【完結】西行桜恋録   作:ハカナ

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ここから最終話です。アホ程長くなったので三分割で投稿します。


最終話第一部 幽雅に咲かせ、血染の桜

 西行妖は今日も狂い咲く。そして、少女は独り、その木の下に立つ。

 周囲は霊に満ち溢れていた。彼らは少女に願いを語る。立派な桜の下で眠ることは幸せだと。その願いを持つ者達が増えると、墨染の桜はより見事に咲き誇る。春を迎えるたび、その願いを叶えるのだ。

 しかし、それは歪んだ願いだ。呪いとも呼べる。“死は悲しくて辛いもの”であるという人の死の在り方を捻じ曲げ、“死は救済”という本質を植え付ける。人は本来、死を恐れるものだ。しかし、西行妖に魅入られた者は自ら死を望む。そこに恐れなど無い。

 そんな考えを抱く少女もまた、西行妖に魅了された人間の一人だ。既に数え切れない程の人を死に誘ってしまった。その死を見る度に死の本質を突き付けられた。喜びながら死ぬ数多の人間を前にして、少女の心は摩耗していった。死に誘う力が、そしてその力を持つ自分自身が、何よりも怖かった。死は絶対的なものである。何者もその理には抗うことはできない。

 命に優しくありたかった。死者の声を聞き、人の死を察知できる自分だからこそ、生きとし生ける者に優しくありたかった。しかし、今となってはもう遅い。過ちを犯す度、罪の意識が重く圧し掛かる。人の命を糧として生きる自身と西行妖の存在が忌々しくなる。心は矛盾に浸食され、崩壊していく。不治の病のように、自らを蝕む。

 そんな少女の心が晴れることはない。生きていても誰かを死に誘うだけだ。こんな生き方をしていても希望はない。生きたいと願うことは許されない。どれだけ贖ったところで罪は消えない。もう、後戻りはできない。

 そして、彼女は今その命を自らの手で絶つ。この災禍を終わらせるために。その心に恐怖は一切無い。

 

「ガッ……!」

 

 腹部を刃で貫く。瞬間、内臓から鮮血が迸る。刺し込まれた刃はどこまでも冷酷に、無慈悲に、残酷に、その痛みを伝える。身を焦がす程の苦痛に、身体が悲鳴を上げる。しかし、逃げてはならない。この痛みは多くの人を死に誘った自身への罰だ。罪を贖うためにはこうする他に無い。それに、心の苦痛を思えば肉体の苦痛など取るに足りない。これでいい。これが、最善で最良の選択。

 

「桜……綺麗……」

 

 少女は最も美しい桜の下でこの命を終えることに喜びを感じていた。死に誘う力。耐え難い悩みと苦痛、絶望に蝕まれた心。最早、今の彼女は普通の人間ではなかった。しかし、もうすぐそれら全てから解放される。故に、少女は自らの死を望む。心の底から笑みを浮かべながら。

 

「ふふ……」

 

 “死は救済”というのは、どうやら間違っていないらしい。こんな綺麗な桜の下でこの生を終えられるならば、この命も報われたというものだ。少女が最後に死に誘うのは、他ならぬ少女自身である。

 

「仏には 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」

 

 最愛の父が遺した歌を詠い、ゆっくりと目を瞑る。少女が最期に視たのは、幽雅に咲き誇る満開の墨染の桜だった────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「そうか、そういうことだったのか……!」

 

 ────目が覚めた。同時に、理解した。

 生前の幽々子と、西行妖。これらが示していた答えを、義徳は見つけた。

 西行妖。それはあらゆる人を魅了する桜。人の命を吸うことで誕生する桜。人を死に誘う桜。そして────幽々子自身の命で封印した桜。ならば、亡霊の幽々子がそれを見ることは決して叶わない。亡霊の最大の弱点は自分の死体である。その封印を解くことは西行妖の開花を意味すると共に、彼女の消滅を意味する。開花したところで永過ぎる時の流れによって死に至る。やはり、幽々子の望みは決して叶わないものなのだ。

 しかし、例外はある。ここには生前の幽々子と同じように生きた人間でありながら死に魅了され、死に誘う唯一の存在がいる。だからこそできることがある。

 

「そうだ、俺は……!」

 

 為すべきことは決まった。あとはそれを為すのみ。

 義徳は急いで階段を降り、リビングに移動する。幽々子とあの場所に行けば、全てを終わらせることができる。

 

「幽々子さん!」

 

 義徳はその名を呼ぶが、返事は無い。いつものように「おはよう」と返してくれる少女はそこにいなかった。代わりに、テーブルに紙が置いてあることに気づいた。

 

『暫く一人でいたい』

 

 間違いなく幽々子だ。自分以外にこの家にいるのは彼女だけだ。理論上で言えば紫の可能性もあるが、わざわざこんなことをする意味が無い。

 

「何でこんなこと……」

 

 彼女の突然の家出に疑問を覚える。このままではいけないと、義徳は最低限の準備をして外へ出るのだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 外は幾千もの桜の花弁が舞い散っていた。遂に満開となった桜達の宴、と言うべきか。その中を義徳は走り抜ける。このまま彼女と分かり合えないまま別れるなんてできない。

 義徳は幽々子がどこにいるか分かっていた。彼女の霊気を追わずとも、理解できていた。まるで運命に導かれるように、一心不乱にその場所へ向かう。

 そうして辿り着いたのは、あの春雪の日、幽々子と最初に出会った公園。二人にとっての始まりの場所。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 朝起きてすぐに全速力で走るのは義徳の身体に大きい負担をもたらした。全身が熱い。疲れた。しかし、ここで止まる訳にはいかないと自分を言い聞かせ、顔を上げる。その先に彼女はいた。

 幽々子は悲しげな表情で満開の桜を見上げている。やはり、普通の桜では満足できないのだろう。自身の望みは叶わないと絶望しているのだろう。それは義徳にとって何よりも辛いことだった。

 

「やっぱり、ここにいたんですね」

「義徳? 何で来たの……?」

 

 幽々子は彼から目を逸らす。

 

「何でって、探しに来たからに決まってるじゃないですか」

「もう少し一人でいたかったのに……もう」

 

 口では否定する幽々子だが、笑みを浮かべていた。肯定はされなくても、義徳はその言葉の裏にある真意を察していた。彼女は、彼がこの公園に来ることを確信していたのだ。

 

「ねえ義徳。桜、満開になったわね」

「そうですね。ここまで長いようで短かった気がします」

「けれど、色々あったわね」

「はい。本当に、色々ありました」

 

 思い返せば、幽々子と初めて会ってから一週間と少ししか経っていない。なのに、ここまで辿り着くまでに多くの出来事が起こった。ある時は彼女の健啖ぶりに戦慄し、ある時は幻想郷に帰る手段を模索し、ある時は彼女の求める理想の桜を探した。他にも若葉と共に幽々子の服を買ったり、共に亡くなった父と姉の墓参りに行ったり、東京に行って遊園地でデートをしたり。つい先程のことのように思い出せる。

 

「そして、そのどれもが楽しかった。幽々子さんとの生活全てが、俺にとっては眩しい太陽のようでした」

「私も同じよ。私達、やっぱり相性が良いのかしらね」

「当然、最高だと思いますよ」

 

 両者ともそれを信じて疑わない。生者と死者という相反する存在でありながら、通じ合うことができたのだから。

 

「だからこそ、幽々子さんに伝えたいことがあります」

 

 今まで必死に隠して否定してきたが、今更抑える必要など無い。強い想いで繋がっているからこそ、伝えなくてはならない。胸に秘めるありったけの気持ちを────。

 

「俺は────幽々子さんが好きです」

「え……?」

「その綺麗な顔、桜色の髪、天真爛漫で、優しくて、包容力があって、儚げで、桜が好きで、大食いで……その他も全部、全部好きです。大好きです」

「え……え? 義徳?」

 

 突然の告白に困惑する幽々子。しかし、義徳は構わずに言葉を紡ぐ。

 

「そんな幽々子さんと、俺は死ぬまで(・・・・)一緒にいたい」

「そ、そんな、いきなり────」

 

 頬を赤らめる幽々子。いつも余裕の表情を見せる彼女にしては珍しい反応だった。そういう一面も愛おしい。

 義徳は幽々子の顎に指を添え、そのまま引き寄せる。勢いに任せて唇を重ねた。時間にして僅か数秒、しかし永遠にも感じられた。それは偏に彼女を愛しているからだ。義徳にとって絶対にして唯一の理由だ。

 

「……どうです。これが俺の答えです」

 

 こうして幽々子と触れ合いたい。たとえ短い時間でもいい。普通の人間であるうちにそれをできたことが義徳は嬉しかった。

 

「やっと……やっと、伝えてくれたわね。貴方の想い」

「っ……!」

 

 羞恥に駆られる義徳に、幽々子が抱き着いた。

 

「私も貴方が好き。その鮮やかで綺麗な紅い瞳、人の死を自分のことのように悲しめる優しさ、危なっかしくて放っておけないところ、私のために全力で動く姿……全部、全部大好き」

「幽々子さん……!」

 

 気づいていながらも、今まで向き合おうとしなかったもの。改めて聴く幽々子の想いは、自分を肯定してくれるようで喜ばしいことだった。

 

「死者である私が、まさか人間に恋をするなんてね」

「それを言うなら俺もです。生きた人間が、亡霊の女の子に恋してるなんておかしい話ですよ」

 

 生と死。決して相容れない存在。それでも惹かれたのは────運命に他ならない。

 

「だから、俺と一緒に理想の桜を探しましょう。貴女の望みが決して叶わないものじゃないって、証明してみせます」

「ありがとう。でも、受け取るのはその気持ちだけにしておくわ」

「は……?」

 

 義徳は困惑した。いや、呆れたと言った方がこの場合は正しい。目の前の亡霊はいきなり何を言っているのだろうか。ここまで言わせておいて、今更この気持ちを否定するつもりか。

 

「義徳はもう普通じゃいられない。だから、その時(・・・)が来るまで私は大好きな貴方と共にいる。桜は────もういいの」

「どうしてですか?」

「一人であれこれ考えたけれど、やっぱり私が悪いもの。貴方を散々振り回して、得た結果が人を死に誘うだなんて……だったら、私が責任を取らなくちゃいけないわ」

「成る程……」

 

 幽々子の言葉は、義徳の逆鱗に触れるには十分過ぎた。感情が爆発する。抑えられない。頭に来た。自分は幽々子のために命を投げ出す覚悟で来てるというのに────。

 

「────そんな馬鹿なこと、言わないで下さい!」

「え?」

「馬鹿なこと言わないで下さいって言ったんです! 何がもういい、ですか! 人を散々振り回しておいて、探し物を頼んでおいて、もういいだなんて虫が良過ぎますよ!」

 

 良く言えば天真爛漫、悪く言えば傍若無人な彼女の振る舞い。それについて一度はこうして怒らなければならないと義徳は常々考えていた。散々こちらの都合を無視しておいて、この土壇場で自分の純粋な想いを否定されたのだ。頭に血が上るのも仕方が無いことである。今まで頑張って耐えてきたと自分を褒めてやりたい気分だった。

 

「……確かに幽々子さんからしてみれば、俺は頼りないかもしれません。でも、それでも俺を頼って下さい! 俺に貴女の求める桜を見つけさせて下さい! ここで後悔したくないなら、俺と一緒についてきて下さい! 俺のこと、必要だって言って下さい!」

 

 義徳は感情に任せて捲し立てる。幽々子は心からそれを望んでいる癖に。責任とかいうつまらない理由で否定させるものかと立て続けに叱咤する。

 

「だから、もういいとか絶対に言わないで下さい。次言ったら何があっても許しませんから」

 

 義徳が人生でこれ程の怒りを露にしたのは初めてだった。きっと最初で最後だろう。これ以上反論されたら彼女を許せそうになかった。

 

「……ごめんなさい。そして、ありがとう。私には義徳が必要だわ。貴方と一緒なら、何だってできる気がするの」

「その言葉、待ってました」

 

 幽々子が望むのなら何であろうとやってみせる。義徳はそのつもりで彼女の前に立っている。

 暖かい春風が頬を撫でる。咲き乱れる満開の桜が激励してくれている気がした。

 

「じゃあ、行きますよ」

 

 これで全ての準備は整った。漸く幽々子の絶対に叶わない望みを叶えることができる。この方法ならば、間違いない────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「ここはあの時の廃神社、よね?」

 

 幽々子の疑問は一理ある。以前、この廃神社にはどこかにある博麗神社を探すために訪れた。その際に桜を見た。それが幽々子の望むものでないことを知っている。

 しかし、義徳にとってこの場所以外考えられない。絶望の中必死に悩み、苦しみ、考えた結果、辿り着いたのはここだった。

 

「はい。ここでいいんです。ここには、幽々子さんの探していたものがあります。俺、見つけたんですよ」

「どういう、こと?」

「ここに貴女の求める桜があるんです」

 

 咲き乱れる満開の桜の中に、たった一つ存在する朽ちた桜。一切の花を付けず、今にも崩れ落ちそうな巨木。とうの昔の枯れた神木。もう、生き返ることのない死んだ桜。

 しかし、今この時だけは。例え禁忌を犯そうとも、為さねばならないことがある。

 

「────仏には 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」

 

 詠う。彼の歌聖にして幽々子の父、西行の歌を。死ぬ時は桜の花を供えてくれればいい。そうして誰かが弔ってくれるならば、少しは救われるというものだ。

 

「幽々子さん、一分だけ目を瞑ってて下さい」

「え、ええ……」

 

 幽々子に目を瞑らせ、手で覆わせる。こんなことをさせる必要は無い。ここでも問題無く遂行できるにも関わらず、彼女にこんなことをさせる自分は卑怯だ。ここに来て少し覚悟が鈍ってしまった。やはり、その時が近づくのは怖くて、彼女に醜い姿を見せるのは恥ずかしい。でも、自分はこの道を選んだ。だったら、走り切るしかない。

 義徳は朽ちた桜へ向かう。そして、幽々子からは見えない位置で止まり、懐から包丁を取り出す。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 その先端を自身の腹に突き付ける。手がガタガタと震える。ここまで来て、まだ少しの躊躇いが残っていた。どうやら、自分はまだ普通の人間らしい。死を恐れている。自身の明日や未来を己の手で潰すことに恐怖を感じている。

 

「恐れるな……!」

 

 必死に言い聞かせる。ここでやらなければ、今までの覚悟はどうなる。幽々子の意思を無下にしてどうする。未練がましく生き残ったところ待っている未来は死だ。誰も幸せにはならない。それどころか最悪の不幸をもたらすことになる。考えてみろ。今できる後悔しない選択を。最善で最良の選択を。もう分かっていることだろう。

 もうすぐ一分。幽々子が目を開ける。それまでに事を為さなば意味が無い。

 

「そうだ、たった一つ……俺にしかできないことがあるだろ!」

 

 幽々子に望む桜を見せること。自身が人を死に誘わないようにすること。その二つを同時に解決できる選択。改めて自分に問う。

 ────既に答えは得ている。ならば、それ以外の命の意味は不要。ここで、為すべきことを為す。

 

「────グッ!」

 

 葛藤を乗り越え、自らの腹部にその刃を突き立てる。これこそ、義徳にのみ為せる業。自らの命を捧げることで死んだ桜を咲かせる禁忌の呪法。嘗て人を死に誘ったあの少女がそうしたように、義徳も桜の下で死ぬことを選んだのだ。明確に違うのは、少女は桜を二度と咲かせないために自刃したのに対し、義徳は桜を再び咲かせるために自刃したことだ。

 弘川寺での一件と、生前の幽々子の夢。この二つが無ければこの方法を見つけることはできなかった。そして、紫の言葉が無ければ実行する覚悟ができなかった。どれか一つでも欠けていたならばこの道に至ることはなかった。

 

「アッ、アァ……!」

 

 苦痛が全身を蝕む。想像を絶する程の激しく鋭い痛み。これは死に直結するものだと考えることすらなく本能で理解できた。最悪の気分だ。

 腹部からは鮮血が溢れ出る。徐々に冷たくなっていく身体に反して、その痛みと血は温かい。これが生の温もりなのだと義徳は改めて実感した。

 痛い。苦しい。辛い。怖い。全身を串刺しにされた気分だった。これを堪えようだなんて頭がおかしいとしか思えない。しかし、それでも逃げてはならない。自身は幽々子の望みを叶えるための最後のピースだ。彼女に足りなかったのは死に魅入られた命である。それさえあれば、桜を蘇らせることも封印することも訳ないことだ。自身はそのための生け贄だ。そう思えば、こんな苦痛は屁でもない。

 上を見上げる。自らの血、苦痛、そして命を啜り、枯れた巨木は瑞々しく蘇る。やっと辿り着いた。これこそが、求めて止まなかった究極の真実。幽々子の望みそのもの。

 

「やっと、これで……!」

 

 やはり、この判断は間違いではなかった。これが、清和義徳が選んだ道。彼にとっての最善で最良の選択。その命を自らの手で絶つ。そうすることで幽々子を冥界に帰すと同時に、望みを叶えることができる。

 徐々に桜が花を付ける。それは薄紅ではなく、赤く、紅く、朱く、緋く、赫い血染の花。脈打つように花は咲く。妖しく幽雅に咲き誇る────。




 やはりという感じですが、文字数が多くなったので分割しました。細かい後書きは三部で書きます。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。

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