【完結】無惨様が永遠を目指すRTA   作:佐藤東沙

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小ネタ集その三

〇鬼たちの女子会(平成)

 

 

 無限城の一室にて、女の鬼たちが集まり、料理をつまみビールを喉に流し込んでいた。

 

「ぷっはぁー! いやーやっぱビールは最高ね! いい時代になったもんだわ!」

 

 実におっさんくさい動作と言動を垂れ流しているのは馬酔木(あしび)だ。100%植物から出来ている酒類は、本来ならば()()である鬼の口には合わない。しかし今生きている鬼は無惨以外全員、鬼になった瞬間から『人間と同じものを食べられる薬』を服用しているため、人間の頃とあまり感覚は変わっていない。

 要するにこの女、人間の時分から飲兵衛だったのである。

 

「アンタねえ、酔いもしないのに何がそんなにいいの? お酒なんて苦いだけじゃない」

 

 空木(うつぎ)が呆れた目を馬酔木に向け、普段よりも砕けた口調で喋る。彼女は全く酒を飲まないので、何が美味しいのかさっぱり分からない。鬼はアルコールも端から分解してしまい酔わないので、彼女にとっての酒は単なる苦い水である。

 

「この味が分からないなんてお子ちゃまね!」

「酒の味が分かる事が大人ってのもどうかと思うわ」

「細かい事はいいのよ! ねえ梅ちゃん?」

 

 会社では『謝花(しゃばな)梅』の名で働いており、最近では同僚にもそちらで呼ばれる事の多い堕姫は、困ったような顔で返した。

 

「うーん、私はあんまり好きじゃないけど……ビールより清酒の方が良いわ」

「ほら!」

「いや何がほらなの? 鬼の癖に酔ってんの?」

 

 女三人寄れば姦しいを見事に体現する彼女達を、一つ目がこれまた困ったような顔で見つめていた。

 

「あの、何故ここで……?」

 

 瞳に『上陸』と刻まれた、上弦唯一の女性である鳴女だ。会社と無限城を繋ぐ、彼女の血鬼術で固定化された『襖』を通って来たと思ったら、何故か目の前で酒盛りを始められてしまった。余りの手際の良さに何も言えず、流されるままに参加する事になってしまったのである。

 

「女子会よ!」

 

 答えにならない答えを言い切る馬酔木に、鳴女は何も言えなかった。彼女は曲者揃いの上弦の中では、比較的常識人なのだ。押しが弱くて苦労人気質とも言う。

 

「女子会ね……ちょいちょいセンスが古いアンタにしちゃ珍しく、流行りに乗って来たわね」

「何言ってんの空木、このナウなヤングの私が古いとかある訳ないじゃん!」

「言ってる傍から古さがぽろぽろ出て来るのは逆に凄いわ。ナウもヤングも四十年くらい前の流行だからね?」

「えっ?」

 

 鬼になると時間感覚が狂うのかもしれないが、最も長生きしている無惨は割と流行に敏感な節があるので、馬酔木が特に疎いという事なのであろう。

 

 ビール片手に固まる馬酔木をフォローすべく、堕姫が慌てたように口を開いた。

 

「ね、ねえ、女子会って何すればいいの?」

「え、そりゃあ……何かの話?」

 

 どこかで聞きかじったものをそのまま口にしただけなのか、馬酔木の女子会についての認識はだいぶ雑であった。当然のように空木に突っ込まれる。

 

「話って何のよ」

「うーん……仕事の話とか?」

「会社でいつもしてるじゃない……」

「じゃ、じゃあ、皆が鬼になった時の話とか?」

 

 空木と馬酔木はマジかこいつ、という顔で提案してきた堕姫を見つめる。堕姫より先に鬼になっていた二人は、彼女の事情を大まかに知っているのだ。知らない鳴女は雰囲気の変化に内心で首を捻っていたが、何も言わなかった。

 

 ちなみに無惨は、配下の鬼なら人間の頃の記憶を思い出せないように出来るが、彼女達は皆自分から鬼化を望んだので特にそういう事はしていない。尤も彼女達が人間だったのは百年以上前の事なので、時間経過でかなり忘れているのだが。

 

「あー……まあいいわ、んじゃ私からね」

 

 堕姫が良いならまあ良いか、と言わんばかりに口火を切ったのは空木だった。

 

「と言っても大した事でもないのよね……。私昔は親がいなくて孤児だったんだけど、ちょっとヘマして死にかけて、そこを珠世様が助けてくれたってだけ」

 

 口調は軽かったが中々に重い話だった。とはいえこの程度で怯むような者はここにはいない。共感するように馬酔木が深く頷いた。

 

「分かるわー。子供だとどうしてもヘマはしちゃうし、立て直しも利きにくいのよね」

「あれ、アンタも孤児だったんだっけ? 親がいたとか言ってなかった?」

「まあいるにはいたわ、結構大きな商家の娘だったのよ私」

 

 意外な言葉に目を瞬かせる空木と堕姫。その割に流行に疎すぎるんじゃない? という言葉は二人の口から出る事はなかった。武士の情けである。

 

「でも店が潰れちゃってね……売り飛ばされかけたところを逃げ出して、そっから孤児暮らしよ。兄弟はどさくさで行方不明になるし、親戚どもは掌返して邪険になるしで役に立たないしさ」

「あー、だからアンタ品があったのね。そういう動作の慣れって言うか、習慣になってる身体の動きって中々変えらんないからね。矯正には苦労したわー」

 

 食事のマナー、歩き方、喋り方。そういった日々の細かいところに育ちは出る。現代日本人なら意識などせずとも当たり前に出来るような事も、教育を受けてこなかった孤児にとっては難しい。矯正したと言うのならば、そこには多大な労苦があった事だろう。

 

 ついでに言うのならば、貧しいから清いという事は全くない。もちろん清く生きている者もいるが、衣食足りて礼節を知ると言うように、やむを得ずに盗みに手を染める者もいるのだ。現代よりも豊かとは言い難い時代で、教育者がいない孤児なら尚更に。

 

 そしてそのような者は、保護される等して盗みの必要がなくなっても習慣が抜けきらない事がある。もちろんごく一部の話だし、彼女達はそんな愚か者ではなかったからこそ、無惨の眼鏡に適った訳であるのだが。

 

「空木も苦労してんのね……。まあ話を戻すけど、世間知らずの子供がいきなり孤児になって生きていける訳ないじゃん? 当然のようにヘマして殺されかけて、珠世様に出会って鬼にしてもらった、って訳」

「お店は何で潰れちゃったの?」

 

 堕姫の問いに馬酔木は肩をすくめる。

 

「さあ?」

「アンタ自分の家の事でしょうが」

「しょうがないじゃない、当時は子供だったんだから。でも父親は優柔不断の塊みたいな人だったから、そのせいでどっかでポカをやらかしたんだと思うわ」

 

 馬酔木は情けない父親への憂さを晴らすようにビールを流し込むと、コップを机に叩きつけた。

 

「やっぱ男の人は決断力があって頼りがいがないとね!」

 

 誰の事を指しているかすぐに分かった堕姫と空木は、コクコクと何度も頷いた。

 

「うんうん、そうだよね!」

「あー、分かるわそれ。怒るとすっごい怖いけどさ、そういうとこも含めて、父親ってあんな感じなのかなって思うわね」

「うーん、私の父親の印象ってアレだから、父親って感じじゃないのよね……。あえて言うなら……上役?」

「馬酔木アンタねえ……そのまんまじゃない……」

「しょ、しょうがないでしょ! 他に言いようがないんだから! 梅ちゃんはどう見ても惚れてるわよね!?」

 

 どう見ても露骨な話題逸らしだったが、いきなり話題を振られた堕姫は一瞬で真っ赤になった。

 

「ふぇっ!?」

「あー、社員の間でも結構噂になってたわね」

「梅ちゃん美人だし、好意が全く隠れてないからね」

「え、えっ!? ななななんでぇ!?」

 

 知られている事を知らなかったのか、堕姫は分かりやすくうろたえる。一事が万事この調子だからこそ、兄と上司から頭が悪い認定を受けているのであろう。

 

「そ! それよりも! 鳴女さんはどうなの!?」

「はい?」

 

 馬酔木に続いての露骨すぎる話題逸らしだ。いきなり振られた鳴女が間抜けな声を出す。

 

「鳴女さんって何で鬼になったの!? 最初はそういう話だったよね!?」

 

 それなら堕姫の話が先なのではないか、と言わないのが鳴女の押しの弱さである。上弦なので下弦の彼女達より階級的には上ではあるのだが、それを振りかざすようなタイプではない彼女は、堕姫のすがるような瞳に押されて話し始めた。

 

「……私は瞽女(ごぜ)――琵琶法師だったのですが、ある時に無惨様が来られて、『目が見えるようになりたくはないか』と言われ、それで鬼になりました」

 

 一言で終わってしまった鳴女の話に、空木が首を斜めに傾ける。

 

「こう言うのもなんですけど、そんな事言われてよく信じましたね? 琵琶法師だったって事は、目が見えなかったはずなのに」

「まあ、嘘でもいいかなと思っていましたから」

「え、どういう事?」

 

 堕姫が反射的に問いかける。彼女は鳴女には『しっかりした大人』という印象を持っていたので、その言い分が意外だったからだ。

 

「……幼い頃から琵琶と唄の練習ばかりさせられ、盲目のため足元不如意にも関わらず、旅から旅への渡り鳥。そんな毎日に少し疲れてしまっていまして、ここで終わるのならそれもいいかなと」

 

 鳴女はちょうど人生の五月病だった折に、無惨からのスカウトを受けたという事だったようだ。鬼殺隊が壊滅し、鳴女が無限城に詰めていなければならない理由が薄れても、全く離れようとしないのはそれが理由であるらしい。

 身も蓋もなく言ってしまうのであれば、鳴女は引きこもり気質だったという事だ。玉壺と合わせて自宅警備員コンビである。

 

「はー……人に歴史ありなんですねー……」

「そういえば無惨様が『鬼の姿や血鬼術はその心を表す』って仰ってたけど、鳴女さんもそうなのかな?」

 

 感心する馬酔木の横で、堕姫が話題を変える。鳴女はそれに一つ頷くと話し始めた。

 

「おそらくは。この一つ目と眼の血鬼術は『目が見えるようになりたい』、空間移動の血鬼術は『ここではないどこかに行きたい』という心の表れなのでしょう」

 

 前者はともかく、後者は旅暮らしだった鳴女としてはおかしいと思うかもしれないが、こう言い換えれば分かりやすいだろう。『私を縛るものから自由になりたい』と。

 

 そう考えれば、『眼』と『空間移動』という二種類の血鬼術が発現した理由も分かる。鳴女の中では、目が見えるようになる事と自由になる事は同義だったのだ。即ち彼女は、『目が見えるようになれば、ここから逃げる事が出来る』と考えていたという事だ。

 

 なお逃げた先にいたのは無惨()で、フードファイターに転職させられそうになったり人間を喰わされかけたり便利に使い倒されて都合のいい女扱いされたりした模様。

 

「心かあ……馬酔木と梅の見た目は、人間とほとんど変わんないわよね」

「いや、人間の頃と比べるとかなり背が伸びたわ。多分私は、『大人だったらこうはならなかったのに』って思ってたのね」

「私は『もっと綺麗になりたい』かなぁ」

 

 鬼となるに伴い、肉体が子供から大人へと成長した馬酔木と堕姫だが、その理由は各々異なるようだ。馬酔木は孤児時代に感じた、子供が故の無力感への忌避。堕姫は生まれ故郷の吉原における価値観が『美』であった事から。

 猗窩座ほどではないが、人間だった頃の生き方に強く影響を受けていると言えよう。

 

「空木は? あんたは結構鬼っぽいわよね?」

「あー……」

 

 白目は赤く染まり、額には一本角が生え、右頬と額の左半分には虎のような紋様が入っている。知らぬ者が見れば入墨にも見えるだろう。この面々の中では、最も鬼らしい風貌だ。鳴女も一つ目の異形ではあるが、『鬼』のイメージからはかなり離れている。

 

「……私はきっと、鬼に憧れたのね」

「憧れ?」

「鬼は怪我をしてもすぐに治るし、病気にもならない。食べる量は増えたけど、食べるものを手に入れる方法は比べ物にならないくらい増えたわ。昔もこうだったらどんなに良かったか、って何度思ったか」

 

 鬼への憧れ、生への渇望。生きるためには力が必要だ。武力に知力に生命力、並べ立てればきりがなく、その力全てを有する鬼に空木は憧れを抱いたのだ。幸いだったのは、その時にはもうすでに鬼であった事であろう。

 

 だから彼女に現れた紋様は虎に似ている。鬼と言えば虎柄の腰巻だからだ。鬼と言えば虎というのは、鬼門が丑寅(うしとら)の方角であるためなので、角も牛に似てしかるべきだが、そうはならなかった。孤児なので、起源については知らなかったのかもしれない。

 

「それでいかにも鬼って格好になったの?」

「……鬼の身体は強い想いに応える。だからまあ、そういう事なんでしょうね」

 

 空木は言葉を切ると、スルメをむしり取ってオレンジジュースで流し込む。空いたグラスに、馬酔木がビールを勝手にどばどばと注ぎ込んだ。

 

「ちょっと、何すんのよ」

「飲みなさい! 飲んで忘れちゃいなさい!」

 

 空木は文句を言おうとするがそれを飲みこみ、代わりに息を一つ吐き出すとグラスを一気に呷った。

 

「いい飲みっぷりね! さあもっと飲んで飲んで!」

「いやもういいから……いいっつってんでしょうが! 酔わないんだからもういいわよ!」

「遠慮しなくていいから!」

「アンタこれが遠慮してる顔に見えんの!?」

 

 飲ませたい馬酔木と飲みたくない空木で押し合いへし合いしているが、それを見ていた堕姫が目を輝かせて鳴女にぐりんと顔を向けた。

 

「こっちも負けてらんないね! さあ鳴女さんも飲んで!」

「いえ、私は…………」

「飲んで飲んで!」

「その……………………」

「大丈夫こっちはビールじゃなくて清酒だから! さあ遠慮しないで飲んで!」

「…………………………………………ハイ」

 

 邪気の無い笑顔と勢いに押し切られ、何とも微妙な顔で鳴女は杯を傾ける。鬼たちの長い夜は、まだまだ終わりそうになかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

〇無惨様のパワハラ面接(平成)

 

 

「おや? 社長も来られるのですか?」

「少し気になる事があるのだ」

 

 これから新入社員の面接という時に、珍しく無惨が姿を現した。大企業になった現在、社長である無惨がわざわざ面接をする事はもうほとんどなく、基本的には人間の部下に任せている。それでも顔を見せた辺り、何か確認したい事があるようだった。

 

「ああ、私が出るのはこの一人だけだ。他はお前達に任せる」

「分かりました」

 

 無惨達は面接室に入り、椅子に座って最初の面接者を呼ぶ。分かってはいたがそれでも、その名前を聞いた無惨の眉がぴくりと動いた。

 

「失礼します」

 

 入って来た入社志望者が椅子に座ると、無惨の隣の人事担当者が質問を始めた。

 

「それでは継国陽一さん、当社に入社しようと思った動機を教えてください」

「はい!」

 

 通り一遍のやり取りが交わされるが、無惨は全く聞いていなかった。代わりに見ていたのは、とても聞き覚えのある姓で呼ばれた若者だ。

 

 彼の顔つきは普通だが、髪と瞳が少し赤を帯びている。鍛冶師の間では『赫灼(かくしゃく)の子』と呼ばれ縁起が良いとされる特徴だと聞いた事はあったが、無惨にとってそれはどうでもよかった。

 

 また、耳には“太陽のような模様”の、花札にも似た耳飾りがぶら下がっている。とても珍しい代物だ。千年以上生きている無惨でも、今まで一度しか見た事がないほどに。

 

 名前も身体的特徴も耳飾りも、無惨のトラウマをちくちくと刺激してやまなかったが、さすがにここで暴れるのはまずいという分別はあった。なので無惨は横の人事担当者に目配せをし、頷きが返って来るのを見るや口を開いた。

 

「ここからは私が質問しよう。その耳飾りは何だ?」

 

 無惨はマスコミ等への露出がほぼなく、見た目は若い。なので社長だとは夢にも思わなかった陽一だったが、言葉に出来ない迫力に押されて背筋が伸びた。

 

「そ、祖父の形見です。うちの長男はこれをつけるのが伝統なんです」

「ほう」

 

 無惨から発せられるプレッシャーがさらに強くなり、陽一の額に汗が浮かぶ。

 

「だが、面接の場にはふさわしくないとは考えなかったのか? そのようなものをつけている者がどのような評価をされるのか、想像する事も出来なかったのか? 伝統と我が社のどちらが大切なのだ?」

 

 質問の形を取った正論で責める無惨。百年以上も社長をやっていれば、瑕疵のある若造を咎めるなど朝飯前だ。だが陽一は、冷や汗をかきながらも言い切ってみせた。

 

「仰る、事は、ごもっともです。ですが、これが受け入れられないのなら、その時は仕方がないと思うしかありません」

「ほう」

 

 無惨から発せられるプレッシャーがますます強くなる。これはまずいと見て取った隣の人事担当者は、自身も冷や汗をかいていたが、空気を変えようと質問を飛ばした。

 

「で、伝統を大切にするというのは決して悪い事ではありません。他に何か、受け継いでいるものはありますか?」

「は、はい。うちは、剣の型を代々受け継いでいます」

「それは珍しいですね……折角ですし、ここで見せてもらっても?」

「分かりました」

 

 さすがに刀はないので伸ばした折り畳み傘がその代わりだが、請われるままに陽一が型を披露してゆく。

 

 ――――日の呼吸 壱ノ型 円舞

 ――――日の呼吸 弐ノ型 碧羅の天

 ――――日の呼吸 参ノ型 列日紅鏡

 ――――日の呼吸 肆ノ型 灼骨炎陽

 ――――日の呼吸 伍ノ型 陽華突

 ――――日の呼吸 陸ノ型 日暈の龍

 ――――日の呼吸 漆ノ型 斜陽転身

 ――――日の呼吸 捌ノ型 飛輪陽炎

 ――――日の呼吸 玖ノ型 輝輝恩光

 ――――日の呼吸 拾ノ型 火車

 ――――日の呼吸 拾壱ノ型 幻日虹

 ――――日の呼吸 拾弐ノ型 炎舞

 

 まるで精霊が舞っているかのような、美しく幻想的な剣だった。型を見た人事担当者が、感心と感動に息を吐いているぐらいだ。舞い終わった陽一がその説明をする。

 

「壱ノ型の円舞と拾弐ノ型の炎舞を繋ぎ、円環とする事で拾参ノ型とする。それが、うちに伝わる『日の呼吸』という剣の型です」

「ほう」

 

 無惨からのプレッシャーは、すでに鬼気と呼べるものにまで変容していた。千年を超える歳月を生きる鬼の始祖にふさわしい威圧感だった。問題があるとするなら、それを向ける先が未だ大学生の若造だという事くらいである。

 

 無惨の機嫌がここまで悪いのは理由がある。陽一がまず間違いなく縁壱の子孫だと確定したという事もあるが、それはそこまで大きな理由ではない。そも血筋だけで言うなら、黒死牟は縁壱の子孫どころか双子の兄なのだ。血縁だけならここまで機嫌が悪くなりはしない。

 

 原因は今しがたの剣の型だ。記憶に焼き付けられた縁壱の剣と同じものなのである。それだけでもすでに機嫌はどん底だったが、『壱と拾弐を繋いで円環とする』と聞いた時点でその下を行った。何故環にするのか、その意図を悟ったからである。

 

 縁壱と出会った当時、無惨には七つの心臓と五つの脳があった。合計すると十二であり、日の呼吸の型の数と同じである。つまり日の呼吸の十二の型とは、無惨の心臓と脳を斬って殺すための型なのだ。円環になっているのは、無惨は心臓でも脳でも再生させる事が出来るからだ。

 

 要するに無惨は、目の前で自身を殺すための剣を見せられたのである。それはもう不愉快になるに決まっている。ましてそれを見せたのが仇敵の子孫となれば、機嫌は奈落の底であった。

 

「それで」

 

 だが無惨はまだ何とか冷静だった。陽一が大して強いように見えない事、鬼殺隊ではない事、ここで殺すのはどう考えてもまずい事等、要因は様々だったが、一応は無惨も成長しているという事だった。

 

「その剣の型とやらは、我が社で働くに当たってどのように役に立つのだ?」

 

 だが不愉快なのは変わらないので、大人げなくパワハラを続行する事にした。陽一にしてみればたまったものではないだろうが、入社してもいないのに首(物理)になるよりはマシだと思ってもらうしかない。

 

「そ、その……」

 

 物理的な圧力を伴っているのではないかとすら思わせる圧迫感を受け、陽一は身体中にだらだらと冷や汗をかいており、心なしか胃もキリキリと痛んで来ていた。何故ここまで目の敵にされているのか分からず困惑もしていたが、それどころではなかった。

 

「そも、何故その型を受け継いでいるのだ? 何かに使う予定でもあるのか?」

「いえ、そのような予定は……ただ、我が家に代々伝えられて来たものなので……」

 

 面接的にはあまり良い回答ではなかったが、それを聞いた無惨の鬼気が少しだけ和らいだ。陽一がそれに安心する間もなく、パワハラ面接は続けられた。

 

「ほう。つまりお前は、何の目的もなく何も考えず、ただ単に伝統だからというだけの理由で、その剣の型を覚えているのか。目的意識に欠けると評価されるとは思わなかったのか」

 

 難癖にも等しい厳しい言葉と、弱まったとはいえそれでも恐ろしい圧迫感に陽一は涙目である。無理もない、彼は単に日の呼吸を受け継いでいるだけで、戦いどころか喧嘩すらした事のない平成生まれなのだ。無惨の相手は荷が勝ちすぎる。

 

「我が社に限った事ではないが、製薬会社というものは新しい薬を次々に生み出してゆかねばならぬ。つまり創造性というものが重視される訳だが、そこで伝統に拘りすぎるとどうなるのか、考えた事はあるか」

「い、いえ……」

「ほう。製薬会社に入社しようとする者の回答とは思えぬな」

 

 ネチネチと蛇の如く責め立てる無惨だったが、さすがにまずいと思った隣の人事担当者が止めに入った。余波にあてられてこちらも胃を痛めていたが、無惨と付き合いが長いので、多少は耐性があったのだ。

 

「しゃ、社長、その辺りで……あまり変な噂になってもまずいですし……」

「む……」

 

 一昔前なら考える必要はなかったが、平成の今、個人が情報を発信できる方法は爆発的に増えている。仮にインターネットで悪評をばら撒かれれば、どれだけ上手く火消ししても良い影響は及ぼさない。それを理解する無惨は、一旦矛を収める事にした。

 そして陽一の方は、社長と聞いて今までとは違う汗を噴き出させていた。理由は分からずとも、社長に嫌われている事は分かるのだ。いかに楽観的に考えようが、明るい未来は見えてこない。

 

「面接はこれで終わりだ。下がって良い」

「ありがとうございましたッ!」

 

 陽一は猫に追われる鼠のように、尻に帆かけて面接室から逃げ出した。マナー的にはよろしくない行動であったが、それを咎める者はいなかった。

 

 

 後日、陽一の許にそっけない文章の不合格通知が届いた。彼はむしろ合格したらどうしようと気をもんでいたため、ホッと息を吐いた。自身を嫌う社長の下で働くなど悪夢に他ならないのだ、無理もない。

 

 なお無惨としては黒死牟を派遣するかどうか最後まで迷ったが、ここで如何なる形であれ陽一が消える事は好ましくないと判断して見送った。このタイミングで陽一に何かがあれば、一応程度とはいえ無惨の会社に警察が来るのは確実で、それはイメージ的にも実利的にも避けたいからだ。

 

 だがそれは、今でなければいつでも良いという事でもある。鳴女に監視を命じたので見失う事もない。継国一族の命運は、無惨の記憶力と気分に託されてしまったのであった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

〇猗窩座 VS 童磨(令和)

 

 

「そこまで! 猗窩座の勝ちだ!」

 

 無惨の声が無限城に響く。猗窩座と童磨の入れ替わりの血戦が終わったのだ。後ろで見ていた鬼たちは猗窩座に駆け寄っていく。

 

「おめでとうございます猗窩座さん!」

「やりましたね猗窩座さん!」

「ああ……!」

 

 空木たちに囲まれる猗窩座は、嬉しそうな様子を隠そうともしていない。そんな猗窩座のもとに、六つ目の鬼が音もなく近づいて来ていた。

 

「強くなったな……猗窩座……」

「黒死牟……」

 

 猗窩座は喜色を引っ込め、黒死牟を見据えた。以前なら敵意も露に睨んでいただろうが、今はそういう事をする気にはなれず、ただ正面から見つめるだけだった。

 

「私と同じ世界に……至ったか……」

「次はお前だ。俺は必ずお前を倒す」

「そうか……励む、ことだ……」

 

 それだけを言い残すと黒死牟は元の場所へと戻った。無惨が機嫌良さげに宣言する。

 

「では変更する」

 

 その言葉に今まで戦っていた二人に変化が現れる。猗窩座の右眼の『参』が『弐』に、童磨の右眼の『弐』が『参』に。猗窩座が上弦の弐、童磨が上弦の参になった瞬間だった。

 

 一層盛り上がる猗窩座の周囲とは対照的に、童磨の周りには誰一人いなかった。だが童磨はそれを気にする事なく、石川啄木の如く自らの手をぢっと見ていた。

 

「うーん………………」

 

 童磨の敗因は大きく分けて二つだ。まず一つは、単純に力負けした事。

 

 氷の血鬼術は美麗で搦め手も多く強力だが、破壊力という面では猗窩座に一歩劣る。何しろ猗窩座は拳を振るえば衝撃波が出るのだ、何も考えずに氷を出せば全て砕かれておしまいである。

 

 だが童磨はそこまで間抜けではない。むしろ天才と言って良いほど知能が高い。伊達や酔狂で上弦の弐を戴いていた訳ではないのだ。攻撃を()()()くらいは簡単だし、何より相手を凍らせてしまえば拘束して勝てる。ならば、何故そうならなかったのか。

 

 それこそが二つ目の理由。童磨が技を出そうとする直前、そのことごとくを猗窩座が潰して先の先を取り続けたのだ。その結果、童磨は猗窩座に押されて押されて押し切られてしまったのである。

 

 その大きな原因になったのが、猗窩座が目覚めた『透き通る世界』だ。黒死牟と同じこの視界は、服や皮膚を透過して筋肉や骨を直接視認する事が出来る。そのため猗窩座には、童磨がどう動こうとしていたのかが先んじて分かったのだ。

 

 血管の中の血の動きを見れば血鬼術にも対応出来る。加えて、童磨は大抵鉄扇を振るうと同時に血鬼術を発動させるため、察知も容易かった。粉凍りならあまり関係はないが、知られているので効果も薄かったのである。

 

「うーんんん……?」

 

 だが手を握ったり開いたりを繰り返す童磨にとっては、それは大した事ではなかったようだ。いや、いかな童磨でも、負けた事はそれなりに重く受け止めている。だがそれよりも重要な事がある、というだけだ。

 

「猗窩座殿!」

「…………なんだ」

 

 唐突に童磨が猗窩座を呼んだ。呼ばれた猗窩座は嫌そうな顔で、しかし無視する訳にもいかないので顔を向ける。童磨はいつもの屈託のない笑みで、いつもは決して言わないような事をのたまった。

 

「何だか猗窩座殿の事を考えると、胸がドキドキするんだ!」

「……………………は?」

 

 猗窩座は一歩後じさった。無意識の行動だった。

 

 江戸時代出身の猗窩座には、()()()()方面の知識も一応ある。衆道は当時はそこまで珍しくはなかったし、猗窩座は行った事はなかったが陰間茶屋*1もまだ存在していた。

 

 が、猗窩座にそういう趣味はない。あったとしても童磨だけはない。それなら死んだほうが億倍マシである。ドン引きするのも当然だ。他の鬼たちも似たような反応をしていたが、馬酔木だけは何故か感じるかすかな胸の高鳴りに戸惑っていた。

 

「俺はどうやら、猗窩座殿に勝ちたいと思っているようだ!」

「…………そうか」

 

 最悪の事態は免れた事に、猗窩座は内心胸をなで下ろした。他の鬼たちも似たような反応をしていたが、馬酔木だけは何故か感じる落胆に戸惑っていた。

 

「という事で黒死牟殿、俺に呼吸を教えてくれ!」

「…………は?」

 

 脈絡のない――よく考えるとそんな事もなかったが――唐突な言葉に、黒死牟はとても珍しくその六つの目をまんまるにした。黒死牟が童磨の言葉の意味を理解する前に、童磨が再び口を開いた。

 

「呼吸を使えれば身体能力が上がるから、手っ取り早く強くなれるだろう? 鬼になった後でも呼吸を覚えられるのは、妓夫太郎殿が証明してるしね」

 

 呼吸法を修めれば、多少なりとも身体能力が上がる。そうすれば確実に強くなれる。鬼にとってはデメリットも特にない以上、童磨の考えは間違ってはいない。

 

 技に何らかのエフェクトが付随するようになるが、これにも特段デメリットはない。血鬼術で強化しない限り単なる幻だが、別に幻のままでも問題はない。まして童磨はすでに氷の血鬼術を使えるので、身体能力が上がればそれで十分という考えだ。理には適っていると言えるだろう。

 

 ようやくそこまで理解した黒死牟は、困ったような表情で無惨を見た。無惨は名状しがたい複雑な顔をしていたが、強くなりたいと言う部下を否定する事も出来ず、とても嫌そうに一つ頷きを返した。

 

「………………良かろう」

「ありがとう黒死牟殿! 御礼は何がいいだろうか。そうだ、うちの教団の若い子を……」

「いらぬ」

 

 黒死牟は童磨の言をばっさり切り捨て、強い口調で言葉を重ねた。

 

「無惨様のために強くなるのだ……礼ならそれで良い……」

「もちろん! 俺は無惨様の忠実なしもべさ! だから強くなろうとしてるんだよ!」

 

 その言葉に当の無惨は思い切り嫌な顔になったが、何も言わなかった。黒死牟さん手が滑って首とか刎ねてくんないかなと誰かが考えたが、鬼の心が読める無惨は何も言わなかった。

 

「そのために差し当たっては猗窩座殿に勝とうと思ってね!」

「次も俺が勝つ」

「さすが猗窩座殿だ、勇ましいねえ。でも俺も、負けてばかりじゃいられないからね」

 

 笑顔を引っ込め口にした最後の言葉だけには、珍しい事に真剣さがこもっていた。

 

 童磨。知能の高さ故かそう生まれ付いた故か情感が育たず、感情というものを碌に持たない男。(わらべ)のまま(みが)かれた男。だが彼もまた、この二百年で僅かながら成長しているのだ。自発的に猗窩座に勝ちたいと願い、そのために黒死牟に教えを乞うなど、今までの童磨ではありえなかった事だと言えよう。

 

「だから猗窩座殿、俺が勝つまで負けないでおくれよ。俺より下になったりしたら、俺から血戦を挑めなくなっちゃうからね」

「…………」

 

 猗窩座の顔に青筋が浮いた。悪意なく余計な事を言って人を怒らせる童磨の悪癖は、全く治っていないようだった。

 

*1
少年の男娼が売春をする店。客は大体男性。


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