荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景   作:星1頭ドードー

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風邪をひいたレオナさん

 ──―羽衣丸船内

 私とザラが共同で使用している部屋。備わる二段ベッドの上で、ゆっくりと目を開ける。

 カーテンの向こう側から、照明の灯りがぼやけて見えた。

 今の時刻は……。何時なのだろうか。時間の感覚が無いけれど、普段であれば寝るには少し早い時間であることは確かだろう。

 状況を確認する為に身体を起こそうとするが、指先すら上手く力を入れる事が出来ない。

 それどころか、内側からせり上がるものがあり、喉から音が発生する。

 

「コホッ、コホッ」

 

 思わず顔を歪める。咳き込む度に息が詰まり、苦しい。

 風邪とはこんなにも苦しくなるものだろうか? 小さな頃、同じ様なことがあったような気がするのだが、よく思い出せない。

 意識をはっきりとさせたくて目を瞑り、集中しようとすると再び咳き込み始める。

 

「情けない……。隊を率いる者が風邪をひくとは」

 

 口に出した情けない言葉が、狭い部屋に反響し消えていく。

 静かだ……。余計な音が一切無い。

 耳に入るものは自分の出す呼吸の音だけ。それ以外は全て、無の世界。この世界に一人、取り残されたのか。そんな事を考えてしまうほどに。

 いつもであれば、何かしら騒ぎが起こっているというのに、今日だけはまるで世界から自分だけが切り離されてしまったかのような、そんな錯覚を覚えて孤独に押し潰されそうになる。

 

 ……嫌な気分になるものだ。

 こういう時には決まって昔の事を思い出したり、戻せもしない時のことを思い浮かべたりするのだから。

 ネガティブ思考を振り払いたくても、そう簡単に振り払えないからこそ、厄介な代物だ。

 普段は想いに蓋をしているものが、今のような精神状態の時は否応なく引き出されてしまう。

 心も頭も重くなり、このまま眠ることも出来なくて困ってしまう。

 その時、扉が開く音が聞こえる。そこからは複数の声と、制止させる声。

 ゆっくりと扉が閉められ、こちらに向かう足音の人物から、声がかけられる。

 

「大丈夫、レオナ?」

 

 カーテンが開けられ、私の寝ているベッドの側でしゃがみ、こちらを心配そうに見つめるザラの姿。

 私は何とか顔を上げようと、彼女の名を呼ぶが、掠れた声しか出てこない。

 ザラはその事にすぐに気がついたようで、私の背中を支えながら上体を起こした後に、テーブルの上に置かれた水の入ったコップを手に取る。

 そして、私の口元までコップを持って来てくれた。

 私は口を軽く開いて、流し込まれた水分を受け止めると、ゆっくりと嚥下し、小さくため息をつく。

 どうやら思っていた以上に、渇いていたようだ。

 もう一口飲むと、喉の不快感も薄れてくるのを感じる。……助かった。

 

「ありがとう、ザラ」

「気にすることは無いわ。こういう時はオタガイサマよ」

 

 そう言いながら微笑みかけてくれる。

 その優しさに触れて安心してしまう。弱っていた心に、温かい光が流れ込んでいくのが分かる。

 

「それにしても珍しいわね。レオナがここまで体調を崩すだなんて」

 

 言われてみると確かにそうだ。

 最近はオウニ商会以外の仕事もあり、多少ながら疲れていたとはいえ、用心棒として生きるようになってからは、体調を崩したという記憶はない。

 もちろん、怪我は何度もしたが、病というものに罹ることはなかったはずだ。

 

「……」

「レオナ、どうかしたの?」

 

 突然、黙ってしまった私に違和感を覚えたのか、首を傾げて訊ねてくるザラを見て、ふと思ったことを口に出してみる。

 

「ザラは、風邪をひいたことがあるのか?」

 

 するとザラは考え込んだ後「あー……」と呟くように言った。

 

「覚えていないけど、多分、小さい頃にひいたんじゃないかしら。熱も出したりしていたと思うけれど」

 

 なるほど、そういう事もあるのかもしれない。

 しかし、幼い頃の記憶というのは、どうしてこうも曖昧なのだろうか。

 幼少期の頃は、様々な出来事があったはずなのに、大人になった頃には忘れてしまっている事が多い。

 どんな会話をしたとかは思い出せるのに「なぜそのような話に至ったのか」「どういう経緯でそうなったのか」などは覚えている事が稀である。

 ましてや子供の頃の思い出は断片的で、時系列がバラバラだったりすることも多い。

 きっとそれが普通なのだろう。

 

「レオナはどうなの? 孤児院に居た頃は病気になったりはしなかったの?」

「……一度だけ。今みたいな状態になった事を思い出したよ」

「あら、それは大変じゃない。それでキチンと治ったの? 後遺症とかは無かった?」

 

 ああ、そう短く答えると、ザラは安堵のため息を漏らして表情を緩めた。

 

「良かった。レオナが苦しんでいるところは、見たくないもの」

「ザラは優しいな」

「別に優しくなんかないわよ。当たり前のことを言っているだけだわ」

 

 ザラはそう言うが、それでも私にとっては嬉しい言葉に変わりはなかった。

 自然と笑みを浮かべると、何故か頬を赤く染め、そっぽを向いてしまう。

 ……何故だ。何度見ても、理由が分からない。彼女が恥ずかしがるような事は、何もしていないつもりなのだが。

 

「と、ところでレオナ、食事は取れそうかしら?」

「まだ難しいかもしれない。上手く身体に力が入らないんだ」

「スープを作ってきたのだけれど、少しだけでも飲んでみる?」

「……お願いしようかな」

「分かったわ。じゃあちょっと待っていて頂戴ね」

 

 ザラは笑顔を見せて部屋から出て行った。

 たったそれだけなのに、こうしてベッドに腰掛けている今も、一人でいるには心細く感じ、不安感が押し寄せる。

 先程までは平気だったというのに、一体、いつの間にこんなに弱くなっていたのだろうか。

 思わず自嘲の笑いが漏れてしまう。

 だが、ザラには同時に感謝の気持ちもあった。

 恐らくはザラがいなかったら、私はずっと独りぼっちのまま、我武者羅に突っ走ったあげく、撃ち落されてイジツから消えていた可能性だってあるからだ。

 

 さっきのように過去の事を振り返ったり、余計なことを考えてしまうのも、結局は寂しさから来るものなのかもしれない。

 そんな風に考えていると、再び扉が開かれる音が聞こえてきた。

 視線を向けると、そこにはトレイを持ったザラがいた。

 

「お待たせ、レオナ」

 

 そう言ってザラは私の元へ近づいてくる。

 トレイの上には木製の器があり、中に入っていたのはコンソメスープだ。

 鼻腔に届く良い香りが、止まったままの胃を少しばかり活動的にさせる。

 スプーンを受け取り、掬って頂こうと思ったが、木製の器もスプーンもザラが手にしたままだ。

 

「……ザラ?」

「指先に力が入らないのでしょう? 折角だから私が飲ませてあげるわよ」

 

 ザラは私の隣に座って、自分に寄りかかる様に指示をする。

 

「大丈夫だよ。そこまでしてもらうわけにもいかない」

「いいのよ。レオナの面倒を見るのは私の役目なんだから。遠慮しないで」

 

 私は徐々に隣に座るザラへ体重をかけた。少しばかり照れ臭い。

 彼女の体温を感じているうちに、少しずつではあるが身体の緊張が解けていくのがわかり、心地よい感覚を与えてくれている。

 

「それじゃあ、行くわよ」

 

 そう言うと、ザラは木の椀を持ち上げて中身をスプーンで掬う。

 幾度か熱さを冷ます為に、吐息を吹きかけて、私の口元へ近づけた。

 

「はい、あーん」

 

 一呼吸置いて、ゆっくりと流し込まれるスープを嚥下していく。

 じんわりとした温かさが、食道を通り抜け、腹の中へと落ちていった。

 

「……美味しい」

「本当? それなら良かったわ。作った甲斐があったわね」

 

 ザラは安心した様子を見せながら微笑む。

 

 

 お手製のスープを頂いた後、私は汗だくになった下着を着替え、汗まみれのシーツをザラに交換をしてもらった。

 その中には、普段は身に付けていない寝間着も用意されており、それに着替えてからベッドに横になる。

 

「すまない、ザラ。色々と面倒をかけてしまった」

「気にすることはないわ。さっきも言ったけれど、困った時はオタガイサマですもの」

「そうか……。そうだな……」

 

 そう言いながらも、やはり申し訳ないという気持ちは拭えない。

 自分の不注意とはいえ、ここまで迷惑をかけてしまっては立つ瀬がないというものだろう。

 しかし、それ以上に嬉しく思っている自分が居るのもまた事実であった。

 

「一度、額に乗せるタオルを交換しましょうか。新しいのを持ってくるわね」

「ああ、頼むよ」

「今日は随分と素直なのね」

「私にだって、そういう時もある……」

「ふふっ、じゃあ行ってくるわ」

 

 そう言ってベッドの端から立ち上がり、私から離れようとするザラ。

 その背中を見つめいたら、思わず腕が伸びてしまい、気づけばザラの小指を力なく掴んでいた。

 

「レオナ、どうしたの?」

 

 振り向いたザラの顔は不思議そうな表情をしていた。

 私自身もどうしてこんなことをしているのか分からず、ザラの小指を掴んだまま、黙り込んでしまう。

 すると、ザラは空いている手で優しく私の頭を撫でてくれた。

 それはまるで子供をあやすかのようで、少し気恥ずかしいが嫌ではない。

 むしろ、もう少しこのままでも構わないと思ってしまうくらいだ。

 

「もう、今日のレオナは甘えん坊さんね」

 

 ザラは私に顔を近づかせて囁きかけてくる。

 彼女の優しい声色が耳の奥底まで響いてとても心地が良い。

 いつもの私ならば、いつもの調子で返すところなのだろうが……。今は何故か違う言葉を返したくなる。

 

「うん……。ごめん、ザラ」

 

 自分でも驚くほど弱々しい声で呟いていた。けれど、それを口にした後に、少しだけ心が軽くなったような気がして不思議な気分だ。

 

「謝ることなんてないわよ。レオナが元気になってくれるのが、私にとって一番嬉しいのだから」

「ありがとう……ザラ」

 

 ザラは穏やかな笑みを浮かべると、私の頭から手を離してしまう。そして、今度は私の手を握りしめてきた。

 

「はい、これでよしっと」

 

 ザラは満足げに私を見つめる。彼女の手が温かく、心地よい。

 この瞬間を永遠に感じたいと思いつつも、すぐに終わりが来るのだと知っている。

 だからこそ、今の一瞬を大切にしたいのだ。

 私は瞼を閉じて、その身を委ねることにした。

 

「レオナ、眠いの?」

「うん……」

「そっか。疲れちゃったのよね。ゆっくりと休んで」

「……ザラ」

「何?」

「ありがとう。それと、ごめんなさい」

「もう、また謝って……。いいのよ、レオナが元気になってくれるのが一番なんだから」

 

 握られた手に少しだけ力を込めると、ザラは応えるように握り返してくれる。

 それがたまらなく嬉しかった。

 

「……ほんとうに?」

「えぇ、勿論よ」

「そっか……」

 

 安堵の溜息が漏れた。

 

「ほら、目を瞑って」

 

 促されるままに瞳を閉じると、暗闇が訪れる。

 意識が少しずつ遠のいていくが、それでもまだ眠りたくないという想いが強く残った。

 ザラが傍にいるだけで、こんなにも落ち着いて過ごせるとは。

 

「おやすみ、レオナ」

 

 ザラの言葉を最後に、私は静かに目蓋を閉じた。

 微睡んだ世界に意識が溶け込む中、額に柔らかい感触を覚える。

 これは夢なのか、現実なのかわからないけれど。

 ただ一つ言えることは、……だということだった。




誕生日なのに風邪話でごめんよぉ。
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