荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景   作:星1頭ドードー

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船長と巡り合い フィオ

 書類の山と格闘するだけの時間は、精神を摩耗させるには十分すぎるほどの威力を持っている。

 ペンを走らせる音が、静まり返った船長室に虚しく響くのみだ。

 

 外は既に月が昇り、星々が瞬く時間帯を迎えているというのに、目の前の紙束は一向に減る気配を見せない。

 大きく伸びをして凝り固まった肩を回したその時、ノックもなしに扉が勢いよく開かれた。

 

「船長! いつまでそんな辛気臭い顔をして机に向かってるんだ。夜も更けたってのに明かりが漏れてるから気になって来てやったぞ!」

 

 仁王立ちで今にも癖のある高笑いをしそうな、こちらを睨みつけているのは、ゲキテツ一家の首領代理を務めるフィオだ。

 その小柄な身体からは想像もつかないほどの威圧感と、隠しきれない愛嬌を併せ持っている。

 

 彼女は私の返事も待たずに、慣れた様子でソファへと腰を下ろすと、不満げに足を組んだ。

 皆、ノータイムでそこへ座るんだな。

 

「まったく、船長は放っておくと何処までも働き続けるな。ゲキテツのシマでもそんなに働かせるようなブラックな真似はしないぞ?」

 

 ──仕事が終わらないのだから仕方がない。借金を減らすためにも頑張るさ。

 

 私の一言に呆れたように溜息をつくフィオだが、その瞳には心配の色が見え隠れしている。

 どうやら、単なる冷やかしや世間話をしに来たわけではないようだ。

 

「……なぁ、船長。最近色んな連中から勧誘を受けてるって噂、本当なのか? アカツキとか、カナリアの連中とかさ」

 

 核心を突くような問いかけに、ペンの動きが止まる。

 確かに、機動部隊が正式に稼働するまでの間だけでもと、様々な組織から身の振り方を打診されているのは事実だ。

 

 だが、それをフィオが気にかけているとは意外だった。

 

 ああ、と短く肯定の言葉を返す。

 それだけで彼女の機嫌が急速に下降線を辿っていくのが、手にとるように分かってしまう。

 

 組んでいた足を貧乏ゆすりのように揺らし、視線を宙に彷徨わせながら吐き捨てるように言葉を紡ぎ出した。

 

「ふん! どいつもこいつも、鼻が利くというか、節操がないというか! 船長はゲキテツ一家が一番に目を付けた人材だってのに、後からしゃしゃり出てきやがって!」

 

 ──彼女らも善意で言ってくれているだけだとは思うが……それよりオレンジジュースでも飲むか? 

 

「……飲む。ったく、船長は人が良すぎるんだよ。そんなんだから、あのキツネ女や泥棒猫どもにいいように使われるんだぞ?」

 

 ゲキテツ一家は仁義を重んじる。私が他所の組織に引き抜かれることは、彼女たちなりの面目を潰されることに等しいのかもしれない。

 ぶつくさと文句を言いながらも用意したオレンジジュースを一口飲むと、強張っていた表情が少しだけ和らいだように見えた。

 

 フィオはチラリとこちらを伺うような視線を向けてくる。

 

「……悪いな。別に他所の悪口を言いたいわけじゃないんだ。ただ、船長が安く買い叩かれるのが気に食わないだけだ。船長にはもっと、こう……相応しい場所があると思うんだよ」

 

 ──相応しい場所……監獄かな? 

 

「馬鹿野郎! 冗談でもそんなこと言うんじゃねぇ! あたしなら、もっと船長を高く評価してやるって言ってんだ! 牢屋なんかより、ずっとマシな場所を用意してやる!」

 

 ドンッ、と音を立ててグラスをテーブルに置くと、彼女は身を乗り出して捲し立ててくる。

 その剣幕に気圧されそうになるが、彼女の瞳にあるのは怒りではなく、純粋な苛立ちと……もどかしさのようなものだった。

 

 私の自虐を本気で怒ってくれる人間というのは、そう多くはない。

 その情熱に少しだけ胸が温かくなるのを感じながら、私は苦笑いを浮かべて次の言葉を待つ。

 

 フィオは一度深呼吸をして呼吸を整えると、意を決したように、それでいて少し視線を逸らしながら核心を口にした。

 

「……単刀直入に言うぞ。ウチに来いよ、船長。ゲキテツ一家なら借金の肩代わりだって造作もないし、生活も保障してやる。幹部待遇で迎えてやるからさ……悪い話じゃないだろ?」

 

 ──幹部待遇、か。それはまた随分と過大な評価だな。

 

「船長には返しても返しきれない恩がある。オヤジのこともそうだし、あの穴の件だってそうだ。船長がいなきゃ、ウチの組はどうなってたか分からねぇ。仁義を通すのがゲキテツの流儀だ。それに、船長の実力はあたしが一番よく知ってるつもりだぜ?」

 

 熱のこもった視線に射抜かれ、返す言葉が見つからない。

 彼女の言う「恩」とやらが、私にとっては当たり前の行動をした結果に過ぎないとしても、フィオにとっては組の存続に関わる重大事だったのだ。

 

 それにしても、幹部待遇とは大きく出たものだ。

 マフィアの世界で生き抜く覚悟など、今の私に持ち合わせているはずもない。

 

 丁重に断りの言葉を探そうと口を開きかけたその時、フィオが少しだけ声を潜めるようにして、けれど確かな意志を込めて言葉を重ねてきた。

 

「それにだ……幹部って言っても、荒事ばかりさせるつもりはねぇよ。あたしの……そう、フィオ様の補佐として一番近くで支えて欲しいんだ。他の奴らじゃ、どうにも頼りなくてな」

 

 グラスを持つ指先に力が入り、わずかに震えているのが見て取れる。

 視線は私の顔から外れ、机の上に置かれた書類の山へと逃げているようだが、その頬が朱に染まっているのは薄暗い照明の下でも隠しきれていない。

 

 補佐、か。

 組織全体を統括する立場ではなく、あくまで彼女個人の右腕として。

 

 それは組織への勧誘という建前を借りた、もっと個人的で、切実な願いのようにも聞こえた。

 

「か、勘違いするなよ!? 別に個人的な感情とかじゃなくてだな! 一家のトップとして優秀な人材を手元に置きたいってだけの話だ! そこんとこ、間違えるんじゃないぞ!」

 

 ──優秀な人材ね。買い被りすぎだとは思うが、フィオの隣に立つというのは、なかなかにスリリングで退屈しなさそうではあるな。……具体的な業務内容は? 

 

 彼女は頬を人差し指でかきながら、ボソボソと言い訳じみた口調で言葉を並べ始めた。

 

「全部だよ! 交渉事も、作戦立案も……あと、その……あたしが暴走しそうになった時に止めるストッパー役もだ! 船長なら、あたしの背中を預けてもいいって思ってるんだからな!」

 

 語気が強くなるにつれて顔の赤みが増していくのは、彼女自身が自分の発言の恥ずかしさに気付いているからだろう。

 つまりは、仕事のパートナーという名目を借りた、精神的な支柱を求めているということか。

 

 首領代理という重圧は、なかなかのようなものだ。

 誰かに頼りたい、弱音を吐ける相手が欲しいと思うのは当然の心理だ。

 

 だが、それを素直に言葉にできないのが、フィオの不器用で愛おしいところでもある。

 

 ──今のゲキテツなら幹部同士で協力し合えるだろう? それにフィオにはローラという優秀な右腕がいると思うのだが。

 

「ローラはダメだ! いや、ダメじゃねぇけど、あいつは身内すぎるんだよ! あたしのことをガキの頃から知ってるから、どうしても過保護になっちまう! それに、あいつにはあいつの役割があるからな!」

 

 ──身内だからこそ、信頼できるのではないか? 

 

「そういうことじゃねぇ! 組織を動かすには、もっとこう……客観的な視点が必要なんだよ! 身内びいきなしで、ダメなもんはダメって言える大人が必要なんだ! 船長みたいにな!」

 

 対等に、あるいは一歩引いた視点から意見を言える存在が欠けているという自覚があるのだろう。

 フィオは一息つくと少しバツが悪そうに視線を逸らし、グラスに残っていた氷をカランと鳴らした。

 

 ──私はただ、必要そうな時に手を貸したのと、ちょっと生意気な子だと思って接していただけだが……それを言ったら怒られそうだな。

 

「おい、誰がチビだゴラぁ! 今失礼なこと言っただろ! 顔に出てるぞ! ……まぁいい。とにかく、あたしは船長のそういう遠慮のないところが気に入ってるんだ。だから、あたしの傍にいてくれって言ってるんだよ! ここまで言わせんなよ、恥ずかしい!」

 

 私の言葉に、フィオは不満げに鼻を鳴らすと、組んでいた足を解いてソファに深く座り直した。

 まるで駄々っ子が自分の要求を通そうとしているかのような、幼さと真剣さが同居した表情だ。

 

「看板背負ってドシッと構えてりゃいいんだ! 船長は頭を使ってくれればそれでいい。借金だってチャラにしてやるって!」

 

 ──魅力的な提案ではあるな。だがあの莫大な借金を肩代わりしてもらうということは、私は一生ゲキテツ一家に、いや、フィオ個人に頭が上がらなくなるということではないのか? 

 

 金銭的な解決は魅力的だが、それ以上に重い「借り」を作ることになる。

 彼女の性格上、一度懐に入れた人間を無下にはしないだろうが、その拘束力は監獄の比ではないかもしれない。

 

 私が慎重に言葉を選んでいると、フィオは焦れたようにテーブルを指先でトントンと叩き始めた。

 そのリズムは彼女の心拍数のように早く、落ち着きがない。

 

「うだうだ考えてんじゃねぇ! 損得勘定抜きにして、あたしは船長が必要だって言ってんだよ! ……船長が傍にいてくれなきゃ、あたしはまた道に迷っちまうかもしれないだろ……」

 

 語尾が消え入りそうになるほど小さくなり、彼女はバツが悪そうに帽子を目深に被り直した。

 その仕草は、強気な首領代理としての仮面の下にある、等身大の少女の素顔を覗かせていた。

 

 ──フィオ。君の気持ちは痛いほど分かったし、評価してくれていることは本当に嬉しい。だが、ゲキテツ一家に入るということは、君の『家族』になるということだ。それは、生半可な覚悟で決めていいことじゃない。

 

「……覚悟なんて、後からついてくるもんだろ。まずは形から入ったっていいじゃねぇか。あたしが許すって言ってんだ、文句ある奴はシマで撃ち落としてやる」

 

 物騒なことをサラリと言ってのけるが、その表情は真剣そのものだ。

 彼女なりに、退路を断ってまで私を迎え入れようとしているのだ。

 

 その熱意に、私の心にある天秤が少しだけ揺れた気がした。

 

 ──フィオとの繋がりは、そう簡単に切れるものではないと信じている。それ故にこの借金をチャラにしてもらうわけにはいかない。そうでなければ対等な関係ではなくなってしまう。金で買われた部下は、主人に対して本当の意味で意見することはできない。フィオが求めているのはイエスマンではなく、時に耳の痛いことを言う相談役なのだろう? 

 

 そう問いかけると、フィオは虚を突かれたように目を丸くし、次いで悔しそうに唇を噛んだ。

 図星だったようだ。

 

 彼女は自分のグラスに残った氷をガリガリと噛み砕き、その音で自身の動揺を誤魔化そうとしている。

 

「……相変わらず船長は理屈っぽいな。可愛げがねぇ」

 

 悪態をつきながらも、その声には先ほどまでの焦燥感は消え、どこか納得したような響きが含まれていた。

 フィオはソファから勢いよく立ち上がると、帽子を目深に被り直してこちらに背を向ける。

 

「分かったよ。勧誘の件はいったん取り下げてやる。……その代わり!」

 

 くるりと振り返った彼女は、私の胸元を指差して悪戯っぽく、それでいて力強く宣言した。

 

「あたしが困った時は、最優先で相談に乗れ! これなら対等だろ? 文句は言わせねぇぞ!」

 

 ──無償労働を強要するとは、さすがはマフィアのボスだな。だが、その条件なら喜んで受け入れよう。

 

 私の返答に、フィオはニカっと白い歯を見せて笑った。

 それは年相応の、屈託のない笑顔だった。

 

「交渉成立だな! じゃあな、船長。働きすぎて過労死すんなよ! あたしの相談役がいなくなったら困るからな!」

 

 嵐のように現れ、嵐のように去っていく。

 バタンと閉まった扉を見つめながら、私はふと口元が緩んでいる自分に気が付いた。

 

 静寂が戻った部屋で、再びペンを手に取る。

 借金は減らないし、書類の山もそのままだ。

 

 だが、ペンの進みは先ほどよりも幾分か軽くなっていた。

 

 彼女たちがいる限り、この先のイジツでの生活も、そう悪いものにはならないだろう。

 そんな予感を抱きながら、私は再び仕事へと没頭していった。

 

 ***

 

 船長室の扉が音を立てて閉ざされた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、あたしはその場に崩れ落ちそうになる身体を背後の壁へと預けた。

 ひんやりとした壁の感触が背中越しに伝わってくるはずなのに、自身の体温が異常なほど上昇しているせいで、まるで熱した鉄板に触れているかのような錯覚さえ覚える。

 

 心臓の鼓動が早鐘を打ち、全身の血流が逆流しているのではないかと疑うほどに頬が熱く、耳の奥ではドクンドクンという自身の脈動だけが響き渡っていた。

 

 先程までの威勢の良さはどこへやら、帽子を目深に被り直し、誰もいない廊下で一人、長いため息を吐き出す。

 船長は、今のやり取りを単なる組織への勧誘と、金銭的な契約の話だと受け取ったに違いない。

 

 ゲキテツ一家の幹部として、あるいは首領代理としての補佐役。

 確かに言葉の上ではそう伝えたし、建前としては間違っていない。

 

 だが、あたしが本当に伝えたかった意味は、もっと別の、生涯をかけた契約に近いものだったのだ。

 

 借金を肩代わりし、生活の全てを保障し、一生涯自分の傍に置く。

 それはマフィアの流儀に則った、最大限の……その……求婚に等しい申し出だったのだから。

 

 それを「対等な関係」などという、あまりにも船長らしい、そして残酷な正論で切り返されたのだから、笑うしかない。

 金で縛り付けることを良しとせず、あくまで一人の人間としてフィオの隣に立つことを選んだ船長。

 

 その誠実さが憎らしくもあり、同時にどうしようもないほど愛おしく思えてしまうのだから始末が悪い。

 

 船長は、あたしの一世一代のお願いを、そうとは気付かずに袖にしたのだ。

 その事実に対する悔しさと、それでも縁が切れなかったことへの安堵が入り混じり、あたしの胸中は嵐のように乱れていた。

 

 壁に預けていた背中を離し、自身の頬を両手でパンと叩く。

 まだ熱さは残っているが、これ以上ここで立ち止まっているわけにはいかない。

 

 いつ誰が通りかかるか分からない通路で、恋する乙女のような顔を晒すわけにはいかないのだ。

 

 靴音を響かせ、格納庫へと続く廊下を歩き出す。

 断られたわけではない。

 

「最優先の相談役」という特等席は確保したのだ。

 

 今はまだ、その距離感で甘んじてやることにしよう。

 だが、いつか必ず、その鈍い頭に分からせてやるのだ。

 

 あたしという女が、どれほどの覚悟で船長を求めたのかを。

 そして、その時はもう二度と「対等」などという逃げ道を用意させてやるつもりはなかった。

 

 不敵な笑みを浮かべ、未来の伴侶を陥落させるための新たな作戦を練りながら、あたしは足取り軽く闇夜の通路へと消えていった。

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