荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
指揮官たるものは、常に冷静でなければならない。
船長たるものは、常に余裕を持って行動しなければならない。
そのことは重々承知している。
だが、それでも……この事態は予想外だったと認めざるを得ないだろう。
制服の上着を脱ぎ、少しばかりラフな格好の私の傍には、大きなバンダナを頭に身に着け、その毛先は幾つもの三つ編みにされており、極めつけはシャツのボタンを閉めず、零れそうなお胸様の谷間がしっかりと拝める状態である。
通常であれば目が幸せ、ユーハングで言うところの眼福であり、口元のほくろがチャームポイントのお色気ムンムンなお姉さん。
しかし……。
「船長~たまにはアタシの事も構って欲しいっすよ~。これでも諜報から工作まで最近はずっと忙し……もごもご……!」
まったく悪びれた様子もなく、むしろ誇っているかのような態度で追加のユーハング酒を口にする彼女は、ゲキテツ一家のレミ。
通称、飲んだくれのレミである。
「アタシはそんなに飲んでいないっす! 瓶を数本空にした程度で飲んだなんて失礼っすよ!」
下戸の身からすればそれは十分に飲み過ぎだと思うのだが……。
「……もしかして船長はアタシの身体を気遣ってくれているっすか? それなら心配ないっす! アタシはお酒に強い方っすから!」
そう言って、レミは瓶から直接酒をあおり、豪快に傾けて一気に飲み干してしまった。
「ぷはぁ! やっぱりこの一杯のために生きているっすねぇ!」
そして、レミは満足げな表情で空になった酒瓶を見つめると……。
「船長~おかわり欲しいっす~」
それは構わないが……いい加減この姿勢を止めないか? 私の膝の間に座りながら酒を飲むのは。
そう……今現在、私はレミを膝の間に抱えながら、一緒にユーハング酒を飲んでいるのである。
全力で寄りかかって来るレミの重みを感じながらも、私はあまり強く言えないままちびちびと酒を嗜み続けている。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、レミは更に身体を寄せて来ては、肩越しからでも分かるその豊満な胸を強調させてきた。
おかげで北半球と、その境目である谷間が視界に入り込んでくる。それは素朴な疑問を私に抱かせていた。
なぜ下着を身に着けていないの……レミ……。おかげで変幻自在で自由きままなお胸の有様が私の視界内で主張してきている。
このような状況下で私の視線は右往左往。レミであれば私の状態を良く理解していそうなものであるが、彼女の動きにその気配は無い。
からかうのかと思えばそういった発言もせず、レミは最近の出来事を調子良く話を続けていた。
内容については本当にありがたい事ばかりで、手間を掛けさせた彼女には頭が下がる思いだ。
その度に私は労いの言葉を送る。無論、褒め言葉だけのそれではないが。
それでも彼女は心底嬉しそうで普段以上にニコニコとしていた。
何故だろうか? 思えば以前から何かと付き合いが良く、こうして二人きりの状況になる事も多い。
極殺会へ一緒にそばを食べに行けば、帰り道の空の駅で甘い物を食べてきたり、時にはフィオの暴走を止めてもらったり、呼べば直ぐに現れるのだ。
そして今回もである。
レミからの報告を受けたかと思えば酒が現れ、気付けばこの展開へと至っている。
彼女の要望に応えるべく、手を伸ばしてユーハング酒を手に取り、そっと渡す。
「流石は男性っすね~アタシの手じゃ届かない場所もちょっと伸ばせば届くんすから~」
酒を取る時に伸ばした私の腕がレミの腕と重なる。彼女の指先が手首の辺りに触れていた。
くすぐったい反面、妙に幼い行動に呆れる様な微笑ましいというべきか、そんな曖昧な心持ちだ。
しかし、そんなこちらの思いも知らず、彼女はそのまま酒瓶へ口を付けるとゴクゴクと飲み始めた。
そんなレミの様子を見て私は思う。そもそも彼女は酔う体質なのかと。
この船には恐ろしい事に、酒豪を通り越してザルと謳われる飲みっぷりを披露する者も居る。
そんな者達と比較しても全く霞まないレミの酒豪は、下戸と呼べる私にとって畏怖すべき存在だろう。
かといって全く酔わないわけではないようで、うっすらと赤みがかった頬に、熱っぽい目がこちらを見据えて居た。
「船長~ペースが上がってないっすよ~? それともアタシに見惚れてるっすか? いや~参ったなぁ~アタシの色気にやられちゃったすかねぇ?」
お酒は自分のペースで飲ませてくれ。あとレミの色気にはちゃんと気付いている。素敵だ。
当たり前であるが、飲んだくれていなければ美貌から人当たりの良さ、愛嬌とも呼べる様々な魅力を持つ彼女には、世の男性も多く惹かれることだろう。
そんな私の回答が予想外だったのか、レミは目をぱちくりとさせた。恐らく彼女は照れながら言い訳を伝える私を想像していたのだろう。
しかし、少しずつであるが私も変わりつつあるのだ。そこへ酒が加われば普段以上に口が回るというもの。
とはいえ、照れくさいのは事実なので、レミから視線を外し誤魔化すようにオチョコへ口を付ける。
「うぅ~不意打ちは卑怯っすよ……船長もそんな一面があるなんて聞いてないっすよ!」
身体を丸めて照れ隠しをしたかと思えば、今度は身体をこちらに預けて来て頭突きをする様に甘える姿。
その行動が可愛らしく映り、まるで猫を愛でるような感覚である。
不思議な事に悪い気はしない。むしろ胸の底がむず痒い気持ちを覚えてしまった。
この子はお酒を入れると周囲に愛される事を自覚して甘えて来る習性でもあるのだろうか? そんな下らない事が頭を過り、相手に失礼だと思い切り頭を振ることで邪な思考を一掃する。
どうやら私も酔っているようだな……まぁ今日みたいな日があってもいいだろう。
「船長って……本当に不思議な人っすね。こんな世界で他人の為に動き回れる人なんて滅多に居ないっすよ? 首領を除けばアタシは船長が初めてっすね」
ボソリと呟かれたレミの声は確かに私へと届いた。
そして、さっきまでとは裏腹に真顔になっていた事に気付いた彼女はハッとして、顔を逸らすと同時に私から離れてしまう。
「あ、あははは! 今のは聞かなかった事にして欲しいっすよ! ちょっと飲み過ぎちゃったっすね!」
そう言って彼女は瓶に残った酒を一気に飲み干す。この時点で相当テンパっているのは間違いないだろう。
羞恥を誤魔化すようにおどけてみせる姿も非常に可愛らしく目に映ったが、本人は深刻そうであった。
……折角だ。彼女を助けるついでに少し話を聞いて貰うとしよう。
「……船長?」
私が黙り込んでいると、レミは不思議そうにこちらの顔を窺う。
そんな彼女に私は真顔を向け、ポツリポツリと言葉を紡ぎ出す。
実際のところレミの言う事には一理ある。こんな世の中で他人の為に身を粉にして動くなど正気の沙汰ではない。
私の言葉を聞いて驚くレミは……次に泣きそうな瞳と失望が混じったような悲しげな表情へと変貌してしまう。
怒りと悲しみ、失望からくる……包み隠さない感情を剥き出しにする、非常に複雑な表情をしたレミの姿。
こちらを睨みつけるその瞳は、それでも何かを信じようとゆらゆらと揺れているように見え、私は罪悪感を覚えてしまう。
普段は明るく振る舞うレミにも、この様な表情をする時があるんだな。
……もうしばらく彼女の様子を眺めていたいところではあるが、いつまでも沈黙を続けるのはレミにとって良くない事であると判断した私は、隣に座るよう促す。
彼女は無言でこちらの横へと並んで座った。
溢れ出る感情を隠そうともしておらず、彼女にも譲れないものがあるという事が伝わってくる。
辛い感情を剝き出しにしても私を害することはできない、といった様子で少し冷静になったのか、レミが最初に口を開いた。
「船長、アタシは……ゲキテツ一家やマフィアとしての枠を超えて、あなたを放っておけなくなったんすよ! この部隊に所属する一人の人間として! スラム街の人間が夢を見てもいいって思える世界を目指すあなたの事を!!」
感情を爆発させた彼女は、私の片手を取って話を続ける。
大粒の涙を流しながら感情のままに訴えかけてくるその姿には、普段の様子など何処にも無くなっていた。
レミは元々スラム街で暮らしていた人間だ。そんな境遇から彼女はゲキテツのボスであった首領に拾われ、今に至る。
彼女の過去は私もある程度は知っている。だからこそ私は彼女の告白に対し、特に驚く事は無かった。
一方でレミは泣きながらも私の手を取り、強く握りしめると、ぽつりぽつりと心の中の想いを少しずつ言葉に変えて紡いでゆく。
「船長がどんな人間なのかは、短い間にも十分すぎる程に分かったっす。調査結果がアテにならない程のお人好しで。その癖、疑心暗鬼で、疑り深くて、やる気の欠片もみせなかったり、かと思えばアタシらの為に動いてくれたり……。でもアタシには分かるっす! 船長はどんなに厳しくて辛くて弱音を吐き出しまくっても、必ず最後は必ず決める、って」
最後以外は結構な悪口じゃない? レミの言葉を聞き、私はつい思ってしまうが……口を挟まずに最後まで話を聞くことにする。
「そんな人が覚悟を決めたなら、アタシは力になりたい!! 見返りを期待している訳でも、恩を売っておきたい訳でもない!! ただあなたが一生懸命に頑張る姿をみたいだけなんすよ……」
涙を流しながら力説する彼女は握った私の手をより一層強く握り締める。
余りの力強さに少々痛みを感じ始めるが、それよりもレミの想いは充分過ぎる程に伝わってきた。
なら、彼女の期待に応えるべく、この話の最後は綺麗に決めようではないか。
私はレミの手を握り返すと、彼女の目を見詰めながら口を開く。
ありがとう、レミ。君の気持ちは十分に伝わった。
レミの言葉一つ一つがとても嬉しく、同時に責任の重さを認識させられたよ。
そう伝えながらも、私は笑みを浮かべて彼女に告げた。
私とて最初は強制的に船長の座へ就かされた身だ。
喜楽も悲哀も希望も絶望も全てが混ざり合ったこの世界において、見出した自分の軸を失う事は即ち自殺行為に他ならない。
それ故に、他人がどう生きようとも自由であり、私には関係の無い事だと考えていた。
だが……君達と出会い、行動に触れる内に……どうやら私もこの現状に不満を抱いていたらしい。
それに気が付かなかった己を今こそ認めるべきなのだろう。
言葉と共に握るレミの手に力を込めれば、反応するように握り返された。
最初こそポカンとしていた彼女だったが、数秒間の硬直後、レミは私の言葉の意図を理解し始めたようだ。
顔を赤くさせて狼狽するレミだが、それもほんの僅かの事であり、今度はいつも以上の笑顔へと変化した。
期待の目を見た私が頷き返せば、彼女もそれに応える様に強く握り返す。
確かな強さを感じた私はゆっくりと口を開く。
どれ程の愚か者と揶揄されようとも、他者へ手を差し伸べる事は間違いではないと証明したい。
偽善と言われればそれまでだが、この気持ちを失くしたら今の私には何も残らない。
無から有は生み出せない。人間が何事においても諸手を挙げて喜びを表現し、感情のままに楽しめるのは初めがあるからこそだ。
何事においても、生まれがあれば死が付きまとう様に、全ての行動に辿り着く何らかの始まりがある。
生きている限り前進しなければこの世界では生き延びられないし、頭を振り続けているだけでは素晴らしい結論などいつまでも出てこないだろう。
冒険の前には準備が必要だ。それは我々が歩む道と同じで、一歩一歩確実に進まなければ見えない事もある。
それは私一人では到底辿り着けない答えであり、この物語が紡ぐ未来を視る為には、君達の力が必要だ。
レミ、これから先も共に歩んでくれるか?
私と共に。
それに対するレミの答えは一つだけ。
勢いよく私に抱き着くと、そのまま重なる様にソファへと倒れ込んだ。
髪や服が乱れてしまう事などお構いなく、ただその時を全身で表現しようとする様に彼女は笑い声を上げる。
「勿論っす! ずっと付き合うに決まってるっっすよ!! 船長が歩くのなら、アタシはその隣で歩いてやるっす! こればかりはフィオにも譲る気はないっすからね! 絶対に負けたくない奴もいるっすから!」
少しの間笑い続け、ようやく落ち着いて来たのか、レミが私に覆い被さる様に身体を密着させたまま問いを投げかけてくる。
「どうして船長はアタシを弄んだんすか? 答えて欲しいっすよ!」
人の耳元で叫ばないでほしい。少しうるさいが、不快だとは思わないけど。
そもそも人の話を最後まで聞かないレミがいけないのでは?
「どういうことっすか? アタシはちゃんと話を聞いていたっす! 船長が人の為に頑張るのが馬鹿らしいって言い放った事は覚えてるっすよ!」
その後だよ。
続きがあったのに人の顔を見て泣き出しそうになっていただろう? テンパっていて恥ずかしそうだったから、こちらも恥ずかしい話をして落ち着かせようと思ったんだが……。
レミは過去を思い出したのか、顔を赤くし、上に乗る彼女の身体がゆっくりと熱くなるのを私は感じた。
感情的なままモノを言う君は、いままで見た事が無かったので驚いたけどね?
「ううっ、ごめんっす。ちょっと冷静さを欠いていたかもしれないっすね。あとアタシは今自分が結構大胆な状況下に置かれている事に気付いたので、頭を冷やしに水浴びしたい気分なんすけど! というかよく考えたらめっちゃ恥ずかしいっす! ヤバいっす!」
慌てて身を起こそうとするレミだったが、うまく力が入っていなかったようだ。
うわわっと慌てふためく彼女の体は、とうとうバランスを崩してしまい、再び私の上へと覆いかぶさるような姿勢になり、彼女の唇が私の首筋へと触れてしまう。
柔らかい感触と同時にふわりと香るレミの香りが私の全身に広がっていく。
「あわわわっ!」と声にならない声を上げながら離れようと試みるレミだが、焦れば焦るほど逆に立ち上がるのに失敗し、首筋には幾つもの痣が刻まれてゆく。
何度も同じ動作を繰り返した彼女は、半泣きになりながら諦め気味に私の胸に頭を預けた。
「ち、違うっすよ! 故意じゃないっすよ! 船長の首がスベスベだったからつい……ってそれもおかしいっすけど!!」
上から降るレミの声は、早口で消えてしまいそうになるほどに弱々しい。
そんな様子の彼女の頭上を見ながら、私はふぅっと息を吐き出す。
大丈夫だ。レミにはむはむされるのは初めてではないからな。ほら、極殺会の帰り道で寄った空の駅で……。
「んなっ!? まさか起きてたんすか!? 完全に狸寝入りだったっすか! うわあああっ! 忘れて欲しいっす! 記憶が飛ぶほど殴らせて欲しいっす!!」
思い出して死にたくなる程の恥ずかしエピソードだったのか? 顔中を真っ赤にさせながらバタバタと手を振るレミ。
その反動で至るところで幸せが舞い込むのだが、レミは気付く様子も無く、私の上で藻掻き続ける。
長きに渡るムショ生活で消えたと思われていたモノが、最近はよく顔を出す様になってきているので正直止めて欲しいのだ。
具体的に言うのであれば、そのご立派なお胸様を包み込むものが無い状態で、直接肌の感触がする状態が今までに無い程の強敵で辛いのだ。
暴走中のレミは、私が我慢していることなど微塵も考えないらしく、何度も激しく体をくねらせるものだから、その度にあられも無い状態にならざるを得なくなってしまう。
誰だ、レミにお酒を与えた輩は。今すぐここに出頭する様に……って許可したのは私だ。
悔やんでも悔やみきれない愚かな選択だ。
やがて体力を使い果たし抵抗を止めたレミがぐったりと私の上に倒れ込むものだから、互いの鼓動まで明確に感じ取る事ができるようになり始める始末だ。
そして残された僅かな力でもぞもぞと私の上で蠢いていたレミが突然動きを止めたかと思えば、恥ずかしそうに両手で顔を覆いながら呟いた。
「うぅっ、もうお嫁にいけないっす……一生独身で生きていくっすよ……ぐすっ」
酒の力……だけではないか。言動が支離滅裂なレミは、私の上で鬱モードに突入したらしく、さめざめと涙を流し始めた。
……これはこれで可愛いのだが、正直なところレミほどの女性が独身で生涯をまっとうすることなど、不可能だと思うのだがね。
思い浮かぶ人物が何人かいたけど、それを口にするのは野暮というものだろう。
手を伸ばして脱いだ制服の上着を彼女にかけ、そっと背中に手を回すと落ち着かせる様にポンポンと軽く叩いたあと、優しく抱きしめた。
とくんとくん、という静かな鼓動が伝わってきて、それに合わせてゆっくりと背中を擦り続ける。
「……温かいっす」
ぽつり、と呟いたレミは小さく微笑むと、身体を預けたままじっと私の腕の中で身動きせず、そしてそれから数分が経った頃。
まだ何処かぼんやりとしているものの、彼女は真っ直ぐに私を見つめて口を開く。
「船長」
彼女は少しばかり照れた様子で、その先に続く言葉を小声でボソリと呟く。
レミの言葉は聞き取れなかったものの、それでも唇の動きだけはハッキリと見ることができた為、何を伝えたいかはすぐに理解できた。
これが酒の席での戯れなのか、はたまた本心からの言葉なのかは正直分からない。
だがしかし、きっとそれはいずれもが正解で、そのどちらかと言う事ではないのだろう。
彼女が漂わす雰囲気が、真剣でありつつも穏やかだったという事だけが事実だ。
──船長から答えは返ってこなかった。
それもそうだ。一番重要で大切な部分をアタシは唇を動かしただけなのだから、船長に聞こえるわけがない。
だけれど、それがただの誤魔化しや虚勢であったとは思いたくない。きっと、アタシが何かを伝えようとした事は伝わったはず……だよね? でなきゃ困るっすよ。
船長の手を借りて起き上がったアタシは、随分と酔いが醒めていた。
さっきまでは酷く暑いと思っていた身体が、船長から離れた瞬間、肌寒い程にまで冷えてしまっていて、溜息をつく。
離れていく熱を名残惜しく思う気持ちはあるけれど、それ以上に心は満たされていて、充足感を得られていた。
船長にかけてもらった制服に腕を通すと、袖が余ってしまった。
こういうところで船長の男性らしさを改めて実感させられると、心臓がトクンと強く跳ねて、アタシの意思とは無関係に、自然と頬が赤く染まってしまう。
ああ、もう……こんなのずるいっすよ……。
船長はズルいと思う反面、心待ちしている自分がいるというのも事実な訳で。
シャツのボタンが外されている胸の部分を突き出す仕草をしていれば、船長は呆れた様子ながらもゆっくりと慎重に手を動かし始めるのだから。
触れないようにと気遣いが感じられながら、ボタンが一つ一つ締められていくたびに、身体と心は少しずつ高揚していく。
常に軽薄な態度で気楽さを装うアタシにとって、この一連の流れは行われている動作とはうって変わり、劇薬のように身体を内から熱く焦がしていくのだ。
それは酔いで浮ついた精神すらも崩壊させる程に強烈で、たった一枚の布地から染み渡る船長の優しさという猛毒はあっという間に体内を駆け巡り、その全てを支配した。
大切に扱われている。そう強く実感する。
船長のひと手間で自分の服装の乱れは目に見えて変化してゆく。首元の一番上、胸元の一番下までキッチリと止められていくボタンによって。
胸に触れられる事なく閉められるボタンの一つ一つから伝わる僅かな力。
けれども、そこに籠められている船長の思いを勝手に想像しただけで、どうしようもない程の切ない思いに襲われる。
その動きが自分にとってかけがえのないものの様に感じられたからだろう。
船長からの愛情が際限なく湧き出て来ているからなのかもしれない。
自分がそんな思いを抱いているとは知らない船長は、最後の一つを留めると満足気に頷いていた。
そうしてアタシはまた一つ自覚する。船長はどんな時もアタシを尊重してくれる存在だという事を。
それは今までもそうだったし、今も尚であると実感する。
親友にしてもらうのとは違う、家族とも違う心の近さを、船長から感じてしまっているのだ。
大切だと思ってくれるからこその行為だと思い知らされる。
その事が少しだけくすぐったくて、けれど嬉しくて。
アタシは船長の気遣いを無下にしないようにとシャツのボタンを締める手にそっと手を重ね、感謝の意を伝えるように優しく撫で続けた。
そんなに優しく扱われると、再びこの密かな思いが口から漏れ出てしまいそうになるから止めて欲しいと胸の中で一人愚痴るが、そんな事をしても伝わる筈は無い。
そうして全てのボタンが止まり、窮屈な胸元を指の腹で何度も擦り感触を確かめれば、船長がしてくれた行為で自分が生まれ変われたような気がした。
見上げればそこには微笑んでいる船長の姿が、まるで慈しむような眼差しを向けられている。
……しかし、唯一彼にも誤算があるとすれば、何故アタシが胸元を広げたままにしているのかを知らない事だ。
船長の前で背筋を伸ばし、両手を腰へ添えながら、堂々と胸を張り立つ。
締められたばかりのボタンは、シャツに留められた糸を千切りながら勢いよく外れ、船長の顔へとまっしぐらに向かっていく。
そのうちの一つが目に当たったらしく、悶える船長をドヤ顔で見つめる自分の姿が、今の今まで触れてもらっていた所を自らの行いで外し終えた事は、疑いようも無い程に滑稽だと思われるが、良いのだ。
これがアタシからの仕返しで、船長に渡してあげられる愛の一つなのだから。