けていた”という事実が、瞬間的であれ疑念を生じさせてしまう。結果として彼は思う、自分は出し抜かれたのではないかと、今すぐ何か手を打つべきではないかと。
これは絶対にスネイプだけでは完成しない作戦だ。悪だくみなどしたことがない生真面目な彼には、人をおちょくることに全細胞を活性化させて挑むなど、考えもつかないだろうから。まさに、シリウス・ブラックあっての計画だ。
だが、今シリウスが浮かべている得意の絶頂の表情は本物だ。『まんまと騙された』敵の間抜け面を拝むのは、最高に楽しい。
「なるほど、あの気狂いならばそんな無謀極まる行為もするか…… だがな小僧」
「自分の間抜けさを認める度量はあったか、見直したよリドル坊っちゃま。で、いったいなにが『だが』なんだ?」
「他の仲間たちはどこに潜んでいる?」
「んん?」
「我々がムーディの策略に嵌ったことは認めよう。この調子ならば、ドロホフたちも苦戦していることだろう。だがこの状況で唯一おかしいのは、今、貴様がこのヴォルデモート卿の前に一人でいることだ」
「それの何がおかしい?」
あいもかわらず不敵な笑顔を浮かべたまま、シリウスは嘯く。無論、分かっている。状況を考えればおかしいのだ。腐ってもヴォルデモートは指折りの闇の魔法使い、それを相手に一人で相対するなど、なにか思惑あってのことと考えるのが普通だ。
「とぼけるな、ようは貴様は足止め役だろう。ここが蛻の空ならば、俺様はすぐに拠点へ戻る…… そうなってはあの気狂いの計画も命はそこまでだ。ならば足止め役は最低でも10人は必要な筈、貴様がただ一人でいるわけがない」
そう言いながら、彼は周囲に向け視線を凝らす。現れるだろう伏兵を警戒しているのだ。
「ああ、そう、そういうことか。クククク、おいおいあまり笑わせてくれるなよ」
喉を震わせ、今にも腹を抱えんとばかりに笑い出すシリウス。
「自分が戻ればムーディは終わり? まったく、どこまで自信過剰なんだか……」
そこでいったん言葉を留め、相手が最高にいら立つ仕草と表情で、シリウス・ブラックは見栄を切った。
「お前ごときを倒すのは、この俺一人で十分なんだよイキリトカゲ野郎!!」
その啖呵を合図に、シリウスは猛然とヴォルデモートに向かって吶喊した。その瞳には、この一瞬に自らの全てを掛ける覚悟を決めた者だけに宿る、強く美しい光が輝いていた。
……分かっている。自分はここで死ぬだろう。どう考えても彼我の戦力差が大きすぎる。
だけど
(お前は生きろジェームズ! お前にはリリーが、ハリーがいるんだ、ここで誰かが死ぬのだとしたら、それは俺でいい!)
もし、ここでジェームズたちが死ぬことになったら、自分は一生歪んだまま生きていくことになるだろう。そんなことはそれこそ死んでも御免だ。だから、俺の死に場所はここでいい。
友のため、命を懸けて戦うこと、その全てに悔いはない。
こんな無謀な相手に、傲岸不遜なまま挑むなんていう、最高に『シリウス・ブラックらしい』戦いで死ねるのならば最高だ。
さあ、くたばれヴォルデモート。俺と奴が、お前の死神となってやる。
リリーとジェームズには、ヴォルデモートがくる直前に
「秘密がバレたので別の場所に急いで逃げろ」とだけ簡潔に伝え
その上で単独で待ち伏せしています。