【完結】無惨様が永遠を目指すRTA   作:佐藤東沙

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間話 「とある水柱の憧憬」 江戸(西暦1800年頃)

「すまないね。わざわざ休みの日にまで見舞いに来てもらって」

「いえ、お館様がご壮健なら、私はそれで……」

 

 江戸時代も残り少なく、開国の足音が聞こえ始めてきた頃。桜散る産屋敷家にて、鬼殺隊の頂点たる産屋敷家当主が縁側に腰掛け、その部下の水柱が庭に跪いていた。

 

「お館様、お体の具合は……」

「うん、今日はいつもより良いみたいだ」

 

 にこやかに微笑む産屋敷の顔は、半分ほどが赤黒い痣のような腫瘍で覆われていた。それは頭の上部から侵食してきており、片目はすでに白濁し(めし)いていた。

 

「でも、あまり長くはもたないだろう。医者からはもって半年だと言われたよ」

「そんな妄言を吐き散らす医者はぶった切ってやります!」

「やめなさい」

「はっ!」

 

 水の名を冠しているのに血気盛んな水柱は、ばりばりと歯噛みしながら恨みを口に上らせる。

 

「しかし許し難きは鬼舞辻無惨……! お館様に、いや、産屋敷家に呪いをかけ、あまつさえ人を喰らいのうのうと生きているとは……! 見つけさえすれば、私がこの手で叩っ斬ってやるものを!」

 

 正確には呪いをかけた(と思われる)のは無惨ではないが、特に問題がある訳ではないので産屋敷は否定せず、代わりに話題を少しずらした。

 

「鬼舞辻無惨、か……。二百年ほど昔は剣士(こども)たちを殺して回っていたと聞くが、ここ百年は随分と大人しい。私の生きている間に、見つける事はおそらく不可能だろう」

「そのような事を仰らないで下さいませ! 私に出来る事があるならば何でも致します!!」

 

 見上げる水柱の目には、産屋敷しか映っていなかった。忠誠、親愛、盲従、狂信、その他全ての感情は、産屋敷にだけ向けられていた。産屋敷のカリスマの賜物か、それとも水柱本人にそういう素質が元々あったのか、判断に悩むところであった。

 

「ありがとう。でもね、水柱にまで上り詰めた君には、後進の育成に力を注いで欲しいんだ。今は無理でも、鬼殺隊を絶やさなければいつかはきっと、無惨の頸に届くはずだから」

「お館様……!!」

「見つからないものはどうしようもない。殺される剣士(こども)たちが昔よりは減った事を、今は喜ぼう」

「…………はっ!」

 

 淡く微笑む産屋敷を見ながら、この方を死なせてはならぬ、と水柱は強く強く心に刻んだ。

 

 

〇 ● 〇 ● 〇

 

 

「鬼が出た、だと?」

 

 数日後。水柱は、部下の鬼殺隊士から報告を受けていた。

 

「噂の一つですがね。どっちかってーと神隠しと言われてます。しかし、夜な夜な若い女が消えているのは確かです。俺の顔見知りも消えています」

「奉行所は?」

「岡っ引きが動き始めていますが、まだ何も掴んではいないようです」

「そうか……」

 

 考え込む水柱。鬼という言葉を聞いた割に冷静に見えるが、さすがに確証もなく突貫するほど見境なしではない。この太平の世、いくら強くともそれを発揮できる場は少なく、それは鬼殺隊も変わらない。ただ強いだけでは柱の地位には至れないのである。

 

「お前はどう思う」

「鬼ってのがいるかは分かりませんが」

「鬼はいる! お館様がそう仰るのだから間違いない!」

 

 部下は何とも言い難い顔で水柱を見るが、水柱のお館様へ向ける感情は有名だったし、何よりいつもの事だったのでスルーした。

 

「……分かりませんが、人が消えてるってんなら放ってはおけんでしょう、鬼の仕業であってもなくても。そういう意味じゃあ、我々も調査する必要があると思います」

「やはりそう思うか。よし、調査と並行して、今夜より見回りも始める。人員を選んでおけ」

「承知」

 

 

〇 ● 〇 ● 〇

 

 

「これは……!」

「マジかよ……!」

 

 夜回りを始めてちょうど七日後。鬼殺隊は、“鬼”に出会っていた。鬼。そう、鬼である。額から二本の角を生やし、目には白目も黒目もなく、ただ血のような赤色一色。明らかに人間ではないその者は、“鬼”と称するしかなかった。

 

 廃屋に居座っていたその“鬼”は、穴の開いた天井から漏れる月明かりでもよく分かるほど口元や手を赤く染め、足下にバラバラになった()()()を散乱させていた。そのパーツの元が何で、その鬼が一体何をしていたのか、誰もが察していたが誰もが口にしようとはしなかった。

 

「鬼のようだな。犯人はこいつで間違いあるまい。生け捕りが出来るようには思えん、ここで仕留めるぞ」

 

 水柱の声に、隊士たちが慌てて刀を抜き放つ。その色とりどりの刀を目にした鬼が、赤一色の目を見開いた。

 

「そ、その刀、色変わりの刀! 日輪刀! 知っているぞ知っている! あのお方から聞いている! 貴様ら鬼狩り、鬼殺隊だな!?」

「そういうお前は、鬼で相違ないな?」

「お、鬼! そうだ俺は鬼だ! お、俺はあのお方に選ばれたんだキヒャハァハハ!!」

 

 涎をまき散らし奇声を発する鬼はどう見ても正気ではなく、隊士たちは警戒を深めたが、結果から言うならその警戒は遅きに失した。何故なら、すでに彼らは動けなくなっていたからだ。

 

「なっ……!」

「動けぬ……!?」

 

 隊士たちが足下に目線をやれば、そこには異様な光景があった。鬼の影が長く伸び、隊士たちの足に巻き付いていたのだ。

 

「お? 喋れるのか喋れるのか? 今まで喰った奴らとは違うなあ。強いとちったあ動けるのか? でも結局動けねえんじゃ意味ねえな意味ねえなギャハハハハ!」

「何だこれは!」

「血鬼術だよ血鬼術! 俺の血鬼術の影縛りだ! 俺の影に捕らわれた奴は動けなくなる!」

 

 この男を鬼にしたのは、当然のことながら鬼舞辻無惨だ。今の無惨が鬼を作る理由は二つ。

 

 一つは日光克服薬開発のため。だがそのために鬼にした者は即座に無限城に連れて行くし、食事も用意しているので外で人間を襲うような事はない。

 

 そしてもう一つが、鬼殺隊壊滅のため。単純に戦闘やそれに向いた血鬼術を発現する事を期待して、鬼とした者。そして数百年を生きる無惨の見立ては、かなりの確率で正しい。つまりこの鬼は、()()()()とは言え、強いのだ。呼吸を使えぬ者すら交じる一般隊士が後れを取るのは、無理からぬ事であった。

 

 ――――水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

 

 だがそんな鬼より、柱の方が強い。たとえ鬼と戦うのが初めてでも、血鬼術という存在が初見でも、成り立ての鬼に()()()()される者が曲がりなりにも柱になれるはずもない。まるで最初からそういう風に出来ていたかのように、鬼の首がころんと床に転がった。

 

「へあ? ……首!? 俺の首が俺の首が!! てめえ、何してくれてんだ!!」

「驚いたな、首だけになっても喋れるのか。どういう身体をしているんだ」

「うるせえ! 許さねえぞ許さねえぞてめえら全員道連――」

「うるさいのはお前だ」

 

 水柱の手がぶれると、次の瞬間鬼の首は四つに分かたれていた。倒れていた身体の方も、頭を追いかけるように灰になって消えて行く。拘束から解放された隊士たちが、安堵に大きく息を吐いた。

 

「た、助かりました、水柱様」

「ありがとうございます」

「“日輪刀で頸を斬れば鬼を倒せる”。お館様の仰っていた事はやはり正しかったな」

 

 こんな時までお館様かよ、と隊士たちの心が一つになったが、それで助かったので何も言えない。取り繕うようにという訳でもないが、一人の隊士が口を開いた。

 

「そ、それにしても水柱様、よくあの影に捕まりませんでしたね」

「ああ、何か嫌な感じがしたから斬ってみたんだ。上手く斬れたのと、斬った事に気付かないくらい奴が鈍かったのは幸運だったな」

 

 血鬼術と言っても太陽には弱く、当然日輪刀にも弱い。だから斬れる事に不思議はないが、斬られても鬼が気付かなかったのは迂闊としか言いようがない。成り立てで血鬼術まで使える才能があったとしても、やはり成り立ては成り立てという事だったのであろう。

 

 ちなみに鬼は、珠世が作った『人間と同じものを食べられるようになる薬』を全員投与されている。従って野放図に人を喰う鬼は、将来的に無惨に面倒ごとを持って来ると判断されて処分される。あの鬼の存在が消滅するのは、遅かれ早かれ決まっていたのだった。

 

 

〇 ● 〇 ● 〇

 

 

「なぜだ! なぜ見つからんのだ!」

 

 三ヶ月後。水柱は吠えていた。鬼舞辻無惨が見つからず吠えていた。

 

「んな事言われましても、見つからんもんは見つからん、としか」

「なぜだ! 鬼が存在して人を喰っている事は、鬼殺隊全員が知るところになっただろう!」

「あの時見た奴らから広まってますからね」

「ならば鬼殺隊たる我らが鬼舞辻無惨を放っておく訳にはいかないという事も、鬼殺隊全員が同意しただろう!」

「いやあれはアンタの勢いに押されて同意させられたというか……まあ放置するのはまずいってのは同意しますが」

「だったらなぜ見つからんのだ! 人を喰っているのだ、死体がなくとも行方不明になった人間はいるはずで、それを探せば鬼に行き当たるはずだろう!」

「そうなんですよね……いやほんと何で見つかんないんでしょうね。見つかったのはどう考えても鬼には関係ないのばっかでしたし」

 

 激する水柱に首を捻る部下だったが、目の付け所は鋭いと言える。ただ彼らは、今の鬼が人を喰わずとも生きていけるようになっている事を知らず、人を喰う鬼は無惨が処分している事を知らなかっただけである。

 『人を喰うような鬼は自身に面倒を持ち込む』。自分で鬼にしておいてあまりに身勝手な無惨の言い分ではあったが、それは今のところ正しいと言えた。

 

「うぬぬぬぬ…………! 何とかしろ!」

「何とかっつっても……。これだけ探してもまともな情報が入らないって事は、鬼は人以外も食えるとか実はもう死んでるとか、そんなんじゃねえんですか?」

「そんなはずはない! お館様は“鬼は人喰いだ”と仰っていた! それにお館様の呪いは未だ解かれていない! お前はお館様を疑うのか!」

「いやそーゆー訳じゃねえですけどね……」

 

 部下――実質副官――は大きく息を吐き出し頭をばりぼりと掻く。そんな彼に向かい、水柱はずびしと指を突きつけ言い放った。

 

「お館様の御命がかかっているのだぞ! 時間もない、何とかならずとも何とかしろ! それともお前は、お館様が亡くなられても良いと言うのか!!」

「んな事は一言も言ってねえでしょうが……。まあ何とかやってみますよ」

 

 

〇 ● 〇 ● 〇

 

 

 無惨の如く部下に無茶振り(パワハラ)をして二ヶ月後。水柱は、その部下の肩を掴んでがくがくと揺さぶっていた。

 

「見つけただと!? それで場所はどこだ、鬼舞辻無惨はどこにいる!!」

「ちょっ、ちょっと落ち着いてくださいよ!」

 

 焦りで手加減を忘れているので本気であり、それに焦った実質副官がどうにかこうにか引き剥がす。それでも水柱は、ふんすふんすと鼻息荒く実質副官に迫った。

 

「いいですか、鬼舞辻何某を見つけた訳じゃありません。ただ怪しい奴がいた、ってだけです。そいつが鬼なのかもまだ分かりません」

「だが怪しいのには違いないのだろう!? さあ聞かせろ、今聞かせろ!」

「分かってますよ、実はですね――――」

 

 曰く、定期的に大量の食糧を買って行く者がいるという。それだけなら目は引くが不自然でもない。だがその男が、決まって日が暮れてからやって来て、しかもかなりの重さであるはずの食糧を、ただ一人で運んで帰るとなると話は違ってくる。

 

「鬼だな間違いない! さあ行くぞいざ斬るぞ!」

「いやそうと決まった訳じゃないですからほんと落ち着いてくださいよ。何か夜にしか動けない事情があるとか、呼吸を使えるから力があるとか、そんな感じかもしれないじゃないですか」

「何を言っている、鬼殺隊以外に呼吸を使える奴がいるはずがなかろう」

「いやそれは分かりませんて。鬼殺隊を辞めた奴が子供に教えたとかならありえますよ。才能のある奴だと、人が使ってるのを見て勝手に覚える事もありますし」

「む…………」

 

 考え込む水柱だったが、その考えは一瞬でどこかに行った。誰でも至れる結論に至ったからだ。

 

「……ともかく、確認しに行くぞ! 全てはそれからだ!」

「いや柱直々に行かんでも……。確認取れてからでもいいじゃないですか。それに他の柱の方々に協力を仰い……」

「時間がないのだ私は行く! 他の柱どもは“後進の育成に忙しいから確証が得られたら呼べ”と断ってきやがった! お館様の御命をないがしろにするとは、隊士の風上にも置けん奴らだ!」

 

 それはお館様の命令に従った結果なのではとか、確証が得られたら呼べというのは協力するという意味なのではとか、様々な考えが実質副官の胸によぎったが、その全てを彼は飲み込んだ。こうなった水柱は人の言う事を聞かないと、誰よりもよく知っていたからである。

 

 

〇 ● 〇 ● 〇

 

 

「(あいつか)」

「(ええ、情報が正しければですがね)」

 

 数日後。情報にあった場所をずっと張っていた水柱は、件の“怪しい男”をようやく見つけていた。なお水柱以外の人員は交代制なので、今実質副官がいるのは単なる偶然である。

 

「(……見た目は普通の人間だな)」

「(いやまだあいつが鬼かどうかは分からないですからね?)」

「(おっ、動いたぞ!)」

 

 見られているとは気づかない男は、大きな袋を抱えて表の大八車に積み込んで行く。どうやら食料が入っていると思われたが、男の体格からすると明らかに大きすぎるサイズだった。とは言え、明らかにおかしいという程でもない。見た目よりも力がある、と驚かれるであろう程度である。

 

「(……どう思います? 力は確かに強いようですが、それだけでは何とも言えねえですよ?)」

「(……気配が、普通の人間と少しばかり違う気はする。だが、鬼かと言われると分からん)」

「(人喰いだってんなら、食料を買い込む必要もねえですしな)」

「(食料を買って行くからと言って、人喰いをしていないという証拠にはならん。偽装かもしれんし、人間を捕らえているためかもしれん)」

「(そりゃまあそうですが……ならどうすんで?)」

「(知れた事。このまま追いかけるだけだ)」

 

 二人は男を尾行していく。大八車は悪路も夜闇も物ともせず進み、郊外の森の中にある、目立たない小屋の中に入っていった。

 

「(あそこが根城ですかね……?)」

「(おそらくはな……)」

 

 部下が指示を仰ぐべく横を向くと、水柱は意を決したような顔で小屋を睨みつけていた。

 

「(…………私はこのままあの小屋を探る。お前は戻って皆に知らせろ)」

 

 未だ鬼殺隊に鎹鴉はいない。遠く離れた者に連絡を取ろうとするならば、直接人が行くしかない。だが、だからといって部下は水柱の命令に素直に従う事は出来なかった。

 

「(危険です! 場所は分かったんですから、一度撤退して皆を……出来るなら、他の柱の方たちも連れて来るべきです! それに、鬼と関係がなかったら何て言い訳すんですか!)」

「(時間がないんだ!!)」

 

 鬼気迫る水柱の迫力に部下は黙り込む。

 

「(お館様の両目はもう見えない。もう自分一人では、布団から起き上がる事も出来ないんだ。医者はあと一月などと言っていたが……最悪の事態が、いつ起こってもおかしくない。考えたくもないが、それこそ明日にでも……)」

「(だから鬼舞辻何某を倒して呪いを解く、ってんですか? ソイツが呪いをかけたという確証はないし、倒せば呪いが解けるって証拠もないんでしょう? いやそもそも、お館様一族の短命が、呪いによるものだって誰が言ったんです?)」

 

 理路整然とした部下の言に、今度は水柱が黙り込む。水柱は直情径行の気はあるが、決して馬鹿でも愚かでもない。それでも尚、譲れないものはある。

 

「(…………分かっている。だが私は行く。行かねばならん。可能性があるとしたらこれだけだ、()()()()()()()())」

「(そいつぁ……)」

 

 部下にも分かっている。産屋敷の病はどんな医者に見せても原因不明としか言われず、匙を投げられた事を。刀を振るしか能のない水柱が産屋敷を助けようと思ったら、いくら不確かでも鬼舞辻を倒して呪いが解けるのを祈るしかない事を。

 言葉が出てこない部下に向け、水柱が言い訳のように言葉を続けた。

 

「(……どちらにしても鬼なら人喰いだ。放っておく訳にはいかん)」

「(……まったく、そんな頑固だから嫁の貰い手がないんですよ)」

「(う、うるさいな! 私の事は放っておけ!)」

 

 顔を赤くして小声で怒鳴る水柱は、中性的な容姿ながらも、明らかに女性と分かる顔だった。

 

「(…………なるべく早く戻ります。無茶はせんでくださいよ?)」

「(…………ふん、私は鬼殺隊の柱だ。この程度無茶でも何でもない)」

 

 彼女は今までに、いくつもの分水嶺を越えて来た。産屋敷に出会った事、水柱となった事、本物の鬼と出会い戦った事、「怪しい男」の情報が入って来た事、そしてその男を実際に見つけた事。だが真の分水嶺――いや、帰還不能点(ポイントオブノーリターン)というものがあるのならば、それはまさに今この時だったのだろう。

 

 

〇 ● 〇 ● 〇

 

 

 小屋の中に入りこんだ水柱が見たのは、がらんとした部屋だった。囲炉裏だけはあるが、熱を感じず使われたような形跡はない。小屋にはこの一室しかなく、もちろん隠れるような場所もない。いかに夜で視界は利きにくいとは言え、見逃す訳などあるはずもなかった。

 

(私に気付かれず、大八車ごと出て行けるような場所も見当たらない……どういう事だ?)

 

 訝しく思いながら周囲を調べていると、ふと床の異常に気が付いた。一部の床板がほんの少しだけせり上がり、段差になっていたのだ。月明かりの下だからこそ僅かな影の差に気付けたのであって、これがもしも昼間なら気付けなかっただろう。

 

「これは…………!」

 

 その場所を探ってみると、床が開くようになっている事に気付いた。開けた先には広く真っ暗な通路が、地の底に向かって伸びていた。水柱は唾を飲み込むと、そこに一歩足を踏み入れた。

 

 

〇 ● 〇 ● 〇

 

 

 通路の先、地下深くにあったのは普通の家だった。いや、通路は直接内部に繋がっていたので建物の外見は分からないし、地下に建っているという時点で普通ではないのだが、少なくとも水柱が見る限りでは普通の邸宅とさして変わらなかった。

 空間が歪むだとか、殺意に満ちた罠に溢れているだとかを考えていた彼女は拍子抜けしたが、そこで人影が動いているのを見つけ急いで身を隠した。

 

(鬼……だよな……?)

 

 灯りが極端に少ないため分かりづらいが、若い女であり、額の中央には一本の角が生えているように見えた。顔には入れ墨のような文様があり、黒目は黒のままだが白目の部分が赤くなっており、明らかに人間ではなかった。

 

 それでも戸惑わざるを得なかったのは、先日の影鬼とは気配が違い過ぎたためだ。暴力的という言葉そのままだった影鬼に比べ、この女鬼は大人しすぎた。全く強そうに感じられず、それこそ普通の人間とほとんど変わらない。実はあの角や眼は作り物だと言われたら、信じてしまいそうな程だった。

 

(いや、だが、躊躇っている暇はない! 鬼舞辻無惨を倒さねば、お館様が!)

 

 ぼんやりしていれば、他の鬼が来てしまうかもしれない。水柱は周囲に気配がない事を確認すると、女鬼の後ろに回り込み刀を首筋に押し当てた。

 

「動くな」

「え?」

 

 女鬼は反射的に後ろを振り向こうとして、首筋の冷たさに気付き身体を固まらせた。素人丸出しの挙動に水柱は内心戸惑ったが、それを表に出す事なく冷たい声で問いを投げた。

 

「貴様は鬼だな?」

 

 女鬼は恐怖に震え、口を開く事が出来なかった。水柱からはその恐怖に歪んだ顔は見えなかったが、返答がなかったため、首筋を軽く斬った。

 

「答えろ」

「ひっ!」

 

 痛みと恐怖に身じろいだ女鬼の手が当たり、鋏が床に落ちて音を立てた。あまり大きな音ではなかったものの、人が集まる事を恐れた水柱は、尋問を拷問に切り替える事にした。

 

「答えろと言ったぞ」

「いっ、いだっぃ」

 

 逃走防止も兼ねて刀で足を貫く。女鬼の足からがくんと力が抜け、地べたに座り込む。その拍子にちょうど見上げるような格好になり、水柱と女鬼が上下で向き合った。

 

「ぇ? 人間……? な、なんで……?」

「その言葉が出て来るという事は、やはり貴様は鬼だな。鬼舞辻無惨はどこにいる」

「し、知らない!」

 

 女鬼は身体を大きく震わせ叫んだが、それは逆効果であった。

 

「場所()知らないという事は、鬼舞辻無惨は知っているという事だな」

「あっ!?」

 

 誘導尋問に簡単に引っ掛かる素人ぶりに、水柱の戸惑いはますます大きくなるが、そんな感情は全て産屋敷への忠誠で塗りつぶす。心を固めた彼女の口から出て来たのは、氷のように冷たい声だった。

 

「奴がどこにいるか吐いてもらうぞ」

「言っ、言わない! 絶対言うもんか!」

「お前の意思など関係ない。そのうち嫌でも言いたくなる。だがここではまずいな……」

 

 水柱は女鬼の髪を掴むと、そのまま引き摺って元来た道を引き返し始めた。女鬼はばたばたと手足を振り回すが、仮にも柱。その程度ではこゆるぎもしない。

 

「いっ、嫌ぁっ!!」

「暴れるな。それとも手足の二、三本でも斬り落とした方が良いか?」

「ひぅっ」

 

 恐怖に縮こまる女鬼だったが、そこで水柱に異変が起きた。まるで酒に酔ったかのように、踏み出した足がぐらりと(かし)いだのである。

 

 ――――血鬼術 惑血・視覚夢幻の香

 

 騒ぎを聞きつけ鬼狩りを見つけた珠世が、血鬼術を使ったのだ。それはたちどころに効果を現し、水柱の視界を奇怪な紋様で埋め尽くし、方向感覚すらも狂わせた。

 

「逃げなさい! 急いで!」

「はっ、はい!」

 

 珠世の声に、女鬼は鬼の怪力で水柱の手から逃れ、慌てて脱兎の如く逃げ出す。ここで水柱に誤算があった。足を刺したから動けないだろうと思っていたのだが、実際はとっくに治っていたのだ。

 先日の影鬼は一撃で斃してしまったため、鬼の再生能力を知らなかったのである。女鬼の首筋をもっとよく見ていれば、先程の傷が消えていた事に気付けたかもしれないが、後の祭りだ。

 

「おのれ、血鬼術とやらか!」

 

 水柱は刀を振り回し、手当たり次第に斬りつける。珠世の血鬼術は知らないが、血鬼術の存在は知っている。()()()()の業を使われるかもしれないと覚悟していた彼女に、視界の閉塞や多少の体調不良など退く理由になりはしない。

 

「…………いない?」

 

 そのまましばらく暴れていたが、手応えがないと覚るとようやく落ち着いた。その時ちょうど術の効果が切れたのか視界が戻ってくるが、周りには誰もおらず気配もない。砕けた皿や何かが書かれた紙束等が散乱するだけである。

 

「逃げるにしても入口は私の後ろ……いや」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()、と彼女はようよう気が付いた。チッと舌打ちするが、もはやどうしようもない。忸怩たる思いだったが、ここは一旦味方と合流すべきだろうと、先程入って来た入口の方へと足を向けた。

 

「惜しかった……くそ、鬼舞辻無惨は一体どこに……」

「ほう、私を探しているのか」

 

 低い声に顔を上げた水柱の目に飛び込んできたのは、一人の男だった。(まなじり)を吊り上げ尖った犬歯を剥き出しにし、マグマの如き怒りを総身から噴き上げている男だった。

 

 だが水柱にとって、男の様相などどうでもいい。それよりも、男が口にした言葉の方が重要だった。それは即ち、この男こそが探し求めていた鬼舞辻無惨だという事なのだから。

 

「貴さ――――!」

「死ね」

 

 水柱は何かを言おうと口を開いたが、次の瞬間にはその口が無くなっていた。いや、口どころか首から上が全て消えて無くなっていた。血鬼術でもトリックでもない。もっと単純に、怒り狂った無惨が腕を振りぬいたのだ。ただのそれだけで走馬灯を見る間もなく、柱と呼ばれる鬼殺隊最高峰の剣士は絶命した。

 

「珠世! 生きているか!」

 

 血を噴き出させ()()と倒れる水柱だったものには目もくれず、無惨は腹心の名を呼ぶ。彼女は逃げたのではなく気配を消して隠れていただけだったようで、すぐに顔を見せた。

 

「無惨様!」

「無事だな!? 他の者は!」

空木(うつぎ)が怪我をしましたが、すでに治っています! 他は無事ですが、道具や資料を多少壊されました!」

「くそ……! やむを得ん、ここを引き払うぞ! 皆を集めて荷物をまとめろ!」

「はい!」

「無惨様……」

 

 後ろから、無惨と共に駆け付けた黒死牟が姿を見せた。その姿は一見して普段と変わりなかったが、付き合いの長い珠世は、雰囲気が常より鋭くなっている事に気が付いた。

 

「集まって来ていた鬼狩りの殲滅、滞りなく……。柱も一人おりましたが、一人たりとも逃がしてはおりません……」

「よし! 珠世、移動先は北の寺だ! 急げ!」

 

 まるで万一の場合に備えていたような口ぶりだが、そのような事実はない。単に大きな廃寺がある事を知っていただけである。それでもセーフハウスになり得る場所を記憶に留めていただけ、昔よりは成長していると言えるだろう。

 

「分かりました、ただちに準備にかかります!」

「黒死牟! お前は珠世たちの護衛だ! 鬼狩りが向かって来れば皆殺せ!」

「承知……!」

「私はまた来るだろう鬼狩りを殺し尽くす! いい加減しつこいぞ異常者どもめ、どこまで私の邪魔をすれば気が済むのだ……!!」

 

 無惨はすでに他の鬼を呼び寄せている。ほどなく猗窩座や玉壺、童磨という無惨が選りすぐった鬼たちが集結するだろう。だが、鬼そのものの形相で外に飛び出して行った無惨を見るだけでも、今日この場所に来る鬼殺隊がどのような運命を辿るかは明白だった。

 


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