「……んんんー……ん?」
「──すぅ……すぅ……」
見上げた空には双丘があった。……なんて口にすれば持ち主を起こしてしまいそうだ。
俺が眠っている間にあるえは寝ちゃったようだ。
そっとあるえを起こさないように体を起こして、今度はあるえの頭を俺の膝、というよりも太腿の上に置いた。クッションのようにあるえの頭を支えるのは絹糸のように柔らかく、豊かな毛髪だ。
曰く、髪は女の命、らしい。
母さんは大仰に言っていたけど、これは紅魔族的誇張表現では一切無いとのこと。あるえにとっても同じだろう。
毎日セットして寝ているのであろう髪型を崩さないように。そっと髪の毛を撫でつける。
…………なるほど。あるえが膝枕をしようと言い出した気持ちが分かった気がする。
人体で最も重要な二つのうちの一つ。頭を相手から全幅の信頼をもって預けられる。
する側とされる側。膝枕程度のことだが、膝枕であるからこそ。どちらにとっても信頼の証たりえるもの、なのかもしれない。
……ただ今の場合、あるえが寝ている隙に膝枕を勝手にしているだけなんだけど。
それから。案外こうして膝に乗せているだけだとちょっと退屈だ。あるえが膝枕をしたまま自分も寝てしまうわけだ。
ただ俺の場合、目が冴えている今、こう無防備な寝顔を晒されていると少し。いやほんの少しだけ、だけど……眠気よりも悪戯心が湧いてくる。
……本当に寝ているのだろうか。
あるえの横顔はどう見ても眠っているように見える。眼帯の下はわからないが、上から見える付けていない方の目は瞑っていて、起きているとは考えにくい。
頬はほんのりと上気していて柔らかそうだ。
人差し指で突いてみると想像以上に柔らかく、餅のような肌で指を離すと吸い付いてくる。
「んん……」
頬を突かれた違和感からか彼女はモゴモゴと口を動かす。
起こしかねないので、悪戯心を仕舞い込んだ。かわりに彼女の顔をまじまじと見る。
形の良い眉。閉じた瞳から伸びる睫毛。すらりと高い鼻。触っていた頬を含め肌にはくすみ一つない。あ、でも首に黒子が一つ。ちょっと色っぽい。
胸の膨らみは呼吸に合わせて上下している。頬以上に柔らかそ……なんだかいけない事してる気分になってきた。魔が差してしまいそうだ。具体的にはキス、とか。それ以上のこととか。
無防備だとしても、ダメだと言った手前、寝ている間に色々とするのは流石に不義理が過ぎる。
空を仰いで、情欲に流されそうになるのを防いだ。
俺でこうなのだ。俺が寝ている間にあるえに何かされたんじゃないか、そんな寝入る前にしていた懸念が再び頭をよぎる。……それは彼女が起きてから確かめよう。
──膝枕。恋人……らしい事。あるえやゆんゆんの思いを汲んで、自重する気はもう無い。里の大人たちがどう思うかは知った事じゃ無い。ないが……ただ恥ずかしいのには違いない。
──起こしてしまおうか。いや、まだ。
少しの間そんな葛藤をして。……もう少し、このままで。
「……おはよう?」
「おはよう、あるえ。そろそろ帰ろう」
「あ……うん」
日が沈みかけてきたのであるえを起こし、公園を後にした。
夕陽に照らされる里の通りを、並んで歩く二人分の影はあるえの家に向かっている。
お互いに口数が少ない。膝枕をしていた、というのが今になって恥ずかしくなってきた。
……でもお礼は言っておかなくちゃな。
「……今日はありがとう。眠気が飛んだよ。それから勝手に膝枕したけど」
「うん。ありがとう……その、私の方こそ。良い経験になったよ」
そう言って。
それからまたお互いに口を噤んだ。
しばらく中々次に出てくる言葉が見つからないでいて。
チラッと見たあるえの顔は紅潮しているようで、目が合うと逸らされる。
……。今になって膝枕が恥ずかしかったと思うにしては、あるえの反応は妙だ。
「あ、あー……ちょっと、聞きたいんだけどさ」
「……何かな?」
「…………寝てる間に何かした?」
「!?」
前置きをして疑問を口にすると、あるえは驚きを露わにする。何をしたのかは言わずとも、何かやったことだけははっきりした。
「そっか。別にいいけど」
「なっ……はぐりんだって。そう聞いてくるってことは寝ている私に何かしたんじゃないのかい?」
少し声を上擦らせてあるえが聞いてくる。
「まあね? あるえが膝枕しようって言い出してから何かされるのは予想できてたし。俺ばっかり何かされるのは気にくわないじゃん」
「答えになってない……ねぇ何をしたんだい?」
「そりゃあ──あるえがしてそうなことの……倍は凄いこと?」
ちょっと焦りが窺えるあるえが珍しくてつい意地悪してしまう。
ニヤッと今自分悪い顔してると思う。実際は頬をちょっと突いてみただけだけど。
「ば、倍!? 私がしたことの倍……!? ねぇ、私はまだ処女だよね……?」
おいこら、えっち作家。
「ちょっと待って。ホントにあるえ俺に何したの? 俺がそんなことするわけないだろ?」
「え、あ──いやね。言葉の綾だよ。だってその……いや、なんでもない」
「……え、キスしたの?」
「してない。してない……よ?」
──怪しいなぁ!
まあ俺も何してたか恥ずかしくて言えないしな。……頬っぺた突いてたとか。言うとなると妙に躊躇する。
だから言えないのはお互い様。ならお互いやったことも大体一緒と結論付けた。
ただ、そう結論づけたは良いものの──あるえの家に着くまで、お互い顔の朱色は取れなかった。
▽
「そうだ。今日お爺さんは?」
「今日は畑仕事じゃないかな。そろそろ帰ってくると思うけど」
あるえの家は紅魔の里のなかでは標準的な家だ。
ただ、お爺さんも一緒に住んでいるので間取りが多いのかお隣の家より少し大きい。
で、そのお爺さんのことが俺はちょっと苦手だ。
──あるえぇええ!!
「あ、帰ってたんだ」
「うげぇ……」
家の中から声がする。だんだんと近づいてきて……玄関から現れたのは巨漢だ。2メートル近い身長に、俺の倍はある肩幅。
タンクトップのジャケットから伸びる二本の腕は丸太のよう。服の上からでもわかるほどに鍛えられた筋肉があることが窺える。
そして聞いた年齢の割に肌は若々しく、シワの刻まれた顔と白色混じりの髪を見なければ年寄りとは思えない程だ。
「ただいまお祖父ちゃん。今日ははぐりんに送って貰ったんだ」
「……どうもお久しぶりです」
渋々挨拶すると。
「我が名はれぞなんす! 紅魔族随一の農家にして上級魔法を操る者! 孫を溺愛する者! ──ワシの目が紅いうちは孫はお前にやらんからな!」
「お祖父ちゃん……」
爛々と眼を光らせて二言目にはこれだもの。今日は久々だからと名乗りも添えて。あるえとこんな仲になる前からこんな感じだ。この人の孫の溺愛っぷりには辟易する。……気持ちは分からなくもないんだけどな。あるえみたいな孫がいたら誰だってこうなる。
とはいえ呆れて脱力していると、お爺さんは。
「……妙だな。前まではあるえが『まだそんな仲じゃない』と小言を言っていた気がしたんだが」
「あ、あーお祖父ちゃん。やめてよ、もう。はぐりんとはそんな仲じゃないんだ」
「む、そうか。……なぜ笑いそうになってる小童」
「い、いえそんなことないです」
どこか棒読みで、吹き出しそうになった。
言った本人は横で恥ずかしそうにしているが、俺は命が危ない。
──現役農家の熟練した魔法使い。紅魔族最強に限りなく近い存在。
あるえへのデレっぷりからは全然想像つかないけど。
「そうか。孫を送り届けてくれたことは感謝する。が、用が終わったのならさっさと帰れ」
「はい。……それじゃあるえ、また明日」
「うん。はぐりんありがとう。帰り道気をつけて」
そうして俺は二人に背を向け、帰路へとついた。
「お祖父ちゃん。……彼を気に入ってるならもうちょっとさ」
「いや。孫娘を預けるにはまだまだ頼りない。一人や二人背負って気負うようではとてもとても」
「……もう」
▽
夕方から夜へ。あるえの家がすっかり見えなくなったあたりで、
「あ、はぐり……ぶべらっ?!」
帰り道、街灯の明かりの下に来ると靴屋の
「こめっこに変なこと教えやがって! こんのロリコンニート!」
「いてて……ロリコンニートとは失礼な! 俺はロリコンじゃない!」
ニートは否定しないんだ。
「変なこと教えてるのは事実だろーが!」
「むぐっ、それは……というかいきなり蹴ることないだろ!」
「ニートは蹴られても仕方ないって里の掟にあるから」
「そんなルール聞いたことないよ! え、無いよね!? ……いや、うん。確かにこめっこちゃんに変なこと教えたのは事実だよ──ってイッタぁ!? スネを蹴るんじゃないよスネを!」
可愛い従妹に悪影響を与える者は討つべし討つべし。
「ふぅ。……これで許されたと思うなよ」
「あーもう痛かったぁ。……教えてくれって頼み込んでくるんだよぉ……それにおねだり上手で断りきれないんだってば」
「まだ言うかこのニートは」
どうやら脛への攻撃が足らないようだ。治したけど、もう一回蹴ってやろうか。
「ストップストーップ! もう教えないから!」
「で、ぶっころりーは何やってんの?」
──靴屋の息子のぶっころりー。昔は気の良い兄ちゃんだったが、随分前に学園を卒業して、それ以来ニートになってしまった。悲しい話だ。里にはそういった男性が何人か居る。
制裁の構えを解いて、鞄を担ぐように持ち変える。
「俺は見廻りだよ。邪神の下僕が里の中を
「いや、普通に助けてよ」
本当自分の種族のこととはいえどうかしてると思うよ。人の命かかってる状況まで遊ぼうとするの。……気持ちが分かるあたり自分も大概なんだろうけど。
「とにかくさっさと帰りなよ。あ、そうだ一つ聞きたいことが……いやなんでもない」
「……何?」
「い、いや、なんでもないよ。……明日ゆんゆんに聞くし」
「は? ゆんゆん?」
なんでその名前がぶっころりーから出てくるんだ。……うん?
「何を聞こうとしてるか、俺が聞こうじゃないか」
「ちょ、こわ! 怖いから! 本当そういうとこめぐみんにそっくりだ!」
危ないからという理由でぶっころりーに家まで送ってもらえることに。
「で?」
「いや、怖いよ。……その反応だけでもわかったようなものなんだけど…………その、君が女の子二人と付き合ってるってさ」
「…………その話か。ぶっころりーはそれ、どこで知ったわけ」
「この前聞いたんだよ、親父に。自分は何やってんだとお小言付きでね」
背中がざわざわする。くすぐったい様な、掻き毟られる様な。
「で、事実なの?」
……はあ……ぶっころりーが知ってるなら……里の大人全員が知ってるか。まぁまだうちの親だけは知らないって可能性に賭けよう。
ゆんゆんの名前が出てくるってことは誰が相手とかも知ってるんだろうし。
「ほぼ事実だよ。……まぁ、俺からぶっころりーに話すことはないけど」
「いやそう言わずにさ。……というか明日めぐみんやゆんゆんと会うっていうは……その、どうしたらいいかアドバイスが欲しくて。参考にしたいなぁって」
何を言ってるんだこのニートは。暗い夜道で見えるはずない相手に冷ややかな眼をむける。
「ああいや、別にはぐりんみたくモテたいからってわけじゃないんだ! 好きな人がいるんだ」
「え? ぶっころりーに? 好きな人が?」
そんな馬鹿な。ニートに好きな人がいるなんて。
「べ、別に良いだろ! ニートでも好きな人が居たって! 君と違って一人だけが好きなんだし!」
「ご、ごめんって。で、相手は誰なんだよ」
それを言われると弱いんだ。
「あー聞いちゃう? それ聞いちゃう?」
イラ。
「うざいからさっさと答えてよロリコンニート。アドバイスしようがないし、遊ぶ友達いないニートの男子学生のノリに付き合うのは、流石に辛いんだけど」
「しまいにゃ泣くぞ! ニートにだって血も涙もあるんだぞお!」
泣いてるじゃん……流石にかわいそうになってきた。
家の前まで来て泣いてるニートをそのままにはしておけず、家に上げた。
「それで誰なの?」
出した温かいお茶を飲んで、落ち着いたであろう頃合いを見計らい、改めて聞く。
「そけっと」
「……」
……。
「な、なんで黙り込むんだい?」
いや、だって。
「現実を見た方がいいと思う」
「ニートでも夢見たっていいだろ!」
「だってさ、里随一の美人が好きだなんてこと。俺がぶっころりーの立場ならまず言えないなって」
「そういう君だって次期族長になるであろうゆんゆんや、あのれぞなんすさんとこのお孫さんと……」
「それ以上言ったらもうアドバイスしないからな……てか家の中でそんなこと話すんじゃない。一応まだ秘密なんだ」
あるえのことも知ってるよなー……そうかぁ……。
「ご、ごめん。……でも、はぐりんならそけっととお近づきになる何か良い方法があるんじゃないかなと思って……」
まぁ確かに。ぶっころりーがそう思うのも仕方ないか。でも、
「まず一つ訂正しとくと、別に俺はゆんゆんやあるえに何か特別なことはしてないから。仲良くなってくうちに、そういう結論に至っただけだから。この関係も二人から言い出したことだし」
あるえ発案ということは伏せておく。……始め俺があるえを切り捨てようとしたことも。
「……え、そうなの?」
「そう。そういうわけだから、話せるとすれば普段二人と話すときに俺が心がけてることぐらいだよ。というかまずはそけっとと話せるようにならないと」
「それができたら苦労しないというか、それが出来ないからはぐりんに聞いてる……んだけど」
まあそうだよな。……うーん。
「正直手に職つけるのが一番だと思うんだけど。ニートって立場がまず、そけっとに話しかける自信を削いでるんだろ」
「う……いや、それは……」
仮に、そけっとが里の誰かに『ぶっころりーはどんな人?』と聞いた時、里の誰もが『里随一の靴屋の倅で跡を継がず、フラフラしているニート』と答えるだろう。それに付属してどんな人間かは話されるだろうが、必ずニートだということは伝わる。まあ、そけっとも例に漏れず既に知っていると思うが。
でも実際のところそうなのだ。紅魔族だから見てくれは悪くない。格好のつけ方も悪くない、と思う。そして一番重要な人柄も悪くない。馬鹿なところがあるのは否めないけど……紅魔族なのにおかしな話だ。
でも今挙げた人柄は話し合わなければ知ってもらえない。理解されない。
でも話しかけるのは難しい。恥ずかしさに加え、ニートだから。
やっぱニートなのが一番悪い。
「……里の為になることなんかすれば? 働かないにしても、やること探してフラフラしているよりマシだろうし」
「むう……わかった。なにか考えてみるとするよ」
思案げに顎に手を当て俯いたぶっころりー。
「あれ、はぐりん帰ってたの?」
そこへ入ってきた風呂上りの母さん。……あ。
「あ、お邪魔して……」
「『フリーズガスト』!」
タオル一枚胸元から下を隠す様に巻いた母さんが無詠唱魔法でぶっころりーを氷漬けにする。屈折率の高い氷をとっさに出せて、更には強度が保ててるあたり流石というべきだった。
この後服を着た母さんがぶっころりーの拘束を解いて、家に返した。
……震えていたのは寒かったからだけではないと思う。
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