いわゆる「仮想戦記」です。
ご留意ください。
人類がその海洋技術の集大成として「戦艦」を生み出してから1世紀。
かつて、米国との建艦競争に明け暮れた先人達からすれば、今の帝国海軍の陣容はお寒いばかりと嘆くだろう。
観艦式で西側諸国を震え上がらせた巨大戦艦は陸に上がり、西太平洋を我が物顔で動き回っていた原子力空母を旗艦とする機動艦隊は数を減らした上、瀬戸内に引き籠って久しい。
質量共に主力である筈の基地航空隊は核哨戒すらしておらず、満州やシベリアの奥地で細々と訓練を続けているようだ。
まぁ、それは太平洋の反対側も変わりない。
未だ生きている数少ない軍事衛星により、太平洋艦隊の生き残りはハワイとサンディエゴでメザシ状態である事が分かっている。
航空機についても同様で、千島列島の電探基地がアリューシャン列島やアラスカから出撃する彼らの重爆撃機を捕らえる事はない。
米国の脅威が無くなった瞬間は深海棲艦様々との声もあったが、米国より厄介な敵が新たに現れただけだと気付くのにそう時間はかからなかった。
彼らが西太平洋に襲来した際、帝国海軍は日露戦争以来の連合艦隊を組織し、総力を挙げて迎撃したものの惨敗。
健軍以来の大規模戦闘を前に血気盛んであった帝国空軍も同じく手も足も出せずに本土襲来を許し、帝国陸軍の必死の抵抗を以て彼らを海に追い返す事ができた。
尤も、帝国陸軍の半壊を以てしても彼らにまともな打撃を与えられたとは誰も信じていない。
彼らは陸地を何度か踏んでみた後、「やっぱり辞めた」と言わんばかりに悠々と海に引き返したというのだ。
何とか本土防衛に成功したものの、西太平洋を失い、本土が帝国を構成する各島嶼と満州、「友邦」ロシアや第三世界から切り離された事による打撃は相当なものであった。
道端には失業者が溢れ、食料は僅かな配給制となった。
国民は西太平洋を明け渡した腑甲斐の無い政府や軍隊に激怒し、日比谷公園は連日炎上したという。
当時を知る者からすれば帝国がいつ崩壊してもおかしくない状況だったそうだ。
そんな絶望的な状況下で帝国が彼女らに接触する事ができたのは幸運だと言えるだろう。
お陰でこの四半世紀程、帝国はその命脈を切らすことなく存在し続けている。
***
「"……海上機動人型兵器(以下「艦娘」という。)"っと。文書書く度に何回これを文頭に書けば気が済むのやら」
お役所の文書と言うのは魔法における魔法陣のようなものだ。
指定された使い辛い雛形に沿って書き、必要も無いのに紙に印刷して押印する。
後世から見れば架橋工事成功祈願の人柱と同じく、無意味で遅れた文化だと言われるのだろう。
私だって資源と時間の無駄だと思っている。
もちろん、各部署を必死に説得して効率の良い方法を模索することも出来るだろうが、「その為に時間と労力を使い果たして深海棲艦に負けました」では納税者が許さない。
私は全力を以て目の前に取り組み、余力があれば業務改善に掛かるつもりだ。
勿論、先行費用の捻出が難しい単年度会計で生きている宮仕えの宿命でもある。
「誤字が無ければ各鎮守府に稟議を回した後、市谷へ送付する。確認してもらえないだろうか」
複合機から出てきた書面を、信号機のスカーフと菫色の制服を纏った艦娘に手渡す。
書面を受け取る為に振り返った彼女の髪から、柔らかく花舞う様な香りが広がり、パイプファイルと上白紙に囲まれた執務室に春を運んだ。
妙高級一等巡洋艦「足柄」。
所詮「条約型巡洋艦」であり、1万トンの船体に20.3cm連装砲5基10門を備える制限ギリギリ一杯の艦艇であった。
本級は条約失効に伴い大規模な改装を施された後、半世紀程前に解体処分されている。
目の前に居るのはその3番艦「足柄」の魂を継ぐ艦娘、と言うことらしい。
艦娘である彼女も基の艦と同様、高い昼間火力及び極めて高い夜戦火力を発揮する。
改装後は火力も勿論、防御力にも不満は無い。
燃費も戦艦程酷くは無く、私の赴任直後から文字通り「軍馬」として作戦に投入していた。
中でも不思議と馬の合う彼女を旗艦に指名する事が多く、気付けば彼女らの言う「レベル上限」とやらに到達していた為、今は秘書官(彼女らは「秘書艦」という。以下同じ。)を勤めてもらっている。
「は~いはい……っと。……って、これ何なの?」
書面を一瞥した彼女は整った顔を顰めてこちらに向き直った。
艦娘達はその外見と同じく、精神的にも妙齢の女性のそれを模倣している。
彼女の指摘どおり、本来は異性に閲覧させるべき書面ではないのだろう。
とはいえ、こちらも度重なる軍縮で人手不足だ。
彼女と私の関係であれば問題ないだろうとの判断であったが。
「「全自動五軸絶頂装置の調査について」って、一体何に使う気よ、提督」
只でさえ三白眼気味かつ切れ長な瞳を持つ彼女にそう睨まれると、変な世界の扉が開きそうだ。
そうなる前に解決しなければならない。
「別に私が使うわけじゃない。半年前に舞鶴の提督が艦娘に絞りつくされて海軍病院に緊急搬送されただろう? その関連だ」
広義の「兵器」に該当する艦娘は、原則として鎮守府の外に出る事が出来ない。
そんな彼女達の娯楽と言えば非常に限定される訳で、もう既に両手では収まりきらない提督が搬送されている。
もちろん、提督達はこの現状を市谷に訴えたが、現場から遠い中央では全く理解しておらず、「艦娘の運用には「提督」の素質があるものが必要なため」と非科学的な回答を寄越し、更なる犠牲者を生んだ。
海軍病院からのデータが集まるにつれ、「美女に囲まれた途端、盛り過ぎたんだ。地方は気楽で良い」と余裕をこいていた市谷もようやく重い腰を上げて、艦娘の欲求不満対策に向けて動き始めた。
大義名分は「艦娘の福利厚生について」だそうだ。
人間用の如何わしい
市谷では「天下の皇軍が税金でそんなものを買って良いのか」との反対意見も多かったようだが、「だったらお前が満足させて来い」との一声で押し切られたと言う。
男は身勝手なもので、耐久性も根性も著しく乏しかった。
「随分と高価ね。今の玩具で満足できないって言う話は余り聞かないけれど?」
「それは尋ね方の問題だ。アンケートでも欲求不満の項目にチェックをつけた者は極少数だ。皆の不満点は「手が疲れる」の一点に尽きる」
納入された当初、日本的想像性に富んだ「装備」の数々は艦娘達を大いに満足させた。
しかし、生物は皆便利になれると更なる利便性を求めてしまうようで、今日では改善要求が後を絶たない。
まぁ、男でも気持ちは分かる。
「民間では昨今の人手不足等より、自動化技術の進歩が著しい。帝国海軍もその恩恵を受けることに、何の問題もあるまい」
なお、「全自動五軸絶頂装置」の業者は、先月工廠に五軸加工機を納入した業者と同じだ。
多角経営だか何だか知らないが、民間のやる事はよく分からない。
「手は……そうね。何も言えないわ」
彼女は白い手袋に包まれたままの左手を意味ありげに開閉する。
なるほど、左手派か。
今夜のおかずは決まりだ。
「でも、調達なら今使っている「装備」を流用出来ないと。翔鶴さんとか、かなりえげつないの使っているらしいけど」
「その辺は業者がこれを持ってくるついでに説明してくれたよ。問題なさそうだ」
そう差し出したパンフレットは一見健全な工作機械の宣伝に見える。
基になった五軸加工機のそれを流用しているので当然だ。
どうせならもっと凝って作ったらどうなのか。
「ツールについてはサードパーティの参入を認めている。そう遠くないうちにこの機械に合わせた装備も出てくるだろう。勿論、今の装備をそのまま備え付ける為のアタッチメントもある。心配なら試してみると良い。メーカーが工場
視察と体験を提案している」
じっ、とパンフレットを読んでいた彼女が少し顔を上げる。
頬から下は紙面で隠れたままだが、山吹色の瞳が横目でこちらに視線を投げて寄越した。
やめてくれ、それは私に効く。
「行・き・ま・せ・ん。提督が行ってこれば良いじゃない」
「残念だが男は単純でな。1軸か2軸あれば十分なんだ」
まぁ、艦娘を1人で出張させるわけには行かないので、私が行く事には変わりないのだが。
***
「それで、断ったところ、提督は翔鶴と出張になったわけだ」
酒保で適当なつまみを調達した後、提督から強奪した日本酒を片手に1人酒と洒落込んでいた非番の午後。
酔いも良い感じに回り、さぁこれからという時に愚妹が上がりこんで来て愚痴を聞かされる羽目になった。
「行けば良かったじゃないか。合法的に外で逢引できて、その面倒な処女も処分できる」
「嫌よそんなの! 今回は羽黒に取られる事も無く、秘書艦としてココまで来れたんだから! もう少し、もう少しで私の初めてをあげられるのに、玩具なんかに……!!」
どこでそんな考古学者が唱えるような考え方を学んだのやら。
しかし、言わんとしていることは分からなくもない。
私達艦娘にだって「薔薇色の未来」は存在する。
端的に言えば、「
広義的には「兵器」にも「知的生命体」にも分類される私達だが、未来永劫兵器として戦い続ける事が出来るわけではない。
兵器として、そして生物としての寿命がそれぞれ存在する。
前者の方が圧倒的に短いので、残りの時間を只の生物として過ごすのだが、元が兵器である私達の一般常識その他諸々を補う為、政府関係者を伴侶として退役するよう法律(通称「ケッコン法」)が定められている。
なお、兵装を解除して退役したとしても、後程同艦の艦娘が建造する事が出来るため、書面上の兵数に問題はない。
練度と記憶を引き継がないため、戦力的には多少の減であるが、減価償却内だろう。
そしてこの愚妹は男付き合いが致命的なまでに下手で、艦娘として生を受けて以来、延々と兵器としての人生を歩んでいる。
今の私が建造された時既に十分な練度だったので、相当なのだろう。
もちろん、私が記憶している限りでも、鎮守府に異動してくる貴重な「政府関係者」達と良いところまで行ったのは1度や2度ではないのだが、その度に妹の羽黒に掻っ攫われている。
曰く「姉さんが選ぼうとした方は皆素敵な方なので」とのことだ。
お陰で妙高級の内、羽黒の練度だけがなかなか上がらない。
「大丈夫だ。羽黒の練度は未だ未熟で1次改装すら実施できてない。第一艦隊に編入されることもなく、提督に近づくこともないだろう」
「本当に? 本当よね?」
多分な。
「絞りつくされる前に誰かと
本人は移動したがっているようだが、市谷は「提督ノ素養アリ」と判断して中々動かさないらしい。
羽黒が多少動いたところで、今更どうこうもあるまい。
「じゃあじゃあ、式場はどこが良いかしら」
どうしてそうなるんだ。
提督の前で取り繕っているような理性を私の前でも見せてくれ。
続かない