荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
モアの用意した掃除用具が施設入口にずらりと並ぶ。
箒、はたき、雑巾、チリトリ、モップと、ここをピカピカに磨き上げると言わんばかりの重装備だ。
「それでは、ベッグが頑張っている間に私たちも手分けをして掃除を頑張りましょう!」
『うえーいー』
「なんですか! そのやる気のない返事は!」
『はい!!』
モアのオニグンソウが顔を出し始め、私たちは気合を入れ直して一声を揚げる。
こうなった時のモアは、裏モアと呼ばれている時よりもおっかないと私は思う。
何故なら裏モアの場合、言葉遣いが荒くなることは確かなのだが、考えや行動は私たちのことを思っての発言やお怒りであるからだ。
簡単に言ってしまえば、素直になったモアともいえると私は思う。
だが、いま目の前にいるモアは自分自身をきちんと制御している上で私たちに的確な指示を飛ばす司令塔のような役割を担っている。
あれ、私ってここに辿り着いてから鍵開けしかしてない? いちおう怪盗団アカツキのリーダーなのに?
「ロイグ! 手が止まっていますよ!」
「はいい、すみません!」
「全くよ、こんなに美しい壁画があるというのに手を抜くなんて信じられないわ!」
「壁画についてはリガルに同意する。アタシも初めて見た時は見惚れたぐらいだからな」
「レンジもようやく美しさを理解出来るようになったのね。それだけでもここの存在価値はあるわ」
「余計な一言さえなけりゃなあ」
「言わせておきなさい。今のリガルに反論しても煩くなるだけよ」
「まっ、それもそうだな、カラン」
埃対策の装備を身に付けて掃除を行っているカランは、いつもより雰囲気が柔らかく感じられる。
手ぬぐいを頭に巻いてマスクを着用し、白衣のボタンを留めて箒を手にしながらモアの指示に従う姿は新鮮だ。
「むしろ幼くなった?」
「聞こえているわよ、ロイグ」
「ご、ごめん! でも髪をまとめた姿や、白衣をきちんと着こなしているのを見るのは初めてじゃないかなって」
「確かにそうかもしれないわね。普段は医者だと分かればいいぐらいの考えで羽織っていたから」
「勿体ないなあ、でもいまのカランも可愛らしくて素敵よ!」
「はいはい。ありがとうね、ロイグ」
「返事が素っ気なーい!」
「それはそうですよ、みんな真面目に掃除をしていらっしゃるんですから」
背中から聞こえる慣れ親しんだ人の声に、油が切れた歯車の如く身体を震わせながら声の主に向けて頭を動かす。
カランと同じく手ぬぐいを頭に巻き、割烹着を身に付け、腰に手を当てながらこちらを睨むモアの姿があった。
「あのっ、そのっ、弁解の機会を与えて欲しいなあ……なんて」
「ダメです! 何度言えば分かるんですか! みんな手を動かして頑張っているのにロイグときたら口ばかり動かしているじゃないですか!」
「ごもっともです、ゴメンナサイ」
「大体、カランさんばかり卑怯です! 私だってきちんとお掃除用の身支度を整えてきたのに、私に対して一言も無いんですか!」
「えっと、その……」
モアの唐突な要求に戸惑う私は、カランに向けて視線を送り助けを求めるように口をパクパクと動かす。
「(カラン! こういう時はどうすればいいのよ!?)」
「(知らないわよ。私に伝えたことをそのままモアにも伝えてみればいいじゃない)」
「(それでモアの怒りが収まるとは思えないのだけれど!)」
「(なら最初は素直に謝罪して、その後に日頃の感謝でも伝えなさい。貴女たちならそれで通じるわよ)」
「(し、信じているからね、カラン!)」
一度、目を閉じて心を整える。
謝らなければならないことは明白で、感謝については山ほどある。
カラン直伝の謝罪術、いまここで使う時がきたわ!
「モア、聞いて頂戴」
「……なんですか、ロイグ」
「まず最初に謝らせて、真面目に掃除をやらなかった私が全面的に悪いわ、ごめんなさい」
謝罪の言葉は素直に口から出てきて、頭を下げることも自然とできた。
「ろ、ロイグ!? 頭を上げてください! 私も言い過ぎましたから!」
「そんなことは無いわ。モアにお願いしたのは私なのに、張本人がこんな態度ではアカツキのリーダー失格ね……」
「何を言っているんですか! ロイグだからみんな付いてきたんですよ!!」
「……ホント?」
「本当です! 私の言うことが信じられませんか!?」
「ううん、モアがそう言ってくれるのなら私は信じるわ!」
「ロイグっ!」
「モアっ! こんな私を見捨てず、いつも傍にいてくれてありがとねっ!」
「当たり前です! 私がロイグを見捨てるなんて絶対にありませんから!!」
言葉の勢いそのままにモアと仲直りの抱擁を交わす。
それはいつまでも続き、終わりがないと思えるほど長い間、抱きしめ合うのであった。
「掃除をサボってなにやってんだ、アイツら?」
「必死に謝罪をしてご機嫌取りをしている哀れな生物と、それに騙されている者の姿よ」
「それで絆されるモアもモアだけど、本人たちが納得しているのならいいんじゃないかしら」
外野の声がうるさくなり、モアに話を聞かれてしまったらたまったものではない。
そうだ、〆に伝えなきゃいけない事があったんだ。
「モア、聞いてくれる?」
「なんですか、ロイグ?」
「ちょっと遅くなっちゃったけれど、いまのモアの姿はとっても可愛くてお似合いよ!」
「!!」
ようやく伝えることが出来てほっと一息を付こうとする私であったが、ハグをしているモアの腕に込められた力が先程よりも強くなっているのを感じる。
いや、実際に強くなっている! モア! それ以上は危険だわ! 中身が出ちゃう!
自分でも何を言っているのか分からないぐらいの力強い締め付けを食らい、降参のタップをモアに対して必死に送るが効果がない!
「も、モア! ちょっと苦しいかなっ!」
「えへへ……ロイグに可愛いって言われてしまいました……」
「うん! モアは可愛いわ! だから一度この手を緩めてくれると」
「ずっと一緒にいてくれると約束しちゃいました……」
したかな!? 記憶にないんだけれど! 別にそれ自体は問題ないけどさ!
ていうかこっちを見てニヤついている三人! 何はともあれ一先ず助けてよ!
身から出た錆とはいえ、大事になるところだったわ。
解放された私とモアはお互いに頭を下げ合って謝罪をし、そこへ間に入ってくれたカランのおかげで収拾することが出来た。
その後、私たちは真面目に施設の掃除を行い、埃をかき集めて袋へと詰め込む。
男性側の方は、使う機会がないのでそのままであるが、女性側の方を掃除するだけでもかなりの重労働であった。
「みなさん、お疲れ様です。お茶を入れますから一休みしましょう」
「これ以上は水が無いとどうしようもないわね」
「乾拭きにも限界があるしな、後はベッグの報告待ちか」
「大丈夫よ、ベッグなら必ずやり遂げると私は信じているわ」
「ほんと、都合のいい性格してるわね」
浴場に移動させた椅子に各々が好きに座りながら壁画を見て楽しんでいる。
モアが持ち込んでくれたお茶は、心も身体も安らぎを覚えてさせてくれる。
後は、待つだけ。
施設は立派だけれど本当に温泉が出てくるのかしら? ここも地下水を組み上げて温めただけの可能性も捨てきれない。
でも結果が全てではないと、私は知っている。
ここに至るまで仲間と協力しあった過程が、実は一番代えがたいオタカラなのではないかと思う。
恥ずかしくてみんなには言えないけどね!
その時、発動機とは違う唸り音が奥から聞こえ始めた。
「お、ベッグのヤツ、修理し終えたのか?」
「早く! 早く私に温泉を見せてちょうだい!!」
「頭、大丈夫か?」
「うっさいわね! この瞬間を待ちわびてきたのよ! 少しくらいはしゃいでもバチは当たらないでしょ!」
そんな二人のやりとりの最中、突如として壁画の前にある広い浴槽に水が流れ込む。
だけど、それを見ている限りだと……。
「茶色じゃない! これはどういうことよ!?」
「年代物だからなあ、ありえる話じゃないのか?」
「私は諦めないわよ! ベッグ! どこにいるの!?」
「呼んだのだー、リガル?」
「ベッグ! これは一体どういうこと!?」
「見てのとおりなのだ。長年使われていないところへポンプが可動し始めて、パイプの中の汚れが汲み上げられている水の勢いで流れ落ちている状態なのだ!」
「つまり、しばらく流しっぱなしにしてれば、本来の色に落ち着くってことか」
「そういうことなのだ!」
「ベッグ! 私は貴女と初めて出会った頃からイジツイチの整備士だと信じて疑わなかったわ!!」
「リガルの掌がクルクルなのだ……」
ベッグの両肩を掴んで称賛を浴びせながら揺さぶるリガルに、戸惑いの声が挙げる。
私が間に入りベッグを解放すると、リガルは浴槽に流れ込む水を一心不乱の姿で見つめ始める。
「ベッグ、これってどれくらい時間がかかるものなの?」
「三十分ほど流し続ければ落ち着くと思うのだ」
「それじゃもう少しだけ休憩ね。ベッグも大変な作業をしてくれてありがとねっ!」
「問題ないのだ! ユーハングの機械はやっぱり格別なのだ!」
天真爛漫な姿で私たちには出来ないことを言いのけるベッグ。
本人は無事に目的を果たせたと、椅子に座り頬を緩ませながらモアの入れたお茶を飲んで幸せそうな笑顔を魅せてくれている。
「カランの出番もまだ先みたいね」
「あれだけ汚れていればね。それに本当に温泉なのかしら?」
カランの問いに私も不安になるが、こればかりは見守る他ない。
そうしていると、唐突にリガルが汲み上げられている水に自身の手を当てる。
袖が汚れるのも気にすることもなく、何かを確かめるように。
その姿をレンジが見て心配そうに声をかける。
「リガル、気になるのは分かるが、まだ水に色が付いてて汚いぞ。袖まで汚しちまって」
問いかけに反応もしないリガルの姿を見て、レンジが呆れたようにポケットからハンカチを取り出して、手から流れ伝う水を拭う。
その時、リガルが不意に小さく何かを呟いた。
「……んよ」
「はあ?」
「温泉よ! 間違いないわ!!」
突然の大きな声と、温泉だと断言をするリガル。
私たちはおろか、傍にいたレンジも驚きを隠せない。
「というかなんでオマエは温泉だと断言出来るんだ?」
「触れてみれば分かるわ。僅かだけど温かいのよ、この水は」
リガルの言葉に躊躇することなく流れ出る水に手を当てるレンジ。
「確かに地下水と違って生温かいな。だけどこれだけで分かるもんなのか?」
「レンジ、温泉というものは二つに分けられていて、火山性のものと非火山性のものがあるの。イジツでは火山らしき痕跡があったことは確認出来ているけれど、現状では活動しているものは確認できないわ。だから火山の熱によって温められた地下水の可能性は低いのよ。だけど、後者に関しては火山が無くても地中の熱によって温められた地下水が、温泉と呼ばれることがあるのよ。けど、そうだとしたら何クーリルも掘り進めなければ、温かな地下水に辿り着くのは不可能。もしかしてこの温泉は……」
リガルの妙に冷静で淡々とした演説を聞かされて、どこかへ意識を持っていかれそうになりながら話を聞いている。
ぼーっとしていると、リガルは不意に濡らしていた手を舐め始めた。
「おまっ!? 何してんだよ! ハラ下すぞ!」
「やっぱり……私の考えに間違いはなかったわ」
「リガル、私たちにも分かるように簡単に短く説明してくれないかしら?」
「海水よ」
「は、はぁ? 海水ってしょっぱい水のことよね?」
「そうよ、昔イジツにあったとされる海の水。それが地中に溜められて残されていたのよ」
「一ついいか? そもそも温泉って何を指す言葉なんだ?」
「地中からくみ上げた時の水の温度が二十五度を超えていれば温泉よ」
「ちょ!? 条件ってそれだけでいいのかよ!」
「それだけにも関わらず、イジツに今まで無かったのよ!! 可能性のある場所は既に石油が掘られていて、中には温泉を引き当てたヤツもいるのでしょうけど、知識が無いか金にならないと判断されたのでしょうね」
自虐的な態度と言葉を連ねているけれど、温泉の話よね?
「つまり、私たちの想像よりも、ここの施設は重要な施設であった可能性があると?」
「でしょうね。海水による天然温泉なんてユーハングでもエライ人達しか入れなかったんじゃないかしら?」
リガルの話した通りなら、当初想像していたのとは違う方向へ話が進み、困惑する。
みんなが真面目にリガルの話を聞いている間に、汲み上げられていた水、いや温泉の色が透明へと近づいていた。
その様子を真直で見ていたリガルが、私に代わりみんなに指示を飛ばす。
「カラン、水質調査をお願い出来るかしら?」
「了解したわ」
「ベッグ、ボイラーは使えるの?」
「燃料があれば問題ないのだ!」
「なら用意してくるまで調節をお願いね。ロイグ」
「はいい!」
「私の説明が少し大げさだったかもしれないけれど、いま私たちがすべきことは一つでしょう?」
そうだ、イジツのお伽話まで持ち出されて思考が停止していたけれど、結局のところ私たちは温泉を見つけて入りたいだけなのだ。
それが目前と迫っているのに、立ち止まる理由なんてない。
「……そうね。私たちは温泉を見つけて入りに来たのだから、ここまできて止める理由なんてないわよね!」
「そうよ、ならやらなきゃいけない事は明確でしょう?」
「うん! ありがとっ、リガル!」
私の言葉に微笑みで返すリガル。
「最後の仕上げよ! みんなで頑張りましょう!」
自身を鼓舞するようにみんなにも伝え、各々作業を開始する。
あとちょっとで温泉よ!
「というかよ、リガルの謎知識に疑問を抱くヤツはアタシ以外にいないのか? アタシがおかしいだけなのか?」
浴場に置かれていた椅子を一つだけ残し、流れ出る温泉を利用して汚れ落とし。
カランの調査によって人体に問題無しと報告を受け、運び込まれた燃料がボイラーに投入される。
長く伸びる煙突の先にあったのは、岩に偽装された煙消しであった。
やはりここは……ってやめやめ、今はそれどころではない。
ピカピカに磨き上げられた浴場と浴槽、湯気を立てながら溜まっていく温泉。
あとは、いうまでもないわよね!
「ああ……気持ちよくてつい声が出ちゃうわね」
「手足を伸ばせてお湯に浸かるのは、とても気持ちいいですね」
「温泉なら尚更よ、モア。見て頂戴、この肌のツヤを!」
「確かに、余り気にしないアタシでも分かるほど肌が滑らかになっているのが分かるぜ」
「気持ちいいのだぁ……」
「ベッグ、気を抜くと溺れるわよ」
カランに関しては、大きな桶に温泉を移して椅子に座りながら足湯を楽しんでもらっている。
最初はそれも遠慮していたけれど、私のしつこいお願いに根負けしてくれたのだろう。
こうして同じ浴場でみんなと会話をしながら温泉を堪能してくれているみたいだ。
タイツが脱がされた長くて白く綺麗な足に赤みが帯びているのが分かる。
「これだけでも気持ちがいいものなのね」
「一層のこと、空の駅で足だけ浸かれる銭湯でもあればいいのにな」
「飛行していると以外と疲れる箇所だものね。こうして足をお湯でほぐせるだけでも疲労回復効果が感じられるわ」
「カラン、私たちは何も気にしないからこちらに入りなさいよ。美しい私のようになれるチャンスなのよ?」
「お気遣いどーも、リガル。貴女のようになれても超すことは出来ないから私の分まで存分に堪能して欲しいわ」
「あら! もう、カランったら! 本当のことを言っても何も出ないわよ!」
「皮肉も通じないのだ!」
余計な事を言わないのと伝えるように、カランがベッグの頭を押し込む。
もちろん本気ではなく、手を乗せているだけなのだが、ベッグが自分から沈んでいく姿を見て笑いが止まらない。
モアが見つけてくれた一枚の紙から始まったオタカラ探し。
様々なことがあり、発覚する事実と可能性。
ここが重要施設であることや、海水が使われている希少性の高い温泉であることなど、紆余曲折を経て押し寄せてきたけれど。
いま、こうしてみんなと入れる温泉が、嬉しくて、楽しくて、何よりも……。
『はあ……気持ちいい……』
天にも昇る気分とは、こういうことを言うのだと、体感するのであった。