荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
藍色の空と有明の空が交じり合う、ブルーモーメントと呼ばれる時刻を迎えた頃、僕はひっそりと病室から抜け出し、車椅子に背中を預けたまま、空を見つめていた。
"穴"の出現を観測して以降、様々な変化が起きたイジツだが、この時間帯だけは変わらない。
雲も、風も、鳥も、空を飛ぶ飛行機さえも、何もかもが同じで安心する。その景色は、今日も変わらずイジツに夜明けが訪れた事を教えてくれていた。
「"穴"はどうして現れるのだろうか?」
あの時、"穴"を発端とした争いの光景を思い出し、僕自身が見聞きした歴史や記録に照らし合わせてみても、あのような大規模な戦闘がイジツで起きたのは、リノウチ大空戦とイケスカ動乱だけであり、それ以降は記録に残されていない。
それ以前も小規模のものならいくつかあったようだが、規模はそれほど大きくはなかったはずだ。
何故、"穴"が出現するのか。そして"穴"の向こう側にあるのは、一体何なのか。
もし、本当に"ユーハング"が実在しているとしたならば、僕達は、どうすれば再び彼らと出会えるのであろうか。
そんなことを考えていると、僕の視線にケイトの姿が映り、彼女に手を振った。
「やあ、ケイト。おはよう」
「おはよう、アレン。病室に居ないので探した」
「ごめんごめん。でも、僕の居そうな場所は、ケイトならすぐに見つけてくれると思ってね」
「……ん」
「ありがとう、ケイト」
僕の感謝の言葉に、照れ隠しのためか車椅子の後ろへ回り、ゆっくりと押してくれた。
彼女の小さな手から伝わる優しさに、心まで温かくなっていくような感覚を覚える。
「アレン、出発まで時間がある。眠くはないのか?」
「いやぁー興奮しているみたいで、全然眠れそうになくてね」
「……」
そんな僕に呆れているのか、ケイトは沈黙を保ったままベンチのある場所へと車椅子を移動させ、二人並ぶようにして座る。
「アレンの事だから、作業に没頭していると、ケイトは考慮した」
「ははっ、確かにそうだね。否定はしないよ」
ケイトの指摘は当たっている。
実際、前回開いた、"穴"を観察する際には、迅雷ちゃんにかなり無理を言ってお願いし、"穴"の間近を飛行してもらった。
彼女は、「ヤバイって! 吸い込まれるよ!」と叫びながらも、持ち前の操縦技術を駆使し、僕の要望にキッチリ応えてくれる辺りは、流石である。
「キリエが言っていた。"穴"から僅かに声が聞こえたと」
「偶然、無線の周波数がかみ合ったんだろうね。残念なことに、僕にはよく分からなかったよ」
「複数の声が聞こえ、一つはフクセンの声に良く似ていた。と」
「おや? もう一人、良く似た人物が居たはずだけど?」
「そちらについては、禁句である」
「おっと、これは失礼」
それもそうか。似ているというだけで、彼女の矜持を傷つけるような真似をするのは良くない。彼の場合は……皆と喋る機会が増えた。ということで。
"穴"に関して調べていく上で「似て非なる者」と「そっくりさん」の違いについても興味が出てきた。機会があれば調査したいところだけど……。今は目の前の事に集中しよう。
それにしても、まさか無線を通じて"穴"の先にいるであろう人の声が、聞こえるとは思わなかった。
もしも、これを再現することが可能であれば、僕達にとって非常に大きなアドバンテージになる。
"穴"は人の想いが生み出すのだとしたら、人同士を繋げる橋となる可能性だってあるのだ。
研究者として、それだけに頼り切るわけにはいかないのも事実なのだが、一個人として考えるのは自由だと思っている。
「アレン」
「うん? どうかしたかい、ケイト?」
「今回、用意した装置で何をするつもりか?」
「ケイトは知っているかい? 昔、イジツにあった海を利用した通信方法を」
「装置から察するに、ボトルメールだと想定される」
「さすがはケイト。正解だよ」
前回の反省を生かし、安全対策に万全を期すため、いつかの為に用意を始めたばかりの装置。
飛行船を浮かべるのと同じ原理が使われた物に、無線機を搭載し、そっと"穴"の中へ放り込んでみる。
これが要因で、"穴"の消滅を引き起こす可能性も、無きにしも有らず。
ただ、"穴"の先にいるであろう、どこかの誰かと交信できたらなぁ。なんていう願望もある。それが叶うかどうかは別問題だが。
その為、今回は地上から"穴"を観察できる距離で待機しつつ、合図があるまでは近づかない予定だ。何か異変が起きれば即撤収する予定となっている。
ちなみにだが、オウニ商会を含め、コトブキ飛行隊には既に説明済みであり、理解をしてもらっている。
「無事に届いてくれると良いなあ」
「ケイトとしては、急ごしらえの装置を、"穴"に投入することが出来るのか、疑問が残る」
「そこはほら。なんとかするしかないんじゃないかな?」
僕の言葉に、ケイトは諦めのため息を吐いた後、「仕方がない」と言いながら立ち上がる。
「集合時間まで、まだ時間がある。可能性は少しでも高い方が良い。今のうちに調整をしておくのも悪くないと、ケイトは提案する」
「賛成だよ、ケイト。手伝ってくれるかい?」
僕の提案に小さく首肯すると、ケイトは再び僕の車椅子を押し始めた。
「装置の仕組みを理解すれば、改善点が見えてくるはず。そして、それを解決できれば、より確実な方法を選択出来るかもしれない」
「そのとおりだよ、ケイト。時間が足りない中でも、最善を尽くすのがベストだろうね」
「一度で成功させるのは、困難を極める。実験を繰り返す必要がある」
「今回の方法だと、一つ一つ試していくしかなさそうだね。天候、風速、飛行物体などが、"穴"に与える影響を調べておくのも必要かもしれない」
「こちらでも可能な限り、記録を残しておくことにする」
「ありがとう、ケイト。よろしく頼むよ」
「任せて、アレン」
いつもどおりに淡々と言葉を口にするケイトだが、彼女の優しさを感じられる。
兄として、妹の成長は喜ばしい限り。ただ、ちょっとだけ寂しい気持ちにもなるのは、複雑な気分だったりする。
気が付けば、ブルーモーメントは終わりを告げており、徐々に朝日の光が強くなっている。
この方法で、僕が立てた幾つかの仮説を証明できるかどうかは、分からない。
しかし、仮に証明されたとすれば、それはイジツの歴史において大きな変化をもたらすのは、間違いない。
少なくとも、僕達の知らない何かに辿り着けるのは、確かだ。
それが吉と出るか凶と出るかは分からないが、"ユーハング"に繋がる道が開ければと思う。そして──―
「もし仮に、無線が通じた場合は、やっぱり"はじめまして"かな?」
「成功を前提とするならば、"こんにちは"が妥当ではないかと、ケイトは推測する」
「"はじめまして"」
「"こんにちは"」
そんな挨拶を交わすことが出来たならと、思わずにいられないのであった。