ある話をしよう
数百年前、火星を人類が住める環境に変えるために、気温を上昇させる計画が進められた。
最終的に地表を温める目的で特殊な苔と黒い昆虫一種が放たれた……当時極寒だった火星でも生息できるようにと改良されてはいたそうだ。苔はともかく、昆虫の方は原種との違いはほとんどなかったらしい。
それから時が経ち2577年
環境調査のために宇宙飛行士6名が火星へと降り立った。そして誰も帰ってこなかった。
その代わりあるものが地球に届けられた。昆虫…ゴキブリの頭だ。ただし虫のものとは思えない…人間に近い見た目をしていた。
そう、これが火星で人知を超えた進化を遂げたゴキブリ、 通称:テラフォーマー を初めて目の当たりにした瞬間だ。
2599年
奴らの駆除のために、今度は昆虫の持つ力を体に組み込む手術を受けた15名の戦士が火星へと降り立った。
それでも結果としては生存者2名という酷いありさまだった。さらに未知のウイルスを地球に持ち帰ってしまった……その結果、感染による死者が世界各地で発生した。
そして2620年
ウイルスの原種を確保しワクチンを作るために150名の戦士が火星へと降り立った。彼らは前回の手術の先、地球上の生物の能力を組み込む、 通称:MO手術 を受けていた。
今回も犠牲は出たが、目的を果たした。そう、ウイルスの脅威は去った。
ウイルスの脅威は確かに去ったが、今、別の脅威が地球を襲っている。
それはテラフォーマー、そしてその副産物だ
新たな戦いはもう始まっている
始まっているんだ
だからここが組織された、そう■■■が…
「咲島 啓だ 突然で悪いがあんたに聞かなきゃならないことがある」
麻里は、突如現れた男の愛想のないその口調に戸惑う。まるで必要事項なので言っています、と言わんばかりだ。ひょっとしたらこの手の出来事には慣れているのだろうか……あの化け物に関しても何か知っているようだった。そうなると今、警察より信用できる存在かもしれない。あの化け物の話をしたところで実際に見た彼ら以外、信じてくれるともましてや対処できるとも思えなかった。
「……わかりました」
麻里が承諾すると扉の先へと案内された。木目調のテーブルに黒い皮のソファ、そして腰掛ける男が一人。
バンを運転し、恐らく私をここまで運んでくれた人……そう理解はしたものの彼女の警戒心は薄れなかった。スポーツ刈り、半袖から見える筋肉質な腕…そして思い出す呼びかけた時の顔。どう考えてもあまり関わってはいけない世界にいる人間…下手に刺激したらどんな目に合うか…
「おっ、目が覚めたか! 具合はどうだ?」
男は思っていた以上に明るくにこやかに声をかけた。
「先ほどは助けて下さりありがとうございます。悪いところは特にないです…」
と言いかけたところで彼女のおなかがぐぅと小さく鳴った。
「簡単なもので良ければ食事は出せるがそれでいいか?」
時刻は夜の10時過ぎ。夕食を取れていなかった彼女にとってはありがたい話だった。
「す…すみません、お願いします…」
「啓も食べるよな?」
ああ、と簡単な啓の返事を聞くと男はこの部屋の隅にあるキッチンへと移動した。
流れで二人はソファへと腰を下ろした。
「さて、あんたには聞かなきゃならないことがいくつかある。まずあんたはなぜテラフォーマーに追われていた?」
はい? 麻里は声に出しかけて何とかこらえる。
追われていた理由?こっちが聞きたい。そもそもテラフォーマーなんか知らないし……さっきまであんたらが話してた内容から何となく察するけど
そのまま言葉にしようかと考えたもののここで反抗的な態度を見せれば何が起きるかわからないため、何とか飲み込んだ。
「まあ、そう焦んなっての 彼女も困ってるだろ? とりあえず飯食べ終わるまで取り調べはなしだ」
キッチンから男が声をかける。すると啓はすまない、と呟いた。どうやら男の言葉に従うらしい。
調理をしながら男は啓に最近の話をする。来週の天気、最近の物取り事件、そんな話がひと段落した頃、男が料理を運んできた。サラダが添えられたオムレツ、それとロールパン。シンプルながら食欲を刺激する料理に彼女の我慢は限界だった。
「食べてくれ 味は保証できないが安全は保障できるぜ」
「……っ いただきます!」
ひとくちオムレツを口に運ぶと彼女は眼を見開いた。
「……おいしい!」
とろりと口の中で広がる卵の柔らかさ、そして中から溢れるチーズとトマトの旨味……シンプルでありながら、こんなに美味しいオムレツを彼女は食べたことがなかった。
「それは良かった! なんせこいつ以外に料理出したことがなくてな」
「嘘⁉ どこかのお店で出してたこととかないの?……あ、すみません」
「別に敬語じゃなくていいさ 俺は引っ越しのバイトと今やってる文房具屋くらいしかやったことないからなあ…」
料理を振舞ったこの男、松口は見た目以上におおらかであった。
食事中は自己紹介や松口とのたわいもない話をした。食事を終えると、本題へと入ったが食事前とは様子が少し違った。
「まず、オレたちの話を少ししよう」
ずっとだんまりであった啓が口を開き、説明を始めた。
「俺たちは依頼を受けてとある生物の駆除を行っている」
「それがテラ…フォーマー…?」
「そうだ オレたちの会話が聞こえていたとは思うが、本来テラフォーマーは火星に生息している生物だ。研究のためにテラフォーマーのクローンを飼育している国認可の研究所も存在するが、厳重な管理下にあり対処システムも万全だ。脱走はまずありえない」
「じゃあ、さっきのは……」
「テラフォーマーのクローン。ただし、違法で培養されたものだ
奴らの並外れた身体能力を悪用する連中のな…」
麻里は体が一瞬凍るような感覚に襲われた。あんな得体の知れない化け物を利用する存在がいること、そしてそれが身近で行われていること…想像もしたくない現実を知ってしまったことに震えた。
「そんな連中が世界中で着々と力をつけている。それを世界が善しとするはずがない……ここ日本でも。この国でも秘密裏に対抗できる人間を選定し、武器、依頼料と引き換えに駆除を依頼する活動が行われている。オレたちはそうやって駆除役に選ばれた」
「ちなみに今回が初仕事だ。こいつもこういうのに慣れて無くてな……北沢さん、さっきの態度を許してはもらえないか?」
松口がそう話すと啓は頭を下げた。ぶっきらぼうな口調も彼の性格と初仕事で慣れていなかったと考えると仕方がないと思えた。
「まあ、初めてなら……それで私に聞きたいことがあるんでしたっけ?」
「そう、あんたはいつ頃からテラフォーマーに追われていたんだ?」
「そうね……家に帰る途中、橋を通ろうとしたときかな。後ろから近づいてくる気配があって、そこからずっとね……あんな化け物とは思わなかったけど」
「なるほどな。そのとき、もしくは橋を通る前いつもと違うことをしなかったか?」
「とくにしてはいないはずだけど……」
「そうか。じゃあ何か拾ったりもしてないんだな?」
「そ、そうね何も…」
「正直に言ったほうがいい、正直に言えばあんたを助けることが出来る」
突然の言葉に彼女は心臓が止まりそうな感覚に陥る。それでも震える口で無理やり言葉を紡ごうとする。
「な…なにを言って……」
「あんたが物取りで手に入れた財布、その中のものが原因だ」
静まり返る部屋の中、二人の男の表情は変わらない。一方、彼女の目は泳ぎ、明らかに痛いところを突かれたことがわかる。
「証拠はある……というよりそもそもオレたちは物取りの現場にいた」
「え?」
「物取りの相手が悪すぎたな……あれは害虫売りの末端。今回とある企業に情報を受け渡しする話があってな、そこを俺とこいつで見張ってたんだよ」
「そしたらあんたが周りに気づかれずに財布取った。おかげで計画が台無しだ。慌ててあんたを追いかけても人ごみで見失うし、末端の男も移動途中でないことに気付いて元来た道を戻っていった」
「………」
「あんたが今話題の物取りなんだろ?今までのことを認めて取った財布をこっちに渡してくれ。刑務所行きにはなるが、化け物や危険な連中から絶対に守る。」
しばらく沈黙が続いたが、彼女は意を決して真実を告げた。
「……そうよ、私よ………私がやったわ」
そういうと彼女は隣の部屋からとってきた財布を啓に渡した。
財布の中にあったUSBを取り出し確認すると彼は何かを決意した目をし、口を開いた。
「認めてくれて助かる。これであんたは助けられる。
マツ、彼女の護衛を頼む。それから少し準備を手伝ってくれ……害虫共を叩きに行く」