荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
コツコツと指の爪同士を当てながら待ち続けていると、微かに聞こえる翼機の音。
訓練を終えた子たちが帰ってきたかなと思いながらも、私はテーブルと椅子が幾つも並べられたこの場所から動かずに待っている。
視線を動かせば、酒場のカウンター内で鼻歌を歌いながら鍋をかき混ぜている女性が一人。
彼女の名は、レンジ。怪盗団アカツキのメンバーであり、長身でどこか威圧感を感じさせる女性だが、実際は情に厚く優しい人物だ。
その優しさからなのか、はたまただらしない私を放っておけないと感じているのかはわからないが、腑抜けな私に餌付けをしてくれたり相談事に乗ってくれることもある。
今だってそうだ。味見をして欲しいと言われて船長室から引きずり出されたのち、酒場まで連れて行かれた後は、料理が温まるまで“待て”の状態である。
そんな状態で待つこと数分……トレーに載せた大きな器が差し出された。
「おう、待たせたな。久しぶりに作ったもんだからよ、ちょいと手間取っちまった」
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、その所作にはどこか女性らしさが垣間見える。
差し出されたトレーを受け取りスープの中身を覗き込むと、そこには大きな肉団子が鎮座しており、その周辺を煮込まれてとろけた野菜たちが顔をのぞかせている。
「ワリぃな。美味いモノならいくらでも食える場所でこんな事を頼んじまって」
気にする事はない。思い出の詰まった料理なんだろう? ありがたくご相伴に預からせて頂くよ。
「味についてはあんま期待するなよ? 生活が苦しい頃に弟を喜ばせたくて作った料理だからな。モア達みたいに人様へ出せるモンじゃねえから」
そんなことは無いさ。人それぞれ事情は様々だが、姉弟で温かいスープを分け合った思い出は素晴らしいものに違いない。
そう返しながらレンジが小分けしてくれたスープに手を合わせてから口を付けていく。
肉団子を突くと、崩れてしまいそうなそれらをスプーンで捕まえ口に入れると、噛み締める度に味が染み出し、野菜たちもよく煮込まれているのがわかる。
しっかりと熱が通っており、その熱を逃がさぬよう肉団子は柔らかく、それでいてしっかりと歯ごたえを残している。
塩味が少々強めに効いているのだが、それが素材の旨みをうまく引き立たせている。
レンジが経験してきた当時の環境などを考慮すれば、塩分を補充できる貴重な機会であった事が伺え、そういった背景も味付けに加味されているだろう。
間違いなく心の籠った料理で、幼少期の彼女の優しさがありありと浮かんだ温かさを感じ取った。
無言で食事を続ける私に対し、レンジは何かを言う訳でもなく、笑みを浮かべつつ見つめているだけだ。
何かを隠すように浮かべられた笑みではなく、遠い日々を懐かしんで自然と浮かんだものだったのだろう。
スプーンを動かし続けていると、とろみを帯びていたスープの表面にさざなみが立ち始めた頃、彼女は口を開いた。
「なあ、船長」
どうした? と返す私に対し、彼女は続けた。
「最近、弟……アタルと再会する機会が訪れたら、どう接してやれば良いのか考えるんだ。勿論、姉としてアイツにしてやれなかった事を、アタルの為にしてやりたいと考えているんだが……」
躊躇するように言葉を紡ぎ始めた彼女に私が続きを促すと、躊躇いがちに続けていく。
「……考えれば考えるほど、どうしたらいいのか分からないんだよ」
そう言うと彼女は目を伏せてしまった。
私はそんな様子を眺めながらスープを口にして、彼女が先程言った言葉を頭のなかで思い起こす。
それらを読み取る限りだが、彼女は距離感を掴めないまま接しては弟さんが嫌がるのではないか、と不安に思っているのだろう。
幾つかの返答が思いつくが、それよりも最初に聞いておきたい事があった。
レンジ、何故このタイミングで弟さんとの再会を考えたのか、よければ教えてくれないだろうか。
私が尋ねると、彼女は天井を見上げながらしばらく無言だったが、やがて諦めたように溜息を吐き出しつつ、口を開いた。
「船長を見ていたら、色々考えちまうんだよ。このままアタルを待つのが正しいのか、それとも自分から動いた方がいいのか……な」
私の見ていたら? と言うと、レンジは呆れたような表情で「そりゃそうだろ」と言う。
「出会った当初なんざ覇気も無くて、腑抜けていた癖に、あんな仕事したくないって言ってたのに、いつの間にか前を向き始め、人の懐にドカドカと入り込みやがって。今じゃコトブキの隊長さん以外からも慕われて、手を差し伸べる側になっちまったじゃねえか」
珍しく私を褒める彼女だが、正直驚いた。彼女がそんな事を思っていたなんて初めて知ったからだ。
出会いに関しては恵まれたと断言出来るだろう。ただ、彼女たちの自由奔放な在り方は、時に頭痛の種にもなるし、振り回される事も多い。
でもそんな中で色々な出来事がありながら、彼女達はそれさえも糧として強くなっている。今の彼女達に私から注意する内容は一つもないだろう。
そう伝えて私はスープを飲み干すと、空になった皿をレンジが手に取り、中身をよそってくれる。
温かいスープの香りに誘われるがまま再びスプーンを手に取り口へと運んでいると、レンジがため息交じりに言葉を投げ掛けてきた。
「はぁ……船長のそういうとこは、相変わらずだな」
そう言いつつレンジも自分の皿の中身を平らげていき、それぞれ空になった容器を見つめながら無言の時間が流れる。
私はそんな様子を見て、やはり彼女の事を放っておけないと感じた。そして、その想いは自然と言葉として口から漏れ出る。
レンジ。迷いが晴れないのなら、悩んでいても時間の無駄だ。前を向き続けなさい。自分の道を進む為に。
そして、進み続けた先には必ず自分を満足させる道や幸せがあると、私は思うよ。
だから迷うくらいなら覚悟を決めて行動に移そうじゃないか、後悔をするかもしれないが、今後何かの役立つ経験になるはずだよ。
私はそう言って、彼女に笑いかける。
すると、レンジは再び溜め息にも似た呼吸を吐くと、顔をこちらに向ける。
表情はとても穏やかだ。私の言葉や様子から心配している気持ちが伝わったからだろう。
私の言葉を受けたレンジは一拍の間を置き、目を細めた。それは先ほどとは異なる目つきであり、意思の強さを感じさせるものだった。
「まったく、船長には敵わねえな。……でも、おかげで少しスッキリしたよ。ありがとさん」
レンジはそう言って片手をヒラヒラと振りながら返すと、それを見た私は笑みで応える。
彼女の表情には迷いが薄れたように見えたので、内心安堵した。
何せ天涯孤独の身としては、家族という概念が薄く、掛けてあげられる言葉は限られるのだ。
傍にいてくれたのは友人や仲間であり、それは血縁で繋がるような家族とは全く異なる存在だ。出会いを重ねていなければもっと寂しく感じていたかもしれない。
そう考えると、私は幸運な人間だ。新たな出会いは苦しみを乗り越えるきっかけになるもので、心の支えにもなっていると気付いたからだ。
自分を取り巻く環境に感謝しつつ、一人で相槌を打つ。
「一人で何を納得しているんだよ。アタシには教えてくれねえのか?」
テーブル越しに前のめりになりながら聞いてくるレンジの行動に口元が緩み、少しばかり意地悪な返答をしてみた。
いやなに、お姉ちゃんをしているレンジを見れて嬉しかったのさ。
そう伝えると、レンジは一瞬キョトンとした表情を見せ、すぐに顔を赤くする。
そして、照れ隠しをするように顔を背けたかと思うと、再びこちらに向き直り口を開いた。
「ガサツで乱暴なのは自覚してるけどよ、アタルの前じゃ一応、お姉ちゃんらしくやってきたんだぜ? アタシはよ」
出会いからまだ短い期間ではあるが、レンジの人となりはある程度理解しているつもりだ。
そこを疑うつもりはないよ、お姉ちゃん。
点峰からぴょんと立つ髪を指の隙間に収めながら、赤毛の混じるレンジの頭頂部辺りにポンポンと手を置き優しく撫でる。
勿論、それを素直に受け入れるような相手ではないはずなのだが、今日は大目に見てもらえているようだ。
手を振りほどかれることもなく、少し俯いたまま黙ってされるがままになっている。
その反応に少しばかり意外さを感じつつも、そのまま撫で続けていると、不意に彼女が顔を上げた。
何か言いたいことでもあるのかと思い、撫でる手を止めて言葉を待つが、彼女は何も言うことなくただこちらを見つめているだけだ。
どうしたのだろうか? と疑問に思っているうちにレンジの手が伸びてきたかと思うと、私の頭を掴むような方法で大雑把に撫で始めたのだ。
突然の行動に驚きが隠せない。どうして羞恥心の耐久戦が開催されたのか理解出来ないからだ。
それが混乱という形で伝わったのだろう、彼女は笑うような口調で話し始めた。
「流石の船長もこの返し方は想定してなかったろ? アタシが恥ずかしがって俯いてるかと思ったら大間違いだからな! いつもの仕返しだ!」
一方的にそう言って撫で続けるので、こちらも応戦するようにもう一つの手を延ばし髪を弄ぶ。
先程までの優しい手つきから悪戯っぽい動きへと変え、お互いの髪がまるで鳥の巣のようになるまで弄り合ってしまうが、その間も互いに言葉は発しない。
しかしそんな状態でも不思議と居心地の悪さはなく、不思議な高揚感が私達を包み込んでいた。
飽きたら終わり。そんな暗黙のルールが二人の中で出来上がるまでそう時間はかからず、どちらからでもなく手を止めて笑い合う。
そんな昼下がりの幸福を噛みしめながら、私達は乱れた髪を整え直したのだった。
──危なかった。
完璧なまでの不意打ち。歯を覗かせながら笑う船長を見てアタシは実感する。
自分なりの上手い返しが出来たにもかかわらず、ずっと動揺しっぱなしで冷静にいられた気がしなかった。
あれほど無気力で人と距離を置き続けた船長が、まさかこんな形で笑顔をみせて来るとは思わなかったからだ。
アタシの些細な不安から始まった、弱みにも近い相談事の後に船長が見せたその笑顔。
……正直なところ、嬉しい気持ちもある。
メシもロクに食わねえくせに、人一倍他人のことはちゃんと考えていやがる、バカみたいにお人好しの船長。
いつも覇気がないくせに、人を傷つけまいとしておどけてみせる。
おかげで母性が強めな面々は、放っておけないとばかりに構っているのが常だ。
……アタシもその中の一人か。
空になった皿、一人残された自分、気遣いという名の時間制限。
アタシもどこか寂しかったんだろうな。大人になったつもりだったけれど、心はまだガキのようだ。
そんな寂しさを察したのか、船長は手を伸ばしてくれたのだ。
思い出しながら浮き上がる嬉しさを抑え込むみながらだと上手く言えないが、わしゃわしゃと撫でてくれた大人の手は心地よかった。
素直に話したのはそういう心境がどこか無意識にあったから……かもしれない。
情けねえことしちまったと自嘲するが、頬が緩むのを止められない。
かなり恥ずかしい事にはなったが、何処か満たされるような気持ちになる自分がいるのも確かだ。
これが包容力とでもいえばいいのだろうか。器の大きさと例えればいいのか、アタシにはまだ判断できないが。
ただ、悪くないものだったということだけは解る。自分に不思議な変化があった事は驚いたけれど、それすらもすんなりと受け入れられたんだ。
こういう幸せもあるんだと知れたことで、アタシは少し大人になれた気がしたよ。
そう考えながらアタシは席を立ち、食べ終わった皿を洗い場で流し、洗い終え食器棚に直した後、静かに息を吐く。
一人静寂の中、胸の高鳴りだけが存在を主張し、その音を聞いていた。
言葉では表す事が難しいアタシの本心を物語るかのように、高鳴る心臓の音は落ち着くどころか増してゆくばかりで。
この音が、ずっと続けば良いのに。