荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
暗闇に包まれていたイジツ。その時も終え、曙へ差し代わる頃、僅かながら空は明るさを取り戻していく。
他と比べて谷の底が浅い場所とはいえ、峡谷の両側には、見上げる程の大きな高さの壁が私達を囲んでいる。
だが、改めて意識して見ると、明らかに人の手が加わったとしか思えない。それ程までに、この場所は整いすぎているのだ。
見張りの交代の際に、タミルから手渡された一つの鉱石。見た目はそこら辺に転がっている岩にしか見えない。
鉱石について問いかけてみれば、交代の時間だという事も忘れ、寝ずに説明を続けそうな勢いである。
まだ先の長い旅である事を理由に、詳細については移動中に聞かせて欲しいと説得し、ようやく眠りにつかせた。
僅かな間に聞いたタミルの発言を拾い上げれば、これはきっと……。
鉱石を口元へ引き寄せて小さく舌を出し、舐める。舌の先から感じるのは、しょっぱいという感覚。
ああ、やはりこれは岩塩だ。そしてこの場所は、何者達が塩を手にいれる為に整備された場所なのだ。
この様な場所で岩塩を掘れる存在。やはりユーハングだろうか? なら、この坂を上った先には一体何があるというのだろうか?
もし、舗装された道が再び現れたのであれば……。
「はぁ……。陸路調査と言いつつも、オタカラ探しの旅になっている気がするわ」
私の独り言は、誰に聞かれるでもなく空を切る。
本格的に朝日が昇り始める前、熟睡している二人を起こし、再び出発する為の支度に取り掛かる。
二人には、野営をした後の片付けをお願いし、私は車体調査を行い、異常が無い事を確認し、積んできた燃料で補給作業。後はタイヤの空気圧について思考する。
目の前にある坂、この先にあると予想される道、ある程度きっちりと空気を入れておいた方が無難そうね。もし再び荒れ地であれば、空気を抜くだけでいいのだから。
こちらの作業が全て終了した頃には、二人の作業も終了し、一日目より軽くなった車へ再び乗り込む。
「ここからは離れなければならないのは、非常に心苦しいですわ」
「再びここへ。とは簡単に言えない場所ですものね。道らしきものがあったとはいえ、飛行機で着陸するには幅が狭くて危険が伴う場所ですから」
「でも、それらを乗り越えて調査を行う目標が出来てよかったじゃない」
「はい! 今は隔靴掻痒ですけれど、いずれは再び!」
「意外とすぐ先の事になるかもしれないけどね」
「それはどういう事ですか、リリコさん?」
「この坂を上り切れば、答えは分かるわ」
車を始動させ、坂の前へと移動させる。今日も一日頼むわね。ハンドルを撫でる様に指で擦り、ペダルを踏みこんでいく。
傾斜に従い、角度を付けて行く車。荷台に固定して積み込んである荷物が動く様子もなく、順調に前へと進み、発動機の音が渓谷に響き渡る。
「今日も熱心にお祈りをしているのね、エンマ」
「リリコさん! 余りからかわないで下さいまし……」
「ごめんって。私が運転している間は任せて頂戴。レオナにもお願いされているからね」
「リリコさんっ!」
「だから、坂を上りきった後は、お願いね」
「……昨日の発言は、冗談ではありませんでしたの?」
「何事も経験よ。ね、タミル」
「ええ! 失敗を恐れず、新しい事へ挑戦をするのは、大変良い事かと」
「だからと申しましても、このタイミングで挑戦するのは間違いではありませんこと!? わたくし一人ならまだしも、お二人の命にも関わることでは……」
「あら、今更ね」
「ええ、今更ですわ」
私達の返答に、何かを言いたげな表情を作り、軽く手を握り締め上下に動かしているエンマ。
「そんなに深く考え込まなくても大丈夫よ。急ぎの旅ではないし、上空から日に一度、様子を見に来てくれる物好きさん達もいるわ」
「イザという時の救難信号も、無線機も、キチンと用意してありますわ。陸路調査と名前が付いたご依頼ですが、私達はこの先の新たな可能性を秘めた出来事に挑んでおりますのよ」
「その道中に、折角の機会なのだから、わたくしにも新しい事へ挑戦してみなさいな。と言いたい訳ですのね」
「ええ! 芸は身を助ける。とも言いますから」
エンマが前向きに考えてくれたおかげで、タミルはとても嬉しそうね。こんな世の中では、何が起きて、何が役立つか分からないもの。
「それにイザという時、私を自由に動かせる状態であれば、どうなるかは経験済みよね?」
「あはは……。頑張りますわ!」
「その意気ですわ、エンマ!」
「ところで、タミルは車の運転は出来ますの?」
「勿論! アルバイトは与えられたお仕事以外の事もやらされる機会がありますもの」
「それはそれでどうなのかと思いますわ……」
坂を上り切った私達に待ち受けていたのは、小高い丘の数々。その間隙を縫う様に舗装された形跡のある道。
町を繋ぐ上空ルートからは大分外れた場所にある。この先には、一体何があるのかしら?
何も無ければ楽でいいんだけど。そう考えつつ、私の身体は車体と共に揺れ動く。本日、何度目かのエンスト。
「タミル……。ギアの切り替え、どうにかなりませんこと?」
「何事も練習あるのみ。ですわ。強いて言うならば、一速から二速は早めに切り替え、アクセルペダルはゆっくりと踏み込む事が大切ですの」
「その時、クラッチペダルはどういたしますの?」
「右足でアクセルペダルを踏み込み始めたら、左足で踏み込んでいるクラッチペダルの戻ろうとする反動を、そっと添える程度の力加減で。抵抗が弱くなってきたら離す。と、言ったところでしょうか」
「分かりましたわ。今度こそやってみせますわよ」
強張る身体をほぐす様に動かし、再びギアの切り替えを試みるエンマ。坂を上り切ってからの走行距離は、五クーリルぐらいかしら。
発動機が再び始動し、アクセルペダルを踏み込む事で回転数が上がっていく。問題はこの先、だけど心配は無用だったみたい。
本当にゆっくりとだけど、確実に動き始める車体。ようやく窓から見る景色が動いたわ。
「タミル! リリコさん! ついにわたくしはやりましたわ!」
「私は信じていましたわよ。エンマなら確実に出来ると」
「よかったわね。それより前を見なさい、危ないから」
「それをリリコさんが仰るのは……」
「ところで、車ってどうやれば止められるのかしら?」
空の自由がここにまでうつったのかしら。それとも元々だったかしら。
一度、慣れてしまえばこちらのものといわんばかり。学び、経験を得たエンマの運転する車は、順調に道らしき道を進む。
タミルから聞けば、この先に気になる地点があり、進行ルートを作成の際に、そこへ上空から目印を投下しておいたという。
「町と町の間っていう危険な距離で良く見つけたわね」
「偶然ですわ。ここまで道が整備されているとは、思いもよりませんでしたもの」
「それでも、タミルにとって気になる場所が、上空からでも確認できたのでしょう?」
「はい。本来であればナンコーへと向かうべき方角とは少し違うのですが、何か違和感を覚えまして」
「そうなんだ。進行ルートの途中にあるんだし、そこへ辿り着けば何か分かるかもね」
「はい! 私だけでは分からなくても、三人寄れば文殊の知恵。ですわ!」
「船頭多くして船山に登る。になるかもしれないけどね」
「もう! リリコさんったら」
お互いに微笑み合い、冗談だと分かり合える会話。タミルもお嬢様学校に通っていた程の令嬢なのに、相手に嫌味と感じさせない雰囲気と言葉遣いは、天性のものかしら。
そういえば、車を順調に走らせているもう一人の令嬢はといえば。
「わたくし、荷物運びを空だけでなく、地上でも行えるようになりましたわ!」
「やりましたわね、エンマ。車が運転出来れば、警備のアルバイトでお手当を追加してもらえますわよ」
「それは良い事を聞きました。オウニ商会とコトブキのお仕事が無い場合は、アルバイトに勤しむのも良いかもしれませんね」
用心棒ほど、給料の良い仕事は早々無いと思うけど。勤労意欲に沸いているエンマに茶々を入れるのも野暮よね。
走行距離に反して窓から見える景色は、相も変わらず茶色の世界。それでも、運転席から聞こえるエンマの楽し気な鼻歌が、旅が順調に進んでいる事を示している。出来なかった事が出来るようになると、嬉しいよね。
そんな中、双眼鏡を覗き込んでいたタミルから、停止の合図が発令される。ブレーキペダルはゆっくりと踏むのよ、エンマ。
ギアを切り替えながら徐々に速度を落とす。とはいかないけれど、エンストを起こさずに停止させられたのは褒めるべき点だ。
「ありましたわ! 私が上空から、えいっ。と投げ出しておいた目印が見つかりましたの!」
「可愛らしい掛け声はともかく、随分と地面に突き刺さっている物もあるわね」
上空から放り投げられ、運良く地面に突き刺さった色彩豊かな杭。地面に上手く刺さらなかった物も、色のおかげで周囲に散らばっているのが分かる。
「ここがタミルの言っていた、気になる場所かしら」
「はい。本来の進行ルートでは、ここから西南西を目指してナンコーへと向かうべきなのですが……」
「舗装された道は、北西の位置を向いているわね」
「もしこのまま道なりに進んで行きますと、ナンコーへは大回りになりそうですわね」
確かに悩みどころ。本来の任務を全うする為であれば、予定通りのルートを進行して行くのが定跡。
しかし現実は私達の目の前で悪魔の囁きの如く、この先を知りたくないのかと。
「如何いたしましょう? この先が気になるのは否定出来ないのですが」
「わたくしは、タミルの直感を信じますわ。例え遠回りになろうとも、わたくし達にとって利となる何かが存在していると思うのです」
「それは二人の付き合いから基づく判断かしら?」
「ええ、こういう時のタミルの勘は、アテにしても良いかと」
「まぁ、エンマったら」
自分の直感を信じてくれるエンマに対し、ご機嫌なのを隠そうともせず、身体を器用に動かすタミル。まだまだ、元気そうでなによりね。
まぁ、北西の道を選ぶなら選ぶで、リスク軽減策は用意出来るんだけどね。
「なら決まりね。予定とは違う北西を目指して進むわ。ただ、その前にすべき事があるの」
「私達を上空から見守ってくれるコトブキの皆様にご連絡を。でよろしいでしょうか?」
「その通りよ、タミル。連絡なしで予定とは違う行動を起こしたら、後でレオナに容赦なく怒られてしまうもの」
「それは勘弁願いたいものですわ」
地面に散らばっていた杭を拾い上げ、走行の邪魔にならない場所へと移動をさせていれば、お待ちかねのコトブキ飛行隊の登場だ。
本日は、事前に予定されていた通りの二機が、こちらに向かって飛行してくる。隊長と副隊長のお出ましだ。
『三人とも、無事か?』
「おかげさまで。順調すぎたところへ問題が発生したわ」
『問題? それは一体?』
「進行ルートとは別方向に、道と呼べる物が現れたのよ」
手短に説明を行い、その場所は北西方面である事をレオナに伝える。
『なら私が周囲を探索してくるわ』
『ザラ、単独行動は危険が……』
『地上にいる三人が置かれた状況を考えれば、少しでも手助けしてあげたいじゃない』
『……はぁ。何か違和感を覚えたら、即時連絡と退避行動に移るんだぞ?』
『はーい。それじゃ行って来るわ』
「ザラ、お気をつけて」
エンマの声に応える様に翼を振り、未知の先へと偵察に向かうザラを見送る。
残されたレオナは、私達の邪魔にならない様になのか、少しの距離と高度を上げて旋回を続けている。
「タミルが作成した進行ルートを外れようと考えるのも、一応理由があるのよ」
『理由? 道以外にも何かあったのか?』
「昨日、峡谷の底で野営をしたのだけど、そこでタミルが岩塩を見つけてきたのよ」
『岩塩を? 何故そのような場所で?』
「さぁ? ただ、周囲に比べてその場所は、人の手が加えられていたとしか考えられないのよ」
『賊の仕業という可能性は?』
「あれほど丁寧な仕事がアイツらに行えるのなら、今頃、起業でもしているでしょうね」
想像をして失笑している私と、真面目に思考中のレオナ。相変わらずね。
『つまり、その様な採掘技術を持ち得る人達は、ユーハングの可能性が高く。掘り出した以上はどこかへと運び込まれた可能性がある。それが北西方面に伸びている道の先にあるのではないか。という事でいいのか?
「そういう事。そして丁度ここには、ユーハングに関する研究と調査を依頼された経験もあるタミルがいる。私達が知らない陸路を調べるという点においても、これ以上ない機会じゃないかしら?」
『意外だな。リリコがそういった事に手を貸すだなんて』
「あら、これでも算段があっての事よ。車を走らせるなら揺れない道の方が断然良いじゃない」
『確かにな』
ようやく、レオナの笑い声が聞こえた。
『ただいま~。偵察してきたわよー』
「お帰りなさいませ、ザラ。何かめぼしいものでもありまして?」
『残念だけど、上空からじゃ道が続いている以外は分からなかったわ。私以外の飛行機はおろか、人影すら見当たらない程よ』
『そうなると、地上からでないと分からないように偽装工作を施している可能性もアリか』
「幾つかのユーハングの施設を調査させて頂いた時に、迷彩を利用して遠目では分からないように偽装していた場所もありましたわ」
「結局、向かってみない事には分かりそうに無いわね。ザラ、偵察をしてくれてありがとう」
『無事に帰ったら、リリコの奢りね』
「安全確認が出来た報酬がそれなら、喜んで」
『それでは、私達からもプレゼントを用意してきた。良ければ受け取ってくれると助かる』
レオナが搭乗している隼一型が進入してくる。風防が開けられ、小さな何かをいくつか操縦席から放り投げてきた。
『アレン程の量は無いが、無いよりはマシかと思っていな。干し肉を詰め込んでおいた』
「前日に続き、ありがとうございます。レオナさんとザラさんに、深い感謝を」
『気にしなくても良いのよ、タミル。レオナなんてラハマから離陸する寸前まで、こんな質素な物でいいのかと気にしていたくらいなんだから』
『ザラ! 余りそういう事は言わないで欲しい。恥ずかしいから……』
日持ちして、邪魔にならず、生きていくのに必要不可欠な物を選んでくれたのだから、そこまで謙遜しなくてもいいのにね。でも、そういうところがレオナらしいって言うのでしょうね。
二人を見送り、私達は決意の元、進行ルートとして予定されていた西南西から、舗装された道がある北西へ目指す事に。
イザという時の事も考え、運転席には再び私が。二人には双眼鏡を渡して周囲の偵察を行って貰うことに。
ザラの情報を頼れば、この場には私達以外の人間はおろか、生物すら見かけなかったようだ。
そんな不毛な地に、丘をすり抜ける様に舗装された道が続く。
どのくらい走らせただろう。初日とは違い、車は機嫌よく前へと進んで行く。
感覚的にではあるが、既にここはラハマへ戻るよりもナンコーへ向かう方が近い場所なのだろう。
空に浮かぶ太陽は、真上からやや横へズレた場所に。出来ればそろそろ野営をする場所を確保して準備を行いたいところだが……。その時、突如タミルの声が聞こえた。
「リリコさん! 車を止めてくださいまし!」
「了解したわ」
タミルの言葉に従う様に、急停車にならない程度に車を静止させる。何かを見つけた、という事か。
車から飛び出して、ある丘へ向かおうとするタミル。それを追いかけようとしたエンマを一旦引き止めて、小銃を渡す。安全に絶対は無いから。
背中を押して追う様にと指示を出し、私は車を端へと移動させ、上空から視認しにくくなるように、布をかけて固定する。
こんな所に現れる物好きは、いないとは思うけど、思い込みで何かが起きては二人に合わせる顔がない。
一通りの確認が済み次第、タミルの後を追う。
「タミル、貴女と居ると驚く事ばかりね」
周囲にあるものよりも一回り大きな丘。その端には、ご丁寧に周囲に馴染む様に迷彩を施された扉らしき物が見える。
私達は離れた場所からうつ伏せ状態のまま双眼鏡を覗き込み、危険が無いかを確認中。
「リリコさん、あれはユーハングの施設なのでしょうか?」
「あの扉が人工物である事ぐらいしか。タミル、貴女から見てどう? ああいった施設は見かけた事はある?」
「ええ、ありますわ。ユーハングの拠点として利用されていた建物以外は、一から建物を建築するよりも、地形を利用した建造物の方が多い程ですもの」
「舗装された道から始まった一連の流れは、ユーハングの置き土産。によるものだったわけね」
「なら、あの扉の先にも何かがあるとでも?」
「可能性は十分、勿論、調べるんでしょう?」
「是非とも! でも危険であれば回避する事も……」
自分の好奇心を殺してまでも、私達の心配をするタミルの頭を荒く撫でる。ありがとうね、言葉にはしないけど。
「それを確認するのは、私の仕事。二人はここで待っていて」
「リリコさん! 一人では余りにも危険では!?」
「本当に危なかったら合図を送るから、全力で車まで戻って。私一人なら撒いて戻れるから」
「信じてよろしいのですね?」
「こういう時の為に私が居るの、任せなさい」
小銃はエンマに託したまま。手持ちのナイフと短銃さえあれば、大半はどうにでもなる。室内戦であれば尚更だ。
身体を丸め、音を立てず小刻みに近寄り、扉の隣へ。耳を澄ませてみるが、内部から誰かが居る様子は窺えられない。
それでも慎重に。ドアノブに手をかけるが、鍵がかけられており、回す事が出来ない。
ポケットから幾つかの細い針の様な道具を取り出し、ドアノブにある穴へと差し込む。伝わる感覚を頼りに幾度か道具を動かし、鍵の外れる音が聞こえた。
内部に誰もいないと想定するのであれば、念の為に口と鼻を布で覆っておいた方が良い。中はきっと埃だらけだから。
片目を瞑り、光も当たらないように腕を被せる。これで内部が暗闇であった場合も多少は動きやすくなる。
出来る準備は全て行った。こちらを見ている二人に合図を送り、ドアノブを回して屋内へ。
踏み込んだ一歩目、その時点で埃が舞う。二歩目、閉じていた瞳を開け、周囲の確認。三歩目、地面に散らばる書類らしき紙と、箱らしき物を確認。
罠の類は確認は出来ず。状況を考えれば、ここにいたユーハングの人達も、慌ててこの場所から飛び出した。とも受け取れる。
ともあれ、埃以外は問題は無さそうだ。二人を呼んでも問題は無いと判断する。
周囲を再度確認し、扉へと戻り、二人に向けて合図を送る。
「このような地図の外れにまで、ユーハングの施設があるとは思いもよりませんでしたわ」
「私もよ。おかげで誰かさんを止める事が出来ないけどね」
エンマと同じ方向を見つめた先にいるのは、どこからか用意してきた机と椅子に座り、背中を丸めているタミルの姿。
あの後、車を運んで来てくれた二人と協力して、埃掃除を始めた。
幸いにも、掃除用具はそのまま残されており、建物の大きさからなのか車を収める為の空間とシャッターが備え付けられていた。
それらを全て解放して、空気の入れ替え。七十年ぶりなんでしょうね。
作業中、タミルはユーハングが残したとされる資料を見つけ、解読を始めた。
断片的ながらタミルの口から聞けた情報をまとめると、ここは採掘試験所として使われており、採算が取れそうな場所に関しては、簡易的な道と舗装工事を行ったという。
重大な情報もある。ここは道幅が狭く、滑走路を建設するには地形を大幅に削る必要がある程。
戦闘機程の小さな機体であれば、離着陸も可能だろうが、効率が悪すぎる。収集所へ送るよりも先に、この建物が在庫で埋まるのでは。と書かれていた様だ。
そうして考えられた結果、この場所での滑走路の建設は中止と判断。この採掘試験所は物資の一時保管庫として利用する事になり、飛行機が飛ばせる町への道の舗装が最優先と判断が下されたようだ。
飛行機が飛ばせる町。地図に記載されていた工事予定表には、ラハマとナンコーも含まれている。
この計画がどこまで進められているかは不明だが、少なくともユーハングの人達は、どちらの町からでもこの場所へ辿り着ける道を知っていた訳だ。
「この地図をお借りすれば、ナンコーまで迷う事なく辿り着けるものなのでしょうか?」
「さぁ? 七十年も前の物だからね、多少なりとも地形変動は起きているだろうね」
「それでも! 私はこの場所にユーハングの方々がいらして、興味が注がれる資料を保管して下さった事に感謝してもしきれないぐらいですわ!」
「急いで穴へ戻った。って言い伝えだから、持ち運ぶ時間も無かったんじゃない? 地面に無造作に落ちていたのもあるぐらいだし」
実際、岩塩から鉱石と、様々な物が入った箱が、大雑把に置かれたままの状態だ。
「例えそうだとしても、今の私を止められる人はおりませんわ!」
「ナンコーまでの道筋を最優先に調べて頂けるのであれば、止める気がさらさらありませんわ。お好きなだけどうぞ」
「勿論ですわ! ふふっ、腕が鳴りますわ!」
無事にナンコーへ辿り着ける可能性が高まるのであれば、私が何かを言う事も無いわ。
昨日と同じく、日がまだ上っている内に、夜間交代の為に仮眠を取らせてもらう事にした。
エンマから優しく起こされ、目覚めた後もタミルは机に向かいっぱなし。よほど嬉しいのだろう。
夜更かしは身体の毒ではあるが、あれほどまで熱中している人を止められそうにない。せめてコーヒーぐらい差し入れをしてあげるぐらいか。
その時、私の耳に何か違和感を覚える音が聞こえた。小銃を手に取り、建物内から外へ。
周囲を警戒していると、目が合う。ソイツは毛深く、四つ足でこちらに視線を合わせたまま動かない。
よりにもよって、こんな場所で熊と出会うだなんて。岩塩でも舐めに来ていたのかしら。
小銃を構えたまま対峙する。下手に動けば刺激する事になり、襲われる可能性も高くなる。
何より、熊退治なんて面倒の一言だ。頭は固く、数発撃ち込んだ程度では死にやしない。ましては胴体なんて何発必要か。
それにこんな場所で退治をしたとしても、私には何の利点もない。存在そのものが財産と言っても良い生物なのに、水源が無い場所では、冷やす事も血抜きも出来ない。
当然ながら解体する事もままならず、腐り果てるのを待つだけ。無駄の極みね。
だけど相手には分かってもらえる訳もなく。唸り声を上げている。
私の後ろには、守るべき人物が二人。今日一日頑張って車を運転してくれたエンマ、今もユーハングの資料を解析してくれているタミル。今の二人の邪魔をさせるものは、誰であろうと許さない。
「これなら分かるでしょう? 引き返しなさい」
熊に向けて、最大限の殺気を放つ。これで駄目なら……。
そう考える暇もなく、熊は怒涛の勢いで何処かへと消え去っていった。こんな可憐な女性に対して失礼しちゃうわ。
はぁ、無駄弾を使わずに済んだと思う事にしよう。呼吸を整える為に顔を上げれば星屑の空が私を向かい入れてくれる。
一度、二度と深呼吸を繰り返し、いつも通りの私に戻し、もう一度だけ空を見上げる。
自然にも、飛行機にも、邪魔される事のない空の美しさは、何度見ても格別だ。
さ、タミルの為にコーヒーを用意してあげよう。そして休憩がてら、この空の元へ誘うのも悪くないんじゃないかしら。