荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
イジツにおける貴族の立場とは、いったいどのようなものだろうか。
この世界に海が残されていた頃から存在していたのか、それとも消え去った後になって生まれたのか、それは解らない。
確かなことは、現代における貴族の大半が何かしらの形でユーハングと関わり合いがあったとされるということ。
彼らの手助けをすることで地位を手に入れた者も、あるいはその権力を求めて交流を深めた者もいただろう。
どちらにせよ、当時の価値観から考えればそう珍しい話では無いように思える。
ユーハングがもたらした技術は文字通り世界を一変させたのだから、当時からその力を欲する者たちがいたとしてもおかしくはない。
その一方で、文化や風習に魅了された者も少なからず存在していたことも、忘れてはなるまい。
傍から見ればイジツでも変わり者であった彼らも、その中では尊敬に値する人物であったのかもしれない。
根拠と呼べるものがあるわけではないけど、そうであればいいと思う。
私の目の前で優雅に紅茶を楽しむ相手は、後者寄りの貴族でありながらも両親のお人好しが過ぎるせいで、華奢な両肩に重い荷物を背負う羽目になった女性。
コトブキ飛行隊所属のエンマである。
「この部隊に関わり始めてからというもの、気苦労が増えるばかりで絶えることを知りませんわ」
開口一番、彼女から出てきた台詞はこちらに対する軽い皮肉が込められたものだった。
思い当たる節はいくらでもある。私自身は勿論のこと、行動を共にしているパイロット達も原因に挙げられるだろう。
一つ、また一つと。これまで出来事を思い返しながら思案を重ねる私に、彼女は構わず言葉を続けた。
どうやら話題を変えるつもりはないらしい。
「わたくしが潰してきたダニ共は数知れず。かと思えば、留まることを知らない未知なる空賊が有象無象。それに負けず劣らず個性的な飛行隊の皆様方。……この苦労がどれほどのものか、船長である貴方ならご理解頂けるのではなくて?」
可憐な花の如く麗しい。けれど棘を含む言葉の切れ味は鋭く。
正面から口が悪いのではなく、遠回しな毒舌の部分にも育ちの良さが見え隠れする。
追撃を許さぬ佇まいの中に宿る独特な振る舞いと矜持。相手を威圧するかのようでもありながら、同時に言葉を交わす前から立場を定めさせるのだ。
優雅に微笑み、けれど誤魔化しは許さぬといった様子でこちらの返答を待つエンマの姿に、私は静かに応えた。
半分くらいは私が原因のようなものです。誠にごめんなさい。
「あら、わたくしの耳が遠くなっていなければ、何か聞き逃せない言葉が聞こえた気がするのですけれど? それに敬語の誤用は何ですか。しゃんとなさい」
間髪を入れずに返される正論の数々にぐうの音も出ない。
このお嬢様、相手はお飾り船長とはいえ、ここまで容赦のないツッコミはどこで覚えたのだろう。
令嬢の立場から傭兵稼業に身をやつしても尚失われない上品さには尊敬の念を抱く。
それと同時に、もし彼女を敵に回したらと思うと恐ろしいものでしかなかった。
幸いなことに、呆れ半分の困った表情をみせてくれるエンマの態度は柔らかいものであったが。
搭乗員に関する責任は全て私にある。管理能力が不足故に、皆には迷惑をかけてばかりだ。
「もう、そこまで自分を卑下しなくとも。わたくしも意地悪が過ぎましたわ。自信をお持ちなさい。少なくとも、この船に関わる者達は皆、船長のことを認めているのですから」
わたくしも含めて。と、付け加えたエンマは穏やかに笑う。
……なぜだろう。素直に喜べない。誤魔化すようにカップに口を付ける。エンマの淹れてくれた紅茶は絶品なのに。
「着任当初から比べれば落ち着いたかと思いきや、忙しないお方ですわね。一歩前に進んでわたくし達と関わり始めたかと思えば、雇用主を相手に反乱を企てるだとか。……本当に。どうなってますの? 貴方」
そう言いつつ、エンマはどこか楽しげな様子で私を見る。彼女の立場からすれば理由などお見通しだろう。
討伐部隊のスポンサーにはオウニ商会も含まれており、コトブキはそちらで雇われている飛行隊。
社長であるルゥルゥから説明がされ、選択肢を提示されて、納得した上でこの場にいると考えている。
「ゴロツキ飛行隊だとか、アバズレ飛行隊などと揶揄されておりますけど、今度は何と呼ばれますかしらね? 大方、またそのような愚弄を浴びせられるのでしょうね。ふふっ。いえ、失礼致しました。ダニ共からはそう思われてしまうだけの実績はあるわけですから、船長が気に止む必要など一切ありませんわよ?」
分かっていても容赦の無いエンマの言葉のナイフが、私の心をざくざくと突き刺してゆく。
久しぶりの正論による攻撃は、いっそ清々しく感じる程であり、手厳しい彼女のお叱りの言葉を受け入れるしかない。
傍から見れば、エンマの毒舌に私が振り回されているように写るかもしれないが、これはある種の様式美のようなもの。
エンマの厳しい言葉には私への気遣いが込められており、同時に私の至らない部分を指摘して改善を促そうとする意図も伺える。
要するに、これも彼女なりの叱咤激励。私とエンマの独特な距離感は、この奇妙な信頼関係の証でもあるわけだ。
彼女に対して反論をしたところで敵う筈もなく、むしろ行動で示せと返されるのが関の山。真理はいつだって残酷で、シンプルである。
エ、エンマ。あのですね、その。ええと、あの、ごめんなさい……紅茶のおかわりを。
無駄な足掻きと分かりつつも、私は懸命にもがいてみる。
そして有無を言わせぬ視線の圧力に思わず萎縮してしまうのが現状で、結局はそれに逆らうことも出来ずに従ってしまう己の弱さが恨めしい。
無言のままティーカップに注がれる琥珀色の液体。立ち込める湯気の温かみと香りに、何故だか郷愁を誘うような感覚を覚える。
何度目になるかも分からない小さな溜息を吐きつつ、ふぅと口から風を送って温度を調整していると、不意にエンマの笑い声が聞こえた気がして顔を上げる。
彼女はクスクスとおかしそうに笑みを溢していた。
「意地悪をし過ぎましたわね。申し訳ありません、船長。貴方の前ですと、つい」
謝罪の言葉を口にするエンマだが、その表情はどこか満足気で、まるで悪戯を成功させた子供のような無邪気さを感じさせた。
年相応……などとは口が裂けても言えないけれど、こういうエンマの姿を見ることが出来るというのは、それだけ気を許されている証なのだろう。
そう思えばこそ、私は彼女に対して強く出られない。
「ですが……貴方も悪いのですよ? わたくし達の負担を減らそうと行動を起こして下さる。それはとても喜ばしいことですけれど……船長は自らを省みなさ過ぎなのですわ」
咎めるようでいて諭すような、そんなエンマの口調に私は何も言えず黙り込むしかない。心当たりが多過ぎてどのことだろうと考えてしまう。
「わたくしも他の方々のように振舞えればよろしいのでしょうけれど、人生とはままならないものでして。その点についてはご容赦願いますわね」
そう言って紅茶に口をつけるエンマ。お淑やかでありながら茶目っ気を忘れない彼女に、私も自然と笑みが零れた。
「あら、何かおかしなことでも?」
エンマは不思議そうに首を傾げるが、私は首を横に振ることで答える。
いいや、エンマの言葉に共感しただけだ。私がこの場にいるということは、まさしくそういうことなのだから。
「……でしたら、わたくしは感謝致しますわ。貴方という存在がここに在るという事実が、とても有難いものに感じておりますから」
エンマはそう言い終えると、カップを傾けて再び紅茶に口を付ける。その顔は普段通りの冷静なものだが、その耳元が僅かに赤らんでいることに私は気付いていた。
きっとそれは照れ隠しなのだろうと思う。それを裏付けるように、彼女にしては珍しい早口で言葉を続けた。
「貴重なお時間を頂き感謝申し上げます。大変有意義で心が軽くなりましたもの。またお誘いさせて頂いてもよろしくて?」
これがエンマなりの表現なのだ。私も是非と応えれば、彼女は嬉しそうに口元を綻ばせながら頭を下げてくれたのだった。
──存在の証明。それは、わたくしにとって重要な意味を持つ言葉である。
両親の人を見る眼の無さときたら、それはそれはもう笑ってしまうほどに酷かった。
財産を搾り取られてもなお、人を信用する傾向があった両親の価値観とわたくしの人生は、常にアンバランスであったと言ってもよいだろう。
それは学校を辞めて傭兵の身へとなった今でも変わらない。
両親をダニ共から守ろうとしても、わたくしが不在の間に裏をかいて接触を試みる連中の多いこと。
コトブキの名がイジツに広まった“イケスカ騒動”の後でさえも、その兆しは尾を引くようにしてくすぶっているのである。
白状せざるを得まい。これがわたくしの家が抱える課題でもあり、未だ清算し切れてはいない現実。
世の中は不条理なものですわと、しみじみ思う。
仕事を終え、両親の待つ実家へ戻り、日々の出来事を語り合い、溜息を吐きながらソメイヨシノの根付く庭を愛でる。
そのルーチンは、何一つ変わりはしないのだろうと思っていた矢先に、出来事は動き始めたのだ。
対空賊専門部隊の設立と、それを率いる人物との出会い。それはわたくしよりも両親を騙そうとする連中に対して絶大な効果をもたらした。
船長の経歴は未だ不明なところがあるけれど、その二つ名と存在感はダニ共の行動を縛るには十分すぎるほどであったのだ。
事実として、わたくしのあずかり知らぬところで両親と紅茶を嗜む船長の姿が目撃されて以来、ダニ共の接触は目に見えるほどまでに減っていったのだから、これを快挙と呼ばずになんと呼べばよいか。
それほどまでに“リノウチ空戦”と名付けられた戦いと、敵側に身を置かれながらも畏敬の念を抱かせる船長の存在は大きく。
時間と共に忘れられてはいたものの、その存在は今なお人々の心に残すものだったのである。
……目の前で紅茶を冷まそうと息を吹きかける船長の姿は、その圧倒的な存在とは程遠いものではある。
これまでわたくし達が戦ってきた相手のように、威圧的な態度を取ることも、尊大な態度で振る舞うこともない。
小娘の皮肉と愚痴を真摯な表情で聞き入れ、反省し、次に活かすことが出来るよう頷き合う。
なんというか……そうですわね。一人の人間として、わたくしはこの人が好ましく思うのです。
それが友人としてなのか、はたまた異性としてなのかはさておき、船長の魅力の一つには違いありませんわ。
この世界には話し合いの通じぬ相手が多すぎるのです。その中で信用しても良いとさえ思える人物に出会えた事を、わたくしは心から嬉しく思うのです。
その事を本人に伝えていないわたくしも、わたくしですわね。
船長はどうでしょうか? 他人の評価を気になさる方ではありませんが、わたくしからの評価は気にしていらっしゃるのかしら?
機会があれば聞いてみたいものですが、素直に答えて下さるか怪しいものですわね。
いずれにせよ、この心地よい関係性はわたくしに取って非常に貴重なものであることは間違いありません。
この日々を楽しんでいる自分に誓って、これだけは誰にも譲れないものの一つなのです。
覚悟して頂きたいところですわ。