「今年も桜の季節が来たわねぇ」
茶を啜り、少女は一人呟いた。
白玉楼の縁側は冥界の桜を一望できる絶景スポットである。景色いっぱいの桜からは、僅かながらも淡紅色が窺える。そう、開花が始まったのだ。この様子なら一週間もあれば満開になり、優雅に咲き誇る姿を見せるだろう。ただ一つの桜を除いて。
────西行妖。白玉楼の庭に植えられた、巨大な桜。この木の下に埋まった何者かの封印により、幾度春が来ようと咲くことはない。過去に幻想郷中の春を集めることで西行妖を咲かせ、何者かを復活させようと行動を起こしたが、博麗の巫女らによってその野望は惜しくも潰えた。結局のところ、西行妖は満開に至ることはなく、何者かが復活することもなかったのだ。
「無理と分かっていても、やっぱり見たいものは見たいわ……」
再び春を集めたとしても、同じように再び阻止されることは目に見えている。どう足掻こうとも、満開の西行妖を見ることは叶わない。しかし、もしも西行妖が満開になったなら────そんな想像が後を絶たない。それはもう見事な景色だろう。世界中の誰もが美しいと言うに違いない。ほんの一瞬でも、どうにかして見ることはできないか……と西行妖を眺めながら、あれやこれやと考えている時だった。
────突如して、浮遊感が全身を包み込んだ。
「え?」
直後、落下。訳が分からない。自分は今縁側に座っていた筈だ。それが何故、このようなことになってしまったのか。
「いやあぁぁぁぁ────!」
迫真の悲鳴を上げながら、下へ下へと落ちていく。飛翔をしようと霊力を練ろうと試みるも、何か別の強大な力によってできず。抗うことも許されず、そのまま地の底に引っ張られるように墜落していった。
※※※
「痛ったぁ……!」
────それは青天の霹靂だった。
突如浮遊感に襲われたと思ったら、急降下する感覚。重力に抵抗できず、尻もちをついてしまった。重力という絶対の法則に従った落下の速度は凄まじく、受け身も何もできなかった。激突こそ逃れられなかったものの、しかしどういうわけか酷い痛みではなかった。
恐る恐る目を開き、ゆっくりと周囲を見やる。まず視界に入ったのは、一面の純白。そして、空を見上げる。すると、白く、冷たい何かが顔に降ってきた。
「雪……」
ここで、辺りに広がる白の正体が雪だということを理解した。成る程、これなら地面にぶつかった際に地面がやたら柔らかかったことに合点がいく。だが、痛みの原因が分かったところで現状何一つとして解決していない。そのことに気づいてしまった。
「白玉楼は……?」
立ち上がり、改めて周囲を見回す。確認できるのは、夜を照らす街灯に、ブランコや滑り台といった遊具。そして、幾つかの蕾を付けた桜の木。ここはどう見ても公園であり、どれだけ見回しても自らの住居であるあの屋敷は無かった。
「……消えたとでも言うのかしら?」
まさか、あの大きな建物が一瞬にして無くなる筈がない。それに、ここにあるものは白玉楼には存在しない。もしも白玉楼だけが消えたのならば、従者である庭師が一緒にいない理由を説明できない。境界を操る妖怪の賢者ならば可能かもしれないが、彼女には白玉楼を消す理由が無い。故に、消えたという可能性はあり得ない。となると、自分だけが別の場所に飛ばされたと考えるのが妥当だろう。次に考えるべきは、どこに飛ばされたか、だ。
「もしかして……!」
ここで、一つの可能性に辿り着く。この考えが間違えなければ、今自分のいる場所は恐らく。そう思い立ち、公園の出入り口まで歩き、三度周囲を見回す。
────そこに広がっていたのは、幻想郷のものとは異なる建築様式で建てられた住居。このような住居は幻想郷中を探し回っても存在しないものである。
ここで、彼女の抱いた疑いが確信に変わる。
「ここは、外の世界ね……!」
何もかも違う、非常識で出鱈目な光景。全て辻褄が合うように説明するには、最早この可能性しか残されていない。
なぜ自分は博麗大結界を越えて外の世界へ来てしまったのか。直前の記憶を辿るが、結界に干渉するような行為をした心当たりは一切ない。ただ、白玉楼の縁側で桜を見ながら茶を飲んでいただけである。暫くの間考えたが、結局答えは分からなかった。
「どうしてこうなったのかしら……?」
嘆きにも似たその呟きは誰にも届くことはなく、ただ空しく雪の降る夜空に消えていく。彼女は突き付けられた無慈悲な事実にただ呆然とするしかなかった。
※※※
────今日は、季節外れの雪だった。
冬の寒さは鳴りを潜め、暖かい春の訪れを告げるように桜が開花し始める時期。その桜の開花を拒むような鋭い寒さが、容赦なく襲い掛かってくる。
「雪が降るなんて思ってなかったな……」
雪によって埋もれたアスファルトを、滑らないようにしっかりと踏み締めて歩く青年。この降雪は完全に予想外だったようで、傘などの防御手段を一切持っていなかった。そのため、頭や肩に雪が少し積もっていた。
「今日の晩ご飯どうしよう……」
思考を切り換え、晩飯について考えることにした。今日は久しぶりのアルバイトだった。朝から夜まで働いていたため疲労が溜まり、いつもより腹が減っていた。多めに作って沢山食べたい気分だが、時間を掛けずに早く食べるという考えも捨て難い。どのような方向性で料理を作ろうか迷っている時だった。
「っ!」
────気配。何の前触れも無く、それはいきなり現れた。
霊気。幽霊のような死後の存在のみが放つ独特の気だと青年が自称しているものだ。生きた人間の放つ気とは明確に異なるもの、精気とは対極に位置するものである。
彼は常人よりも霊感が鋭い。故に、幽霊の存在をハッキリと認知することができる。更に、会話や感情を受け取るすら可能なのだ。ここまで来ると霊感の域を超えているが、あくまでも霊感が強いと言い張る。
しかし、今回ばかりは訳が違う。今まで感じたことがない強烈な霊気だった。
一体の幽霊の持つ霊気の総量は基本的に少ない。それは幽霊が身体を持たない、不安定な存在だからだ。不安定な存在は、力も不安定なのである。仮に感知したとしても、道端の小石のようにとりたてて気にするものでもない。
だからこそ、何か引っかかる。今感じている霊気は非常に強く、且つ安定している。このケースは一度も経験が無い。
これ程の霊気を放っているのは何者なのだろうか。唐突に興味が湧き上がってきた。得体の知れない存在であることは間違いないが、それに対して不思議と恐怖心は抱かなかった。これも経験が無い。
「……行ってみるか」
思い立ったが何とやら、ということで霊気の発生源へと向かうことにした。
場所は近くの公園。幾つかの桜が植えられており、近所では隠れた桜の名所と言われている。大学やアルバイト先への行き帰りでいつも通るので、道は完全に把握している。
場所が分かったところで、早速行動を起こす。雪で転ばないよう注意を払いつつ、走り出した。
「……よし、そろそろ!」
走ることおよそ一分、公園を視界に捉えた。そのまま走り続けて、出入り口の前で止まる。
「……ん?」
青年の視線の先には────ブランコに乗っている一人の
桜色の髪の少女だった。パッと見た感じ歳は殆ど変わらないように見える。降りしきる雪のように白い肌で、女性としては長身。和服にもドレスにも見えるような水色の服を着ていて、頭には服と同じ色の、天冠が付いた独特な形の帽子を被っていた。
総じて、奇妙なファッションだ。現代的とは言い難く、どこか古風な印象を抱いた。まるで、この世の人間でないような────。
(あの人が……幽霊?)
通常の幽霊と違い、彼女は明確な身体を持っている。身体を持つ幽霊はかなり珍しいが、それだけでこの霊気の異質さを証明できない。
身体を持つ幽霊は悪霊や怨霊といった生前に強い未練を持つ存在だ。しかし、身体を持っていると言っても気質が人の形をしているだけである。不安定なことに変わりはない。更に、強い未練を持つだけあってその感情は怨みや怒りといった負の感情だ。感じると不快感で心が痛くなる。
それなのに、目の前の少女はどういう訳か強く安定した霊気を持っている。不快感も感じない。寧ろ心地良さすら覚える。何から何まで青年にとって初めての出来事だった。
この少女が身体を持つ幽霊だとは到底思えない。が、死者特有の霊気を放っているのは紛れもない事実だ。内心ではまだ納得できていないが、事実は事実なのだから受け入れるしかない。
「……かしら?」
ふと、声が聞こえた。
「あの、私に何か用かしら?」
「あっ……すいません。じろじろと見てしまって。不快な気持ちにさせてしまったのなら謝ります」
声の主は少女だった。考え事に夢中になっていて気付くことができなかった。知らない男に凝視されたら誰だって驚くし、良い思いはしないだろう。精一杯の誠意を込めて詫びを入れる。
「いえ、そこまで気にしなくてもいいわ。それで、どうして私を見ていたのかしら?」
「あー、そうですね……何となく困ってるように見えたので。こんな夜遅くに女の子一人で何やってるんだろうって」
完全に出任せである。何と答えればいいか分からず、咄嗟に喋ってしまった。「貴方死んでますよね」と初対面の人に言うのは失礼極まりない。当たり障りのない言葉を選んだつもりだが、違和感丸出しだ。こんな挙動不審な様子を見れば、変な奴だと思うに違いない。青年は多少の自己嫌悪に陥る。
「そうなの、今まさに困ってるの!」
「え?」
しかし、返ってきた言葉を意外なものだった。
「私、迷子なの。ここはどこだか分からないし、お金も何も持ってない。だから途方に暮れてたのよ」
しょんぼりと俯き、少女は語る。
家出でもして動き回っていたら、どこか分からない遠くの場所に来てしまったのだろうか。彼女の言葉からして、スマートフォンのような自らの位置情報を知る手段を持っていないことが分かる。そして、金も無いから電車やバスも乗れずにいる。それで帰れなくて困っているのかと、彼女の置かれている状況を勝手に想像していると。
「あっ……」
────少女の腹が、ぐうと鳴った。
(うーん、これは流石に……)
家に帰れず、無一文で、食に飢えている。そんな過酷な状態の少女を放っておく訳にもいかなかった。この青年はお人好しな性分で、目の前で苦しんでいる人を見ると後先考えずに助けてしまうのだ。
「……良ければ家に来ます? 温かい風呂もありますし、軽い料理も出せます。一日くらいなら泊まっていっても問題無いですよ」
「ホント!?」
彼の発言を聞いた途端、少女は目を輝かせた。それも、上目遣いで。こうして間近で彼女の顔を見ると、とても端正な顔立ちをしている。更に、桜のような香しい匂いを漂わせている。可愛らしく、それでいて優美。美少女という言葉が正しく当てはまる。
今になって、自分の行いは本当に正しいことなのかと疑問に思えてきた。初めて会った見ず知らずの女の子を自宅に連れていくなんて非常に危険だし犯罪なのでは? そんな考えが頭をよぎってしまった。
「……はい。親は出張で家には俺一人なので、迷惑は掛かりません。安心して下さい」
「じゃあ、お願いしてもいいかしら?」
「分かりました。雪降ってて寒いですし、早く行きましょう」
しかし、状況が状況なだけにやはり見過ごすことはできない。心の底から彼女を助けたいと思ったから助ける。分かりやすい、単純明快な理由だ。そこに嘘偽りも、邪な気持ちも無い。
「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったわね。貴方の名前、教えてくれる?」
「言われてみればまだ名乗ってませんでしたね。俺は
「私は
「はい、幽々子さん!」
互いに柔らかな微笑みを湛え、名を名乗った。
桜の少女────西行寺幽々子との邂逅。この春雪の出逢いが自身の運命を大きく揺さぶることを義徳はまだ知る由もない。
あれこれ設定を考えたら完成しちゃいました。
今は色々あって忙しいので完結まで辿り着けるか不安なところですが、頑張って書いていきたいと思います。