「何で……」
────父が死んだ。送られてきた手紙にそう書いてあった。
あの春に旅立ったのを最後に父には一度も会っていない。定期的に送られる手紙で近況を知ることはできたものの、あの穏やかな顔を見れないことに寂しさを覚えていた。これからもその機会が訪れることは二度と無い。
「ずっと、待っていたのに……」
父が帰ってくることをずっと待っていた。旅の土産話が聞きたかった。幼い日に聞いた父の旅の話はとても楽しかった。しかし、それはもう叶わない。
「お父様……」
父と共に過ごした日々を思い出す。長い間一緒にいた訳ではないが、記憶は薄れていない。今まで心の支えとしてきた父が死んだという事実を突き付けられても、正直受け入れられない。
「でも……」
この手紙によれば、父は見事な桜の下で永遠の眠りについたらしい。三度の飯より桜が好きな人だったから、こよなく愛する桜に包まれて死ねたなら本望かもしれない。会うことは叶わないが、せめて弔うことなら或いは。
「その桜がある場所に行けば……!」
自らが愛し、そして自らを愛してくれた父を供養するため、少女は父が眠る桜に向かう。
その判断こそが、惨劇の引き金となることも知らずに────。
※※※
「これが……!」
そこは、見渡す限りの桜色。桜の海、桜の世界。そんな言葉が似合う景色だった。
亡き父と姉の墓参りの翌日。義徳、幽々子、若葉の三人は上野へ来ていた。わざわざ東京まで遠出したのは幽々子の提案である。目的はいつものように理想の桜を探すこと、そして都会で思う存分遊ぶこと。彼女曰く今回は後者がメインだそうだ。
始発の新幹線で京都駅からここまでおよそニ時間弱、想像以上に早く到着したが周囲には人がそこかしこにいる。早朝でも人がいるのは流石都会といった感じで感心した。
「凄い……どこを見ても桜……!」
幽々子は興奮を抑えられないようだった。現在、三人は不忍池周辺を歩いている。ここら一帯は桜並木になっており、左右に満遍なく桜が植えられている。どこまでも続くような桜の道は、見ていて浮ついた気分になる。思わず笑みが零れる。
早朝だからか、周囲は意外と静まっている。お陰でゆっくりと歩きながら花見ができる。落ち着いた心で見る桜はとても趣深い。
「静さんも来ればよかったのに、仕事だなんてねぇ」
「確かに、これは見せてあげたかったですね」
静は早朝に仕事に戻った。やはり忙しいようで、朝食も食べずに挨拶だけして家を出ていった。忙しくても必死に仕事をする母親の姿は尊敬するが、同時に心配でもある。体調を崩さないかどうか不安だ。目の前の美しい景色を共有できないのは残念である。
「幽々子さん、若葉、俺の隣に」
「え? うん」
せめて写真で見せてあげようと思い、義徳はスマートフォンを取り出して何枚か写真を撮った。義徳を中心に、背景の桜が目一杯写るようにシャッターボタンを押した。
「ハハ、あんまり写り良くないな……」
義徳に自撮りの経験は無かった。故に、かなり拙い仕上がりだった。加工も碌にできずクオリティの向上も望めないのでトークアプリを起動してそのまま母親に送信した。あの母親だ、どれだけ雑なものでも喜んでくれるだろう。根拠は無くともそんな確信があった。
「あんた、意外と親孝行よね」
「意外とって何だよ若葉。流石にこれくらいしないと罰当たりだろ」
「静さん泣いて喜んでくれるわよ。普段の義徳はこんなことしないもんね」
「そうだな。自分から誰かと一緒に写真を撮ろうと思ったのは生まれて初めてだよ」
親に生かされている立場として、少しでも恩返ししなければならない。慣れないことをしたのもそんな思いがあったからこそだ。静は義徳にとってたった一人の肉親で、殆ど家に帰れないくらい忙しい仕事をして養ってくれている。だから、それに報いるのは当然のこと。どんな形であれ少しでも母親に恩返しがしたい。
「うんうん、良きかな良きかな」
「どうしたんだよ」
「いや、ちゃんと成長できてるなって」
「は……?」
(成長? 自分が?)
何を思って成長していると彼女は言っているのか。自分はただやるべきことをやっているだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
「ごめん、ちょっと一人にしてくれないか?」
「どうしたの?」
「トイレ」
義徳はそんなことを言って、逃げるように二人から離れた。勿論嘘である。本当は一人で考えたいことがあったからだ。この状況で距離を置くのもどうかと思うが、このタイミングを逃したら暫くは考え事なんてできそうにもない。ある程度走り、二人が完全に見えなくなったのを確認した義徳は近くのベンチに座った。
(やっぱり、今日も夢を見たな……)
例のごとく、今日も夢を見た。今回は桜の木の下で死んだ父とそれに向かおうとする娘の話。やはり続いていた。これらは一体何だというのか。何を伝えようとしているのか。
(それに、あの女の子は……)
気になったことはもう一つある。夢に出てくる少女は幽々子に似ている。というか、幽々子本人に違いない。容姿、気品、風格、どれも幽々子と変わりない。恐らく、自身が見ているのは彼女の生前の姿。そしてその父は────。
「────義徳。私、トイレって聞いたんだけど」
思考の途中、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り向くと。
「わ、若葉!?」
「ふふ~ん、どうしたの? そんなに慌てちゃってさ」
「い、いや、何でも……」
どうやら、若葉は彼の後を付けていたようだ。全く気配を感じなかった。彼女の意図が分からず、しどろもどろな返答しかできなかった。何か意味深なことを言いたげなのは表情で分かる。しかし、その正確な内容までは見抜けなかった。
「お前こそどうしたんだよ。俺のことを追いかけてくるなんてさ」
「単刀直入に言うわよ。あんた────幽々子さんのこと好きでしょ」
「ッ!?」
それは遠慮など一切ない、余りにも直球な言葉。身体から蒸気がボッと吹き出しそうだった。
「図星ね。何も言わなくても反応を見れば分かるわ。顔、赤いし」
「んな訳……!」
「隠せてると思ってるの? どう考えても好きでしょ」
「……もしそうだとして、いつから分かった?」
「ショッピングの時から疑ってたわ。確信したのは地主神社の時ね。幽々子さんといる時のあんた、いつもと雰囲気が違うから」
「マジか……」
想像以上に早い段階で気づかれていたらしい。やはり若葉の洞察力は凄まじい。
今まで全く自覚はなかった。いや、自覚していてもその感情を無理やり奥底に閉じ込めていた。これ以上は駄目だと必死に言い聞かせていた。これ以上先へ行くと────今までの自分に戻れない気がした。
「具体的に言えば、幽々子さんを見てる時の義徳、少し辛そうな顔をしてる」
「ッ!」
若葉の言葉は的を得ている。幽々子のことを見る度に思うことがある。このままで良いのか、自分はしっかり役に立てているかと。逆に彼女とずっと一緒にいたいという気持ちも抱いている。どうやら、自分は想像以上に幽々子という存在に惹かれているらしい。明らかに矛盾した考えだった。
「確かに、俺は幽々子さんのことが好きだって思う。友人とか家族じゃなくて、その……一人の女の人として」
「はは~ん、やっと気づいた? 恋占いの石、ちゃんと効果あったわね。義徳と幽々子さん、とてもお似合いよ」
「そうか、ありがとう」
そう言われるのは嬉しかった。少なくとも悪く思われてないようで安心した。母親も同じようなことを言っていたことを思い出した。しかし、これ以上踏み込んだ関係にはなれない。なってはいけない。
「でも、若葉が考えてるような結果にはならない。俺と幽々子さんじゃ、住む世界が違う」
「そんなことないってば。私、応援するし、手伝うから────」
「ダメなんだ」
「どういうこと? 義徳の言ってること、よく分からない」
幽々子が冥界の亡霊だということを若葉は知らない。だから、彼の発言を理解できなかった。幽々子に関することは隠しているため分からないのは当然だ。
「……あんたは控えめな奴だったけど、弱気じゃなかった」
しかし、義徳の煮え切らない態度に若葉は苛立ちを覚えた。いつも前向きとはいかないまでも、決して後ろ向きな性格ではなかった。だが今はどうだ。恐れを抱いて弱気になっている。今の彼は見るに堪えない。だから、このまま放っておく訳にはいかなかった。
「義徳、何か隠してるでしょ。私にくらい本当のことを教えてよ!」
「そ、それは────」
「約束する、誰にも言わないって」
若葉の視線が突き刺さる。真っすぐこちらを射貫くように見つめてくる。その眼には確かな覚悟を灯していた。そこに嘘偽りは一切無いことを義徳は察知した。
「……分かった。若葉のことを信頼して話す」
ここまで言われたら黙ってる訳にもいかない。若葉の意思を無下にすることはできない。義徳は観念して事実を打ち明けることにした。
深呼吸をして、心を整える。不思議と少しだけ冷静になれた気がした。決心して、鉛のように重い口を開く。
「────幽々子さんは亡霊なんだ。もう死んでるんだ、ずっと前に。それで、この世界の存在じゃなくて、元々冥界……死後の世界にいたんだ。でも、俺の能力が原因でこっちの世界に来た。だから、幽々子さんが冥界に帰れるように色々動いてるんだ」
今までひた隠しにしていたこと打ち明けたからか、心か幾らか軽くなった気がした。なんだか背負っていた荷物を地に置けてすっきりした気分になった。
一方の若葉は予想通りといった感じだった。口に手を当てて驚愕していた。今まで接していた友人が実は既に死んでいたなんて現実離れも甚だしい。すぐに納得するなんて不可能だ。
「だから、これ以上踏み込んだ関係にはなれない。どのみち幽々子さんとは別れなきゃ────」
「だったら、義徳の言ってることは間違ってる」
若葉の答えは、否定だった。まるで裁判で判決を下すようにハッキリと、迷い無く、重圧が掛かった言い方。その証拠に、彼女は怒りで震えていた。こんなに怒った所を見たことがないという程に激しく。義徳にとってそれは不可解なものだった。
「分かってるだろ若葉! 俺の言いたいこと!」
「えぇ、分かるわ! 分かるわよあんたが言いたいこと! 幽々子さんが好きだから、大切だから、その想いが大きくなればなるほど別れが辛くなるって言いたいんでしょ? 大切な人を失う怖さや悲しさを理解してる義徳なら尚更よね」
衝撃。心の奥底に秘めていることを全て見抜かれた。心を読まれているような感じがして恐怖すら覚えた。止めろと言いたくても言えなかった。こうも完膚なきまで言葉にされると反論も何もあったものではない。
「────でも、それが何だって言うのよ。あんたはそれで後悔しないの?」
「ッ……!」
「言い返せないってことは、そういうことでしょ?」
言葉の槍は立て続けに降ってくる。若葉は義徳が言われたくないことを全て理解した上で話を続けている。幼稚園の頃から今までずっと一緒の親友で、清和義徳という人間の性質を熟知している若葉だからこそ可能な芸当だ。
「あんたがやるべきことは別れる時に後悔しないようにできる限り幽々子さんと接すること! 義徳と幽々子さんが結ばれちゃダメ、なんてことはないわ。この私が保証するから!」
(……そうだ、俺は)
怖い。辛い。苦しい。悲しい。大切な人と別れるのが。父と姉が死んだあの日から。以降は誰かと親しくならないように距離を置いて接してきた。でも、幽々子と接している内に知ってしまった。思い出してしまった。心の底から誰かを愛することを。今まで否定しつつも、誤魔化しきれなかった。幽々子と出会ってから、義徳は心の奥底でささやかな幸福を感じていた。心の底から楽しかった。
「だから、あんたは堂々としてなさい」
「……ありがとう。お前が幼馴染で、親友で本当に良かった」
今まではこれで本当に良いのかと自問自答を繰り返しながら行動をしていた。しかし、若葉の言葉で少しは目が覚めた。
廃神社で幽々子と別れた時、心の中で後悔した。もっと話がしたかった。もっと一緒にいたかった。もっと同じ時を共有したかった。そんな考えが頭を過った。もう叶わないかと思っていたが、幽々子が戻ってきた今なら或いは。
「感謝されなきゃ、あんたのために怒った意味が無いから」
そうだ、今まで若葉が怒る時は決まって誰かのためだった。彼女なりに自身を思いやって、真正面から向かい合ってくれた。全く、本当に良い親友を持った────今以上にそう思ったことはない。心の底から若葉のことを誇りに思う。
「あ、それともう一つ」
「何だ?」
「あとで色々聞かせてね? 聞きたいこと、山程あるから。死後の世界とか異世界とか……オカルトオタクとして証明しなくちゃいけないから」
「分かった……って、結構時間経ったな。そろそろ幽々子さんの所に戻らなきゃ」
「折角東京まで来たのに、こんなに待たせたら流石に申し訳がないわね」
腕時計を見て結構な時間が経っていることに気づき、二人は幽々子のいる場所に戻るのだった。若葉は意地悪い笑みを、義徳は安らかな笑みを浮かべていた。心の内はとても晴れやかだった。そんなことは顔を見なくても互いに分かり切っていた────。
学校が忙し過ぎて投稿がいつも以上に遅れてしまいました。今期はレポートが多過ぎてきつかったです。でもやっと落ち着いてきたので投稿できました。やっぱり一話完成させて投稿するのって気持ちいいですね。
今回もここまで読んで頂いて幸いです。