黒衣の剣士と最速の短剣使い   作:蒼月さくら

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「今日で終わりか」

 俺は愛用しているクナイに似たデザインの短剣をクルクル回して遊びながらはじまりの街へと向かう草原を歩いていた。

 俺の名は藤咲羚弥(ふじさきりょうや)―ユーザー名、Rei(レイ)として登録している世界初VRMMORPG【ソードアートオンライン】―略してSAOといわれるゲームの発売前…いわゆるβテスト版をプレイ中だ。

 兄さんがどうやって手に入れたか知らないがナーヴギアとSAOのソフトを俺にくれた。曰く「1回くらい思いっきり自由に走ってみたくないか?」という兄の誘惑に負け、人生初のゲームにログインしたわけだ。とは言ってもβ版を兄さんが貸してくれてるだけだから正規も出来るのかは微妙なだけど。

「やらせてくれるかな、正規版」

 不思議なものだ。SAOに出会うまでゲームなんか興味なかったのにゲーム一つでこんなにも魅了されるなんて。

「βでこれだけ楽しいんだ。正規はもっと楽しいんだろうな」

 ログアウトしたら頼んでみよう。アカウントを作らせてもらえるように。

 β版最終日、VRの世界に魅了されMMORPGの楽しさを満喫した俺は正規版への期待に胸を膨らませログアウトした。

 

――2ヶ月後…

 

「リンク・スタート」

 既に懐かしいとすら感じる浮遊城の空気に少しずつ戻ってこれた喜びが込み上げてふっと口元を緩めた。

「普通、弟にやらないよな。あんな高価な物」

仮想世界(バーチャル)現実(リアル)の話はご法度だぜ、えーと…」

「……レイでいい。あんたは?」

 突如、声を掛けて来た赤毛ロングの男に俺は内心、心臓が飛び出すんじゃないかと思うくらい驚きつつ名乗り、男に問う。

「俺はクラインだ、よろしく。見たとこMMORPGに慣れてなさそうだったんで声を掛けたんだが余計だったか?」

「別に。実際、慣れてないしMMORPGどころかゲーム自体、SAOが初めてだ。β版はしてるけど」

「なら、一緒に狩りしねぇか? 見たとこ1人だろ、お前」

「言っとくけど、武器違うからな」

 妙にフレンドリーなクラインという男に俺は気恥ずかしくて素っ気なく言い返し街の外へと向かった。

 

 

「で、何でレイの方が経験ないのにお前の方が出来ないんだ? クライン」

「……」

「だーっ! うっせーよ!」

 苦笑い…しとけばいいのか?この場合…

 クラインと草原に出る前に教えてくれる奴がいるよなと明らかに俺と同類っぽいアシンメトリーの黒髪の男―キリトにご教授頂くこと数時間。キリトの何とも言えないような顔と呆れた風な突っ込みにクラインは吠える。ここまでの戦歴は俺が猪みたいなモンスター三体と妙にでかいハチみたいなモンスターを二体。対するクラインが猪のモンスター一体だ。

「クライン、うるさい。キリト、そろそろログアウトしたいんだが…」

「俺も落ちるよ。クラインは?」

「俺も落ちるぜ。熱々のピザが待ってるからよ」

 ふぅん…クライン、今日の夕飯ピザなのか…そんな呑気な事を考えながらメニューを開いてログアウトボタンを探す。

「……は?」

「どうした?」

 我ながら間抜けな声だと思う。でも仕方ないだろう? SAOという世界から出るにはログアウトを押さなきゃいけない。そうじゃないと現実の自分が大変な事になる。そのログアウトボタンが見当たらないのだから。

「ログアウトボタンがない」

「んな、アホな」

「ログアウト出来なかったら大問題だぞ」

 俺のとんでもない発言に2人はログアウトボタンを探す。でもあるのは問い合わせだけ。このVRMMORPGというゲームにおいて必要な…必要不可欠な物がないんだ。

「な、なんかのバグだろ。もう少ししたら――」

 クラインの声を遮ってどこからかゴーン…ゴーンという鐘の音が聞こえた。次の瞬間…

 

【はじまりの街―転移門前―】

 移動した覚えもないのに見覚えのある街に移動していて辺りには全プレイヤーがいるんじゃなかろうかというくらいの人がいた。皆、何がなんだか分からない状態でどよめいている。

「……」

 俺が好きな空は気味が悪いくらい紅くて何か良くない事の前触れのようにシン…としている。仮想世界にいる筈のに息苦しくて発作でも起きているんじゃないかと思うくらい胸が痛い。

「大丈夫だ、レイ」

「……ん」

 俺の異変に気付いたキリトが声を掛けてくれて次の言葉を紡ぐ前に深紅の空にWARNINGという文字が浮かび上がる。現れたのは真っ赤なローブを着た“何か”そいつは自分は茅場晶彦だと名乗り、信じられない言葉が脳を揺さぶる。

「ログアウトボタンがないのはSAO本来の仕様である。クリア条件は浮遊城アインクラッド第百層までクリアすること。繰り返す。これは――」

 

――後にも先にも自身の選択をこの日ほど後悔した日はない。これから約2年間…“これはゲームであって遊びではない”その言葉の意味を痛いほど知ることになる

「いやぁぁ!」

「ふざけんな!」

「出して、ここから出してぇ!」

 赤いローブが消えた後、この場にいるプレイヤー全員が恐慌状態に陥った。それは俺も例外ではなく――

「ゃ…嫌だ…帰せ、兄さんの所に帰せよ!」

 恐い、死にたくない…そんな感情の渦に飲み込まれてその場に座り込み、耳を塞いで涙する。

自由を望んだのがいけなかったのか?

仮想世界でも空の下で走り回る事がそんなにいけないことなのか?

やっぱり俺なんか……

「…イ…レイ!」

「ぁ…キ…リト…」

 恐慌状態の俺を引き戻してくれたのはクラインかと思えばキリトだった。

「大丈夫とは安易に言えないけど落ち着け。クラインは現実《リアル》の仲間を探しに行った。動けるか? ここじゃ話も出来ない」

「……」

 現実でもないのに苦しくて頷くのが精一杯の俺はコクンと首を縦に振る。それを見たキリトは俺を引っ張るようにして路地裏に連れ込み樽みたいな物に座らせてくれた。

仮想世界(ここ)じゃ現実(リアル)の話はご法度だからあまり聞かない方がいいんだろうけど、何かあるのか? 取り乱し方が尋常じゃなかった。もしかして―」

「…不適合じゃねぇよ。体が弱いんだ、生まれつきで。薬だって色々飲んでるし生まれてこの方、友達らしい友達なんて出来た試しがない」

 恐慌状態の広場から離れた事で少しながら落ち着いた俺はキリトの問いに答える。此処でなら自由になれると思ったのにやっぱり俺は不自由なままだ。

「……なら、俺と来ないか? 自慢に聞こえるかもしれないが俺はβの時、10層まで行った。ここだって良い狩り場もクエストも知ってる。もし、お前が嫌じゃないならだけど」

「…足手まといになるぞ。俺、ストレスや不安なんかで症状が出るようなのがあるから多分、仮想世界(ここ)でも少なからず影響は出る」

「尚更だろ、そんなの。1人くらい守れる自信はあるぞ」

 心外だと言わんばかりに言うキリトに俺は思わず、クスクスと笑った。使う言葉が違うだろ、それは

「なんだよ」

「何でもない。途中で組んだ事を後悔しても知らないからな」

 一頻(ひとしき)り笑うだけ笑って立ち上がった。どこまで行けるか分からない。だからって早々に死んでなんかやらないし死んでやるつもりもない。絶対にクリアしてやる。クリアして兄さんにとんでもないゲームだったけど友達が出来たって自慢してやるんだ。そう心に決めて俺はキリトと共に街を出た。

 

 

「今日は大丈夫そうだな、レイ」

「……前々から思ってたけど過保護にも程があるぞ、キリト」

 あの日から2年…最前線は74層となり、未だに不安を残す俺は今日も今日とてキリトと組んで攻略していた。

 あの絶望とも言うべき約一万人が仮想世界に囚われてから約1ヶ月…早くも2千人の人達が命を落とした。今は茅場晶彦の言葉を信じずに外部からの助けを待つ人、他の人達と協力して解放の日を目指す人、最初に貰った(というよりは持っていた)コルで食料を買えるだけ買って食い詰めた人…で、残りが俺達ソロプレイヤーと呼ばれる人達。正直に言って、俺はキリトに助けてもらってるだけなのでソロなのかは疑問だが仮にキリトに声を掛けて貰わなかったら外部からの助けを待っていただけだと思う。

「お前は過保護くらいが丁度良い気がする。にしても見てくれが完全に暗殺者なんですけど。俺の相棒」

「うっせーよ。暗殺者(アサシン)言うな」

 あれから何かメインにする武器を決めておいた方が良いと色々試した。片手直剣、片手細剣、槍…多分、盾と両手斧以外は試した気がする。結果的に短剣で落ち着いたわけだが…我ながら何でこんな超が付くほど近距離に接近しなきゃ攻撃出来ないようなのを選んだのか不思議としか言いようがない。

 ちなみに暗殺者というのは俺、レイに付けられた不本意かつ物騒な異名だ。気持ちは分かるけど。俺、単純に攻撃するんじゃなくて毒や麻痺、火傷という巷でいうところのデバフが掛かるようにしてるから下手な攻撃より質悪い。

 それはさておき―

「で、これからどうするんだ? 今日はこれで終わりだろ?」

「日没までまだあるし、少し森に行こうかなと」

「珍しい。さっさと寝床に行く奴が――」

 聞き覚えのない獣の鳴き声が僅かに俺の耳へ届いた。どうやらそれはキリトも同じだったようで俺達はピタリと会話を止めて慎重に音源の方向を探る。

 組んでいるとはいえ、互いにソロで活動している以上、共通して鍛えているスキルがある。索敵スキルというものだ。不意討ちを防ぐのは勿論だが熟練度が上がると隠蔽状態のモンスターやプレイヤーを見破れる事も出来る。

 出来るだけ気配と音を消して近付くと10メートルほど離れた大きな樹の影にモンスターの姿が視界に浮かび上がる。聞き慣れない音や見慣れない物の出現はイレギュラーな幸運か不運かの二択を意味するが果たして――

「……マジか」

「変なとこで運使うなよ…」

 木の葉に紛れる灰色がかった緑の毛皮、体長以上の長さがある耳。俺の方が早くターゲット状態になったのか視界に黄色いカーソルとモンスター名が表示されている。

 モンスターの名はラグー・ラビット。超が付くほどレアモンスターだ。噂には聞いていたがまさか実物をお目にかかる日が来るとは思わなかった。この木の上にいるもこもことした触り心地の良さそうなうさぎは特別、強いわけでもなく経験値が莫大貰えるわけでもないがどういうモンスターなのかキリトも知っているのだろう。腰のベルトから、スッと暗殺者さながら投擲用の細いピックに手を伸ばす。

「待った、キリト。俺のが上手い」

「それもそうか」

「貰うぞ」

 キリトの手から細いピックを抜き取ると慣れたように投剣スキル―シングルシュートを放つ。俺の手から放たれたピックは一瞬の輝きを残し攻撃した事で赤いカーソルになった梢の陰にいるであろうラビットのもとへ吸い込まれていった。

 そして――

 ラビットのHPは全損し、一際甲高い悲鳴が俺達の耳に届く。俺は期待で目を輝かせているキリトに苦笑いしつつ右手を振ってメニューを呼び出しアイテム欄を開いた。

「お、入ってた」

 新規入手品の一番上に表示されていたのはラグー・ラビットの肉。売れば10万は下らない代物。2人でオーダーメイドの武器を誂えても釣りがくるほど高級な肉。なぜ、ラビットの肉にこんな額が付くのかそれは単純に美味いからだ。否、実際に食ってるわけじゃないから最高級に美味いよう設定されていると言った方が正しいかもしれないが。

「おー…」

「じゃなくて。どうするんだ、これ」

 隣で本当に俺と同年代―確認したわけじゃないから分からないけど―なのか疑いたくほどキラキラとした顔をする相棒に俺は、はぁぁ…とため息を吐いて頭を軽く叩き、現実へ呼び起こす。

「欲を言えば食いたい」

「だろうな。だがキリト。残念だが俺はコイツを調理出来るほど料理のスキルは高くないぞ」

 正直を言えばSAOの娯楽はさほど多くない。仮に百人アンケートを取ったとして半分以上が食という程度には。俺は現実(リアル)でも楽器―エレクトーンだけど―をしていたので気晴らしに吟唱スキルで歌ったり危ないからやめろって言われるけど星を見に行ったりするからキリトと比べれば多い方なんだろうけど。

 ちなみに料理スキルの熟練度を満たしていないのに最高級食材を使うとどうなるか。単純明快、失敗する。キリトは言わずもがな、俺も失敗する側だ。

「……」

「いっそ、売るか? そろそろ装備も新調しなきゃいけないし」

―視線が痛い。俺は正論を言ってるだけなんだけどなぁ…

「街に戻って調理出来る人が確保出来たら食うか。いなかったら売って山分け。で、新調すると」

「……そうするか」

 両者―というよりは確実にキリトが納得する形で街へと戻り馴染みの買い取り店へと向かうべく、転移門へ向かう。

「待った。お前、しっかりしてそうで抜けてるよな」

 キリトは周囲を索敵スキルで探り、腰の小物入れ―ベルトポーチから綺麗な宝石にも似たアイテムを出した。

「辺りに盗賊プレイヤーがいないとも限らないし転移結晶(これ)でアルゲードに行くぞ」

「……あまり好きじゃないんですが」

「知ってる」

 転移結晶。それは魔法という概念がないこの世界にある数少ないマジックアイテム。青なら転移、ピンクはHP回復、緑は解毒と様々な効果を持つ。ちなみに俺はこの転移結晶を使った移動が苦手だ。なんというか、冷静に考えればあり得ない話なんだけど酔ったような感覚になる。元々、乗り物に弱いからもしかしたらナーヴギアを付けた俺の脳がそう錯覚しているのかもしれない。余談だが、この結晶系のアイテムは目が飛び出るほど高価なので、やたらと使える代物ではなく回復や解毒なんかはポーションがあるのでそっちを使うのが主流だ。

「行くぞ。転移、アルゲード」

「ちょっ――」

 しっかりと手を掴まれ、心の準備もなく幾つもの鈴を一斉に鳴らしたかのような美しい音色と青い光に包まれて俺達は消えた。

 さっきまでの自然溢れる木々の葉が擦れるざわめきから打って変わり、甲高い鍛冶の槌音や賑やかな喧騒が聞こえる。俺の我が儘で此処、アルゲードを拠点にしていないが背の高い建物がなく広大な敷地内に何を売ってるかも分からない工房や何か釈然としないアルゲードそばやアルゲード焼きとわけの分からない物を売ってる店やら一度、入れば二度と戻って来れないような怪しい隘路《あいろ》が重層的に並んでいる猥雑な雰囲気の街。

「……」

「一応、声は掛けたからな」

「…そうですね」

 錯覚だと思いたいけど何度、経験しても慣れないこの感覚に不機嫌を隠せない。後、うるさい。現実《リアル》でこういう喧騒の中に行った経験があまりないからか、こういう場所は嫌いではないものの苦手ではある。不機嫌が顔に出る程度には。

「さっさと用事を終わらせてねぐらに戻れば良いだろ。その時はちゃんと門を使うし」

「ん」

不機嫌丸出しの俺にキリトは苦笑いして馴染みの買い取り店へ足を向ける。人混みを縫いながら歩くこと数分…五人も入ればいっぱいになりそうな店内にはプレイヤー経営のショップ特有の混沌とした陳列棚が並び、武器や防具に始まって道具、食料と商品がこれでもかと詰め込まれている。

「相変わらず阿漕(アコギ)な商売してるな、エギル」

「安く仕入れて安く提供するのがウチのモットーなんでね。で、お前さんは何でそんな機嫌悪そうなんだ?」

「……元々、こういう場所が得意じゃないのと結晶で来たから少し酔った」

 商談を終えたばかりの店の主―エギル。180センチはありそうな体躯は筋肉と脂肪でがっちりしておりゴツゴツした岩を削ったかのような造作の顔は悪役レスラーを思わせる。果てには唯一、自由にカスタマイズ出来る髪型がスキンヘッドというのだから見てくれだけで言えば蛮族系モンスターの怖さに引けを取らない。この人が組むパーティーも似たり寄ったりな集団なので俺達はこう呼んでいる“アニキ軍団”と。

「それでその顔か。大変だな、現実(リアル)で持ってるもんがあると。で、今日は何を売りに来たんだ?」

「ん? 喉から手が出るほど欲しい食い物?」

 トレードウインドウが表示され、そこに件の“喉から手が出るほど欲しい食い物”を提示する。すると分厚くせり出した眉稜の下の目が驚きで丸くなった。

「すげぇな。S級レアアイテムのラグー・ラビットの肉じゃねぇか。現物なんざ初めて見たが…食おうとか思わなかったのか?」

「キリトが食いたそうな顔してたけど、生憎S級食材を調理出来るだけのスキルを上げてな――誰の腕を掴んでるんだ、キリト」

 なによ、という聞き覚えのある声に人が商談している時に何で少女の腕を掴んでいるんだコイツとか思いながら振り向けばそこには説明してみたいな顔をする少女がいた。

 栗色の長い髪を両サイドに流した大きな榛色の瞳、すらりとした体に纏うのは紅白を基調とした騎士風のバトルドレス。白革の剣帯に吊っているのは美しく優雅という言葉が似合いそうな白銀の細剣―SAO内ではほとんどの人が知っているであろう有名人、アスナがいた。

「ぁ、レイさん。いきなりキリト君に腕を掴まれてシェフ確保って言われたんだけど、どういう意味?」

「……まず、説明をしてやれ。このバカキリト。エギル、悪いが商談はなかった事にしてくれ」

 エギルに断りを入れてカウンターから離れ、キリトを小突く。相手が知らないプレイヤーだったらハラスメント警告で黒鉄宮行きだぞ、お前。

「――ってわけなんだ。悪いけどあいつに作ってくれないか? 勿論、山分けで」

 ラグー・ラビットの肉を手に入れた経緯を話し、アスナに食材を渡して暇そうにしているキリトを親指で指差す。

「それは別に構わないけど、レイさんは来ないの? S級食材なんてまたとない機会よ?」

「ぁー…作るのは多分、アスナの家になるだろうから遠慮しとく。少し気になる事もあるし。知らない仲じゃないとはいえ、男2人に女1人はまずいだろ」

 ストレージを操作してラビットの肉をキリトの渡し、2人が気にしないような断りを入れる。エギルやクラインはそうかの一言で終わるんだが、この2人は優し過ぎて下手な断り方だと断る行為自体が憚れるほど気に掛けてくれる。その優しさはいつか、その優しさが仇となって命の危機にでも陥るんじゃないかと気が気じゃないくらいだ。

「そう? じゃあ、お言葉に甘えて。行きましょ、キリト君」

「……感想文とかいるか?」

「学校の先生かよ、俺は。いらねえからさっさと行け」

 アホな事を言う食い意地の張った相棒をアスナと一緒に追い出す。何か、一悶着ありそうだけど、あの2人なら大丈夫だろ

「……っ…」

「おっと」

 2人の影がなくなった後、今まで耐えていた何度も経験したこの世界ではあり得ない痛みにその場に崩れ落ちそうになる。膝を付く前に俺を支えてくれたのは逞しい色黒の腕―エギルの腕だ。

「大丈夫か?」

「たまにくらいだから平気…少し休めば治るし」

 カウンターの中にある樽に腰かけてあり得ない胸の痛みと息切れに苦笑いして答えた。圏内だからこうして休んだり出来るがこれが圏外なら確実に死ぬ。この妙な不調が出ているのを知っているのはエギルとクラインの二人くらいでアスナとキリトは知らない。

「レイ、何でも無いように言ってるが痛みもない仮想世界(ここ)で胸の痛みや息苦しさが出るってのは充分、異常だぞ。2人にも言った方が良いんじゃないのか?」

「バカ言え。あの二人は最前線攻略組だ。俺なんかに気を使ってたら攻略が遅れるだろ」

 エギルの厳しい言葉に俺は正論で言い返す。この事を話せばあの二人は俺に気遣って攻略に集中出来なくなる。そんな事になれば俺だけじゃない。この浮遊城に囚われてる人達、皆の解放が遅れるんだ。それだけは避けなければいけない。

「…お前が言うなと言うんならオレもクラインも何も言わねぇ。だが、絶対に1人で迷宮区に入るな。メッセージをくれればオレも入る」

「さんきゅ」

 皮肉なものだ。現実(リアル)では兄さん以外に心配してくれる人がいないのに仮想世界《ここ》では俺の身を案じてくれる人がこんなにいる。現実と仮想世界の差に複雑な気持ちになりながらエギルの店を後にした。

 

 

「アスナ、大丈夫だったのか? あれ」

 レイと別れた俺は先程、副団長命令という権限を使った護衛解除により無理矢理帰らされた長髪の自尊心の高そうな長髪の男―クラディールの事を思い出しながら聞いた。

「……わたし1人の時に何度か嫌な事があったの。でも護衛なんていらないって言ったんだけど参謀職の人達にギルドの方針だからって押し切られちゃって」

 するとアスナはピタリと足を止めてトントンとブーツのヒールで地面を鳴らしながら小さなため息を吐く。

「昔はね? 1人、1人に声を掛けて作った小さなギルドだったの。いろんな人が入れ替りして大規模になって最強ギルドなんて言われ始めてからおかしくなっちゃった」

 誘われたら迷わずギルドに入れ…そう言ったのは他の誰でもない俺だ。もし、同じ状況になっても同じように言うだろう。それだけアスナの統率力はそれだけ目を見張るものがあったし実際、血盟騎士団に入ったことでその能力は見事に開花している。

「まぁ、大したことないから気にしなくていいわよ。それよりレイさん大丈夫かしら」

「十中八九、“気になる事”ってのは嘘だろうな」

 くるっと向き直って歩き出すアスナに続いて俺も歩き始め、ポツリと聞こえたレイを案じる言葉に俺も確信染みたように言い返す。

 この浮遊城に囚われてから2年間。3人になったり俺がある事件により自暴自棄になったりはしたが少なくともアスナよりはレイの事を分かってるつもりだ。おかげでちょっとした嘘も見抜けるようになった。

「何で嘘って分かるのよ」

「勘って言えればいいんだけど店から追い出す時、妙に焦ってたし少しカウンターに凭れてた」

「凭れるくらい誰でもするでしょ?」

「現実ならな。でも此処は幻想世界(バーチャル)だ。此処で不調なんてそれこそ現実の体に何か――」

 ないとならないと言おうとして黙った。レイには何かなる理由があるのを知っているから。全てが始まったあの日、本人から聞いた“あの事”が関連しているならレイだけタイムリミットがある事になる。否、そういうタイムリミットなら誰しもあるにはあるのだろうがレイはそのタイムリミットが短い。

「ちょっと急に黙らないでよ」

「あ、あぁ。ごめん」

「何か心当たりがあるの?」

「……ここで話せる話じゃないから話せない。あくまでも推測だし、レイの話になる」

 腕を突かれ、むっとした顔でこちらを見るアスナに軽く謝罪し、少し辺りを見てから断りを入れる。

 此処、六十一層にあるセルムブルグは華奢な尖塔を備える古城を中心に白亜の花崗岩とふんだんに配された緑、広大な湖と、とても美しい街だ。先程までいたアルゲードと比べれば治安も盗み聞きも断然、少ないのだろうが万一の事を考えれば此処で話すのは得策じゃない。

「分かったわ。込み入った話になるなら早く行きましょ。日が暮れちゃう」

 少し歩みが早くなったアスナに俺はそうだなと相槌を打って再び、歩き出した。

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