〇継国縁壱のその後(戦国)
「どうしたものか……」
継国縁壱は道を歩いていた。肩を落とし、頭を悩ませながら家への道を歩いていた。日の高いうちから家への道を歩いているのは他でもない。鬼殺隊士連続殺害犯にして、(少なくとも建前の上では)鬼殺隊が追いかけている鬼の始祖を仕留めきれず逃した
切腹しろという声もあったが、それはお館様の一声でなくなった。だが、先代のお館様が謎の襲撃犯に殺害され、急遽お館様となった当代産屋敷は弱冠六歳。そんな子供に庇わせてしまったのが心苦しい。ごく少数庇ってくれた隊士たちもいたが、彼らの献身に報いる事が出来なかった事に心が痛む。
そして何より、首になってしまった事に困っている。『神に愛された』だとか『剣の天才』だとか言われていても、生きていくのに金は必要なのだ。人間は心が苦しくても死なないが、生活が苦しくなると死ぬのである。
縁壱一人だけならそこまで困りはしないが、妻も子もいる身。貯えはあるとはいえ、収入源が消えたのは厳しいのであった。
「……どうしたものか」
そうやって困っている間に、家に着いてしまっていた。少しばかりためらうが、こうしていても仕方ないと引き戸を開ける。ちょうど昼餉だったようで味噌汁の香りがふわりと広がり、久しぶりに顔を合わせる妻と子が目を丸くして縁壱を出迎えた。
「お前様?」
「とーちゃん?」
「ああ……今帰った」
妻が一人に三歳くらいの男児が一人、そしてすやすやと眠る双子で女子の赤子が二人。これが縁壱の家族である。剣神とまで謳われる男にしては、ごくごく普通の一家であった。
「こんな時間にどうしたんじゃ? 帰るのはまだ先だと聞いとったが……」
「その……だな……。……実は、鬼殺隊を首になってしまった」
「あれまあ」
妻の
「なら、もう戦には出なくていいんじゃな」
縁壱は呆けたように妻の顔を見た。縁壱が何かを言うその前に、子供が腰に飛びついて来た。
「おかえりとーちゃん!」
「ああ……ただいま」
子供の頭を撫でる縁壱に、うたは言葉を重ねた。
「お前様は戦いというものに向いていないからなあ。強いとは聞いているが、それでもやっぱり心配だったんじゃ。もう戦わずに済むのなら、その方がええ」
「…………ああ………そうかもしれないな」
縁壱自身は人を殺さないようにはしていたが、それでも剣は振るわねばならない。人を打ち付ける感触は耐えがたく不快だったし、仲間が殺すのも殺されるのも苦しくて仕方なかった。
人を殺す事を助長するようで、本当なら呼吸法もあまり教えたくはなかったが、立場として上の者からの命には逆らえない。加えて『仲間と敵の命どちらが大事なのだ』と言われてしまえば是非もない。
かといって、自分から鬼殺隊を辞める事は出来なかった。妻と子供を養うにはどうしたって米やら金銭やらが必要だし、鬼殺隊の払いは良かったのだ。縁壱には一家の長としての立場と責務がある。これを放棄するのなら、家族を持つ資格はない。
「何か心残りでもあるのか?」
突然妻からかけられた言葉に、子供をなでる縁壱の手が止まる。
「…………うたに隠し事はできないな」
「お前様が分かりやすいだけじゃ。それで、何があったんじゃ?」
縁壱は大きく息を吐いて話し始めた。鬼の始祖、鬼舞辻無惨を取り逃がした話と、久しぶりに出会い、そして別れも言えなかった兄、継国巌勝の話を。
「はあ……鬼と来たか……」
「嘘ではない」
「いや疑ってはない。信じがたい話ではあるが、お前様がそう言うならそうなのじゃろう。それで、お前様はどうしたいのじゃ? その鬼を追いかけたいのか?」
「それは……」
初対面だったにもかかわらず、『私はこの男を倒すために生まれて来た』と確信するほどの相手だった。あの時仕留めきれなかった事に、忸怩たる思いはある。あの後、兄が鬼舞辻無惨に殺されたであろうと聞き、その思いはますます強くなった。今でも倒したいという気持ちはある。
だが、探す手段がない。お館様曰く、『鬼舞辻無惨はおそらくとても用心深い。こうなった以上は、縁壱が寿命で死ぬまで隠れ続けるだろう』との事だった。
そして実際、あれから隊士への襲撃はぴたりと止んだ。それ自体はとても喜ばしい。だが同時に、無惨を探す手段が失われたという事でもある。となれば縁壱が無惨を見つけ出す事はまず不可能だ。いくら剣が強かろうが、戦えないのではどうしようもない。
「……そうしたいと思う気持ちはある。だが、お前たちを置いていく訳にはいかない」
「そうか。なら諦める事じゃな」
うたは夫の懊悩をばっさり切り捨てた。一刀両断だった。あまりの切れ味に、縁壱の目が点になった。
「どうしようもないのじゃろ? ならそれは、もうお前様の手を離れたという事じゃ。神仏のお導きだとでも思って諦めるしかなかろうよ」
「…………そう、か」
頭に浮かぶのは兄の姿だ。無惨に殺されたというのならせめて仇は討ってやりたかったが、それも叶わない。返す返す慙愧に堪えないが、時を戻す術などない。どうにもならない事はどうにもならないのだ。
「もう私には、どうしようもないのだな」
「そういう事じゃ。それとも、私達を放って探しにゆくか?」
「それは出来ない」
「それならこの話はおしまいじゃ。何、お前様のおかげで貯えはある。しばらくは畑仕事だけでもどうにかなるじゃろ」
縁壱は妻を見る。話の間も食べ続け、満腹になって眠ってしまった長男を見る。すやすやと寝息を立てる、双子の赤子を見る。
鬼殺隊を辞めさせられても、兄を亡くしても、仲間を失っても。その手に残ったものは確かにある。ならば残ったものを、家族を守らねばならない。それに比べれば、無惨を追いかける事など全くもって重要ではない。
継国縁壱は、復讐者としてではなく、夫として父として生きる事を選んだのだ。
「――――」
縁壱はもう一度家族を見回すと、己のすべき事を強く胸に刻み込んだ。
◇ ◇ ◇
〇玉壺の芸術(明治)
「失礼します。玉壺さん、お皿受け取りに来ました」
無限城。玉壺の工房に、
「そこに出来ておりますよ」
「ありがとうございます――――相変わらず良い出来ですね、俺ではこうはいきません」
「ヒョッヒョ、まあ余技というところですかな」
玉壺は『芸術家』を自称しているが、このような『芸術』には遠い実用品の作製でも、特に不満はないようであった。もちろん無惨の命令なので、不満があってもなくても関係はないのであるが。
「……ところで鳥兜、少々見て欲しいものがあるのですが」
「珍しいですね、何ですか?」
おもむろに玉壺は、隅に置かれていた何かの上から布を取り去る。現れたものを見た鳥兜が息を呑んだ。
「これは……」
それは、陶磁器で出来た人形だった。死体を模したそれは、よく見ると細部の作りが甘く、“作り物”という感じが拭い切れなかったが、それでも奇妙に迫力があった。
「……まだ発展途上、というところでしょうか?」
「やはり分かりますか……」
「ええまあ……でも、凄みというか妖気というか、そういうものは感じます。直接死体を使うよりこっちの方が良いと思いますよ」
「そ、そうですかな?」
少し嬉しそうな玉壺に対し鳥兜は一つ頷き、話を続ける。
「こう言うのはなんですが、死体を使った作品で『死』を感じさせるなんて誰でも出来ますからね。でも陶器で人形を作って『死』を感じさせるのは誰でもは出来ません。こっちの方が制作者の腕を感じられます」
「ほう……やはり鳥兜に聞いて正解でしたな。参考になります」
真面目な鳥兜と、自分の作品には真摯な玉壺は割と相性が良く、こうして『芸術』について話す事もしばしばであった。と言っても鳥兜は芸術に造詣が深いわけではないので、あくまで一般的な知見からの意見であったが。
「それに、これなら壺と同じように売れるかもしれません」
「未完成な代物を売る気はありませぬが……」
「分かってますよ。完成したら、という事です。こういうのを好む人は少ないですが、一定数はいますからね。俺にも何人か心当たりがあります」
鳥兜は珠世と共に医者として活動する事があるので、その客である金持ちの事も多少は知っている。いつの世にも変わった感性の持ち主は存在し、趣味のためなら大枚を叩いても構わないという趣味人もまた存在するのだ。
「ほう……壺に続いて私の作品が評価される……。とてもいいですな」
「でも問題もあります。まずは大きさですね。これだけ大きいと運ぶのも飾るのも大変ですから、いくら良いものでも中々売れません」
「むぅ……」
これは骨董だとよくある事で、仮に本物の美品であっても、サイズが大きすぎると良い値はつきにくい。例えば2mを超えるサイズの壺など、一般家庭では置き場所に困るだけである。
玉壺の『芸術』は人間を模しているものなので、ポーズにもよるが最低でも1mにはなるだろう。おまけに陶磁器なので脆く壊れやすい。見事に高値がつかない条件を満たしている。
「小さいものを作るなら、そういう問題はなくなりますが……」
「むむ……未だ未完成だと言うのに、小さくすればさらに難易度が上がってしまう……。それは看過できませぬな」
「そういう事だと、注文を受けたらその都度作る、という形の方がいいかもしれませんね。いくつか先に作って写真に撮っておけば見本にもなります」
「ふむ……」
「他は……陶芸じゃないですけど、絵なんてどうでしょう。最近は南蛮の画材も出回っているようですし、昔より選択肢は多くなってると思います」
江戸末期から油絵は僅かながら入って来ていた。明治には油絵を教える学校も生まれ、市民権を獲得しつつあった時代だと言える。尤も画材の値段は現代の比ではないが。
「絵か……それもまたよし。しかし当面はこちらに集中したいので、形になってからになりそうですな」
「そうですか……では俺はそろそろ行きます」
「ええ、ではまた」
鳥兜は皿の入った箱を持ち上げると一礼し、玉壺の工房を後にした。
◇ ◇ ◇
〇鬼の目にも涙(大正)
「いける……はずだ」
無惨は森の中で、日陰になっている場所から外側を睨んでいた。そこはぽっかりと空いた空き地で、太陽光がさんさんと降り注いでいた。
日光克服薬は完成した。実験も終わっており、鼠でも人間の鬼でも効果を発揮している。理論上では、鬼の始祖たる無惨にも効くはずである。だが、鬼の日光を恐れる本能と千年にも渡る習慣は、そう簡単に克服できるものではなかった。駄目ならすぐに日陰に戻れば良いと分かっていても。
「無惨様……」
そんな無惨を、妓夫太郎と下弦の鬼たちは後ろから心配そうに見つめていた。彼らも無惨と共に作った薬に自信が無い訳ではない。だが無惨は生半な毒などあっという間に分解解毒してしまう。薬と毒が本質的には同じものである以上、心配になるのも無理のない事であった。
「……ええい!」
いつまでもこうしてはいられぬと、無惨は陽光の下に踏み出した。視界が白く塗り潰され、肌に熱を感じた。だがそれだけだった。
「……!」
即座に眩しさに慣れた眼には、太陽に照らされた自らの腕が映っている。鬼の身を黒く灼き骨まで焦がし尽くすはずの太陽の光は、一切の影響を無惨に与える事はなかった。無惨が、日光を克服した瞬間だった。
「お、おお……!」
見上げた空には、太陽が眩しく白く輝いていた。千年ぶりに見る日輪は、無惨の心を強く揺さぶった。空は青くよく晴れているのに、どこからかぽつりと水滴が地に落ちて染みを作った。
「無惨、様……?」
部下の声が耳に入らなくなるほど、無惨は感動していた。それこそ、自らの状態に気が回らなくなるほどに。
「無惨様! 大丈夫ですか!?」
常にない珠世の大声に、はっと気が付き目を強く擦って向き直る。鬼の再生能力は陽光下でも問題なく働き、無惨の眼はいつもの姿を取り戻した。
「薬に何か不都合でも……!?」
「いや、問題ない」
「そ、そうですか。それなら良いのですが……」
無惨の後ろに来ていた珠世が心配そうに言う。彼女は無惨に先駆け、自らの身体で日光克服薬の実験を行い、一足先に日光を克服していたのだ。自分の身体を実験台にするのは、研究者によくある事である。
「確かに、きちんと効果は出ていますね。短期的に問題がないとなると、今度は長期的に見ていく必要がありますね」
「そうだな。…………ある意味において人間に近づく、だったか?」
誤魔化すように振られた話題だったが、それに気付かなかったのか見て見ぬふりをしたのか、珠世は説明を始めた。
「はい。『鬼を人間に近づける事で日光を克服する』というのがこの薬の開発思想です」
人間化薬の効果を上手く弱める事で、全部ではなく一部だけ人間に近づけ、人間の持つ日光耐性を鬼の身に取り戻す、というコンセプトである。
「それは現在のところ上手く行っているようです。ですが無惨様はすでに『人間と同じものを食べられるようになる薬』も使用されてますので、より一層人間に近づくものと思われます」
「前も聞いたがもう一度聞いておこう。予想される問題は?」
「人間に近づく訳ですから、鬼としての特性が失われる可能性はあります。具体的には寿命や怪力、再生能力や血鬼術等ですね」
「む……」
分かってはいたが、改めて言われると無惨としては愉快ではない。無惨は永遠に生きたいのであって人間に戻りたい訳ではないし、弱体化したい訳でもないのだ。
「しかしこれは勘ですが、そこまでの影響は出ないと思います。精々、人間を食べようと思わなくなる、程度のものではないでしょうか。もちろんこの後経過を見ていく必要はありますが」
「その程度なら問題はないと言って良いだろうな」
無惨は人喰いに拘りはない。他に喰うものがなく、人間を喰えば強化されるから喰っていただけだ。実際、人間以外も食べられるようになったここ数百年は、人間を喰ってはいない。そんな事をしなくても、部下が食事を用意していたからだ。
「それでも、問題が出るかもしれぬのは確か……だが……」
無惨はメリットデメリットを頭の中で考える。珠世は心得たもので何も言わない。しばらくの後無惨は頭を上げ、指示を出した。
「よし、日光克服薬を量産しろ。全員に服用させる」
「畏まりました。……よろしいのですね?」
「ああ。問題はあるかもしれぬが、それ以上に利が上回る」
弱体化の可能性がある以上、産屋敷と鬼殺隊を壊滅させた後に使う方が無難ではある。だが太陽という即死要因がなくなるのは大きいし、日光を克服するという事は日輪刀も克服するという事にも繋がるかもしれない。日輪刀が鬼を殺せるのは、『日光を吸い込んだ特殊な鉄』で作られているためだからだ。
もちろん確証はない。だがそれを抜きにしても、多少のリスクを覚悟してでもやるべきであると無惨は判断したのだ。
「では、そのように」
「それが終わる頃には鳴女も命令を果たしているだろう。ようやく鬼狩りも片付く」
千年の面倒ごとが片付く予感に、無惨は機嫌よく口角を吊り上げた。
◇ ◇ ◇
〇黒死牟(大正)
それは、黒死牟が獪岳に剣を教え始めて数年経った頃の事。
「では、今日から本格的に教えていく……」
「はい!」
これまでは獪岳が幼子であった事もあり、剣を教えると言っても、基礎の基礎のみしか教えていなかった。それも厳しくはあったが激しくはない、
だがそれなりに基礎は修め、身体も出来てきたと判断した黒死牟は、今日からは本格的に呼吸法と剣を教えていこうとしていた。
「呼吸には様々な種類があるが……私が教えられるのは月の呼吸のみ……。だが、お前の適性は月ではなく……おそらくは雷……。合わぬ呼吸では……極める事は難しい……。それでも構わぬのか……」
「師匠とおなじのがいいです! 俺もあの三日月をつかってみたいです!」
間髪入れずに返された返答に、黒死牟の瞳が細くなる。昔の自分を、縁壱の剣をどうしても使いたくて、家を出てまで鬼殺隊に入ったかつての自分を思い出したのだ。懐かしさに心なしか声も弾む。
「そうか……。お前には、そちらの方がいいかもしれぬな……」
獪岳は『相手に踏み込むのが怖い』のではないかと黒死牟は薄々勘付いていた。人間関係ではなく戦闘の話である。剣というものは、相手に踏み込み近寄らねば攻撃は出来ない。だが近寄ればその分反撃も受けやすくなる。それが怖いのではないか、という事だ。
それそのものは真っ当な感覚であり、黒死牟も責めるつもりはない。だが、雷の呼吸の壱の型は、相手に思い切り踏み込んでの居合一閃であり、それが全ての型の基本だ。獪岳に合っているとは考えにくい。適性があっても気質に合っていない、とも言える。
翻って月の呼吸は、運用が固定砲台に近い。技は高威力かつ広範囲で、何も考えずに繰り出しているだけでも並の相手では手も足も出ない。近づかれても、斬撃に纏わりつく小さな三日月が間合いを狂わせる。紙一重で攻撃を見切れるような達人であるほど、その効果は大きくなるだろう。
黒死牟が三日月に実体を持たせているのは血鬼術によるものなので、教えても同じようには出来ないだろうが、やりようはない訳ではない。
「自らに合わせ、呼吸を変えていくのもよくある事……。月の呼吸が合わぬと思えば、別の形にするのもいいだろう……」
「はい!」
「いい返事だ……だが、その前に」
黒死牟は振り返り、木の陰を見据えた。
「何用だ……」
獪岳は怪訝な顔になるが、そこから人が出て来たのを見て驚いた。それは二十代半ばの女性で、“凛とした”という言葉がぴったりくるような雰囲気を纏っていた。彼女は二人に向き直ると、深々と礼をしてみせた。
「大変失礼いたしました。渡辺美雪と申します」
「私は黒死牟……これは獪岳……。先程から見ていたようだが、何か用でもあるのか……」
「ええ。実は私は、三日月流剣術の師範でして」
「ほう……?」
その言葉に黒死牟が感じたのは、納得と疑惑だ。三日月流とは、黒死牟のかつての弟子が興した剣の流派。即ち、月の呼吸そのものだ。黒死牟が獪岳に月の呼吸を教えている事は特に隠していないし技を見せる事もあったため、噂になっていてもおかしくはなく、それを師範が見に来る事もおかしくはない。
だがそこで妙な事がある。目の前の女性は、師範と言うほど強そうには見えなかったのだ。とは言え黒死牟は大人なので、とりあえず彼女の話を聞く事にした。
「この辺りで三日月流を子供に教えている剣士がいる、と聞いてやって来た次第です」
「そのためだけに、わざわざか……?」
「その辺り、少しばかり事情がありまして……出来ればで良いのですが、話を聞いて頂けないでしょうか」
深々と頭を下げる彼女に、師弟は思わず顔を見合わせた。
獪岳の訓練の終了後。黒死牟と美雪は、寺の一部屋を借り話をしていた。
「道場破りか……」
「はい……」
彼女の用件というのは単純だった。他の剣術道場から得た情報からして、道場破りが来る可能性が高いので、それに対抗できる者を求めて噂だけを頼りにここまで来た、という事だった。
「勝てる者は……おらぬのか……」
「…………兄なら、道場を継ぐ予定だった兄なら勝てたでしょう。しかし……」
折悪しく、数年前に父親と共に事故で亡くなってしまったとの事。兄はもう一人いるが、軍人なので簡単には抜けられない。他は美雪よりも年下の妹のみで、当然この件では役に立たない。
美雪本人が師範なのは血筋によるものなので、実力には期待できない。一応剣は学んでいるが、門下生の方がまだマシで、その門下生も道場破りには勝てないであろうとの事。要するに状況は詰んでいた。
「ですが、貴方ならきっと勝てます。あそこまで流麗な三日月流は見た事がない。うちの道場で貴方を見た事はありませんが、それも些細な事。どうか手を貸して頂けるよう、切にお願い申し上げます」
言うと同時に美雪は額を床につけた。黒死牟が頭を縦に振るまで不動の構えだった。それを見た黒死牟は、大きく息を吐いた。
「よかろう……だが、今回だけだ……」
鬼殺隊殲滅が目の前に見えているこの時期、本来ならばそんな暇はない。だが、かつての弟子が興した流派が潰える瀬戸際と聞けば、黒死牟にも思うところはある。
らしくない事をしているという自覚はある。こんな事をしている場合ではないという思いもある。だが、大した手間でもなかろうと、黒死牟はそれら全ての感情に蓋をした。
「十分です。ありがとうございます。では報酬は私という事で……」
「いらぬ……」
「道場もつけますよ」
「いらぬ……」
「私と結婚して師範になりましょう。その強さなら皆も認めるでしょうし、道場も安泰です」
「ええい、にじり寄って来るな……!」
「お願いします、もう行き遅れと言われるのは嫌なんです」
大正時代、女性の平均初婚年齢は21~22歳である。平均寿命が現代より短く、乳児死亡率も高かったので、早く結婚して多く産まなければならなかったのだ。
「父と兄が亡くなり結婚どころではなく、私の結婚相手は道場の跡継ぎになる可能性が高いので、下手な者と結婚する訳にもいかず……ですが貴方なら十分以上です。さあ結婚しましょう」
「お主の事情ではないか……! 婿は他所で探せ……!」
「そこを何とか」
「何ともならぬ……!」
大阪のおばちゃんばりの腰の強さで、道場破りと後継者と自身の結婚という全ての問題をまとめて解決しようとする美雪に、黒死牟の顔が渋面になった。
「今日は、ありがとうございました」
後日。首尾よく曇天だったため黒死牟が動く事に支障はなく、黒死牟が動ける以上道場破りがいかに強かろうが関係はない。当然のように道場破りを鎧袖一触で破った黒死牟に、美雪が深々と頭を下げていた。
「構わぬ……」
「ではお礼に私を……」
「いらぬ……!」
顔を上げた美雪はむむむと唸るが、黒死牟の意思が硬い事を見て取ると、息を吐いて話題を変えた。
「ところで、うちは三日月流初代の子孫です」
「それがどうした……」
「故に、初代の書き残した文書も残っています。曰く『我が三日月の剣、六つ目の鬼より伝授されしものなり。鬼は黒死牟と名乗りき。生涯懸け剣を磨くも、我が師には遠く及ばず。師とその主のお力になれざりきが、終生の心残りにて候』」
美雪はじっと黒死牟を見る。黒死牟は人間に擬態したままだったが、美雪は確信をもって口を開いた。
「貴方が、『六つ目の鬼』ですね?」
「あやつめ……」
黒死牟は今は遠い己が弟子に、苦笑とも悪態ともつかない感情をこぼすと、擬態を解いた。現れるのは記録のままの六つの瞳。美雪の目が大きく見開かれた。
「やはり……」
「私が鬼だと知って……声をかけたのか……」
「ひょっとしたら、とは思っていました。ですが確信したのは今日です。あそこまで頭抜けて強い同名の三日月流剣士となれば、それ以外思いつきませんでしたから」
「そうか……」
何にせよ用事は済んだと黒死牟は立ち上がろうとするが、美雪の言葉で動きが止まった。
「という事で結婚しましょう」
「待て……どうしてそうなる……?」
珍しく混乱している黒死牟に向け、美雪はふふんと胸を張ってみせた。
「鬼に美女を献上するのはこの国の伝統です。その結果として道場の跡継ぎと私の結婚相手が出来るのなら、何も問題はないではありませんか」
「私にとっては問題しかないが……」
図太い上に面の皮が厚い女である。このままでは妙な約束でもさせられかねぬと嫌な予感を覚えた黒死牟は、勢いよく立ち上がった。
「ともかく、道場破りは倒したのだ……。私はこれで失礼する……」
「ああっ待ってください、せめて師範代の座を――」
「失礼する……!」
いつでも歓迎しますからねーという声を背に、黒死牟は道場を離脱する。獪岳に剣を教えているのは知られているため、また寺に来られるかもしれなかったが、この時の黒死牟はそこまで考えが及ばなかった。
なおその後、話を聞いた空木が『門下生を増やして軍や警察に送り込めば、黒死牟を通して無惨の影響力を強く出来るのでは?』と思いつき、無惨が許可を出したせいで、また来る羽目になってしまった模様。