荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
どこからともなく聞こえる、か細い鳴き声。
子犬だろうか? それとも仔猫……? 耳を澄ましてみるけれど、その声の主の姿は見当たらない。
気のせいだろうか、そんなことを思い、止めていた足を再び動かそうとした時に、目が合う
いつの間にそこに来ていたのか。
茶色の毛並みをした子犬が、私の目の前にいた。
「……」
じっと見つめてくるその子の目には、涙が浮かんでいるように見えて、私は思わず手を伸ばす。
すると、まるでそれを待っていたかのように、私の手にすり寄ってきた。
「えっと……」
どうしていいかわからず、私はその場にしゃがみこんで、その小さな身体を抱き上げる。
ふわりとした柔らかな感触、そして温かい体温。
人懐っこいのか、私の腕の中で大人しくしているこの子は、どこか怪我をしている様子もない。
ただ、何かを訴えかけるような目でこちらを見上げていて、それがどうにも胸をざわつかせる。
「(こんなところで何をしているのかしら?)」
親とはぐれたのだろうか、それとも捨てられたのだろうか……。
いずれにせよ、このまま放っておくわけにはいかないだろう。
「仕方ないわね、一緒に来る?」
そう問いかけると、嬉しそうな顔をして一鳴きする子犬。
手を伸ばしてしまった以上、この子の里親探しをしてあげないといけないわね。
「ただいま。キリエ、エンマ」
「あ、おかえりなさーい、リリコさん……って腕に抱えているのって!」
「事情があって連れてきたのよ、キリエ」
「まあ、可愛らしい子犬ですわね。この子はどうなされたので?」
「町で目が合っちゃってね。ずっと私を見つめてきたのよ」
「あら、それは随分と気に入られましたのね」
「でも、里親が見つかるまでの間だから、あまり構ってあげられないわ」
「確かに……羽衣丸で飼うようなことは出来ませんものね」
「そういうこと」
「ねえ、エンマはどう思う? この子を引き取ってくれる人っていると思う?」
「さあ、どうでしょうか……。生物を飼う余裕がある方は限られておりますし、そこまでは」
「やっぱりそうよね」
「ですが、探せばきっと見つかりますわ。わたくしも協力致しますから」
「ありがとう、エンマ」
「いえ、当然のことですわ」
そう言って微笑むエンマの表情に、少しだけ救われた気持ちになる。
キリエは子犬が珍しいのか、私の代わりに抱き上げて頬を寄せている。
あの子も嬉しそうに鳴きながらキリエの頬を舐めて喜びを表していた。
その様子をエンマと二人で微笑ましく見つめる。
こうして、私はしばらくの間、この子を預かることになった。
「リリコがこういう事をするのは、珍しいな」
「目が合っちゃったのよ、レオナ。どうしようもなかったわ」
「見捨てない辺りは、リリコらしいと思うわよ?」
「お褒めに授かり光栄よ、ザラ」
私の皮肉に、笑いながら受け流すザラ。
マダムからは、次回の運航予定日までならば羽衣丸内で飼うことの許可を頂いた。
それまでに、私は里親を探さなければならない。
「まずは情報収集かしら」
「そうだな、町の人に聞いて回るのが早いかもしれない」
「そうね。それにしても可愛いわね」
「小さくてフワフワしていて、見ているだけでも癒される感じだ」
ザラの膝上で撫でられている子犬は、落ちついた様子で目を閉じている。
「レオナも抱いてみたらいいわ」
「大丈夫なのか?」
「ええ、優しくすれば問題ないはずよ」
ザラから受け取ったその子犬を抱いたレオナは、その小ささに驚いているようだった。
「思っていたより小さいんだな」
「まだまだ子供なんでしょうね」
「それでも、しっかり生きているということか……」
レオナの手の上で寝息を立てているその子を見て、彼女は呟く。
「お前は、何のために生まれてきて、これから何を為すために生きていくんだろうな……」
レオナの神妙な言葉に、ザラと二人で苦笑いをする。
意味はわからないけれど、少なくとも今は幸せなんじゃないかと思う。
だって、こんなに安心しきった顔で眠っているんですもの。
「この子が幸せになれるといいのだが……」
「もう、レオナったら」
「いや、別に普通だと思うぞ?」
そう言いながらも、照れくさそうにしているレオナ。
その様子がまたおかしくて、私達はしばらく笑い、子犬が起きてしまうのではないかと思ったが、幸いなことにその心配はなかったみたい。
「私たちも一緒に里親を探したいところだけど、次の仕事があるのよね」
「大丈夫よ、ザラ。幸いこの手のツテはあるから、私一人でもなんとなるわ」
「そうか……任せてばかりですまないな」
「身から出た錆、なんてユーハングのことわざを使うつもりは無いけど、責任は取るつもりよ」
「うん。お願いね、リリコ」
「頼んだぞ、リリコ」
そう言って、私に子犬を手渡したレオナは、ザラと共に仕事先へと向かう。
私の腕の中で未だ眠りについている子犬、里親を探す間、誰かが様子を見ていてくれると助かるのだけれど、誰かいるかしら?
頭の中で思い浮かぶ人物がいそうな場所に向けて、私は歩き出した。
「わぁ! 小さくてふわふわで可愛い! ねっ、マリア!」
「そうだけど……華奢で触れるのが少し怖いよお、アンナ」
「大丈夫よ、ちゃんとご飯食べてるもん。ねー?」
「ワンッ」
「あはは、元気なお返事ありがとー」
私の腕に抱かれている子犬に話しかけるアンナと、それをおどおどした様子で眺めるマリア。
そんな光景を微笑ましく見つめながらも、私は本題を切り出すことにした。
私がこの子を見つけた経緯を話すと、二人は真剣に耳を傾けてくれた。
町中で目が合ったので思わず拾ってしまったという、我ながら突拍子もない話にも、きちんと耳を貸してくれるのは有り難いことだわ。
「私が里親を探す為に、外出している間だけでいいから、あなた達に面倒を見ていて欲しいのだけれど」
「分かりました。リリコさんにはいつも助けてもらっているので、喜んで引き受けますよ」
「私も頑張るね、リリコさん」
「ありがとう、二人とも」
「こちらこそ! リリコさんには、日頃から色々手伝ってもらっていますし、私たちからも何か出来ることがあったら言ってくださいね」
「ありがとう。その時は遠慮なく頼むことにするわ」
「はい、お待ちしています!」
二人の笑顔につられて、私も自然と笑みがこぼれてくる。
私達三人はお互いに顔を見合わせて、クスリと笑う。
そうして、二人の協力を得た私は、早速町へと出掛けることにした。
町中を歩いていると、様々な人とすれ違う。
その誰もが忙しげに動き回り、今日もラハマの町は活況を呈しているようだ。
飛行船の発着場では、多くの人や荷物が行き来しており、その横を通り抜けながら目的地を目指す。
「さて、どんな人が里親になってくれるのかしらね」
そう独り言を呟きながら歩くこと数分。
私は目的の場所へと辿り着いた。
「あら、いらっしゃいませ」
扉を開ける音に反応した店主の女性が、カウンターの奥から顔を覗かせる。
「こんにちは。ごめんなさいね、突然押しかけてしまって」
「いえいえ、構いませんよ。それで、本日の御用向きは?」
「実は……」
私は事情を説明する。
それを聞いてくれた店主は、うーんと首を捻って思案する。
「確かにその手の話はありますが、あまり期待しない方がいいかもしれませんよ?」
「それはどうして?」
「なんと言いますか、動物を飼ったことの無い人が多いので、きちんと育て上げられる人が見つかるかどうか……」
「ああ……なるほど」
確かに、自分たちが生きていくだけでも精一杯な世界。
一部の裕福な人達以外は、生物を飼うことに向いていないのも事実だ。
でも、何もせずに諦めるのは良くないわよね。
あの子はきっと、幸せになるべきなんだから。
「それでも構わないなら、いくつか候補を探してきましょうか?」
「ええ、お願いできるかしら」
「はい。少々お待ち下さい」
店主はそう言うと、店奥へ引っ込んでいった。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、いくつかの資料があった。
「こちらが、里親を希望している方々の住所と名前です。私の名前を出せば通じるようになっていますので」
「ありがとう。見せてもらうわね」
一枚ずつ手に取って確認していく。
ざっと見た感じだと、裕福ではないものの、日々の生活に困るほどでもないといった印象を受ける。
中には、夫婦二人で暮らしている家もあった。
「どうかしましたか?」
「いいえ、なんでもないわ」
私の様子を不思議そうに見つめる彼女に、なんでもないと伝える。
そして、最後に残った一枚の紙を手に取った。
「……」
これはちょっと予想外だったかもしれない。
一瞬固まる私を見て、再び『どうされました?』と問いかけてきた彼女に対して、私は苦笑いを浮かべながら答えるしかなかった。
「この人の名前に聞き覚えがあって……多分知っていると思うわ。あとで連絡を取ってみるわね」
「はい。わかりました」
とりあえず、これで里親探しの方針は決まったことになる。
私は店主から受け取った資料を丁寧に鞄の中にしまい込み、再び外へと足を踏み出した。
空は雲一つ無い快晴、絶好の散歩日よりね。
里親が決まるまでは、あの子の散歩や躾をしなければ。
「お手」
「わん!」
「おかわり」
「わん!」
「伏せ」
「クゥーン」
私はツテを頼りに聞いた、名前に聞き覚えのある人物に連絡を入れ、面会日が来るまでの間、この子の躾をすることにした。
最低限の命令と、トイレの場所を教え込んでおけば、粗相を致すような事も無いだろう。
そう思って始めたことだったけれど……。
「すごい! ちゃんとリリコさんの言葉が分かるんだ!」
「子犬を相手にここまで躾を覚えさせられる事に、ケイトは驚愕している」
「当たり前じゃない。私が教え込んだのだから」
「あっ、リリコさんがドヤ顔してる!」
「チカ、それは禁句である」
賑やかな二人ね。
おかげで退屈することは無いから良いのだけれど。
「もう! こんなことになっているなら、早く教えてくれればよかったのに!」
「二人とも仕事で町から離れていたでしょう? それに私の我儘から始まったことだから巻き込む訳にもいかないと思っていたのよ」
「そんな水臭いことを言わずに頼って欲しいよ、リリコさん!」
「チカに同意。ケイト達の手が必要ならいつでも言って欲しい」
「ありがとう二人とも」
本当に二人は優しいわね。
だからこそ頼ってしまうことに抵抗があるというのに。
「それで、いつまで預かる予定なの?」
「里親を希望した方の元へこの子を連れてお会いし、大丈夫そうであれば数日以内に引き渡す予定よ」
「ええー、もう少しこのままいてもよくない?」
「その場合、情が移り、離したくなくなる可能性が高いとケイトは推測する」
「……そうだよねえ」
そう寂しそうな表情を見せるチカに申し訳なく思う。
最悪の場合は、私がこの子を預かりたいと思っている。
でも、私達はお金を稼ぐために空を飛んでいる身であり、毎日の生活費は自分で稼がなくてはいけない。
だから、この子にかまけている時間はあまり無い。
一つの命を託された生物の主として、それは失格だ。
「でもね、連絡を入れた里親希望の方に引き取られてもらえたら、チカ達も簡単に会いにいけると思うわよ」
「へ? それってどういう意味なの、リリコさん?」
「正式に決まるまでは、秘密よ」
人差し指を口に当ててウィンクを一つ。
その仕草を見たチカとケイトは、揃って溜息を吐いた。
「ズルいよねえ。そういうところは」
「ケイトはその言葉に同意せざるを得ない」
あら、何のことかしら? 私にはさっぱりわからないわ。
ただ、この子が幸せになれるよう願っているだけなのに。
里親希望者との面会日。
私とこの子の目の前に現れたのは、ラハマでも有数の立派な館。
いや、立派であったと言い直すべきか。
ガラス窓は、いくつも割れており、苔が建物を侵食し始めている。
広い庭には巨木が一つ、枝だけが伸びて存在感を表している。
そう、ここはエンマのご実家である。
あの時、最後に残された紙に書かれていた聞き覚えのある名前とは、エンマのご両親の事だ。
「クゥーン」
私の足元にいるこの子は、私と、とある場所を交互に見つめている。
視線の先にあるものは、庭にある巨木だ。
私に何かを伝えたいのだろうか? そう思考していると、周囲を見回したのち、巨木に向かって歩み始める子犬。
井戸以外に危険な要素は見当たらなかったので、私はその後ろを付いていく事にした。
そして、巨木にしがみついているこの子を、私はゆっくりと抱き上げる。
「ダメよ、登ったら降りれなくなっちゃうわ」
「クゥーンクゥーン」
何か言いたげであるが、背中を撫でてあげると、落ち着いた様子で再び周りを観察し始めた。
「……よし」
大丈夫そうね。
私もエンマのご両親と会うのは初めてだし、しっかりしないと。
私は意を決して、玄関の扉をノックし、中から返事を待つが一向に来ない。
「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか?」
二度、三度と繰り返すが、応答はない。
玄関のドアノブに手をかけてみると、鍵はかかっていない様だ。
ギィと軋む音が響き渡り、それと同時に視界に入ったのは、壁際に張られた蜘蛛の巣、カーテンはボロボロになっている内部の姿。
私は思わずため息が出そうになるのを堪えていると、奥から聞き慣れた声の主が、誰かを怒鳴りつけているのが聞こえた。
「お邪魔しまーす」
一言、断りを入れて私は、足早に声の主がいるであろう場所へ向かう。
そこには、腕を組みながらご両親の前で仁王立ちをしているエンマの姿があった。
「何度、言ったら分かるのです! うちにはもう誰かにお金を貸す余裕なんてありませんのよ!」
「しかしだね、今回は人にお金を貸すのではなくて……」
「お父様、家族の糊口を凌ぐため、娘が危険を冒してまで飛行隊の仕事を務めている事について、ご意見はありますこと?」
「はい、すみません」
どうやらエンマは、ご両親からお金について相談され、誰かの借用書に判を押すのではないかと疑っているみたい。
私が来たことで中断させてしまったようだけれど。
「お話し中、失礼するわね」
「リリコさん!? どうしてここにいらっしゃるのですこと?」
「今日は里親候補の方に会いに来たのだけれど、この状況は予想外だったわ」
「里親……抱き抱えている子犬……まさか、いえ、その前にお客様を立たせておくわけにはいきませんわ、リリコさん、こちらに座って下さいまし」
満面の笑みを浮かべるエンマに手招きをされて椅子へと座る。
私の膝の上には子犬が乗っていて、大人しく丸まっており、落ちついた様子だ。
そんな様子を見ていたご両親は、顔を見合わせて肩を落とす。
「リリコさん、これは一体、どういうことなのかしら?」
私に紅茶を差し出してくれたエンマが、不思議そうにそう問いかけてくる。
「エンマのご両親が、この子と直接会って話を聞きたいと仰っていたものだから」
「わたくしの両親がですか?」
「ええ、この子の里親になりたいと」
「え……えぇー!!」
素っ頓狂な声で驚きの声をあげるエンマ。
当然といえば当然の反応よね。
「いやいやいやいや……」
エンマが壊したラジオのように同じ言葉を繰り返している。
普段の彼女からは想像もつかない慌てっぷりに、ご両親は呆気に取られている。
無理もないわね、自分の両親から突然『この子をウチの子にするから』と聞かされたら私だって驚くだろうし。
エンマのご両親も、初めは面食らったような表情をしていたが、次第に落ち着きを取り戻し始め、ついには笑顔すら浮かべ始めた。
人は瞬時に理解が出来ない事と遭遇すると、笑みを浮かべると聞いた事があるが、まさにその状況なのだろう。
「わたくしも協力致しますといいましたが、両親が既に手を挙げていたとは思いもよりませんでしたわ」
私の隣で、力なく項垂れるエンマ。
「エンマも大変ね」
私がそう言うと、恨めしげに睨んでくる。
「誰のせいでこうなったと思っていますの?」
「あら、私が会いに来たのは、エンマ本人ではなく、ご両親よ?」
「……」
「冗談よ。でも困ったものね、里親希望者の中で私が信頼出来る人と考えたら、ここしかなかったのよ」
「信頼……ですの?」
「ええ、エンマが頑張っている姿は、いつも見ているしね。それに、あなたのご両親も、とても良い方達だと伺ってるの」
「人が良すぎてこのザマですわよ?」
「それについてはノーコメントで」
「リリコさんは相変わらずですのね。まったく……。はあ」
深い溜息をつくエンマ。
「仕方ないですね。では、一度しか言いませんからよく聞いていて下さいませ」
エンマは居住まいを正すと真面目な口調でそう告げた。
「お父様、お母様、本当によろしいですの? 生物を飼うのは簡単な事ではありませんのよ?」
「もちろんだよ、エンマちゃん」
「お父様。いい加減、ちゃん付けは止めてくださいまし」
「そう言われてもねえ、エンマちゃん」
「お母様もですわ。まったく、いつまでわたくしの事を子供扱いするのやら、あなたもそう思うでしょう?」
そう言って、私の膝上にいる子犬に向かって話しかける。
「キャゥン」
まるで返事をするかのように鳴く子犬。
その仕草が可愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。
私だけでなく、ご両親の目尻も下がっており、子犬は今にもエンマへ抱きつきそうな勢いだ。
「この子は、自分を救ってくれる人が誰か分かるようね」
私がそう呟くと、ご両親はハッとしたように我に返った。
「まずはお医者様に診てもらわないといけないわね」
「そうだね、獣医さんに相談してみた方がいいだろう」
私たちを置き去りに、この子の為に何をすべきかを考え始めるご両親。
ご両親の意見を聞きながら、エンマは私の膝上にいた子犬を抱き上げ、微笑みながらこう呟く。
「アナタには重大な任務を申し付けますわ。不逞の輩がこの家に訪れた際は、この小さな身体を精一杯使って鳴くこと、我が家の番犬として真面目に働くこと、よろしいですわね?」
そう言われた子犬は、嬉しそうに尻尾を振り回す。
「ふふっ、物分かりが良い子ですわね。さすがはわたくしの選んだ番犬ですわ」
「エンマちゃん、名前はどうしようか?」
「名前はまだ決めておりませんの、お父様。何か良い名前……の前に、この子は男の子? 女の子?」
少しばかり恥ずかしそうに子犬を掲げるエンマ。
性別は女の子だ。そう伝えればよかったのだが、エンマのその仕草が可愛らしくて、つい口を開くのを躊躇してしまった。
「女の子、ですわね」
「そうねぇ、ならポチとか、シロとかはどうかしら?」
「お母様、それは男の子に付けて差しあげるべき名前かと……」
私の前で子犬に付ける名前を考え始めるエンマとご両親。
ここから先は、家族の問題だ。
そう思い、一言断りと礼を伝えて家を出ようとした先に、エンマが私に問いかける。
「リリコさん、何か良い名前はありませんこと?」
「子犬の名前はご家族で決めてもらうべきだと思うけれど」
「この子を救って頂いたのは、紛れもなくリリコさんですわ。名付け親になる権利がございますわ」
「体よく押し付けられた気がするのだけれど」
「そう言わずに、この子の為にも考えてくださいまし」
エンマの言葉に合わせて、鳴き声を発する子犬。
「この子もそう言っていますわよ?」
「はいはい、分かったわよ」
テーブルに腕を立て、顎を手に置きながら、子犬を見つめる。
賢すぎるというのも、問題だわ。
しかし、なかなかこれといった名前が思い浮かばない。
そう思いながら、私は視線をエンマへと移す。
視線を感じたのか、彼女は私を見て首を傾げた。
「なんですの?」
「いえ、なんでもないわ」
「……変なリリコさん」
エンマは不思議そうに私を見ながら、再び子犬に向き直った。
そんな彼女を見て、先程の光景を思い出す。
この子が庭にあった巨木によじ登ろうとしていた姿を。
「エンマ、一つ思いついたわ」
「本当ですの?」
「ええ、きっとその子も気に入るんじゃないかしら」
「ぜひ教えて欲しいですわ!」
期待に満ちた表情で私を見るエンマ。
私は一呼吸置いてから、その名を告げる。
「サクラ」
「サクラ……もしかして庭にあるソメイヨシノから?」
「家に上がらせてもらう前、その子が登りたがっていたのよ」
「まあ!」
エンマは満面の笑みを浮かべると、子犬の名を呼ぶ。
「これからよろしくお願いしますわね、サクラ」
「キャウ~」
エンマの腕の中でどこか誇らしげに鳴くサクラの姿。
こうしてエンマの家は、新たな家族を迎え入れる事となった。
あれから少々、時間が経過する。
羽衣丸内にある酒場、ジョニーズサルーンで、今日も楽し気に会話をしているコトブキ飛行隊の面々。
「サクラは相変わらず可愛くて、もっふもふだったよ!」
「私の顔を覚えていたらしくて、会いに行ったら駆けつけてくれたんだ!」
「リリコさんが会いにいけるという発言の意味をケイトは理解した」
チカとキリエとケイトの声が聞こえてくる。
彼女たちの話している内容は、以前拾った子犬についてだった。
どうやら三人は既に、子犬を引き取ったエンマの家に遊びに行っているらしい。
「まさか、エンマのご両親に引き取られるとは」
「不思議な縁よね。リリコのツテがエンマと繋がるだなんて」
「とはいえ、ご両親は子犬の世話をしたりで大変じゃないのか?」
「そうでもないみたいですわ。むしろ、サクラがわたくしの家族になってから覇気が湧いてきたようで、以前よりも活発になって良かったのですが……」
「なに? なんか良くない事でもあったの?」
「急に動き出したものですから、腰をやられてしまいまして」
『あぁ……』
キリエの問いかけに返事をしたエンマの答えに、コトブキ一同は深い溜息をつく。
魔女の一撃を食らってしまったという事ね。
「その、大丈夫なのか?」
「心配無用ですわ。年甲斐もなく急にはしゃいだ両親が悪いのです。良い薬ですわ」
「そういうものなのかなあ」
キリエが呆れたように呟けば、エンマは笑顔を返す。
聞き耳を立てるつもりは無かったけれど、あの子が幸せに暮らせているようでよかったと心で安堵する。
注文された品を運び、エンマに対して言付を伝える。
「アンナやマリアも会いに行きたいと言っていたわ」
「あら、それなら次は一緒に行きましょうか」
エンマはそう言いながら微笑むと、私の目を見た。
その眼差しはまるで『リリコさんも行くのでしょう?』とでも言っているようであった。
「別にいいけど」
「リリコさんったら、出会った頃から変わりませんわね」
エンマはクスリと笑う。
確かに、コトブキ飛行隊の面々と出会った頃から、私はこのような感じだったかもしれない。
「何度も言うけれど、サクラを助けたのは成り行きの上だからね」
「分かっていますわ。けれど、飼い主としてお礼をさせて下さい。ありがとうございます、リリコさん」
エンマは椅子から立ち上がり、深々とお礼をする。
その様子を見て、私が返せる言葉なんて一つしかない。
「どう致しまして」
ぶっきらぼうに返す私の言葉に、再びエンマはクスリと笑うのであった。
「でもさ! 子犬の名前がサクラで良かったよね!」
「チカ、それはどういう意味か?」
「だってサクラもソメイヨシノの木に登ろうとしてたんでしょ? もしかしたらキリエって名付けられても不思議じゃないじゃん!」
チカの発言に、口に含んでいたパンケーキを吹き出すキリエ。
「あれは昔の話ですー! 今はそんなことしたりしないし!」
「躾をする時に『キリエ、お手!』とか!」
「人の話を聞けよ! バカチ!」
「キリエ、お座り。ですわ」
「ちょっと、エンマまで!」
「キリエ、おちん……」
『それはダメだよ、ケイト!!』