荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景   作:星1頭ドードー

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船長と巡り合い リッタ

 幾度目だろうか、仕事が終わらない。

 

 決裁書の山が、一つ、二つ。見落としが無いか丁寧に確認をする。

 一つの見落としが、この船で働く全ての人員に膨大な量のシワ寄せをするのだから、そんなことはあってはならないのだ。

 傍らに置かれている紅茶は、気づけば冷めきってしまっていたが、その水面を覗き込みながら考える。

 

 残量は少ない。ちょうど一口分といったところ。

 カップを口元まで運び、軽々と傾ける。冷めきった液体が口の中に流れ込んで、薄まった香りが鼻を抜けた。

 猫背気味の身長を椅子に預け、肩幅は広げることなく、ただ伸ばすだけ。

 

 凝り固まった筋肉は解しきれず、まるで引き絞った弓矢の様だ。弛めるのは一苦労である。

 大きく息を吐き出したところで、集中力の途切れを自覚する。

 休憩も兼ねて少し歩くかと席を立とうとした時、船長室の扉を叩く不規律な音が三回。

 

 深夜に近い時間にも関わらず遠慮の無いことではあるのだが、進入をする合図を送ってくれる人物の存在は、この船では貴重で有難いことに他ならない。

 皆、自由だから。

 扉を吹き飛ばしたり、通気口を使って移動をしていたり。その手を使う割合が半分を超えるのは、この船だけだろう。

 

 どうぞ。

 

 扉に向かって声をかける。一拍の呼吸の後、ゆっくりと扉が開き始めた。

 その向こうに見えるのは、姿勢を整えた小柄な女性の姿。

 白い制服を身に纏い、眩しいほどの脚線が露わになったスカート丈は、動きやすさと機能性を程よく調和させている。

 

 ふとももに巻かれたホルスターには仕込み警棒が収められており、イザという場面での瞬発力は普段の彼女を知っているだけに想像に容易い。

 こちらの姿を確認すると大きな瞳が細くなり、夜だというのに太陽のような笑顔を咲かせた。

 

 彼女はカナリア自警団所属のリッタ。

 元気娘という言葉が似合いすぎる明るい人柄の女性で、最近では事あるごとに船長室を訪ねてくる。

 

 それは機体や装備品の整備に関する事であったり、愛機でもある紫電についてだったり、はたまた他愛の無い雑談であったりもするのだが、そのどれもが彼女の人となりを現すには十分な要素であり、彼女の良き性格であることを証明するには欠かせない要素であることに間違いは無い。

 

 視界の正面に収まったところで扉を閉めた彼女は、私に数歩近づく。

 

「こんばんは、船長! やはり起きていらしたんですね……って、凄い量の書類の束!」

 

 彼女は私の机上を見て驚き、その山が雪崩を起こさぬことを確認しながら、ゆっくりと傍まで歩み寄ってきた。

 

「これはまた……この量だと、終わる頃には朝になってしまいそうですね」

 

 そんな彼女の心配そうな声に、私は小さく笑う。

 

 確かに。だが、その程度で済むのなら問題はないよ。

 

 と返すと、リッタは不服そうにも見える表情で私を見つめる。

 

「せんちょ~、自分が良いと思っていても、他人から見たら良くないことだってあるんですからね? ちゃんと身体を休めるのも大切ですよ?」

 

 諭すような口調で正論を告げてくる彼女に、私は反論も出来ず両手を上げて素直に頷くしかない。

 

 ゴメンナサイ。

 

「素直でよろしいっ! 自分でよければ手伝いたいところですが……内容的に船長の決定権が必要な類のものでしょうし。うーん……」

 

 腕を組み、頭を斜めにしながら悩みだすリッタ。

 思案をするたびに大きな帽子が揺れ、しきりに独り言を呟く様子が、なんだか微笑ましく感じた。

 そして彼女は何かを閃いたのだろう。白い手袋で覆われた両手を胸の前で叩きつつ、満面の笑顔を私に向けてきた。

 

 とても良い事を思いついたような表情で、その輝く瞳は期待に満ちている。

 内容を聞かずとも、何となく察しが付くのは、過去の経験からなのだろう。

 椅子から立ち上がると同時に、伸ばされる手を私は掴む。そして──。

 

「ふっふっふー、ようやく船長も素直になってくれましたね! まったく、世話が焼けるんですから~!」

 

 我が意を得たりとばかりに、嬉しさを隠すことなく声音に乗せてくるリッタ。

 握った手をぶんぶんと振り回しては、その場で静かにステップを刻む彼女。

 機嫌の良さに比例して揺れるふわっとした毛先とスカートが、その内面の可愛らしさを表現しているように感じられ、自分の顔つきが緩んでいるのがはっきりと理解できる。

 

「さぁさぁ! 本日の夜回りは、私と船長の二人で頑張りますよっ! そうと決まれば善は急げ! 早速始めましょうっ!」

 

 そう口にして、リッタは私の手を引きながら船長室を後にする。

 彼女の勢いに圧されながら、私はされるがままについていく部分だけは、最初の頃と何も変わってはいないように感じる。

 

 停泊中の船内を少しばかり控えめな足音で進む私達。

 カナリア自警団による自発的な見回り活動は、部隊の設立当初から行われている日常的なルーティンワークだ。

 

 床を微かに軋ませながら、リッタが照らす光に追従するように、私も夜闇に満ちた通路をゆっくりと歩んでいく。

 誰もいない船橋。静まり返った酒場。私達の足音は静寂を破りつつも、仮初の安心感を与え、ただただ小さな好奇心と共に船内へ反響していく。

 

 時折、跳ねるような彼女の足音が、まるで子供のように楽しさの証明をしているかのようであり、断続的に力が込められる握られた手も、意味するものは同じだろう。

 夜回りをここまで楽し気にしているリッタの姿が、何よりも嬉しい。

 細かいことに囚われず、会話の必要性さえ感じていない心の交流は、私にもまだ学ぶべき事が沢山あるのだと教えてくれる。

 

 そんなことを考えながら、己の思考は呼吸の如く一定速度を保ちながらも、逐次巡っていく細胞の隅で愉しさを感じている自分がいることに気付く。

 

 豊かな人生だ。

 

 掌から多くを取りこぼしてきたけど、この指先はまだ踊れる。

 なら、そんなに悲観することは何もないのかもしれない。

 

「船長? どうかしました?」

 

 手を引きながら先導していたリッタが、私の顔を覗き込むように振り返る。

 気遣いが感じられるものの、私は小さく首を左右に振って彼女の問いに答えると、リッタは安堵したように息を吐いた。

 

「良かった。船長が元気ないと、自分もなんだか元気がなくなっちゃうので! だから、まだまだ夜回りにお付き合いくださいね!」

 

 明るい声で言い切る彼女の優しさに一つの感謝を込めながら、繋いだ手を僅かに握り返す。

 

 私でよければ喜んで。

 

 短い言葉でも伝わる喜びと、軽くなる足取りが、お互いの微笑みを誘い合った。

 

 

 ──笑みを浮かべた船長は、ちょっとズルい。

 相変わらず不愛想……とまではいかないけれど、口数がそれほど多くはない人だから、その不器用な優しさがさらに際立っていると感じる。

 

 この人の良いところをもっと多くの人に知ってもらえたらいいのに。そんなことを想えば思うほどに、船長がなんだか遠く感じてしまって。

 二人一緒に歩きながら、そっと顔を覗き見る。出会った当初よりも伸びた髪だが、キチンと整えているようで。

 

 男の人といえば豪快に散髪。なんて印象があって船長もその類だと思ってた。

 だからこそなのか、美意識の高い人に身を委ねて髪を切ってもらっている姿を目にした時は、意外過ぎて記憶に強く残ってる。

 

 いま考えてみれば、相手が相手なので船長が押し通されても不思議じゃないんだけれど、それでも驚きが重なったんだっけ。

 この船と部隊の人選があまりにも混沌としてて、立場的な事を考えたら捕まえなくてはならない人達が押し寄せてきて、団長は頭を痛めながらも他の飛行隊と手筈を整えようと奮闘して。

 

 共通の話題である船長を足掛かりに話し合いの場を用意したら、いとも容易く話がまとまったので、相変わらず団長の機転の良さと無自覚の毒舌には尊敬の念を憶えてしまう。

 ドタバタした経緯があった雑然とした空間を、窮屈に感じることなく過ごしている船長の横顔。

 そんな日常風景を愛おしそうに見つめながら、穏やかな表情からついつい目が離せずにいた。

 

 横にいるだけでどことなく安心する。

 そんな人物が正しくない事をする。というのは、事態の深刻さを際立たせているようで……自分達、カナリア自警団がパロット社へ潜入捜査をした時の事をどうしても思いだしてしまう。

 不安がすぐに拭えるはずもなく。事が済んだ後には自分達のように、一から……いや、マイナスからやり直す事になるというのに、船長は普段通りで。

 

 そんな気遣いが憎らしいと、うちのチビたちが悪さをした時に抱く感想と似たものを、この僅かな間で何度思ったんだろうか。

 船長の場合、重荷を下ろすのがヘタすぎるんだと思う。もしくは、からっぽの重さを知っているからこそ、自分だけで支えようとしちゃう人だからなのかもしれないけれど。

 

 もっと頼ってくれていいのに。

 やる時はやる女ですよ、私は! と言いたいけれど、そういう事じゃないんだろうなぁ……と、経験の差から表情に出ていたのか、船長が不思議そうにこちらを向いた。

 けれど何かを言うわけでもなく、ただ手を握り返してくれたので、確かなぬくもりに自然と頬も緩んだ。

 

 本当に敵わないと思うのは、大抵こういう場面。求めている時に欲しい言葉をかけて、でも照れや余計なお世話と感じる事もなくて。

 些細なお願いや頼み事でさえも真摯に対応をしてくれるのが、この人なのだ。だからこそ、この優しさは時に毒となるのだろう。

 

 それは直撃を受けた者にとってだけでなく、周囲への影響も含めて蔓延する。

 そして私は、幸運にもそんな毒に侵された一人だったようで……この心地良さを覚えた人の中には、もう手放せそうにはないと自覚がある人もいるはずだ。

 

 そういう意味では、毒を抑えるために距離を置く事で自らを律する人もいるかもしれないが……実際のところどうなんだろう? 

 自分は……伸ばした腕の指先を掴んでもらえる事を知ってしまって、距離を保つことなんか到底出来そうにない。

 

 私は船長の優しさをもっと欲しいと思ってしまう。

 それは私だけでなく……この船に乗っている人、全てに言えることなのだろう。

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