荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景   作:星1頭ドードー

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船長と巡り合い アコ

 書類の山との格闘を終え、ようやく訪れた静寂の時間。

 窓から差し込む夕日が、舞い散る埃をキラキラと黄金色に染め上げている。

 

 心地よい疲労感と共に、淹れたての紅茶から立ち上る湯気を眺めていた。

 芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、強張っていた肩の力が少しずつ抜けていくのを感じる。

 

 平和だ。空賊討伐部隊から治安維持機動部隊へと組織が移り変わる過渡期において、この静けさは何よりも得難い宝物のように思える。

 だが、そんな安息の時も、控えめなノックの音によって終わりを告げることとなる。

 

 扉の向こうにいる人物が誰なのか、その律儀な叩き方だけで想像がつく。

 許可を出すと予想通り、白い制服に身を包んだ少女が姿を現した。

 

 カナリア自警団の団長、アコである。

 

 彼女は部屋に入ると、背手で静かに扉を閉め、一度深呼吸をしてからこちらに向き直る。

 その表情は真剣そのもので、どこか張り詰めた空気を纏っていた。

 

 しかし、その瞳の奥には迷いのような、あるいは不安のような色が揺らめいているのが見て取れる。

 ただの業務報告であれば、ここまで緊張する必要はないはずだ。

 

 何か、言い出しにくいことでもあるのだろうか。

 

「失礼します、船長。お忙しいところ申し訳ありません。少しだけ、お時間を頂いてもよろしいでしょうか? 今後のことについて、個人的にご相談したいことがありまして……」

 

 アコの言葉遣いはいつも通り丁寧だが、語尾が少しだけ震えているように聞こえる。

 手に持っていたカップをソーサーに戻し、軽く音を立てて置く。

 

 その音が、静まり返った部屋に小さく響いた。

 

 椅子に深く座り直し、彼女に対して正面から向き合う姿勢を作る。

 どうぞ、と短く促すと、アコは一度視線を足元に落とし、意を決したように歩み寄ってきた。

 

 机の前まで来ると、彼女は立ち止まり、胸の前で両手の人差し指同士を合わせるようにして、もじもじと動かし始めた。

 その仕草はアコが何か重要な、しかし口にするのを躊躇っている事柄を抱えている証拠だ。

 

「あの、ですね……。先日、治安維持機動部隊としての新たな体制についてお話があったかと思いますが、その件に関連して私たちカナリア自警団としての、これからの関わり方について改めて考えをまとめてきたのですが……」

 

 一息でそう告げると、アコは上目遣いでこちらの様子を窺ってくる。

 どうやら、ただの報告ではなさそうだ。

 

 ──関わり方か。私としてはこれからもアコの力を貸して欲しいと切に願っているのだが。

 

「そ、そう言って頂けると本当に嬉しいです! ……でも、その、単に今まで通り協力するというだけではなくて……もう少し形に残るというか、私たちが船長を頼っても良いという明確な証が欲しくて……」

 

 明確な証。

 その響きに、少しばかり背筋が伸びる思いがした。

 

 曖昧な関係性を良しとせず、白黒はっきりさせたいというのは、いかにも真面目なアコらしい考え方ではある。

 だが、私が想像するような契約書へのサインといった事務的な話ではなさそうだ。

 

 ──証か……。まさか怪盗団の専属や、マフィアの鉄砲玉といった類の話ではないだろうね? アコがそこまで言い淀むなんて、よほど重い話なのか、それとも言いにくい内容なのか。

 

 少し冗談めかして問いかけると、アコは慌てて首を横に振った。

 その拍子に、整えられた髪がふわりと揺れる。

 

「ち、違います! そんな物騒なことじゃありません! ……その、単刀直入に言いますと……以前からお伺いしていたカナリア自警団の『特別顧問』を正式に船長になって頂けないかと思いまして……!」

 

 特別顧問。

 意を決して放たれた言葉は、部屋の空気を一変させるには十分な威力を持っていた。

 

 アコは言い終えると同時に、ギュッと目を瞑り、こちらの反応を待つように身を固くした。

 まるで、拒絶されることを恐れているかのように。

 

 ──特別顧問、とはまた大きく出たな。私がそのような大層な肩書きに相応しい人間だと思っているのか? 良い眼科でも紹介しようか? 

 

 冗談めかして言ったつもりだったが、アコには逆効果だったようだ。

 彼女は頬を僅かに膨らませ、抗議の意を示すように一歩、こちらへと詰め寄ってくる。

 

 その瞳に宿る熱は荒野の夕日の赤さよりも遥かに強く、私の心の奥底にある防壁を容易く溶かそうとしていた。

 アコは私が自身を卑下することを何よりも嫌う。それを知っていながらつい軽口を叩いてしまうのは私の悪い癖だ。

 

「眼科なんて必要ありません! 私は本気なんです。あの時、迷っていた私たちに道を示し、導いてくださったのは船長です。貴方でなければ務まらない役目だと確信していますから!」

 

 語気を強めながらも、アコの指先は未だに不安そうに触れ合っている。

 強気な言葉とは裏腹なその仕草が、彼女がいかに勇気を振り絞ってこの場に立っているかを物語っていた。

 

 アコの真っ直ぐな視線を受け止めきれず、私はふと視線を外へと逃がす。

 かつての戦争犯罪人とまで呼ばれた男に、未来ある若者たちを導く資格などあるのだろうか。

 

 ──買い被りすぎだ。私はただの元受刑者で、エライ人達の都合でここにいただけの男だぞ? 君たちの輝かしい未来に私の様な泥がついた人間が関われば、どんな色に染まるか分かったものじゃない。

 

 その言葉を聞いた瞬間、アコの表情がくしゃりと歪む。

 悲しみでも怒りでもない、私の頑迷さに痺れを切らしたような、そんな切実な色が浮かんでいた。

 

 彼女は私の机に両手をつき、身を乗り出すようにして距離を詰めてくる。

 

 その瞳は潤んでおり、私ごときが発した自嘲の言葉を全身全霊で否定しようとしていた。

 アコの指先は、今度は組み合わせられることなく、白くなるほど強く机の縁を握りしめている。

 

「泥だなんて言わないでください! 船長がいてくれたからこそ、今の私たちがあるんです。過去がどうあれ、貴方が守ってくれた事実は変わりません。私たちには、貴方が必要なんです!」

 

 真っ直ぐすぎる言葉が、胸に突き刺さる。

 彼女の純粋さは、時としてどんな鋭利な刃物よりも深く、私の心の柔らかい部分を抉ってくる。

 

 視線を逸らそうとしても、彼女の強い意志がそれを許さない。

 

 イヅルマの空を守る自警団の長として、彼女は立派に成長した。

 だが、今の彼女はただの一人の少女として、私に訴えかけているように見える。

 

 ため息を一つ吐き出し、私は諭すように口を開いた。

 

 ──感謝してくれるのは嬉しいが、世間の目は厳しいものだ。自警団の顧問に前科者が居座るなんてイヅルマの評判に関わるだろう? 私はアコの立場を悪くしたくはないんだよ。

 

「評判なんて気にしません! それに……私、団長として振る舞っていますけど、まだ未熟で、不安で押し潰されそうになる時があるんです。だから……導いてくれる大人が傍にいて欲しいんです」

 

 導いてくれる大人。その言葉の重みが、私の全身にのしかかる。

 

 アコは単なる戦術的な助言者を求めているのではない。

 迷った時に指針となり、間違った時に叱り、そして辛い時に寄り添ってくれる存在を求めているのだ。

 

 かつて空で父を見失い、若くして重責を背負った少女。

 そんな彼女が、私という人間に「父性」にも似た何かを見出しているのだとしたら。

 

 それを無碍に突き放すことが、果たして「大人の対応」と言えるのだろうか。

 

 ──アコ、それは私に君のお父上が戻られるまでの間、父親代わりになれということかい? 私のような人間に、アコのお父上の代わりが務まるとは思えないのだが。

 

 私の問いかけに、アコはまた少し顔を赤らめ、慌てたように手を振る。

 指先を合わせる仕草は止まり、今度はその手が忙しなく空を切った。

 

「ち、違います! あ、いえ、違わなくもないですけど……! お父さん代わりとか、そういうのじゃなくて……もっと、こう、私が一番信頼できる男性として傍にいて欲しいと言いますか……!」

 

 言葉にするほどに深まる墓穴に気づいたのか、彼女の顔は夕焼け以上に赤く染まっていく。

 だが、その瞳だけは決して逸らさず、私を捉えて離さなかった。

 

 信頼できる男性、か。

 その言葉の響きに、胸の奥がむず痒くなるのを感じる。

 

 彼女の純粋な想いは、私の心の隙間に染み込み、頑なだった拒絶の意志をゆっくりと溶かしていくようだ。

 

 これ以上、彼女の懇願を無碍にすることは私の良心が許さない。

 それに、私自身も心のどこかで彼女たちの成長を見守り続けたいと願っていたのかもしれない。

 

 私は一つ息を吐くと、柔らかな笑みを浮かべて彼女に語りかけた。

 

 ──分かった、分かったから落ち着きなさい。アコの言いたいことは痛いほど伝わってきたよ。つまり、君が迷った時の羅針盤になればいいんだな? 

 

「……はい! 羅針盤です。私が間違った方向に進まないように、そして進むべき道を見失わないように、一番近くで見ていて欲しいんです!」

 

 ──間違った道へ一緒に進んでしまった時はどうするつもりなんだ? 私とて完璧とはとてもじゃないが言い難いのだが。

 

 私の意地悪な問いかけに対し、アコは一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、花が綻ぶような極上の笑みを見せた。

 不安げに合わせていた指先は解かれ、代わりに彼女の右手が真っ直ぐに私の心臓を射抜くように差し出される。

 

「その時は二人で一緒に迷子になりましょう。船長となら知らない道も怖くありませんから。それに……もし道に迷っても二人で探せば、きっと新しい正解が見つかると思います!」

 

 ──参ったな。そこまで言われてしまっては、もはや断る理由が見当たらない。

 

 アコの全幅の信頼を前にしては、私の卑屈な自尊心など路傍の石ころ以下の価値しかないようだ。

 観念した私は机の上に肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せて苦笑する。

 

 空の英雄の娘にここまで言わせてしまうとは。

 年長者として腹を括る時が来たようだ。

 

 ──非常勤であればカナリア自警団特別顧問の座を謹んでお引き受けしよう。ただし、私の顧問料は高いぞ? 何せ、多額の借金を抱えた身だからな。

 

 冗談を言ったつもりだが、アコはぱあっと顔を輝かせ、先ほどまでの緊張が嘘のように弾んだ声を上げた。

 

「本当ですか!? ありがとうございます!! 顧問料については……えっと、私たちの成長と、これからの頑張りで長期分割払いさせてください!」

 

 ──顧問料は冗談だ。ただし、君が一人前の団長になったと判断した時は、その役目を解任してもらうとするよ。

 

「解任なんてさせませんよ! 私は一生、船長……いえ、特別顧問のご指導を仰ぐつもりですから! あ、やっぱり今まで通り『船長』って呼んでもいいですか? その方がしっくりくるので」

 

 ──好きに呼ぶといい。呼び名が変わったところで私がアコの味方であることに変わりはないのだから。

 

 私の言葉にアコは「えへへ」と年相応の可愛らしい笑い声を漏らす。

 その笑顔は夕闇が迫る薄暗い部屋の中でどんな照明よりも明るく、温かく私の心を照らしていた。

 

 契約成立だ。

 握手を求めて差し出された彼女の小さな手を、私はそっと包み込むように握り返す。

 

 伝わってくる体温と、微かに震える手のひらが、彼女の覚悟と安堵を雄弁に物語っていた。

 

 さて、これでまた一つ、肩書きと責任が増えてしまった。

 だが、不思議とその重みを心地よいと感じている自分がいる。

 

 借金まみれの船長兼特別顧問。

 前途多難な未来だが、彼女たちの笑顔がある限り、そう悪いものではないのかもしれない。

 

 部屋の隅に置かれた古時計が、時を告げる音を響かせる。

 窓の外では、一番星が夜空に瞬き始める時間だろう。

 

 私たちの新しい物語は、まだ始まったばかりなのだ。

 

 ***

 

 私は少しだけ船長に嘘をついてしまった。

 

 その大きく無骨なてのひらから伝わってくる温もりは、私の心臓の鼓動を早めるには十分すぎる熱量を持っていた。

 握り返されたその力の強さが、船長が私の言葉を真摯に受け止めてくれた証なのだと思うと、胸の奥が甘く疼くような感覚に襲われる。

 

 迷った時の羅針盤になって欲しい、道を見失わないように導いて欲しい、それらの言葉に嘘偽りは一つもないけれど、全てが真実というわけでもなかった。

 父親代わりではないと言った時の、あの必死な否定だけは、紛れもない私の本心そのものであった。

 

 一生指導を仰ぐという言葉は、裏を返せば、一生私の傍から逃がさないという、ある種の独占欲を含んだ宣言でもあった。

 船長がその裏側に込められた重たくて深い情熱に気付くのは、きっとまだ随分と先のことになるのだろう。

 

 けれど、今の船長にはこれくらいの建前が必要だったのだと、自分自身の狡さを正当化してそっと心の中で舌を出す。

 真正面から好意をぶつければ、船長はきっと自分の過去や立場を理由にして、優しく、けれど断固として拒絶したに違いないから。

 

 だからこれは、臆病な私が船長を繋ぎ止めるために張り巡らせた、愛おしくて少しだけ計算高い、一世一代の作戦だったのだ。

 特別顧問という堅苦しい肩書きは、私たちが公然と寄り添うための免罪符であり、船長を私のテリトリーに招き入れるための鍵となる。

 

 いつかこの関係の名前が変わる日が来るまで、私はこの心地よい嘘を大切に抱えながら、船長の隣を歩き続けようと思う。

 握りしめた手から伝わる確かな体温を、もう二度と離さないと心に誓いながら、私は満面の笑みで船長を見つめ続けた。

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