荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景   作:星1頭ドードー

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飛行式移動屋台そば処 極殺会

 職人の朝は早い……は、止めておこう。

 誰にしても仕事がある限りは、起きて働く為の準備を行わなければならないのだから。

 目を覚ます為に、シャワー室にあるノブを捻り、冷たい水を全身に浴びる。

 温まるのを待てばいいのだろうが、私は、最初に冷たい水を浴びる事で神経を研ぎ澄ませるのが好みだ。

 徐々に周りから湯気が立ち始めた頃、顔をシャワーの方へ向けて立ち、何をする訳でもなく立ち尽くしながらお湯を浴びている。

 思考が動き始め、本日の予定が頭の中へと流れ込む。

 昨日の内から仕込みを終えて準備をしておいたとはいえ、本日の仕事は少々憂鬱だ。

 火傷により視力を失った左目が、僅かながらに疼くのを感じた。

 

 

 これから行われる私の仕事、それはいうまでもなくそば打ちである。

 身動きが取りやすい様に、作務衣を用意し、その上から割烹着を身に付けている。

 長い髪は、後ろに束ねて手ぬぐいの中に仕舞う事で、髪の毛一本落とさぬよう配慮している。

 良いそばが打てたとしても、それを食べに来て下さる人達がいてこそだ。

 不快な思いをさせてしまう要素は、可能な限り排除しなければならない。

 

 私が身支度を終えて厨房へと立ち入り、材料の確認を行っている際に、この飛行船へ着艦をするのであろう二機の戦闘機の音が耳に伝わる。

 軽快に回される栄一二型と栄二一型の発動機。

 本日のボス……師匠の客人である、ゲキテツ一家の幹部にして私の兄であるローラが搭乗する零式二一型と、同じく幹部であるレミという女が搭乗する零式五二型だろう。

 

 穴の一件以来、極殺会とゲキテツ一家による抗争が一段落し、私達が争う理由は、無くなった。

 それ以来、定期的に顔合わせを行いながら良好な関係を維持している。

 極殺会も穴の一件が済んでからは、再び食材の確保、種の保存、味の再現に集中する事が出来ている。

 そういう意味では、これも意義のある会合と言えるのであろうな。

 時折、迷子のカラスが迷い込んで来る事もあるが、心配はない。

 ただ、静かに地上へと落下していくだけだ。

 

 

 私の打ったそばが、提供される時間は、お昼時になるだろう。

 それまでの時間を有効活用する為に、湯飲みに白湯を注ぎ、私は師匠から借り受けた書物を手に取る。

 ユーハング語で書かれた書物を、少しずつ読み解いていくこの時間は、私の心休まる貴重な時間だ。

 広げた書物の中には、ユーハングに存在するそばの種類について書かれている。

 その数は膨大であり、私などそば職人の道を歩み始めたばかりの新参者である事を思い知らされる。

 だが、それも大切な事だと師匠から教えられた。

 

『初志貫徹、忘れるべからず』

 

 いつかは、テンプラと呼ばれる衣に包まれた食材を乗せたそばを、作り上げ食してみたいものだ。

 ふと時計に目を配れば、準備を始めておく時間が近づいている事に気が付く。

 書物を閉じ、指定位置へと戻した後は、残された白湯を口にして作業を開始する事にしよう。

 

 

 用意したそば粉、小麦粉、打ち粉を量りに乗せ、教えの通りに従う。

 専用のこね鉢に二種類の粉を入れて、全体がよく混ぜ合わさるように指先を動かしていく感触がこそばゆい。

 計量をしておいた水を半分ほど入れて、粉全体に水分が行き渡るように再び指先で混ぜ合わせていく。

 冷たい地下水が、指先を通じて私の脳を刺激する。

 そばにおいて重要な水が、イジツの地下で湧き出す水と相性が良い事に師匠が安堵していた事を思い出す。

 

『水は、そばを打つにも、汁を作り出すにも、食材を育てあげるにも、必要不可欠な物だ。この荒野において絶望的だと思われていた難題が、一番最初に解決出来たのだから、後は我々の努力次第だ』

 

 その言葉を思い出し、胸に刻みながら私は、指先を動かし続ける。

 粉が少しずつまとまり始めたら、数回に分けて水を追加で投入し、再び混ぜ続ける。

 そうする事により、幾つもの塊が出来上がり始め、一つのそば玉にする為に、更に練り始める。

 空気を抜く為に回転させながら練り込む間に、こね鉢に撒かれていた粉がそば玉へと吸収されていき、粉一つ残らない綺麗なこね鉢とそば玉が出来上がる。

 形を整えて指先で感触を確かめれば、今日も教え通りのそば玉が出来た事に、安堵の息を吐く。

 

 心を落ち着かせ、次の工程へ。

 のし板にそば玉を乗せて打ち粉をかける事で、板とくっつかない様にし、そば玉を平たく伸ばしていく。

 ここで麺棒を取り出して均等になる様に再び伸ばし始める。

 最初の頃は、伸ばしている途中に生地が破れたりと上手くいかない事もしばしば。

 だが、徐々に感覚を掴む事に成功し、上手く出来た時の事は、今も忘れられない。

 

 麺棒に生地を巻き付けた後は、そこから更に引き延ばしていき、長方形を目指して再び作業を続ける。

 そばとの戦いは、伸ばしと根気の勝負。集中力を切らさぬ様に綺麗な形を作り上げられた時は、達成感を感じられる程だ。

 師匠の教えに従い、生地の厚さを確認した後、生地を二面折りにし、その上にまな板を乗せてそばを切る準備を始めよう。

 

 板、生地、まな板に打ち粉を惜しみなく撒き、生地に包丁を入れていく。

 均等に切らなければ、見栄えも悪く、太さがバラバラとなり食感すら悪くなる悪循環が出来上がってしまうからだ。

 生地を切り終えて麺となった物を見つめてみれば、本日も納得が出来る麺が打てたと自信を持って言える。

 この瞬間だけは、言葉にし難い高揚感に包まれ、疲労さえも吹き飛びそうな気分になるのだから不思議だ。

 

 

 粉まみれになった台を拭き、掃除を終えて出番を待つ。

 麺の準備は整った。

 汁は、師匠から受け継がれた物があり、味見をして変わりが無い事を確認。

 かけそばの上に乗せる薬味も忘れずに用意を済ませた。

 必要な物を作り上げたか、忘れている事は無いかと確認をしていれば、極殺会の構成員から注文が入る。

 

「かけそば三つお願いします」

「了解した」

 

 三つという事は、あの二人と師匠の分か。これは気が抜けられない。

 構成員を下がらせて、最後の仕上げへと入る。

 そばを茹でる鍋には、惜しむことなくたっぷりと水を注ぎ火をつけて沸騰させてある。

 そこへザルにそばをばらばらと投入していき、吹きこぼれない様に鍋を監視しつつ沸騰状態を保ち続ける。

 ここは何度も失敗を繰り返した過程だ。

 ほんの僅かな時間の流れを読み間違えてしまえば、コシのないそばが出来上がってしまう。

 私は、そんなそばを何度も文字通り味わってきた。

 だが、その失敗があるからこそ、そば職人を名乗れる様になったのだ。

 

 私の勘が今だと叫ぶ。

 最初に投入したザルをすくい、そばを冷水で滑りを取りあげた後、再びザルの中へ入れて熱湯に投入して温める。

 それを流れる様に繰り返し、三つ並んだ丼には、それぞれ適切なタイミングで熱湯から引き上げられたそばが入れられている。

 そこへ温めておいたつゆを投入し、薬味を沿えて色合いを表現する。

 

「かけそば三つ、出来上がりだ」

 

 構成員を呼び出し、出来上がった物を引き渡し配膳を任せる。

 その背中を見送った後、深い溜息を付いてしまう。

 普段であればここまでの緊張は、しないのだが、本日の相手が相手だ。

 そこへ師匠の抜き打ちチェックが入れば、緊張せずにいられる訳もない。

 だが、いつも通りのそばは、打てた。

 あとは、戻ってくる丼を見るだけしか私に出来る事はない。

 洗い物を済ませて時間を潰していよう。

 

 

 十分少々だろうか、再び構成員が厨房へやってきて、私を師匠が呼んでいる事を伝えてくる。

 自分では、分からない失敗をしてしまったのだろうか。

 自然と目つきが鋭くなり、私を呼びに来てくれた構成員を相手にドスの効いた声で返事をしてしまう。

 ここで考え込んでいても仕方ない。

 汚れた手ぬぐいと割烹着を外し、師匠がいる……兄やゲキテツの幹部がいる部屋へと足を運ぶ事にした。

 

 

「ルーガです。お呼びでしょうか?」

「あぁ、来たか。そこの二人……は、既に知っているな」

「お久しぶりっす~」

「元気そうで何より、ルーガ」

 

 一室には、想像した通りの人間が三人。

 極殺会のボスであり、そば打ちの師匠。

 笑顔を絶やさず、されど心の内を見せる事の無い、流れ雲のレミ。

 私の身体に気を遣う兄は、死神と呼ばれている姿とは、程遠いよそよそしい態度をしている。

 呼び出された理由は……思い当たるのは、そばの事であり、丼に視線を移してしまう。

 だが、丼は三つとも空だ。三人にバレない様に後ろへ回していた腕で拳を作ってしまう。

 そうなると、そばが原因で呼び出された訳ではないのならば、何故、私はここへ呼び出されたのだ? 

 

「ルーガ、こちらのお嬢さん方がお前に頼みたい事があるそうだ」

「私に……ですか?」

 

 私の言葉を繋がせる様に、ボスは、レミに向けて合図を送る。

 

「近々、ゲキテツ一家と同盟を組んでいるマフィアとの会合……とはいえ、今日みたいな顔合わせに近いっすけど、そこへルーガのそばを提供して欲しくてお願いにきたっすよ」

「私のそばを?」

「最近、噂になってるんすよ。北に隠れた名店アリってね」

 

 どこから取り出したのか、扇子を軽く頭に当てながら器用にウインクを飛ばしてくるレミ。

 今の話は、本当なのだろうか? ボスに視線を向ければ、頷き返してくる。

 

「その噂を聞いて食べてみたいと言う連中がいましてね、なら折角だから会合時に、そば職人さんであるルーガをお呼びして、作っていただく事は可能かと、ナンブさんと話し合いをしていたんすよ」

「ゲキテツ一家にしてみれば、自分達の力を見せ付ける良い機会だろうからな」

「いやいや、そんな物騒な事は、考えてないっすよー。美味しい物は、みんなで食べた方がより一層、美味しくなるっすからー」

「よく口が回る。現状で我々と唯一、繋がりを持つマフィアは、ゲキテツ一家だけだろうに」

 

 ボスとレミの化かし合いが続く中、私の頭の中では、噂話と美味しいという言葉で埋め尽くされている。

 あの時、ゲキテツ一家の首領に一杯のかけそばを提供してからしばしの時が流れた。

 食材の関係上、そばを提供できる数に限りがあれど、足を運んでくれる常連さんも出来始めた。

 私がここで修行に励んでいる間に、その様な評価を頂いていたとは……。

 

 身に余る気持ちとは、この事を言うのだろうか。

 胸の奥から湧き上がるものが抑えきれず、顔を背けて感情を制御するが、最後の一歩を止める事が難しい。

 情けない。暗殺者としての修行すら耐えてきたというのに、今はこうして目を閉じて身を任せるしかないのだから。

 

 不意に、目元に柔らかな布が当てられている事に気が付く。

 右目を開けてみれば、心配そうな顔で私の顔をハンカチで拭う兄の姿。

 誰がどの角度からコイツを見れば、男だと判断できるのだろうか。

 身内である私がこの距離から見ても、女性としか思えん風貌と仕草をしている。

 だが、視力が失われたはずの左目には、別の光景が映し出されている。

 幼き頃、何かの拍子で転び泣いていた私を、今と同じ様にハンカチで目元を拭ってくれた兄の姿を。

 ……馬鹿馬鹿しい。私は一体何を見ているというのだ。

 右目に映る兄と、左目に映る兄が、何一つ変わりなくて安堵する自分がいるだなんて認めたくない。

 認めたくは無いのだが、この手を振り払う事も出来なかった。

 

 

 自分の情けない姿を見せつけた後、会合に来る客について詳細を聞く為に、厨房へ兄を招く事になった。

 

「ルーガ。貴女は、ここでそば職人として働いているのね。立派だわ」

「お前だってシマを取り仕切るマフィアの幹部じゃないか」

「私は、みんなに助けてもらいながらやってこれただけよ。今も昔も、ね」

 

 二人きりになると、先程以上に落ち込んだ態度を隠そうともしない兄の姿に、少し苛立ちを覚える。

 

「落ち込んでいる理由は、私の左目か? それとも火傷か?」

「どちらでもあるし、どちらでもないわ」

「お前のナゾナゾに付き合う理由は無い。早く打ち合わせを済ませた方がお互いの為だ」

「ダメよ! この日を逃したら何時またチャンスが訪れるか分からないもの!」

「……何を言っているのだ、お前は?」

 

 突如として私に近づき、作務衣を掴み、目前と迫る兄の顔。

 心身共に受けた怪我により、色素が抜け落ちてしまった私の髪も、以前は、この様な金色の髪をしていたのだろうか? 

 しかし、どうみても目の前にいる人間は、女性にしか見えない。

 それも絶余の美女。無性に腹が立つのは、私が悪いわけではないと思いたい。

 

「落ち着け。お前は、私に何を求めているんだ?」

「私は、お前ではないわ」

「……は?」

「私は、貴女の兄であるローラよ! それなのにルーガは、ずっとお前とか、ローラとしか呼んでくれないじゃない!」

「いや、男である事がバレたら大変なんだろう? それに私達は、もう家族とは……」

「家族よ! 唯一残された家族なのよ……」

 

 頭を私の肩に当て、俯く兄の姿は、いつもよりも小さく見える。

 心の底で溜まっていた何かが、私の顔を見た事で抑え込む事が出来なくなり、爆発した。とでもいうのか。

 はぁ、私達兄妹は、お互いに不器用なのだな。だからこその肉親か。

 再会してから怒涛の展開でゆっくりと話す時間も無かったのが、原因とも言えるだろう。

 一先ずは、呼び方一つで泣きべそをかいている兄を復活させなければならないな。

 

「……一度しか言わん。その……兄貴」

「ルーガはそんなこと言わない」

 

 肩から再び私の目の前に顔を寄せてきた兄の瞳孔は、開きっぱなしだ。

 というよりも近すぎる! もう少し距離を離そうと力を込めてみてもビクともしない! 

 

「そうはいうが! 私とて記憶喪失のせいで昔の呼び方なんて……」

「治りかけているのは、分かっているのよ」

「だとしても! 幼い頃の呼び方なんて成長すれば忘れてしまうものだろう!?」

「お兄ちゃん」

「はっ!?」

「いつも私の後ろを可愛らしく追いかけてきて、私の事をお兄ちゃんと呼んでくれてたわ」

「いや! 流石にこの年齢でお兄ちゃんは……」

「どうして! 私達は家族なのに!?」

 

 そうはいうが、お前は、あのチビッ子親分との今の家族が大切だと、草からの情報で知っているんだぞ。

 その事を思い出して私は、少しムッとする。

 そんな感情がまだ私に残されている事に驚きだが、その事に気が付くのは、もうしばらくしてからだった。

 

「分かった……どんな風に呼んでいたか思い出してみるから待ってくれ」

「ルーガが思い出してくれるまで私は、離れるつもりは無いわ」

 

 いや、離れてくれ。煌びやかな見た目に反して見開いた目が、こちらを虚ろな眼で見つめ続けてきて恐ろしくて敵わん。

 咳払いをして、覚悟を決め、兄のご指定通りの言葉を口にする。

 

「……お、お兄ちゃん?」

「ちょっと違うわ」

「その割に身体を振るわせて嬉しそうにしているじゃないか?」

「これは武者震いよ。本番に向けてのね」

「恥も何もかも捨てた本番のつもりで呼んだのだが」

「これは、ルーガにしか頼めないの。私は、貴女の前でしか兄でいられないの……」

 

 これが死神のローラとまで呼ばれた奴の姿か。

 一層の事、公表してしまえばいいのにとさえ思う。

 お前を慕う奴等なら性別ぐらいで態度を変えたりしないだろうに。

 そんな面倒くさい兄を持つ妹がしてやれる事は、結局一つか。

 

「泣き落としは、止めろ。あと年齢的にこの呼び方は辛いから、これが本当に最後だぞ?」

「いいわ。正し、全力でお願い」

 

 お互いの顔が僅かに距離を取り、見開かれていた兄の目は、真剣な眼差しへ戻っていた。

 これならば、私も素直に呼べそうだ。でも本当に最後だぞ? 恥ずかしいからな。

 

「こうしてまた生きて会えて、お互いに争う立場でもなく、会話が出来る様になって嬉しいよ、お兄ちゃん」

「っ!!」

 

 そこから先は、大変であった。

 人の身体の事を一切気にもせず、強く抱きしめ、揺さぶり、私の名前を呼び続ける兄の姿。

 しかし、私の名前を呼ぶ熱のこもったその声は、隠していた感情を一切隠さず、私を想い続けていた証拠なのだろう。

 どうせ本日の私の仕事は、もう終了しているのだからこのまま兄の好きな様にさせてやろう

 私も、昔と背丈は違えど、懐かしい体温と匂いに包まれたいという気持ちで、心が溢れているのだから。

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