荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
男は薄暗い部屋の中で目を覚ました。窓はカーテンで覆われており外の様子は窺えないが、時折聞こえる音からして雨が降っている事が分かった。
部屋の中は湿気が充満しており、不快指数は高まるばかりだが、文句を言っても始まらない。
隣を見ると相棒の姿があった。気持ちよさそうに寝息を立てている。
彼はそっとベッドから抜け出すと、洗面台に向かい、冷たい水を出して顔を洗い始める。
鏡に映る自分の顔を見て思い出した。そういえば昨日は大雨の中、仕事に出てたんだったっけ。
「……」
しばらく無言のままボーッとしていたが、不意に意識が覚醒していくのが感じられた。
洗面台に立ち、いつものように歯磨きを終えると同時に、ドアをノックする音が聞こえてきた。
誰だろうと疑問に思いながら扉を開ける。そこには見慣れぬ少女がいた。
美しい金色の髪に、幼い顔立ちが残るものの端正な顔つきをしている。
背丈はかなり低く小柄で華奢な印象を受けるが、胸だけはやたらと自己主張していた。
この天気のせいだろう、ずぶ濡れで服が肌に張り付いているのが見て取れる。
一体どこから来たのだろうか? 疑問に感じていると、少女の小さな口が開かれる。
「た、助けてくれぇ……」
消え入りそうな声で助けを求められ、慌てて部屋に招き入れたのである。
「おお、ワリィな!」
少女、もとい彼女の為に、温かいミルクが入ったマグカップを手渡す。
まだ熱かったらしくフーフーとして冷ましてからゆっくりと飲み干していった。
「ふう、生き返ったぜ! ありがとよ」
「別にいいさ」
律儀に頭を下げて礼を言う彼女に俺は苦笑しながら答える。
助けを求められたあと、急遽、風呂を沸かし、体を温めさせたところまでは良かったのだが、着替えが無い事に気づいたのがつい先程。
折角、温めた身体を冷やしてはマズイ。そこで、普段は余り着る事のない一張羅からワイシャツを取り出し羽織らせたのであった。
これであれば、そこまで俺の匂いもついていないはずだ。他にズボンも用意したが、流石に下着はどうしようもなかったので、そこは勘弁してもらうしかないが。
「自己紹介がまだだったな、私はフィオ。ゲキテツ一家の首領代理を務めている」
自身の立場に誇りを持っているのか、彼女は胸を張って答えた。
ここ最近になって頻繁に耳に入ってくる名前だったが、まさか本人と会う事になるとは思わなかったので正直驚いた。
「お前の名前はなんていうんだ?」
こちらに視線を向ける彼女に対して、少し考え込む素振りを見せた後、こう名乗ったのである。
「ハンター……と呼ばれている」
様々な二つ名で呼ばれる機会が増えていたが、そもそもハンターという呼び名自体が本名ではなく、あくまで通り名である事を改めて認識させられる。
「ハンター? もしかして最近ウチの仕事を手伝ってもらっている、あのハンターか!?」
フィオは目を丸くさせて驚いていた。そんなに驚くような話なのかと思いつつ、首を縦に振る。
「ああ、そのハンターだ」
「そうか! 実はな、お前を私の子分にしたいと思っていたんだよ!」
意外な言葉に今度は俺が驚かされた。依頼を受けて仕事を手伝ったりはしていたが、それはあくまでも一時的なものだと考えていたからだ。
それが、こんな形で勧誘を受けるなど夢にも思ってはいなかったのだ。ペットにしようとした女王様はいたが。
「何故、俺なんだ?」
思わず率直に尋ねてみる。
すると、フィオは満面の笑顔を浮かべながら、嬉々として語り始めたのである。
「理由は幾つかあるが、まずは強い男だという事が第一条件だな。生身で野生の生物を仕留められる程の実力を持ち、ローラと勝負をして勝つほどの腕っぷしを持つ男は早々いないだろう。そして第二条件として、受けた仕事はきっちりとこなす真面目さがあるかどうかという点だな。まぁ、これは言わなくても分かると思うけどよ、仕事を途中で放り投げる奴はアテに出来ねぇ!」
俺は静かに耳を傾けていた。
依頼された仕事はきちんとこなしてきた。だが、それはあくまで報酬の為であって、決して褒められるものでは無い。
だからこそ、フィオに言われるまでもなく分かっていた事であったが、それをわざわざ口に出す程、野暮ではないと思ったからだ。
「最後に最も重要なのは、お前からは義理人情に厚い男だと感じたからだな! こう見えても私は知っているんだぞ? 何かと理由を付けてお前は食うに困っている連中に食料を分け与えてやっていた事はな。私達のシマでも評判になっているぜ」
確かにそうだ。この辺りでは珍しくなった物乞いや浮浪者達を見かけては、気紛れに施していた覚えはある。
だが、善意かと言われれば違うと答える。
狩猟してきた獲物の解体をし、取り出した肉を保存する保管庫に空きが無くて腐らせるのが勿体無いと感じただけだ。
腐らせて駄目にするぐらいなら、誰かに食べてもらった方がマシだと考えた結果に過ぎない。
だから感謝される事が目的でやっているわけではない。むしろ余計なお世話だと言われるのがオチであろう。
だが、それでも構わない。自分は自分の思うがままに行動しているだけである。
「どうだ、私と一緒に来る気になったか?」
「嫌どす」
「即答かよ!!」
「だって面倒くさいもん」
「あーもう、そんな理由で断るんじゃねぇ!! もっとこう……色々と他にもあるだろう!?」
正直に答えたのがいけなかったのか、フィオは顔を真っ赤にして怒り出してしまったようだ。
しかし、本当に興味が無いので仕方がない。
「悪いが、あんたが言うような立派な人間じゃないんでな。俺はカピバラさんと一緒にいる今の生活が性に合っているよ」
そう言うと、カピバラさんは同意するかのように一鳴きしてみせた。その仕草を見たフィオは、呆れた表情をしながら溜息を漏らしたのであった。
「はぁ~……分かったよ。無理を言って悪かったな、今回は引き下がる事にする。だけどよ、考えておいてくれないか? 気が向いたらいつでも声を掛けてくれたらいいからさ」
「分かったよ。俺みたいな者にも声をかけてくれるとはありがたい話だよ。ミルクのおかわりはいるか?」
空っぽになっていたコップに、追加の温かな牛乳を注いでやる。
「おお、すまねえな。それと私の事を名前で呼べば良いじゃねーか。敬語も使わなくて結構だ」
「そうかい。なら名前を呼ぶついでに聞きたい事があるんだが」
「ん、なんだ?」
「フィオは何でずぶ濡れ姿で現れたんだ? 何かあったのか?」
気になる点はそこだった。わざわざこんな天気の日に空へ上がる必要はない筈である。それに雨具も身に着けていないのは、一体どういう了見なのか知りたかったのだ。
すると、彼女はバツの悪そうな顔を浮かべながら語り始めた。
「実は昨日、紫電に乗って空から探し物をしていたんだよ。その途中で発動機が不調を起こして、地上に降りて一晩過ごしていたら、雨まで降ってきちまって……」
なるほど、そういう事情があったわけか。
「って、それは遭難じゃないか! 大丈夫なのか? 腹は減ってないか? ゲキテツ一家の連中に連絡は入れたのか?」
「無線機もイカレちまって連絡手段も絶たれていたから困っていたんだが、お前のおかげで助かったぜ!」
フィオは満面の笑みで礼を言ってきたのだが、それと同時にお腹から可愛らしい音も鳴り響いたのであった。
それを聞いた途端、恥ずかしくなったのだろうか、顔を赤く染め上げて俯いてしまった。
「そっか、とりあえずそこに無線機があるから誰かに連絡を入れた方がいいだろう。その間に俺は飯の支度でもしておくよ」
部屋の隅に置いてある無線機を手に取り、電源を入れてみた。どうやら壊れてはいないようで、無事に通信が可能なようである。
「あ、ありがと……」
小さな声で感謝の言葉を呟くと、フィオは椅子から立ち上がり、無線機の方へと歩み寄っていった。
その間に俺は飯の準備を進める事にした。
まずはスープを作る為に鍋を取り出したあと、水瓶に入っている水を柄杓を使ってすくい、それを火にかけて温めていく。
次に干し肉を細かく切り刻むと、適当な大きさに切っておいた野菜と共に炒めていき、最後に調味料を振りかけて味を整えていく。
後は煮込んでいる間にパンに切れ込みを入れ、軽く焼き色を付けておく。
出来上がった料理を皿に盛りつけ、食卓に並べていったところで、ちょうどフィオも戻ってきたので、一緒に食事を摂り始めることにした。
『いただきます!』
両手を合わせて食前の挨拶を終えると、パンを千切るようにして口に運び入れてみると、程よい固さで食感が口の中に広がっていく。
続いて野菜スープを口に運んでみると、こちらは野菜の旨味がしっかりと出ており、干し肉の塩加減ともよく合っているようだ。
「うまっ! これ、本当にお前が作ったのか……?」
「そうだぞ。といっても、美味いのは素材が良いからさ」
俺の返答に対して、フィオは首を横に振った。
「いいや、違うな。きっと料理人の腕が良かったに違いない」
そう言ってくれるのは、素直に嬉しいものだ。
「朝飯にパンを食うのは久しぶりだが、なかなかいいもんだな!」
食事を終えた後、フィオはそんな感想を漏らしていた。
確かに。この辺りでは米を食べる事が多いみたいだし、朝から食べるパンは格別なものかもしれない。
「ところで、これからどうするんだ? 何か当てはあるのか?」
俺の問い掛けに対し、彼女は腕組みしながら考え込んだ末に、こう答えてきたのである。
「んーそうだなぁ……。さっきローラと連絡を取ったんだが、天候が回復次第、ここへ迎えに来ると言ってた。それまでは居てもいいか?」
その言葉を聞いて窓に視線を向けてみると、外はまだ小雨が降り続いているようだった。
「ああ、別に構わないぜ」
「あんがとな! 恩に着るぜ!」
「気にするな。困った時はお互い様だからな」
「流石は未来の私の子分だな! 義理人情ってものを分かってやがる!!」
褒められて悪い気はしないのだが、正直に言えば、それはそれで微妙な気分になるのであった。
片付けを済ませると、フィオはカピバラさんを相手取って遊び始めたので、俺は今後のことについて考えていたのである。
まずは天候の回復を待つ必要があるだろうけど、予定を組んでおけば、それに合わせて行動できるはずだ。
食料の在庫については、フィオの分を含めても問題はない。イザとなれば干し肉があるわけだし、しばらくは大丈夫だ。
濡れていたフィオの服も、乾燥室に入れて乾かしている最中であり、しばらくすれば元通りになっている。
他に何か必要な物があっただろうかと考えていくうちに、ふとあることを思い出す。
「フィオ。探し物をしてたと言ってたが、何を探していたんだ?」
「あ、あれはだな……」
カピバラさんのほっぺを引っ張りながら、言い淀む彼女であったが、やがて観念したかのように口を開いたのである。
「……実は、荒野に変な生物を見かけたという話を住民から聞いたんだよ。それで副長のヘイハチと本当かどうかで口喧嘩になっちまって、そのまま飛び出しちまったんだ」
なるほど、そういうことだったのか。
つまり、これは単なるケンカの延長線上で、特に心配するような事態でもないということなのだ。
「今はもう落ち着いているんだろ?」
「ま、まぁ、そうなんだけどさ……」
「なら良いじゃないか。ここでじっとしていても仕方ないし、晴れたら少し周辺を見て回ってみるか? 一人より二人と一匹だ」
俺の提案にフィオは目を丸くしていたが、すぐに嬉しそうに微笑みを浮かべたのである。
昼頃になって窓から日が差し込み、雨が上がった頃、俺達は外へと出る準備をし始めた。
乾燥室に入れておいたフィオの服は、無事に乾いているようである。
「フィオ、濡れてた服が乾いたみたいだけど、着替えるか?」
「この恰好、楽でいいんだがな……うん、着替えるとするか!」
返事を聞いた後、彼女を乾燥室に案内し、扉を閉めるのを確認する。
楽な格好だとフィオは言うのだが、着させておいてなんだが、少々刺激が強すぎると思うのだ。
男物のワイシャツは、フィオの小柄な体型ではぶかぶかな状態になっており、ズボンも裾を折り曲げていた。
下は素足のままなので、なんというか、こう、目のやり場に困るというか、妙に艶めかしくて困っていたのは秘密である。
そんな俺の様子をカピバラさんは、呆れた様子で見つめていたのだった。
「そんな目で見ないでくれよ、カピバラさん」
俺の言葉に、カピバラさんはため息交じりに鳴くのであった。
「よし! こんなもんだろ! フィオ様の復活だ!」
声が聞こえたので振り返れば、そこには普段の服装に戻ったフィオが立っていた。
彼女は腰に手を当てて満足げな表情をしており、その隣にいるカピバラさんもご満悦の様子で拍手をしている。
俺はそんな彼女の姿を見て、ほっとしていたのだった。やはり、いつも通りの彼女が一番似合っている。
「ところでハンター、戦闘機が見当たらないが、どうやって探しに行くつもりなんだ?」
「それに関しては大丈夫だ。地上の探し物をするのにピッタリな乗り物が、外で俺達を待っているさ」
「へぇ~、どんな物か楽しみじゃねぇか!」
期待に満ちた眼差しを向ける彼女と一緒に、外に出た俺達が見た物は、サイドカーの付いたバイクだったのである。
「おお! これに乗って探すのか!? 面白そうだな!!」
どうやら、俺の思っていた以上に喜んでくれたようだ。
早速、サイドカーの方に座ってもらい、エンジンを始動する。
バイクのエンジン音を聞きながら、俺は隣にいる彼女に話しかけたのだった。
「それじゃあ、行くぞー」
「おう!! ってちょっと待てよ!! なんでオマエが後ろでカピバラさんが前なんだよ!?」
「俺、バイクの操縦技術なんて知らないもん」
「嘘つけ!! 絶対知ってるだろ!?」
サイドカーからフィオの騒がしい声が聞こえるが、ここはあえて無視しておくことにしよう。
カピバラさんは相変わらずのマイペースぶりを発揮しており、欠伸をしながら背伸びをしていたのである。
「ちゃんとゴーグルを身に付けておけよー」
「へいへい」
フィオが渋々といった感じにゴーグルを装着するのを確認してから、カピバラさんはバイクを走らせ始めたのだった。
雨上がりの匂いと共に、俺達の探索行が始まったわけだが、フィオの言う変な生物とは一体なんだろうか?もしかしたら、ここらの生物ではなく、他から来た未知の生物の可能性もある。
「コイツは風が気持ちいいぜ!」
暢気そうな声で呟きながら風を浴びているフィオは、サイドカーで上機嫌に笑っている。
一方、ハンドルを握るカピバラさんはと言うと、真剣そのものと言った様子で、周囲の警戒を行っていたのだった。
「それにしても本当に広い世界だよなぁ……」
感慨深そうにつぶやくフィオに釣られて周囲を見渡せば、どこまでも続く大地に目が釘付けになる。
今までにも様々な土地を旅してきたが、それでもまだ行ったことのない土地があるというのが驚きだ。
もし今度、再び旅に出ることがあれば、是非とも行ってみたいものである。
「ハンター、何か見えたか?」
「今のところは何も見えないな。相変わらずの荒野だ」
そう伝えた時だった。ふと視界の端に奇妙なものが見えたのである。
思わず目を凝らすが、すぐに見えなくなってしまった。今のは何だったのだろうか? 気になってもう一度同じ方向を見てみるものの、何もいない。
気のせいだったのかもしれないが、確かに一瞬だけ影のようなものが見えた気がしたのだ。
「ハンター、どうかしたのか?」
「ん? ああ……なんでもない」
「そっか……それよりそろそろ休憩にしねえか? 流石にずっと地面に揺られて座りっぱなしは疲れる」
「ちょうど良い場所を見つけたし、そこで一旦休もうか」
それから少し進んだ先に見つけた大きな岩陰にバイクを止めて、フィオはサイドカーを降りたのであった。
そのまま近くの草むらの上に寝転ぶので、俺もその場に座った。
空は朝の時とは違い、雲一つなく晴れ渡り、日差しがとても心地よい。
しばらくするとカピバラさんが近づいてきて、こちらにすり寄ってきたので撫でまわしてやった。
フィオはというと仰向けになりながら両手両足を伸ばしている。そして大の字の状態で大きく息を吸い込んでいたのだった。
「はぁ~、生き返った気分だ」
「そりゃ良かった。ところでフィオ、お前さんの言ってた生物ってのは、結局何なんだ?」
「住民が言うにはな、サボテンに顔が生えてるんだとよ。それがこうやって歩いてるらしいぜ」
仰向けになったままの状態で、走る姿を真似るフィオ。
「そんな生物いるのか?」
「だから私も信じられなかったんだけどよ、実際に見た奴がいるなら信じるしかねぇだろ?」
フィオはそう言いながらも起き上がる気はないらしく、横向きのまま会話を続けていたのである。
「それで、その謎の生物はどこに行ったんだ?」
「それは分からねぇけど、この辺りで目撃情報があったのは確かだな」
「へぇ~」
俺は相槌を打ちつつ、先程見た不思議な影の事を考えていたのだった。
あの時の影は間違いなく人のような形をしていたが、あれは果たして幻だったのだろうか? 幻覚を見るほどに疲労していたとは思えない。
だとしたら他にどんな可能性があるだろうか。例えば動物がたまたま通りかかったとか? でも、考えてみれば、こんな荒野に俺のような物好き以外、人が住んでいるはずがない。
やはりさっき見たものは見間違いなのだろうと結論付けようとしたその時だった。
突然、背後から気配を感じ取ったのである。
咄嵯に立ち上がって振り返ると、そこには全身にトゲトゲを纏う、サボテンの化け物が立っていたのだった。
「噂をすればなんとやら……ってか」
目の前に現れた棘だらけの植物は、どう見ても普通のものではない。明らかに意思を持って動いているように見えるからだ。
「おい、ハンター! こいつ動いてないか!?」
フィオが驚いたような声を上げるのと同時に、そいつはこちらに向かって走り出したのだった。
「実物で見ると怖っ! しかも早いじゃねえか!」
「そんな事を言ってる場合か! 逃げるぞ!」
カピバラさんを脇に抱え、慌ててフィオの手を引いてその場から離れようとするが、そいつも後を追いかけてくる。
どこか隠れられる場所はないものかと考えていると、運よく近くにあった洞窟に辿り着いたため、そこの中へと飛び込んだのである。
入り口は狭いが、奥の方まで続いているようだったので急いで中に駆け込む。
後ろを振り返ると、暗闇が苦手なのか、サボテンの化け物は中に入ってこれないようで、虚ろな表情を浮かべたままこちらを見つめている。
「助かった……のか?」
安堵の溜息を吐くフィオだったが、安心するのはまだ早すぎる。入口にヤツがいる限りは塞がれたも同然だ。
俺達は、完全に袋のネズミ状態となってしまったのだった。とはいえ、いつまでもここに籠っているわけにもいかないだろうし、何とか脱出する方法を考えなければ。
だが、まずは状況を整理しないと始まらないと思い直し、改めて周りを観察してみると、ここはあまり広いとはいえない。
俺の腕の中では、フィオとカピバラさんが重なるように存在し、時折、首筋に吐息が当りくすぐったい。
壁は分厚いようで簡単に崩れるような感じはしないし、短い間であれば身を隠すくらいはできそうだ。
それにしても一体どうしてこんな場所にいきなり現れたのだろうか? しかもあんな姿の生物は今まで一度も見かけたことがない。
とりあえずは、あいつが諦めるまでここでやり過ごすしかないのだが……。
ふと視線を落とすとフィオがじっと見上げていた。
「大丈夫だ。心配するな」
「別にそういうつもりじゃねーし……」
そうは言ったものの、彼女の不安そうな目を見て、つい頭を撫でてしまったのだった。
彼女は一瞬驚いていたが、すぐに目を細めて気持ち良さそうにしている。
こうして落ち着いてみると、彼女も普段は威勢がいいが、根は優しい女の子みたいだし、あまり無茶はさせられない。
「よし。ちょっとここでカピバラさんと待っててくれ」
俺はフィオに一言告げてから身体を動かして立ち上がり、ヤツが待ち構えているであろう進入口へと向かったのであった。
岩陰から再び外の様子を伺うが、相変わらずヤツはそこにいた。
今度は逃げ出さないように注意しながら、ゆっくりと近づき様子をうかがってみるが、特に襲ってくる素振りは見せていない。それどころか、まるで俺を待っているかのように微動だにせず佇んでいるではないか。
試しに少し近づいてみたが反応はなし。
そこで手を振る動作をしてみたところ、向こうもそれに応えるかのような器用な動きを見せたのである。
(もしかして、言葉が通じるのか?)
そう思った俺は、恐る恐る話しかけたのだった。
「俺達に何か用なのか?」
するとそいつは首を縦に振ったのである。
まさか本当に通じているとは思わなかったが、これでコミュニケーションが取れるようになったのだ。
「カピバラさん以来だけど、あんたも言葉が分かるのか?」
そいつはまたも首肯した。意思疎通ができるのなら話は早い。知性がある証拠でもある。
「オマエさんは何なんだ? 見たところ普通の植物でもなければ、生物ですらないよな?」
するとそいつは両腕を広げて見せた。
その姿は、荒野でよく見かけるサボテンによく似ており、頭には花が咲き誇り、手足も人間と同じように二本ずつ生えてる。流石に指までは生えておらず、平べったい形状をしている。
問題は顔だ。目や口に該当する箇所には光が一切無く、暗黒の世界が広がっているだけだ。ちょっと怖い。
「少なくとも、俺達に危害を加える気はなく、頼み事がしたいって事で良いんだよな?」
もう一度肯定するように腕を広げてきたので、どうやら正解のようである。
「分かった。奥にいる仲間を呼んでくるから、少しだけ待っていてくれ」
俺はそれだけ伝えるとフィオ達を呼びに行ったのだった。
「それで、そのサボテンみたいなのは、何を言っているんだ?」
「ああ。それがさ……」
俺は先程の出来事について二人に伝えた。
最初は半信半疑の様子だったが、実際にそいつが目の前に現れ、俺の言葉通り素直に待っていてくれたおかげで、信じる気になったらしい。
「俺達に何かを頼みたいらしいんだが、言葉は発せないらしくて、ジェスチャーとかを使って意思表示しているんだが、いまいち何を伝えたいか分からなくて困っていたところだ。そこでカピバラさんに通訳してもらおうと思って呼んだというわけだ」
そんな話をしていたところへ、カピバラさんがやってきた。
「頼めるか、カピバラさん?」
カピバラさんは任せろと言うように鼻を鳴らした後、サボテンに向かって話し掛けたのだった。
鳴き声と仕草によるやり取りが続く中、しばらくして会話が終わったようだ。カピバラさんはこちらに向き直すと俺に向かって鳴き始める。
「『私達を助けて欲しい』と言っているみたいだ」
「助ける? 何かあったとでもいうのか?」
「分からないけど、とにかく話の続きを聞いてみよう」
俺達はカピバラさんの次の言葉を待ったのだった。
「……つまり、ここ最近の天候悪化によって仲間たちが弱り切っていて、自分たちではどうしようもなく、助けを求めていた……ということか?」
カピバラさんはコクりと首肯する。
「ソイツは大丈夫なのか?」
「『生まれたばかりだから大丈夫』だとさ」
「そっかぁ……」
この荒野には、生まれ出でたばかりの命がたくさんあるのだろう。そして、これからも続いていくに違いない。
「一度、ソイツらの様子を見に行ってみるしかなさそうだな。ここまで聞いて放っておくわけにもいかない」
「なら、私もついて行くぞ。例え植物だろうが何だろうが、ゲキテツ一家に助けを求められて無下にできるはずがないからな!」
「それは構わないが、そろそろローラさんが迎えに来るんじゃないのか?」
「書き置きを残しておいたから問題はないはずだ! それじゃあ早速行こうじゃないか!!」
フィオはそういうと勢いよく立ち上がったのであった。
「これは酷いな……」
全員をバイクとサイドカーに乗せ、サボテンの道案内の元、しばらく走った先にようやく目的地へと辿り着いたのだが、辺りに生えている木や草花が元気を失っているのが一目瞭然であった。
枯れ果てているのではなく、萎れているといった感じに近いかもしれない。
木や雑草の生えた地面の上に横たわる無数のサボテンたちの姿があった。
おそらく仲間同士で身を寄せ合って何とか生きながらえている状態なのだと思われる。
俺達が来たことに気が付いた一つのサボテンが、よろめきながらも起き上がり、こちらを警戒するように見つめてくる。
俺はそんな彼らに敵意が無いことを示すためにゆっくりと両手を上げつつ話しかけることにした。
「安心してくれ、敵じゃない。お前たちの仲間に頼まれて来たんだ」
疑心暗鬼になっている様子の彼らの前に、俺達のところへやってきた小サボテンが姿を見せると、彼らは驚きつつも、少し安堵の色を見せたのである。
カピバラさんを通じて事情を聞き、今の状況を知った事を彼等に告げ、助けに来たことを伝えると、嬉しそうな雰囲気を感じられる。
「ハンター。私に出来ることはないか? なんでも言ってくれ」
「俺と一緒に彼等を一列になるよう並べるのを手伝ってくれるか?」
フィオが尋ねてきたので、俺はポケットから茶色い革製の手袋を差し出したのだった。
「わかった」
男物の手袋を嫌な顔をせずに身に付けたフィオは、俺と一緒に地面に転がっているサボテン達に近づき、手にしていた革製の手袋を装着した後に優しく掴み上げると、そっと並べていった。
全部で八体。こうしてみると分かった事が幾つかある。
胴体の一部が欠けてしまった奴、手先が葉焼けを起こしてしまっている奴、棘や針が取れかかってしまった奴、色々といたのであるが、もっとも危険なのは根腐れを起こしている連中だと気が付く。
このままでは間違いなく全滅するに違いないと思ったのは言うまでもなかった。
だが、俺達がいくらこの場所で頑張っても、この状態を元に戻すのは難しいように思える。
俺の家まで運べれば……大小、八体いるサボテンを一度に運び込むのは無理だ。どうしたものだろうか……。
「フィオ、コイツらを俺の家まで運びたい。知恵を貸してくれないか?」
「もちろんだ!」
即答してくれた彼女に礼を言い、フィオはまずはどの順番で運ぶのかを相談してきた。
「まずは根腐れを起こしている連中を優先的に家へ連れて行きたい」
「そうなれば車が必要になるな、アテは有るのか?」
「問題無い。トラックであれば家の裏に止めてあるんだが、俺はここで彼等に応急処置を施さなければならない。フィオは車の運転はできるか?」
「いや、できない……待てよ?」
何かを考え込んだ後、彼女はすぐに顔を上げてこう言ったのであった。
「私を迎えに来るローラであれば、運転ができるはずだ! 今から戻れば、ローラも到着している頃だろう!」
「よし、それじゃあそちらの事は任せたぞ」
「ああ、私に任せておけ!」
自信満々に胸を張る彼女の事をカピバラさんに託した後、一人と一匹を乗せたバイクは、勢いよく俺の家へと走り去っていった。
さぁ、これから忙しくなる。
まずは一番危険な状態の連中を先に治療しなければならないのだが、その前に他の仲間の様子を確認しておく必要がある。
今はまだ無事だとは思うが、万が一という事もあるのだから。
俺達を呼んだ小サボテンに、治療をする前に気になる事を幾つか質問してみたのだったが、やはりと言うべきか、彼らは言葉を話せないようだった。
しかし、こちらの言っている言葉は理解できているようで、俺が何をしようとしているのかを説明すると、サボテン達はお互いに目配せをしあいながら、俺の事をじっと見つめてきたのである。虚無とも思える目で見つめられるのは、やはり怖い。
しばらくすると、小さなサボテンが俺の傍に近寄ってきて、ちょんちょんと俺の膝下辺りを叩き始めたのだ。
「ん? なんだ?」
俺がそう問いかけると、そいつはお辞儀をするかのように、頭をぺこりと下げた。
フィオ達が迎えに来るまでに、まだ時間がある。
この場で出来る限りの治療を施し、なんとか間に合わせるしかない。
幸いな事に、植物故なのか痛覚が存在しないという事だそうだ。痛みに苦しむ様子も無いので、安心して作業に没頭する事ができた。
形が崩れているもの、葉焼けしてしまったものには、剪定をするようにナイフで根本から切り落とし、手持ちの水で清潔な布を濡らした後、丁寧に汚れを落としていった。
その後、太陽の日差しが直接当たらないように乾かせば問題ないと判断したのだが、根腐れをしているものと、弱り切っているものに関しては、家まで連れていかない事にはどうしようもなかった。
こればかりは仕方ない。俺がこの場で出来る範囲はここまでだ。
俺は額の汗を拭っていたその時、来た道から車の発動機の音が聞こえてくるではないか。
まさかと思って振り返ると、そこにはローラさんが運転する俺のトラックに、助手席にはフィオとカピバラさんの姿があったのである。
「お待たせしました、ハンターさん。フィオから事情を聞いた時は驚きましたよ」
運転席から降りてきた彼女は、優しさに満ち溢れた微笑みを浮かべ、俺に歩み寄りながらそんな声をかけてくれた。
「突然すみません、無理難題を押し付けて……」
「いえ、構いませんよ。私は貴方に恩返しがしたいのですから」
「恩返しなんて、別に気になさらなくても」
「そういうわけにもいきません。困ったときはお互い様ですからね」
彼女はそう言うと、荷台を軽く叩く。俺は確認の為にそちらへ向かい、覗き込むと、中には消毒液などが含まれていた。
「申し訳ありません。必要かと思いまして、ご自宅にお邪魔させて頂き、必要なものを拝借致しました」
彼女の行動力と手際の良さに思わず舌を巻きつつ、感謝の言葉を述べたのであった。
「フィオも無事に家まで辿り着けて何よりだ。ローラさん共々、戻ってきてくれて本当に助かった」
「気にするな! 任されたことをやっただけだからな!」
「ああ、それで十分だよ」
俺は素直に感謝の気持ちを伝えると、フィオは少し照れたような表情を見せた後「ふん!」と言って顔を背けてしまったのだった。
その傍らでは、カピバラさんが鼻歌を歌いながら体を揺らしていたのである。
「さあ、早く運びましょう! 急がないといけませんよね」
「お願いします」
俺は彼女にそう答えると、地面に横たわったままのサボテン達の元へと向かったのだった。
全員の協力もあり、サボテン達を荷台に運び込むと、すぐに家へと向かって走り出した。
その間にも俺は、荷台で根腐れをしているサボテンを、消毒したナイフで問題部分を切り落とす作業を延々と繰り返していたのである。
家に辿り着いた頃には、日が暮れ始めて、夕陽に赤く染まった空が広がっていたのであった。
だが、これで終わりではない。弱り切ったサボテンの為にも穴を掘り、土を被せてあげないといけないのだから。
スコップを取りに行こうとした時、フィオが手伝いを買って出たのである。
「一人でやるよりも二人でやった方が早いだろう?」
「あら? 私もいるわよ、フィオ?」
ローラさんが笑顔で会話に加わる。確かに二人に助けて貰えれば効率は上がるが、時間が時間だ。
「二人が手伝ってくれるのはありがたいが、日も暮れかかっている。客人にこれ以上の負担をかける事は出来ない」
「気遣いは無用ですよ。私達は好きでやっているんですから」
「今回の件は、私から始まったことなんだ。最後まで責任を取らせてくれ!」
二人は真剣な眼差しを俺に向ける。
「……わかった。それじゃあお言葉に甘えてもいいかな?」
「勿論です」
「任せろ」
カピバラさんもやる気に満ち溢れた鳴き声を出し、俺にすり寄ってきた。小サボテンには応援をお願いする。
「よし、みんなでやろうじゃないか」
それから三人と一匹は作業に取り掛かったのだった。
フィオは器用にクワを使って地面を掘り起こし、ローラさんはスコップを使い、まるで雑草でも刈るかの如く軽々とスコップを振るうのである。
カピバラさんはというと、前足を器用に使いこなして、土を掘り返していくのであった。
日当たりと通気の良い場所に穴を掘り、サボテン達を埋め、生ゴミを処理していた場所から土を移動させて肥料代わりにし、土をかぶせるという流れ作業を繰り返したのである。
最後の仕上げにスコップを使って丁寧に穴に埋め込んだ後、その上に枯れ葉や草などを被せたのであった。
全てを終えた時には既に夜になっており、俺達が住んでいる家は暗闇に包まれている状態になっていたのである。
俺はその場に座り込み、大きく息を吐き出すのだった。
そして、改めて二人に対して深く頭を下げたのだった。
「今日は本当にありがとうございます」
「もういいんですよ、ハンターさん。私達は好きでやってる事なので」
「そうだぞ。それに、この程度どうということはない!」
フィオは顔に土をつけながらも両手を腰に当て、胸を張る。
「でも、流石に疲れましたわね」
「流石にな。ハンター、今日も一泊させてもらって構わないか?」
「もちろんだとも。今、仕度をするから少し待っていてくれ」
カピバラさんが一鳴き、小サボテンは治療中の仲間の元へ嬉しそうに駆けていく。
そんな様子に、フィオとローラさんは微笑みを浮かべているようだった。
「ふぃースッキリした! 風呂の用意までしてくれて助かったぜ!」
フィオはタオルで頭を拭いながら俺の目の前に現れる。
「湯加減は大丈夫だったか?」
「最高だったぞ! やっぱりここの風呂はいいな! あの桶も使いやすかったし、石鹸も良かった! 何より広い浴槽があるのが良い!」
「それはよかった」
フィオの姿は、再び今朝と同じ服装に戻っているのだが……身体を動かした後の風呂上りなせいだろうか、薄っすらと汗ばんでいるのが見て取れるが、当人は気にしていないようで、堂々としている。
「家主に順番待ちをさせて悪いな」
「気にするな。女性に汚れ仕事をさせてしまったから、これぐらいは当然さ」
「そう言ってもらえるとありがたい」
フィオは笑みをこぼしながら、テーブルに頬杖をつくのである。
ローラさんはフィオと入れ替わりで入浴中であり、夕食の支度の手伝いを申し出てくれたが「ゆっくりしていてください」と伝えておいた。
彼女は申し訳なさそうにしながらも、お言葉に甘えると言ってくれたのだった。
汚れた衣服の代わりを用意してある事を彼女に告げると、ホッとした表情を見せたのが印象的だった。
俺は簡易的に身支度を整えて、料理の下準備を始めることにしたのである。
「お、何か作るのか? 手伝おうか?」
フィオは俺の隣に立ちながら声をかけてきた。
「あぁ、頼むよ」
「任せておけ!」
隣に立つフィオから漂う甘い香りが鼻孔をくすぐり、心臓の鼓動を少し早めた。
そんな俺の様子に気付いていないのか、彼女は口を開く。
「ところでハンター。お前は一体どこから来たんだ?」
「んー……内緒だ」
「なんだそりゃ」
言葉を濁し苦笑いを浮かべる俺に、フィオは苦笑いをしながら作業を進める。
「言いたくないなら無理に言わなくても良いが……。気になるんだよなー。ここは街からも離れている上に不便じゃないか? 何かワケでもあるんじゃないかと思ってな」
「別に隠しているわけじゃないさ。単に話す機会がなかっただけだ」
「じゃあ聞かせてくれないか? ハンターの事」
「それも良いかもしれないな。ただし面白くないと思うぞ?」
「それでもいいさ。なぁに、どんな内容だろうと私は驚かないし、馬鹿にもしないさ」
「そこは心配してないが……まあいいか」
俺は野菜を切り終えると鍋に放り込む。その間にフライパンに油を引き火にかける。
フィオはその様子を見守りつつ、俺は言葉を続けた。
「俺がいた場所はイジツの端っこにある小さな集落だよ。そこから一人で旅をしてきた。飛行機の操縦を覚えたのは最近だがな」
「へぇ~」
フィオは感心するように相槌を打つのであった。
「飛行機の操縦を覚えるまでは苦労したが、覚えてからは楽しかったよ。空を飛ぶのは気持ちが良かったしな」
「空が好きなのか?」
「あぁ、好きだな。特に夕焼けに染まるイジツの景色は綺麗だと思うし、風を切る感覚も心地よいしな」
「分かる気がするな」
「だろ? それに、空を行く飛行機の群れを見るとワクワクしてくる」
「飛行機乗りらしい感想だ」
「そういうものかね」
「そういうものさ」
会話を続けながらも料理の準備は着々と進み、煮込み終わったスープに切った具材を入れていく。フィオも手伝ってくれているおかげで、予定よりも早く出来上がりそうだ。
完成したスープを皿に移し替えている最中に、風呂場の方角から足音が聞こえてくることに気付く。どうやらローラさんが出てきたようだ。
「二人とも、待たせちゃったかしら?」
「いえ、大丈夫ですよ。フィオに手伝ってもらったおかげで、ちょうど出来たところです」
「あら、そうなの? ありがとう、フィオ」
「気にするなって、ローラ。私が好きでやったことだからな!」
満面の笑みを見せるフィオにつられて、俺も思わず笑顔になってしまったのだった。
その姿を見たローラさんは口元に手を当ててクスリと笑う。その仕草はどこか色っぽく見えてしまうほど魅力的だった。
「椅子に掛けて待っていて下さい。すぐに用意しますので」
「気持ちは嬉しいけれど、私にも何かお手伝いをさせて欲しいわ」
「では、食器を出して頂けると助かります」
「分かったわ」
そう言うと、テキパキと動きだす彼女。この人のこういうところが凄く好ましく思いながら眺めていると、視線に気付いた彼女がこちらを見て微笑むものだからドキリとする。
それを誤魔化すかの様に目を逸らすが時すでに遅し……。彼女は首を傾げていたのだ。
ヤバいと思った時にはもう遅いもので「どうかしたの?」と言いながら近づいてくる彼女に俺は慌てて答えるしかなかったのである。
「何でもありません! ちょっとボーっとしていただけで……」
焦る俺に彼女はまたもやクスリと笑って見せるのだが、今度は何処か嬉しそうである事に気が付いたのであった。
食事の用意を終えて、俺はカピバラさんを抱えながら風呂場へと移動する。
二人からは、食べ終わってからでも構わないと言われたのだが、食事という心地よい時間を、より良いものにするためにも先んじておくべきだと判断したからだ。
俺より先にカピバラさんの体を洗う。
「カピバラさんは自分で体とか洗いたいかな?」
『クェー』
否定の意を示すように鳴いたカピバラさんは桶の中に自ら入り込んでいく。
なるほど……つまりは俺が背中を流してくれるんだろう? ってことなんだろうな。可愛い奴め。
「よしっ任せておきな!」
今日の疲れを労うように、丁寧に、優しく、そして愛情を込めて俺は手を動かしていくのであった。
しばらくすると、満足してくれたのかカピバラさんは桶から出ていき、浴槽の中に入って行ったのである。
「ゆっくり浸かるんだぞ」
『クエエエー!』
そんなやり取りをした後、俺も自分の体を石鹸で泡立ててから体に塗りたくっていく。
頭を洗い終えた後に全身を洗い流して、カピバラさんの隣で湯船に体を沈めた。
今日一日の疲れが抜けていき、とても気分が良いものである。こんな日がずっと続けば良いのにと思いつつも、明日はどうなるのか分からないのが人生というものだろう。
そんな事を考えているうちに眠ってしまいそうになるが、ここで寝たら大変なことになるのは目に見えているので必死に耐えたのだった。
朝になり、昨日の夕食の残り物を朝食として済ませた後、出発の準備をしている時にフィオが声をかけてきた。
「世話になったな、ハンター」
「ありがとうございました、ハンターさん」
「礼を言うのはこっちだよ。二人がいなかったらアイツらを助けてやることはできなかったかもしれないからさ」
親指で指した先には、土に埋まりながらも器用に胴体を動かすサボテン達の姿があった。あのまま放置すれば全身が腐り始めて、いずれは全滅していたであろう事は想像に難くない。
だからこそ、こうして無事に生きている姿を確認できたことは本当に良かったと思っているのだ。
「私のワガママから始まったことだが、感謝してる。住民が本当の事を伝えてくれたことも確認できたしな」
「住民のみなさんに迷惑をかけるわけにはいかないからね」
「そういう事だ」
ローラさんの言葉に、フィオは小さく笑い、納得するのだった。
その後、フィオはローラさんが搭乗してきた零戦二一型の後ろの空間に乗り込み、空へ飛び立つ準備を進めていく。
「そうだ。もし困ったことがあったらいつでも頼ってくれよな。"高山流水のハンター"からの頼みなら、出来る限り力になるぜ!」
「私もです。何が出来るか分かりませんが……」
「その言葉だけでも十分だ。ありがとよ」
「それじゃあ、そろそろ行くとするか」
「ハンターさんもお元気で」
「ああ、気を付けてな、二人とも」
フィオの掛け声と共にプロペラが回り始め、ローラさんが操縦する零戦二一型は空に舞い上がって行くのであった。
その時、俺とカピバラさんの傍に小サボテンが近寄ってきたので、抱きかかえて一緒に空を見上げる。
家の上空で旋回している機体に片手を上げて挨拶をしてみせると、機体の翼を傾けて去って行くのであった。
その際に見えたのは、雲一つ無い青空と太陽の光を浴びて輝く黒い機体が飛んでいる姿であり、それはまるで一つの芸術作品のように美しかった。
「綺麗だなぁ」
そう呟きつつ、俺は機体が見えなくなるまで見送るのだった。
連載用に準備をしていたのですが、各飛行隊分を書くのにちょっと時間の余裕がないのでこちらで。
お読み頂きありがとうございました!
神出鬼没(しんしゅつきぼつ)のハンター
自由に現れたり隠れたりすること。
勇往邁進(ゆうおうまいしん)のハンター
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