荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
三日目の朝、私は昨日の事など無かったかの様に振る舞いながら、エンマを起こすべく頬っぺたを引っ張る。
お手入れがされている肌は、摘まんだ指に貼り付くような弾力性があり、触っていても飽きがこない。
それにしても中々起きない。深夜と呼べる時間、深い眠りについていたとはいえ、あんな出来事が発生していたのにも関わらず、エンマは今もこうして童話の眠り姫の様に。
肝が据わっているというのか、鈍感と言ってしまってよいものなのだろうか。
まあ、いいわ。指先で十分楽しめた事だし、昨日と同じく頬っぺたを裏手でペチペチと叩けば、顔を歪ませながらも目を開けるエンマ。おはよう。
「タミルったら、もしかして一晩中、資料の解析をしていらしたので?」
「止めても無駄だったわ。私に出来たのは、休憩がてら外でコーヒーを飲ませたぐらいね」
今はエンマと二人でお目覚めのコーヒーを口にしている。紅茶派には悪いけど、それもあと僅かの我慢という事で。
話題の人物は、ここで手に入れた資料と地図を合わせ、整合性を取る作業に取り掛かっている。
タミルの頑張りが実れば、山々に囲まれたナンコーへ向かう方法として、道が利用出来るかもしれないのだ。
予定されていた進行ルートでは、三日目が一番厳しいとされていた。山々の僅かな隙間を、タミルが準備しておいてくれた目印を頼りに走行していかなければならない。
その様な場所だ、いうまでもなく道と呼べるかどうかも怪しく、周囲には剥き出しの岩肌。パンクと落石の危険性と昨夜の様に生物と対峙する可能性。
それらリスクの軽減が図れるのであれば、これ以上ない朗報である。
この旅は、決して急ぎではない。時間を掛けて安全性を僅かでも上げる事が出来るのであれば、念入りに調べてもらった方が得策だ。
長期戦も視野に入れて考えておくべきね。食料や水の配分、焚き火に使用する材料、それらを計算し始めた時、エンマが口を開く。
「まるで、ここは空の駅みたいですわね」
「実際は、丘をくり抜いて作られた倉庫だったけどね」
「もう! リリコさんってば! 今はそうかもしれませんが、わたくし達が無事に依頼を遂行できた後の話ですわ」
「ラハマ・ナンコー間の陸路調査の結果、ラハマ方面から出発した先にある峡谷では、岩塩を発掘出来る場所があり、その先に中間地点とも呼べる場所では、雨風を凌げる場所を発見。それはユーハングの手により隠蔽された、壕とも呼べる建造物であり、内部には当時の資料と、周囲で採掘してきたであろう、岩塩と鉱石が置かれていた」
「この先に続いているナンコーへの道を走破し、ユーリア議員にその様な報告書を提出したら、どのような反応をなされるでしょうか?」
「岩塩って単語を見た瞬間。マダムに対して優位に立てる交渉カードを手に入れたと歓喜するでしょうね」
「それでも、マダムなら上手く対応されるのでしょうね。それでも、この調査結果により、新たな働き口が生まれるのでしたら、わたくしは歓迎ですわ」
「それで空の駅なんて言葉が出てきたのね」
「ええ、採掘と運送を担う拠点として、二つの町を中継する際に、一息つく事が出来る中間地点として、再び人々に活用される場所になればと」
「なら、それを現実のものとする為にも、この場所に名前を付けてあげるべきね。いつまでもアレやソレで表していたら、また風化してしまうわ」
「名前と申しましても、そう言われると直ぐには浮かばないものですわね。リリコさんは何か思いつく名前はありませんこと?」
「私だって何も思いつかないわよ。ただ、この場所がエンマの思い描く姿になって欲しいと想うのなら、一先ず、空の駅という言い方ではなく、道の駅とでも呼んであげた方がいいんじゃないかしら?」
「道の駅、ですか。それは良いですわね。空路の為の空の駅。陸路の為の道の駅。とても素敵ですわ」
そこまで気に入られるとは思わなく、羞恥心が湧いてくるが、エンマには悟られない様に気を付けよう。
タミルの解析が一段落つくまでの間、私達はいつでも出発できるように、前日と同じく仕度を整えていたが、太陽は随分と上の位置まで昇っている。この先、起こりえる可能性を考えれば、今日の出発は延期が打倒ね。
そうと決まれば、私達の様子見をしに来てくれる物好きさん達に向けて、信号弾を打ち上げておかなければ。
既に予定されていた進行ルートからは、大分離れた場所に居る。レオナとザラには進行先は伝えてあり、コトブキ内でも情報が共有されているだろうが、念の為にね。
口を付けていたカップの中身が空になった事を確認し、その為の準備を始めようとしたとき、何かが勢いよく倒れる音。
そちらに視線を移せば、両手で握り拳を上げて、やり遂げたといわんばかりの背中を見せつけるタミルの姿があった。
「わ、私はやりましたわ! ユーハングの方々が可能性を見出し、作り上げた道の在処を!!」
「やるじゃん」
「もっと愛情込めたお褒めを頂きたいですわ! リリコさん!」
こちらに振り向き、私に抱きついてくるタミル。徹夜の影響からか普段とは違う行動に驚かされるが、不眠不休で通常ではありえない速度で解析を行っていたのだから、これぐらいは許してあげるべきか。
「口下手なのよ、ごめんなさいね。でもタミルが頑張っていた姿はずっと見ていたわ。貴女のおかげで二人を危険な目に合わせる可能性が格段に減らす事が出来たわ。ありがとう」
感謝の言葉と共に、タミルの独特な形を保つ髪を、あやすように撫でる。くすぐったいのだろうか、時折、私の胸に顔を埋めたまま、タミルが頭を動かすので、私までくすぐったい気持ちになる。
エンマに視線を送り、寝床を用意してもらう。その間にも、タミルは疲労か、眠気か、次第に全身から力が抜けて私に寄りかかる状態へ。
このまま自力で寝床まで行かせるのは酷か。タミルの身体を抱き寄せながら持ち上げ、寝床へと運び、横にさせる。
「人には、無理は禁物だと言いますのに、自分の事となるとこの通りですわ」
「過去にも似たような事があったのかしら?」
「ええ、一つの事に夢中になると、時間を忘れてしまうみたいで。懐かしいですわ」
「なら、しばらくお願いしてもいいかしら、そろそろ定期連絡がやってくるはずだから」
「了解しましたわ。タミルの事はお任せあれ」
タミルから手渡された資料と共に、必要な道具を持ち、外にある丘の上へと移動し、物好きさん達に報告をしなければ。
予定された時刻通りであれば、そろそろこの辺りの上空を飛行するはずだ。手にした信号弾を空へ向けて解き放つ。
煙と共に上空へと昇り、赤色の火花を散らす。これで何も反応が無ければ、発煙筒に切り替えればいいだけの事。だが、そんな心配も必要なかったようだ。無線機からは聞き慣れた声が聞こえる。
「こちらはコトブキ飛行隊隊長のレオナだ。私の声が聞こえるか?」
「ええ、はっきりと聞こえているわ、レオナ」
「リリコか。今そちらに向かう」
しばらくして、星粒ほどの大きさであった隼一型が、本来の大きさを私に見せ、上空を飛び回る。珍しい、僚機がザラでは無いなんて。
「いらっしゃい、ケイト。道の駅へようこそ」
「道の駅? それはどういう意味だ?」
「エンマがこの場所に名前を付けようと悩んでいたから、仮名として名付けたのよ」
「陸路だから道の駅か。いいんじゃないか?」
「空の駅のように、賑わいと憩いの場所を願う意味も含まれているのか?」
「ええ、ケイトの言う通りよ」
「ケイトは道の駅のままでも良いと思う。イジツで唯一無二の場所、そこへ人の集まる場所になる様に願われた名前。よく合う」
「ケイトがそこまで言うのだから、一考の余地はあるんじゃないか、リリコ?」
「それは依頼主にでも言う事ね。私達はただの調査隊だから」
世間話もこれまで。つい先程まで頑張っていたタミルからの報告を済ませないと。
「なるほど、ナンコーから十二時方面にある山の裏手に、沿う様に道が作られていたと」
「資料通りなら、こちらからナンコーへ向かう為には、なだらかな下り坂を作る必要があったみたい」
「もしその通りであれば、かなりの距離が予想されるが」
「そうね、当初の進行ルートからは、大分遠回りになるわ」
「車が走れる保証は?」
「山岳地でのすれ違いに注意が必要。とだけ。月日の経過により、現状どのような状態であるかを知る為には、実際に目にしないと分からないわ」
「上空から確認をしてやりたいが、記憶にある限りでは雲が覆われやすい場所で、力になれそうにないな……」
「大丈夫よ、でもありがとう。タミルを一晩ここでゆっくりと寝かしつけて、明日の朝、向かってみるわ」
「飲食や燃料の問題は?」
「依頼者様とアレンの気まぐれのおかげかしら。進むも待つも、問題は無いわ」
「最後にもう一つだけ、そこにはユーハングに纏わる物が眠っているのか?」
「もちろん、今回は陸路に関する事だけタミルに集中してもらっていたけれど、アレンやケイトが気になりそうな物もそれなりに」
「……道の駅、必ず行く。リリコ達も道中気を付けて」
「ありがとう、待っているわ」
「報告は受けた。本日はゆっくりと休んでくれ。こちらも何事も無いように祈っているが、イザという時の準備もちゃんと用意もしてあるからな。その時は躊躇わずに私達を呼んでくれ」
「分かったわ。慎重に進めて行くから、お互い無事にまた会いましょう」
主翼を振り、遠ざかる二機の隼。ここまでは、まだラハマへ帰還が出来る距離。これ以上進めば、ナンコーで燃料を補給しなければならないだろう。
地図により道を知り得たとはいえ、油断大敵。また熊と出会ったりする可能性も捨てきれないしね。
幾度目か、朝日が昇り始める風景を見つめる。
タミルは食事も摂る事もなくあのまま眠り続け、朝日が顔を出そうとし始めた頃に突如として起きあがる。
落ち着かない様子で干し肉を齧るその姿は、オタカラを目の前に待ったをかけられた状態、とでも表すべきか。
そわそわとあぐらをかきながら身体を動かす度に、独特の髪形が揺れ動き、エンマによって着替えさせられた寝起きのラフな格好のせいもあるだろう、スタイルの良さが分かる場所が見え隠れしている。
そんなタミルの待ちきれない様子など露知らず、熟睡したままのエンマだが、決して起こそうとはしないタミル。起こす時刻になったらイタズラでも仕掛けるつもりなのかしら?
「もう! タミルったら! 起こす時はもっと優しくしてくださいまし!」
「ふふっ、起きないエンマが悪いのですよ?」
エンマを起こす予定の時刻となった時『何かするんでしょ?』とタミルに視線を送れば頷きで返される。
その様子を伺っていると、エンマの上に圧し掛かり、犬の泣き声を真似始めた。
『何事ですの!?』そう喚きながら起き上がるエンマと『わんわん、ですわ』とよく分からない返事をするタミルの姿に笑いを堪えるので精一杯であった。
私達は道の駅から出発し、地図に従いながら走行を続けた。
タミルの頑張りに応えるかのように、車の調子も良く、順調に先へと進む。既にこの場所は、ナンコーからは北北東に位置する。
ここから更に山に沿って作られた道を下り、最終的に北西方面からナンコーへ向かう事になる。
不安点であった坂の存在は、当たり前の様に私たちの目の前に現れた。地面には、境界石らしき物が、ちょこんと顔を出している。
標高もそれなりの高さにいるらしく、雲が近いという感覚を受けるが、走行する道にはかからないので、周囲の暗さと雲の下の気候に気を付けるべきか。
「本当に山へ沿う様に、坂がありますわね……」
「今の内にお祈りでもしておく?」
「いえ! リリコさんとタミルを信じておりますから! でも深呼吸はさせて下さい……」
狭い車内でゆっくりと息を整えるエンマを見つめながら、車を発進させる。
抗議の声が聞こえるが、そんなにゆっくりと深呼吸されていたら、いつ終わるのか分からないじゃない。
確かに狭い道ではあるが、すれ違いは出来る程の幅。こんな場所に道を作り上げるのだから、ユーハングの人達にお手上げだ。感謝を含めてね。
壁により先が見えにくい場所は多々あり、その度にエンマが何かを呟いている。前を向いて、速度を出さずに走行していれば問題は無いのだが、そういうのとはまた違う理由があるのだろう。
走行中、山から転がり落ちたと思われる岩が、道に転がっていたりもした。幸いにも落ちて来る際に削れたのか、小さめで、破片が大半であり、荷台に乗せてある道具を駆使すれば、私達でも崖へ落とせる程度であった事が救いでもある。
タミルは岩があった場所から少し距離の離れた場所に、目印用の色彩豊かな杭を打ち込んで、ノートに出来事を記載していく。
「随分と雲が高くなりましたわ」
「それなりに下ったって事ね。それでもまだ終わりが見えないけど」
「方位磁石を見ていますと、既に北を越えて北北西に突入していますわ。そろそろ終わりが見えてくる頃合いかと」
「あと少しってところね。日が暮れる前に下り切れると安心出来るんだけど」
「確かに。この曇り空では雨の可能性も捨てきれませんもの」
遠くなった雲を見上げ、溜息一つ。
「エンマの熱心な祈りが通じればいいわね」
「そ、そこまで熱心に祈ってはおりませんわ!」
「あら、残念。それでは下りきる前に雨が降ってしまいますわ」
「あ、うう……。ダイジョウブデス。熱心ニ祈ッテオリマシタカラ」
「だ、そうですよ。作業も終わりましたし、パッと下り切っちゃいましょう!」
「そうね。寝る時ぐらいは、足を伸ばして寝たいもの」
再び車へと乗り込み、先へと進む。
終着地点。そこはちょっとした広間ともいえる空間があり、車両置き場だったのか、はたまた車のすれ違いに対応をする為の場所なのだろうか。事実は後でタミルに聞くとして。
問題が目の前で発生する。ほんの僅か、この坂を下り、左方面にある道へと進む事が出来れば、ナンコーが見えてくるであろう、その場所に、ヤツがいた。
「アノマロカリスね。このタイミングで現れるのだから困ったものだわ」
「困ったものだわ。で、済む話でしょうか……。わたくし達、いわゆる積みと呼ばれる状況なのでは?」
「こんな間近でアノマロカリスをお目にかかる機会が出来るだなんて! やはり、このご依頼を引き受けて正解でしたわ!」
「……わたくしの反応に、何か間違いでもあるのでしょうか?」
冗談は置いといて、実際にどうすべきか対処方法を考える。
熊と出会ったような場所であれば、遠目から射撃で有無を言わさずに対応すれば、後は毒と爆発に気を付けるだけで済むのだが、この場所ではそのような方法で対処する事ができない。
銃は使えず、ナイフを利用しても、同じオチが付くだけだろう。どうしたものか。
思考に耽る私に、魂が抜けかけているエンマに対して嬉しそうに解説を始めるタミル。どうしたものかしら。
「そうでした! こういう時の為に一つ実験を行いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「実験? 何かするつもり?」
「はい! 成功すれば、あの子を傷つける事無く、あの場所から追い出す事が出来るかもしれませんわ」
「失敗したら?」
「失敗を恐れてはいけませんわ!」
その時はその時に考える派ね。まあ、最悪の場合は、来た道を全力で後退し、その間に小銃で対応してもらうしかないわね。
「それで、どうするつもりなの?」
「実はアノマロカリスについて仮説がありまして! あの子たちは極端なまでに油と火を嫌うのでは? という閃きを思いついた方がおりまして!」
「それは一体、誰が考え付いたのかしら?」
「コトブキのチカさんですわ。元は海の生き物であるアノマロカリス。それが進化と共に陸上で生き延びる術を手に入れ、毒と爆破という得体のしれない技を身に付けましたわ!」
「まあ、確かに。何をどうすればそうなるか聞いてみたいものね」
「そして現在も地上で元気一杯に生きている子たちですが、一点、不思議な行動をする部分があるとチカさんに言われまして」
「不思議な行動? それは一体なんですの?」
「本を借りる為に図書館のある町へ向かわれる最中、偶然にもアノマロカリスを見かけたチカさんは、上空からその様子を伺っていたらしいのですが、あの子たちは墜落した飛行機の残骸を避ける様に移動をしていたとか」
「……それだけですの?」
「その行動が気になったチカさんは、あの子達を見かける度に観察を続けていたそうです。ですが、その度に同じ行動を取る姿を目撃したそうですの」
「もう一つぐらい情報が欲しいわね」
「リリコさんにご納得頂けるかは分かりませんが、一つ。私も気になり、聞き込み調査を実地致しましたの。僅かな人数でしたが、信用出来る方々からお話を伺う事ができ、その結果、アノマロカリスの姿をオフコウ山近辺で見かけた事はない。という結論が出ましたの」
「あそこはユーハングが練習場として使っていた場所ね。そして今も離陸に失敗した機体の残骸が峡谷に眠っている」
「確かに。地上の目印地点として利用しておりますが、アノマロカリスをオフコウ山で見かけた記憶はございませんわ」
「どうでしょう? 試してみる価値はあると思うのですが……」
「いいわ。やってみなさい。駄目だった時の対処方法も考えてあるから」
「リリコさん! ありがとうございます!!」
「エンマもそれでいいかしら?」
「リリコさんが許可するのですから、わたくしからは申し上げる事はありませんわ。手伝える事があればなんなりと、タミル」
「ありがとう、エンマ。それでは早速準備に取り掛かる事に致しましょう!」
「実験開始ね」
エンマと共に、この場にある材料でタミルが準備を始める。作り上げた物は火炎瓶。ただし、中身は当たり前であるが、車を動かす為に用意してきた予備のガソリンである。
既に中身を飲み切った水筒に工作を施し、ほんの僅かな量のガソリンが注がれていく。ここで分量を間違えれば、爆発が発生し、道が破損する可能性があるから注意が必要。
蓋に開けられた僅かな隙間に、長さが調節された布が装着される。
物自体はこれで完成。後は布に火をつけて投げ込む事により、地面に落下。火を見て怯えたら儲けもの。それでも反応が薄ければ、次第に火のついた布が内部にあるガソリンへと近づき、黒煙と燃えるガソリンの独特な臭いが周囲に撒かれるであろう。
タミルから手渡された工作済みの水筒を手に取り、繰り返し予測を行う。
大丈夫、三人でここまで来られたのだから、二人について頼まれたのだから、私がやり遂げれば問題はない。
二人と顔を合わせて頷き合う。仮説通りにいかなかった場合、即座に車へと戻り各自応戦の準備を。
その時、私は運転席に乗り込み、下ってきた坂を後進で戻る間、二人は協力して小銃による援護射撃を行う。
全てが思い通りになる訳が無い。だけど最後まで足掻いてみなければ、イジツで暮らしていくのは厳しい。
覚悟を決め、布に火をつける。そして投げ込む先は、アノマロカリス本体ではなく、ナンコーへと続く道に対してだ。
もし、全てが上手く行ったとしても、仮にあの子が道へ逃げ込んだならば、下手をすれば町に被害が出る。それだけは避けなければ。
宙を舞う火炎瓶。それは私の思惑通りの場所に向かい、落下した。
その音に過敏に反応を示すアノマロカリス。だが、距離を取っただけで怯えている様子はない。火そのものが駄目ならば……。
時間差で、急激に火が炎へと変化し、黒煙と共にガソリンの臭いが漂う。
この位置にいる私達でさえ嗅ぎ取れる程だ、あれだけ近くにいるアノマロカリスは……。
監視を続けているその時、動きがあった。表現し難い鳴き声と共に、私達が居る反対方向へ身体を動かし、剥き出しの岩肌を器用に避けて、奥へと逃げていく姿が見える。
その瞬間、汗が流れ落ちる。毒を吐かせる事無く、爆発させる訳もなく、追い払えたという事実にようやく実感が湧いたのだ。
二人も同じ心境だったのだろう。左右から抱きつかれて身動きが取れなくなるが、今は人肌が恋しく感じているのだから。
野営が出来る最低限の物を持ち出し、歩いて火炎瓶が落下した場所まで向かう。デコボコとなり、至る所に穴が開いた状態の水筒が地面に転がっている。
とはいえ、この状態であってもガソリンに火をつけた容器だ。可能であれば大量の砂を撒いてしばらく様子見をしたいところであるが、今はそっとしておこう。
ナンコーへと続く道。それは車一台分が通れる程の幅しかないのだが、その姿に驚かされる。
「ここだけ綺麗に壁をくり抜いたような直線ですわ!」
「壁もかなりの高さね。自然に出来た道なのか、はたまたユーハングか」
恥も無く周囲を確認してしまう程、壮大な道だ。そしてその先に見える僅かな光。あれは言うまでもなく、目的地であるナンコーから溢れる町の光だ。
「リリコさん! あの光は!」
「間違いなくナンコーね。どうやら無事に辿り着けそうね」
「なんでそんなに落ち着いていられるのです! わたくし達は誰にも出来なかった事を成し遂げたのですよ!」
「半分ぐらいはユーハング……っていうのは野暮ね。そうね、事前に念入りに調査をしてくれたタミルと、手伝ってくれたみんなのおかげね」
言葉に出してそう伝えるが、肝心のタミルから返事が来ない。その反応が気になり、振り向いてみると、しゃがみ込んで一点を見つめているタミルの姿がある。
「タミル! そんなところでしゃがみ込んでどうしたのです!? ナンコーの光はこちらですわ!」
「……化石」
「化石? と言いますと、地層に残された生物の事ですよね? それが何か?」
「……私の目の前にあるのです。遥か昔、イジツには海があったという事を証明する魚の化石が」
タミルのか細い声と共に、綺麗な瞳からは涙が流れ落ちる。
エンマと共にタミルの傍でしゃがみ、指をさしている場所を見つめれば、小さいながらも確かに魚の形をした化石が目に映る。
アロワナモドキとは比較にならない小さな魚ではあるが、この小さな魚はイジツ生まれであり、今は綺麗に消え去ってしまったイジツの海が、確かに存在した証だ。
泣きじゃくるタミルを抱きしめるエンマの瞳も緩んでいるのが分かる。親友が歓喜の涙を流しているのだ。感情が感染するのも無理はない。
私は一人、立ち上がり、二人から少し距離を取り、再びナンコーの町を見つめる。
ナサリン飛行隊の二人が言っていた、油臭く、さび付いた観覧車が象徴の町。それでも俺達の町なんだと。笑いながら。
イジツは、沢山の物を受け取り、失いながらも生きている。
それは、海だけでなく、町や、飛行機に、人さえも。
残された物をどう扱うか、失った物をどう取り戻すか、皆必死に考えながら生きている。
その中には、汚い物で溢れている場所もある。だが、美しい物で溢れている場所も確かにある。
「あんなに憎まれ口を叩くから、どんな町かと思えば、素敵な町じゃない」
目の前に映る町は、人の営みを感じる事が出来る、暖かく美しい町であると、私は断言する。