明けない夜が明けたなら   作:にんにく大明神

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なんだかよく分からない話になってしまいました。

今回は諸事情により初の三人称視点です。
いや、これは神の視点ってやつなのか…?

気になる点は指摘していただけると嬉しいです。

※キャラ崩壊あり。


輝かない貌 前編

 

 

 ディルムッド・オディナは、言うなれば軽い人間不信に陥っている。

 フィオナ騎士団が一番槍、輝く貌のディルムッド、生前そう謳われた誉れ高い高潔な騎士は、しかし当時の彼を知る者からすれば信じられない精神状態であった。

 他人を心の底から信用しきれない。たとえそれがどんなに気心の知れた友人であっても、ふと気が付けば相手が心の底に一物を隠し持っているのではないか。根拠もなくそんな疑心暗鬼になってしまう。

 他人が聞けば大した問題であるとは思えない悩みだ。人は皆、本来適度に他人を疑い、距離を保って生きていく生き物だからだ。しかし彼は、なによりそんな思考をしてしまう自分を一番許せない。

 少々真面目過ぎると言っていい彼の生来の気性が、余計彼を追い詰めていた。

 

 このマッチポンプのような精神的悪循環にノイローゼを起こした彼は、人前から姿を消すことを決意した。

 このままでは自分は本当に自分を見失ってしまう。少し一人になろう。そうすればきっと以前の自分に戻ることが出来る。

 ――――そう思い立って早十年。

 気を落ち着かせるためにこもり始めた山から彼は戻れなくなってしまっていた。

 

 端的に言うならば、居心地が良かったのだ。人とのコミュニケーションが不要な森の中ならば何も悩む必要が無い。本来武人である彼にとって、木々に囲まれながら己の技を磨き、その日の暮らしを自らで立てる。そんな生活は苦であるはずもなく、むしろささくれだっていた彼の心をなだめるのに大いに役立った。

 十年という時の中で、死後二千年ほど苦手としていた猪にもようやく向き直る。そして、紆余曲折、艱難辛苦を乗り越え、とうとう克服することも出来た。

 

 だが同時に彼は初めから気が付いてもいた。

 これは逃げに過ぎない。

 今の自分は単に嫌なことから目を背けただけであって、楽な方へ逃げただけ。自分が猪を克服したように、問題は正面から立ち向かわなければ解決しないのだ。

 山から出よう、自分の現状を言葉として明確に自覚してから彼がそう決意するまでそう時間はかからなかった。

 とは言っても、十年のブランクはなかなかどうして大きなもので。タンスにしまいこんでいるうちに時間という埃をかぶってしまった彼の悩みはより一層処理し難いものに見えてしまう。

 結果として彼は未だに一歩を踏み出せないでいた。

 

 それも当然と言えば当然であろう。

 十年間で会話した人間は主に二人しかいないのだ。しかも一人は妻、もう一人はふもとに降りたときに立ち寄る居酒屋のマスター。唯一彼が本来の彼として接することが出来た妻を除けばただ一人。

 彼の社会復帰は遠い。

 

 

 

 ▼

 

 

 初夏の木漏れ日が暖かに降り注ぐ山の午後。ディルムッド・オディナの仮住まいを一人の客が訪れていた。

 簡素な造りの木製の椅子に腰をかけ、優雅にティーカップを手に取る一人の女性。彼女の名はグラニア、ディルムッドの妻である。

「本当にいいところね、ここ。

 ……うふふ。私ここに来るたびに同じこと言ってるかもしれないわ」

「ハハハ。そうだな、いつも聞いてるよ。

 今日もゆっくりしていってくれ」

 ディルムッドも彼女と話しているときだけは心を開いていられた。いや、彼女を疑ってしまった瞬間、彼は自身が生前選んだ道を否定してしまうことになるのだ。もしかすると、その時こそ彼は二度と元の自分に戻れないと無意識に悟っていたのかもしれない。

 

 彼は自分の妻に、山にこもる本当の理由を伝えていなかった。

 聖杯戦争で自らの技量がまだまだだと思い知った、だからもう一度鍛え直すために山にこもりたい。不安そうなグラニアの瞳を、精一杯力強く見つめて説得した。

 我ながら上手い言い訳だな、と彼はその時思った。嘘をつくのは心苦しかったが、それでも彼の心はグラニアに心配されることを許さなかった。

 当然なことだが、彼が山にこもると言い出した時彼女は心配した。

 (ここ)ではいくら腕を上げたところで、現界する際にはその努力は無かったことにされてしまう。それならばやはり聖杯戦争で起こった何かが原因で彼は人を避けようとしているのではないか、彼女はそう思ったのだ。

 しかし武人ではない彼女には知りえないことだが、実はディルムッドの言い訳にはきちんと筋が通っている。生粋の武人である彼にとって、技とは使うために磨くモノではなく、自らを高める一つの道なのだ。

 だからたとえ使う瞬間が来なかったとしても、その鍛錬には意味がある。

 

 と言っても、グラニアの予想は的中していた。

 彼がそうなってしまったのは、まさしくその聖杯戦争で起きた何かが原因なのだ。

 

 

 ▼

 

 

 聖杯戦争。

 ただ一つの万能の願望器をめぐって、本来研究者である魔術師達がその命を削り合う60年に一度の奇跡。そしてその戦いにおいて魔術師の(つるぎ)となるのが過去の英雄である英霊たちである。

 十年前に起きた第四次聖杯戦争。そこにディルムッド・オディナはランサーのクラスとして召喚された。

 

 彼はその戦いに、生前果たせなかった主に忠義を尽くすという願いを目的として参加した。叶えたい願い、未練など持ち合わせているはずもなく、戦いの過程として古今東西の英雄豪傑と腕を競い合えることこそが報酬である、という認識でこの戦いに飛び込んだ。

 だが彼は一つ大きな勘違いをしていた。聖杯戦争とは戦いではない、殺し合いなのだ。そこには高潔な理想、礼儀、そんなものは存在するはずもない。

 およそ騎士として理想的な、そしてこの戦いには圧倒的場違いな心持ちで以て参加してしまった彼は、この世を呪いながら敗退するという凄惨な結末を迎えてしまった。

 騎士道を徹底的に侮辱しているとしか思えない敵の外道マスター。そして、自らが忠義を尽くそうとした相手である主からの不理解、嘘、裏切り。そこには生前さんざん苦しんだはずの女性問題が深く絡みつき、今度こそは自分が与えられた運命を呪った。

 

 初めは心配して月に一度ディルムッドを訪ねていたグラニアであったが、しだいに彼が本当に武の道のため山にこもったと勘違いし、その訪問の頻度も半年に一回程度に落ち着いた。

 今日はその半年に一度の日、いつものように半年の間に起きたなんでもない出来事に耳を傾けていたディルムッドであったが、今日の話は彼にも大いに関わりのある話であった。

 そういえば、とグラニアは前置きをしてから

「ディルムッド。貴方十年前に、東方の聖杯戦争に参加したでしょう?」

「!? あ、あぁ。それがどうかしたのかい?」

 心臓を鷲掴みにされたような感覚がディルムッドに奔った。

 動揺を悟られないないように手元のカップに目を落とす。少し冷めた薄茶色のアールグレイには柄にもなく狼狽えた表情の自分が映っている。自分はここまで心が弱ってしまっているのかとディルムッドは余計気を落とした。

 自分がここにこもる理由を知られてしまったのだろうか、第四次聖杯戦争のあまりにも惨めな顛末を。やはり幻滅させたか。

 などと考えて彼は余計顔を曇らせたが、そんなディルムッドの様子には気付いていないとでも言うように、元の明るくも落ち着いた調子でグラニアは話し始めた。

「前にここに来た少し後にね、第五次聖杯戦争があったの。

 前回は用事であんまり見られなかったけど、今回はちゃんと見ようと思って。見に行ったの、二週間くらい」

「五次? あぁ、五次のことか。

 60年周期だと聞いていたんだが、今回は早かったんだな。……それで、どうだったんだい?」

 自分のことではないと分かって安心すると、彼はまたいつもの調子に戻って問いを投げ返した。

 ただ、心の中では自分の経験した聖杯戦争という苦い記憶を思い出していた。

 

 期せず苦い顔をするディルムッドと対照的に、目を輝かせてがしっと自分の手を握り締めるグラニア。そしていかにも興奮しているといった風に一言。

「それがね、

 ――――感動したわ!!」

「……は?」

 さぞ凄惨な戦いを見ただろうと心配した彼は、意外な言葉を聞いたといった顔をして思わず間を抜けた声を出してしまう。

 感動? バカな。宿泊施設を爆破したり、幼児が虐殺されたり、そもそもの賞品が悲劇しか生まない最悪の舞台装置であったりする、あの聖杯戦争で感動?

 五次の様子は見ていなかったものの、激しく反論を加えたいディルムッドではあったが、当然口には出さない。

「あ、いやすまない……それで、感動したというのは?」

 彼の笑顔が苦笑いだと気付いていないグラニアは、変わらず半年前に心を飛ばすかのように力説する。

「そう、感動したの。まさにボーイミーツガールって感じで!

 思わずディルムッドと初めて会った時のことを思い出しちゃった!」

 当然この説明で伝わるはずもなく、二人の間の温度差は広がっていくばかりであった。

 

「それで、もう少し分かるように説明していただけるとありがたいんだが」

 グラニアの興奮も収まったように思われたころ、ようやく落ち着いて話せると感じたディルムッドは、自分の疑問を晴らすためにも詳しい説明を要求した。

「あぁ、ごめんなさいディルムッド。私、つい」

「いや、いいんだ。

 ……それで、何が?」

 紅茶を新しく手元のティーカップに注ぎながらディルムッドが尋ねる。

「貴方が前回戦ったっていうセイバーさん。アーサー王さんがまた参戦していたんだけどね」

「なに!? セイバーが!」

 グラニアの口から出てきたセイバーと言う名前には、彼も冷静さを崩して思わず叫んでしまった。

 

 セイバーこと英霊アルトリア。彼の有名なアーサー王本人である。

 そう、彼女はディルムッドが第四次聖杯戦争で戦った、そして唯一と言っていい彼が望んだ騎士の闘いを交わせた相手。

 力量、人格、どこをとっても彼にとっては理想的な好敵手であったが、彼が屈辱的な最後を迎えることになった最大の要因である、敵の外道マスターがセイバーの主であったというのは皮肉というよりほかない。

 結果的に自分と彼女の騎士道を利用されて、ディルムッドはセイバーのマスターに屈辱の敗退を味あわされることになったのだ。

 

「そう、そのセイバーさんが、その、マスターの子と――――もう!! まさに愛と勇気の勝利、そして別れ……

 年甲斐もなく興奮しちゃった! 少し若返っちゃったかも」

 徐々にグラニアの興奮度が上がっていく。しかしディルムッドもそんな彼女の気迫に気圧されることなく問いを投げ返した。

「それでどうなったんだ?

 セイバーは勝てたのか?」

「そうよ。

 ……でも、もう願いはいいからって聖杯を壊していたわ。

 ……そうそう、それでこの間こっちに来たそうなの」

 その言葉はディルムッドには大きな衝撃であった。

 彼とて戻ってきてから第四次の顛末は聞いていたが、それによると、セイバーも自分と同じように辛い結末を迎えたはずだ。ところが今話を聞いている限りでは、彼女は五次において彼女なりの答えを得たらしい。切望していた願いを捨てるという選択と共に。

「セイバー。いったい何が………。

 あぁ、いやなんだいグラニア?」

 大きなショックを受けたといった顔をして、思わず心の声を口に出してしまうディルムッド。それほどまでにセイバーが願いを捨てるという選択は信じられなかったのだ。

 対するグラニアは仕切り直しとでもいうかのように、手元のティーカップを空にする。

「そう、ここからが本題なの。

 セイバーさんのところの円卓の騎士団てずっとトップであるアルトリアさんがこっちにいなかったじゃない?

 それでこの間ベディさんに聞いたんだけど、改めて円卓の騎士(ラウンズ)としてみんなで集まるそうなのよ。昔のこととかを水に流して」

「……」

「だから貴方達も一度集まってみればいいんじゃないかな、と思って。

 ……フィンだって貴方に――」

 そこまで言いかけてグラニアは口をつぐむ。自分が踏み込んでは行けない領域にまで立ち入ってしまったのかと思ったのだ。

 実際彼女のこの発言は迂闊というに他ならない。あまりに長いときの中で感覚が麻痺したせいか、グラニアはデリケートな問題にうっかり触れてしまった。

 

 フィン・マックール。

 フィオナ騎士団における英雄であり団長、そしてグラニアが結婚するはずだった男性。最終的にディルムッドを許すという決断を下すが、その決断とは裏腹に、救えるはずだったディルムッドを死に追いやることになる。

 このことが原因でフィンは配下との間に深い溝を作ってしまった。

 しかし、彼はフィン・マックールという言葉に対して動きを止めたわけではなかった。その名前を聞いた瞬間、今も脳裏に焼き付くある人物の姿が頭の中に浮かび上がってきたのだ。

 

『お前は主君の女と見れば手を出さずにいられんのか。……はっ。伝承は正しかったか』

 

 そう言って憎々しげにこちらを睨む自らの主。憎しみの奥にちらつく自嘲の陰、誇り高い人間である主のプライド傷つけてしまったという自覚と、どうしても理解しあえない現実に対する懊悩を彼は思い出していた。

 散り際では恨み言を我慢できずに吐き出したが、その直後に自分と同じように騙され命を散らした彼を見てやりきれない思いを持ったのだった。

 

 黙り込んでしまったディルムッドに、グラニアは焦ったように声をかける。

「ディルムッドごめんなさい私――!」

「あ、いや大丈夫だよグラニア。

 そうだな、彼とも一度きちんと話さないとな」

 意図的に明るく振る舞うディルムッドを見て、グラニアは彼が未だに過去を引きずっているということを悟った。

 しかし、いい加減今の煮え切られない関係をどうにかするべきだとも改めて思い至って、元の話題を推し進めた。

「……ごめんなさい。

 そう、だから私が言えたことじゃ無いのだけど、一度フィオナ騎士団でも集まったら――」

「すまない、……少し考えさせてくれ」

 グラニアの言葉を途中で遮るディルムッド。本人は無自覚であったが、彼の眉間には深いしわが刻まれていた。

 彼女が言いたいことは彼とて良く分かっていたが、それでも即断するには今の彼には少々勇気が足りなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 帰宅するグラニアをふもとまで送った後、ディルムッドはいつものバーに顔を出すことにした。

 時刻は午後七時を少し回ったかという頃。少し蒸し暑さを感じるかという夏の夜。空には瞬くという表現がふさわしいほどの星達が輝いている。

 

 いつものバーとは言ったが、通うのはそれこそ二ヶ月に一回程度で、それもこもりに来た山の近くにぽつんと開いているのを偶然見つけたのだから、通い始めて精々十年といったところ。地上ではそれなりの年月だが、ほぼ永遠と言っていい時間が流れる(ここ)では、たいした時間でもない。

 そんな最近(・・)見つけた個人経営の小さな店ではあったが、実はディルムッドはそれなりに気に入っていた。

 モダンな内装の中に浮かび上がるどこか武骨な雰囲気。他の客とは交わることもないが、他人でありながらどこかよそよそしく無い不思議な空気感。

 人が嫌いになったわけではない彼にとって、つかず離れすぎず、程よく人間が感じられるこの店はちょうどいいリハビリにもなっていた。唯一不満をあげるとすれば、マスターが守護者に区分される英雄なので開店する日時が不定期である、といったところだろうか。

 彼らの忙しさは彼とて良く知っていたので文句を言うことは出来ないのだが、それでもやはり二か月ぶりに人里に下りてきて閉店していると書かれていたときにはさすがに肩を落としてしまう。

 

 今日は開いていれば良いのだが、というどこか不安げな面持ちで歩みを進めるディルムッド。店のドアノブにぶらさがる簡素な営業中という表札を見て、彼は胸を撫で下ろした。

 

 

「マスター、空いているか?」

 

 扉を開けて端のカウンター席に腰を下ろす。ぱっと見たところ客の入りはそこそこで、まさしくいつも通りと言った風であった。

 カウンター越しからバーテン姿の男の浅黒い腕が、ディルムッドの目の前におしぼりを置いた。次いで出されるお冷もいつも通り。正直バーでお冷はどうなのかと来る度に思っていたが、今日少し心乱されることがあった彼としては、変わらない通常運転のこの店が何故だか気分を落ち着かせてくれる気がしてありがたかった。

 ディルムッドは店の雰囲気からこの店がバーだと誤解しているが、実はそんなことは無い。酒こそ出すれ、この店は本来ただの料理屋であるのでお冷おしぼりが出されるのは何もおかしなことではない。店の名前も『創作喫茶「贋作」』であり、実はどこにもバーなどとは書かれていない。しかし、マスターの控えめな自己主張精神が店名を大きく表示することを嫌ったために、店名を知らぬままディルムッドと同じ誤解をしている客は多い。

「見ての通りいつも通りだ、と言いたいんだが……。

 申し訳ないことに今日は奥に団体客が入っていてね。同窓会などとと言っていたから少し騒がしくなるかもしれんが……我慢してくれるとありがたい」

 やれやれといった様子で店の奥に目をやるマスター。彼の視線の先には個室状の座敷間が広がっている。

 かまわんよ、と笑顔を作って普段通りエールを注文したディルムッドだが、しかしこの周囲への無関心さが後に悲劇を生むことになるとはこの時の彼には思いもよらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 グラスを傾けつつぼんやりとグラニアが言っていたことを思い返すディルムッド。

 ――――フィオナ騎士団でもう一度集まりましょう。いえ、そうするべきだわ。

 私達に与えられているこの永遠ともいえる長い時間、確かに交わろうとしなければ交わらずにいられるわ。それで困ることもない。でも、それってとても悲しいことじゃないかしら? 折角難しい事情とかが排されているこの世界なんだから、きっと生前分かり合えなかった人同士でも盃を交わすことができる。それなのにいつまでも昔のことに囚われて自分の世界を狭くするのはもったいないじゃない。少なくとも私はそう思うの。

 珍しく熱弁するグラニアを見て正論だな、とディルムッドも思った。いや、正論かどうかは別としても、彼もそうあってほしいと思ったのだ。

 健常な状態であれば彼もすぐにその案に乗ったのだが、残念なことに健常ではない。この惑う心を抱いて過去の仲間と相対したとき、果たして自分を保てるのかディルムッドは心配でならなかった。

 もしかしたら取り返しのつかない関係にまで陥ってしまうかもしれない。いや、関係ではなく自分の心が、精神が一線を越えてしまうことすらありうる。

 益体の無い心配があふれ出してきて、ディルムッドはカウンター席で独り煩悶する。気付けばすでに何杯目か分からないエールの瓶を空にしたところであった。

「マスター、もう一本」

「ふむ、いつになく荒れているな。

 店主として相応しくない言葉かもしれないが、少し飲み過ぎではないかな?」

「問題ない。

 これでも酒には強い方だと自負している」

「……それならばいいが」

 いつもの仏頂面を崩すことなくしぶしぶ新しいボトルを差し出すマスター。たまに酔った客が暴れまわって店がめちゃくちゃになることがあるため、とても心持穏やかではいられない。

 彼とて腕に自信はあったが、なにしろ暴れまわるのは英霊なのだ。穏便に片付くはずもなく、守護者の仕事に加えて心労が増えるのは勘弁してほしかった。

 そんなマスターの心配そうな視線に気付くことなくグラスを口に運ぶ作業を繰り返すディルムッド。酒に強いというのは本当ではあったが、実際すでに酔っていた。

 

 アルコールで回らない頭で、酒ではどうにもならないことをぼんやりと考える。新しく注文したボトルが水で五倍に薄まっていることにも気が付くことはない。

 繰り返される自問、果ての無い追憶。考えても無駄だと割り切ったはずの次の瞬間には結局同じことを考えている。

 彼の瞳は、一見ワニス塗の施された古めかしい木製のテーブルを眺めているようにも見えるが、その実何も映してはいない。まさしく心ここに在らずといった様子で、それでも手だけは止めずにグラスを運ぶ。

 浮かんでくるのは幾人もの顔、顔、顔。

 憤怒、自嘲を顕わにするケイネス・エルメロイ・アーチボルトの双眸に、怒り、困惑をにじませるフィン・マックールの老成した眼差しが重なる。

 

 そうして彼の出した結論は停滞であった。

 無理だ、世界にはどうしようもない人間関係というものは確かに存在するのだ。いくら他のしがらみが排除されたとしても諦めるしかない、そんな関係が。

 自分達はまさにそれだ。

 どちらかが悪い、というならばまだ改善しようはある。だがそうではないのだ。

 彼は寂しい余生に三人目の妻を迎えようとしただけ。彼女は不意打ちのような恋心に襲われただけで、自分もそんな彼女に精一杯応えようとしただけなのだ。

 確かに指摘するべき些末事なら探そうとすれば幾つも見つかるだろう。癒しの手を持つ彼が水を三度こぼさなければ、彼女が自らの分をわきまえれば、そして自分に、何があっても忠誠を貫く強い意志があれば。だがそれはどうしようもないことだ。

 自分達は英霊であっても人間であって、決して常に正しい道を選べるわけではない。そこに悪意が介在しないのであれば、すべては残酷な運命(Fate)のせいなのだ。

 そして、その事実を理解していても、どうしても受け入れられない。

 そう、そういう面でも自分達は人間なのだ。どうしようもないくらい醜悪で、美しい在り方。

 ならば諦めるしかないだろう。

「そうだろう? グラニア」

 ここにはいない妻に語りかけるように、静かに呟くディルムッド。

 酒のせいか、何かやるせない悲しみが心に溢れてきて、彼は思わず目頭をおさえる。涙が出てきたわけではなかったが、精神はもうその一歩手前まで来ていた。

「……まったく、見ていられないな。

 君ほどの大英雄がどうしてそこまで追い詰められているかは知らないが。どうだ、一つ私に話してみないか?」

 先程からディルムッドの様子をチラチラうかがっていたマスターが、もう我慢出来ないと意を決してディルムッドに話しかけた。悪酔いする客は放っておくと碌なことがないのだ。

 唐突に話しかけられたディルムッドは驚いて思わず顔をあげる。

 これまでこの無愛想な店主が、プライベートに自ら立ち入ろうとしてくることなどなかったからだ。しかし、その無愛想な店主が話しかけるほど今の自分がひどい状態であるということに本人は気がついていない。

 言うべき言葉が見つからないディルムッドに、マスターは重ねて言う。

「いや、なに。私が解決してやると言っているわけではないんだ。それでも、まぁ愚痴程度は聞いてやることは出来る。

 それに、人に話すことで案外気が軽くなるという話も聞く。この手の俗説を鵜呑みにするわけではないが、何か損になるということもあるまい」

 違うかね、と尋ねてくるような視線にディルムッドは思わず目を逸らす。

 彼の言ったことにおかしな点は無い。そこに打算や悪意が入り込む余地があるとはディルムッドにも思えなかったが、どこか心を妨げるものがあって言葉に詰まっていた。

 彼が視線をマスターに戻すと、どうやら律儀にも返事を待っているようであった。いつも通りの仏頂面ではあったが、一連の発言が彼なりの優しさであるようにディルムッドはぼんやり感じていた。

 酒のおかげか、頭が上手く回らないことで、悩まされてきた疑心暗鬼はなりを潜めている。

 そのことに自覚的でありながら、ディルムッドは良い機会だし、人に話してみるのもいいかという気持ちになってきた。それはマスターが名前も知らない他人であったからか、それともいい加減一人で抱え込むのが辛くなったからか。ディルムッドには判断出来なかったが、不思議とそう悪いことにも感じなかった。

「ああ、そうだな。

 たまにはそういうのもいいかもしれない。

 すまないが少し付き合ってくれ」

「構わんよ」

 そうしてディルムッドはぽつぽつと語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディルムッドも詳しい事情までは話さなかった。ただ、人との信頼関係をどうしようもなく信じられない自分の精神を、自嘲するかのように語っただけである。

 その間マスターは自分の意見を口にすることもなく、相槌を打つのみであった。

「――とまぁこんなところだ。

 英霊が人間関係で悩むなんて情けない話だろう?

 聞くに耐えん内容だったかも知れんが、勘弁してくれるとありがたい」

 そう言って肩を竦めるディルムッド。気付くと、本当に話しているうちに心が少し軽くなったような気すらした。

 対してマスターは、口を閉ざして難しい顔をしたままでいる。

 好き勝手に話しすぎて幻滅させたかと少し不安になるディルムッド。悪いことをしたと思って、今日はもう帰ろうと席を立とうと考え始めた時だった。

「人間不信、か。

 ……無粋な詮索かもしれんが、それは聖杯戦争が原因だったりするのではないかな?」

「な、何故それを!?」

 ひどい衝撃であった。

 これまで名前すら名乗らないで顔を合わせていたのに、この数分の会話でそこまで見抜かれてしまったのかという驚愕。およそそんな単語とは無縁であるような人物だと思っていたのに、一気に核心を突かれてしまったことにディルムッドはたいそう驚いた。

 そんな彼の反応を見て、やっぱりかとマスターは肩を落とす。

「いや、何故と言われても。私も見ていたからだ、としか言いようがない」

「『池』か……。

 貴方も人が悪い。最初から俺が誰か分かった上で話していたんだな」

「まぁ、そういうことになるんだが。

 そこに関しては素直に謝ろう、すまない」

 どこかふてくされたような表情をちらりと見せるディルムッドに、マスターは頭を下げた。

「それで、見ていたんだろう? どう思った。やはり呆れたか?」

 またどこか投げやりな様子を見せ始めたディルムッドに、あくまで冷静に言葉を返すマスター。

「そう自嘲ばかりするな。

 まあ、確かに第四次聖杯戦争において、君の陣営はお世辞にも良いと言えたものではなかったな。あの退場の仕方も見ていて気持ちの良いものではなかった。

 人間不信になったと言われてもそう驚くことではない。君なら尚更な」

「……」

 ディルムッドは言葉を返すことが出来なかった。同情に感じ入ったわけではなく、純粋に言うべき言葉が見当たらなかったのだ。

 

 気まずい沈黙が二人の間に流れる。

 膠着状態を破ったのはマスターの方であった。

「それで、これからどうするのかね。

 また山にこもるのか?」

 そこが問題であった。

 ディルムッドの心持がいくら軽くなろうて、また山で人断ちを初めてしまったら結局振出しに戻ってしまう。だが肝心のディルムッドにその意思があるかどうか。

 思案するように口をつぐんだままのディルムッドにマスターが助け船を出す。

「誰か、私のような他人ではなく、それなりの知人に相談してみたらどうだ? 

 この手の人間関係に苦しんだであろう人物に。どのような道にも先達というものはいるだろう」

「そうだな、それもいいかもしれないが……、俺にそんな悩みに苦しまされた知人なんているんだろうか?

 俺の知り合いでこちらに来ている者といえば、皆誇り高い立派な騎士達だ。果たして俺のように情けない状態を経験した人がいるかどうか」

 捨て鉢にそう呟いてディルムッドはグラスに目を落とす。

 マスターの提案は確かに良いものだと彼も思った。一人でただひたすら悩んでいるだけの現状よりは、余程建設的な発想だ。しかし、彼も言った通り、彼の知り合いといえばまさしく騎士道を体現したかのような偉丈夫ばかり。それに、今日彼は酒に任せてマスターに打ち明けることが出来たが、酔いが覚めればおそらくまた以前の自分に戻ってしまう。そうなったらアルコールに心が開かれるのを避けて、人前での飲酒を躊躇うようになってしまうかもしれない。

 やはり地道に努力するしかないのか、とディルムッドは思い至る。

 しかしそんな彼の様子を見て、マスターはどこか得意気な顔を作って声をかけた。

「そう自分を卑下するものじゃない。私からすれば君も立派な英雄だ。

 ……それより、私には思い当たる人物がいるぞ。君の知り合いで、人間関係に悩み、そしてすぐに会える人物だ」

「……そんな都合のいい人物が」

 いるとは思えない、と諦めたような表情で語るディルムッド。

 しかし、そんな彼の態度にもマスターは調子を崩すことはなかった。絶対の自信と共に告げられた名は、

「アルトリア・ペンドラゴン。

 ――――いや、セイバーといった方がいいかな」

 

 

 

 なるほど、それは適任だ。そう彼は思った。

 人に尽くした結果、生前は人の気持ちが分からないと蔑まれ、挙げ句の果てに聖杯に王の選定のやり直しを願うほど悩んだ彼女ならば今の自分の気持ちにも理解があるはず。そして何より、どうやら彼女は自分の気持ちに折り合いをつけることが出来てこちらに来たと言う。

 幸い彼女の人格が優れたものであるということもディルムッドは大いに理解していたし、ならばアドバイザーとしてこれ以上無い程適任ではないかと心中で歓声をあげた。

 ぱっと目の前に光が差した感覚を持ったディルムッド。彼は、久しく出していないような弾んだ声で同意を示した。

「そうだろう?」

 自分の提案が的確であったと確認したマスターも、どこかしてやったりといった顔で頷く。

 そして彼が自分の案が優れていると感じる点はまだもう一つあった。

「マスター。ありがとう。

 貴方のおかげでこれからの指針が立った!

 それでは俺は今からでもか――」

「まぁ待て」

 直ぐにでも飛び出していきそうなディルムッドをマスターが冷静に宥める。彼が店を出てセイバーを探し回る必要など無いのだ。

「セイバーならこの店に居る」

「何!?」

「君が来店したときに言っただろう? 今日は奥に団体客がいると」

「……まさかその人達は」

「あぁ、円卓の騎士団だ」

 そう言ってマスターはトイレの横の個室を指差す。一段高くなった床の先には木製の引き戸。靴を脱いで上がる和室のようだ。

 しかし、団体客がいるにしては、部屋の周囲は異様なまでに静まり返っていた。マスターはその様子に気が付いてにわかに嫌な予感を感じ始めるが、ディルムッドはまるでその先に自らの救いがあるとでも言わんばかりにふらふら立ち上がって歩きだす。

「あ、おい待て!

 少し様子がおか――」

 その時であった。

 激しい破砕音と共に個室の引き戸が弾けた。

「ぶはぁっ!!」

 思わず戦闘体勢を取るディルムッドの足元に、幾田もの扉の破片と一人の男が吹き飛ばされてくる。

 男の左頬には小さな紅葉。状況からすると、どう見ても平手打ちを受けて扉を突き破って来たようにしか見えない。カウンターの中では店の容赦無い破損にマスターが頭を抱えていた。

 

 凍りついた店内の空気の中、倒れこんだ男が息絶え絶えといったように呟く。

「…………王……よ。

 ……あり……がとう………………ござい……ま………す」

 おおよそこの状況にふさわしくない謎の発言に、店内の皆が思わず息を呑む。

 そうして男は静かに意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 この男、名はサー・ランスロット。

 円卓の騎士団において、理想の騎士と謳われる最強の武人の一人である。

 苦節千五百余年。

 王自らの手で断罪されるという願いを成就した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 




というわけで後編に続きます。
既にお気付きの方もいるかと思われますが、ここから結構しょうもない話になります。

ところで、気付くとあの人が作品に出てくるんですけど、病気ですかね。
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