荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
庭先に寂しく枝を伸ばす一本の大樹。
いまは寂し気に、ただそこに存在しているだけである。
いつの頃からでしょうか、この子が花を咲かせてしまわなくなってしまったのは。
わたくしは庭先に咲く桜の花が好きだった。
毎年、春になれば綺麗な桜色の花をつけて咲き誇る優雅な姿を楽しみにしていたものです。
けれど樹齢を重ねたその木は、わたくしが幼い頃からもう何年も花を咲かすことはなく、最近ではすっかり元気をなくしてしまっている様子なのだ。
この屋敷の庭に一本だけ残った、先祖代々から伝わる桜の木。
昔から大切に育ててきた、わたくしの思い出が詰まった大事な宝物のような存在だ。
どうかまた、満開の美しい姿を見せてほしい。
わたくしはただそれだけを願い、独学で手入れを学びながら世話を続けている。
「きっと、いつか」
ぽつりと呟いてみても、虚しく空気に溶けていくだけで返答はない。
それでもわたくしは、信じて待つのだ。
いつまでも、どこまでも、気長に、ゆっくりと。
あの、懐かしい花が咲く日を待ち続けるのだ。
長きに渡る、終わりのない挑戦の始まりでもある。
◇◇◇◇
それは幼き子供であったわたくしが一人の少女にまで成長し、学校へと通うようになった時のことであった。
全寮制であるお嬢様学校に入学したことで、わたくしには一人のルームメイトができた。
彼女は常に笑顔で穏やか、それでいてどこか愛嬌があり、誰にでも好かれるような魅力のある少女だ。
彼女の名前は「タミル」といい、わたくし達はすぐに意気投合した。
互いに知らないことを教え合い、一緒に勉強したり、お菓子を作ってみたり、楽しく学生生活を過ごすことができた。
そんなある日のこと、彼女に呼ばれて訪れた場所は学校の敷地内にある図書室での出来事。
そこでタミルが見せたのは一冊の植物図鑑であり、開かれたページに書かれていたのは、 【ソメイヨシノ】と銘打たれた、古い時代の桜の木々の写真であった。
「すごい……」
思わず感嘆の声を漏らしてしまうほど、わたくしは驚きを隠せなかった。
そこにはかつて幼い日に見た姿そのままの、満開の花びらをつけたソメイヨシノの姿が連ねる様に写っていたのだから。
まるでこの世の物とは思えない程の感覚と錯覚を覚えるほどに、懐かしく、美しく、輝いていた。
「タミル、これは現実なのですか? まさか本当に?」
そう問いかけずにはいられなかった。
それほどまでに、わたくしは目の前の光景に心を奪われていたからだ。
すると彼女はいつものように微笑みながら言った。
「ええ、本物ですわ。この本自体はユーハングの置き土産みたいですから、残念な事にイジツで撮影されたものでは無いようですけれど……」
そう言いながら別の本から取り出した一枚の写真をわたくしの手の上に置くタミル。
写真の中には大きな幹を持つ大木が映っていた。
「こちらはイジツにいらっしゃるとある植物学者によって管理されているソメイヨシノの記念樹と書かれておりましたの。同じ時期にユーハングから植樹されたであろう個体も、もしかしたらまだ存在するかもしれませんね」
確かにその文章の通りならば、ソメイヨシノはこちらの世界でも絶滅することなく生きていることになる。
しかし……。
「この方のソメイヨシノは、どうしてこんなにも綺麗に育っているのでしょう?」
「その方法をお聞きしてみるのが、エンマの目標を達成するための近道かもしれませんわね」
そう言って笑うタミルの顔は晴れやかで、とても眩しかった。
◇◇◇◇
それからわたくし達は、時間を見つけては図書室に籠もり、文献を読み漁り、関連する資料を探し求めた。
幸いな事に、タミルから手渡された写真の裏側にはお名前が書かれており、その方が書かれた論文まで見つける事が出来た。
そこからはあっという間であった。
調べれば調べる程、植物の生命力の強さ、環境への適応力、そして愛情深さを知ることになったのだ。
その過程でこのお方がいらっしゃるであろう住所を知る事が出来たわたくしは、知恵をお貸しして頂けるようお願いをする為、手紙をしたためることにしたのだ。
「良い返事を頂けるとよろしいですわね、エンマ」
「ありがとう、タミル。貴女のおかげですわ」
「いいえ、私は何もしていませんわ。ただ、偶然見つけただけですから」
謙遜する彼女であるが、今回の事で彼女がいなければここまで来ることは出来なかっただろう。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
「……そうですわ! せっかくですから、お茶会などいかがでしょうか? 頂いた良い紅茶の葉があるのですけれど」
「まあまあ! それは楽しそ……んんっ、素敵ですね。是非とも参加させて頂きますわ!」
つい本音が出てしまったのか、咳払いをして誤魔化す彼女にクスリと笑みをこぼしつつ、準備に取り掛かる事にした。
そうして始まった二人の秘密の女子会は、夜遅くまで続いたという。
◇◇◇◇
──しばらく経ち、遂に待ち望んでいた日がやってきた。
例のお方から手紙の返信が届いたのである。
部屋に届けられた封筒に書かれている宛名を見た時には、わたくしは嬉しさのあまり飛び上がってしまったほどだったのだが……。
『拝啓、エンマ様。
貴女様の熱意溢れる文面に対し、祖父に代わり感謝の意を示します。
その為、貴方様には伝えておかねばなるまいと判断し、こうして筆を取らせて頂きました。
大変申し訳ありませんが、私には貴女様が望むような協力は出来ません。
何故なら、学者であった祖父は既に他界しており、私も自由に動ける身ではなくなったからです』
(……え?)
期待に満ち溢れていた気持ちは一瞬で凍り付き、目の前が真っ暗になった。
隣にいてくれるタミルも、今は言葉を発する余裕すら無いようで、無言で俯いている様子だった。
それも当然である。
何せ期待していた事が打ち砕かれてしまったのだから。
喪失感に苛まれ、絶望に打ちひしがれるわたくし達であったが、手紙にはまだ続きが書かれていたことに気が付いた。
『ですが、私が祖父から受け継いだ研究ノートやメモ書き等は残されております。
現地へと足を向ける事は出来ませんが、私の知る限りの知識や情報を提供することは出来ますので、何かお役に立てることもあるかと思います。
もし興味がありましたら、同封しましたメモ書きに目を通してみてください。
それでは、また』
「あ……」
わたくしは再び込み上げてくるものに胸が熱くなるのを感じた。
先ほどとは違う感情が胸に広がっていくのが分かった。
「ありがとうございます……!」
わたくしは顔も名も知らぬ方へ向けて深々と頭を下げて、心からお礼を述べたのだった。
◇◇◇◇
その後、送られてきたメモ書きを確認してみると、中には植物に関する基本的な知識はもちろん、土壌や気候、地質といった基礎的な知識に加え、様々な品種の特徴や栽培方法などが事細かに記載されていた。
更に、過去の戦争や自然災害による影響についても考察されており、それに対する対策案なども提案されているようだ。
どれも非常に興味深い内容であり、まさに目から鱗が落ちる思いだった。
「これをお書きになされた方は、植物を愛でるだけでなく、イジツの自然環境を守ろうとお考えなのですね」
「素晴らしい御方だと感じますわ。きっと植物について誰よりも深く理解しているからこそ、こうした知識を得ることが出来たのでしょう。敬意を表したいですわ」
そう話すタミルは笑みを絶やさずにこちらを向いている。
わたくしも同じ気持ちであり、自然と口元が緩んでしまうのを抑えられない程に心が満たされていくのを感じた。
「ふふ、タミルのおかげで素敵な出会いがあったのですから、感謝しなければなりませんね」
「まあ、それは光栄ですわ」
冗談めかしてそう言うと、彼女も笑って応えてくれた。
さて、早速取り掛かろうではないか。
この機会を逃すわけにはいかない。
わたくしは、あのソメイヨシノを再び満開に咲かせるのだ。
必ず成功させる、わたくしは改めてそう心に誓った。
「その為にも初めの一歩を踏み出さなければいけませんわね。何から始めたら良いか、メモを参考にしながら計画を立てなければなりませんね」
「まずは地盤作りと書かれてますわ。現地の土壌を調べ、必要な栄養素などを割り出し、肥料の配合量を決める必要があるかと存じますの」
「なるほど……」
タミルの意見を聞いて、わたくしは頷きながらペンを走らせる。
一つ一つの情報を丁寧に整理していくことで、どのように動けばよいのか少しずつ輪郭が見え始めてきた気がする。
その最中、タミルが驚くように声を上げる。
「あらっ?」
「どう致しましたの、タミル?」
「ソメイヨシノの保存状態によっては、剪定の必要もあるとありますわ」
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言う諺があるにも関わらず。ですの?」
「はい、そう書かれていますわ。一般的な考え方では諺の通りのようなのですが、枝を見極めた上で病気になっているもの、中が空洞化しているものは除去する必要があるようですわね。それらを取り除くことで、先を見据えながらじっくりとお付き合いが出来るようになるようですわ」
「……やはり素人では難しいものなのでしょうか?」
不安げな表情を見せるわたくしに、タミルは自信ありげに胸を張る。
「心配ありませんわ! 私達には『先生』がおりますもの! きっと上手くいきますわ!」
「先生? どなたの事ですの?」
「いつまでも名無し様では相手に失礼でしょう?」
そう言って読み上げていたメモをこちらに差し出しながら微笑んだ彼女の言葉に納得しつつ、わたくしも笑みを返すのであった。
◇◇◇◇
そして月日は流れる。
あの時、タミルが言っていた通りソメイヨシノとの付き合いは長いものとなった。
わたくしが学生を辞め、飛行隊に所属し、雇われ用心棒として働くようになった後も、タミルや『先生』との関係は変わらずに続いている。
あれから、わたくしは幾度となく先生にお知恵を拝借してきた。
先生からすれば質問攻めをしてくる厄介な生徒程度にしか思っていないかもしれないが、わたくしを見捨てることなく、常に親身になって話を聞いてくれた先生の優しさには感謝しかない。
そんな先生とわたくしの不思議な交流は、環境や立場が変わった今でも生活の一部となっているのだ。
「ふう……今日の分はこれぐらいで十分かしら」
「エンマもマメだよねぇ。よくそんなに熱心に手入れが出来るもんだ」
「桜泥棒でさえ綺麗だと言うほどのですもの。その美しさに魅せられてしまったのですよ」
「うぐっ、まだそれを引きずるのかっ!」
からかうように言うとキリエは恥ずかしそうに顔を背けるが、それがなんだか面白く感じてしまう私である。
土埃を払い、手を洗うとキリエの座るテーブル席に腰を下ろした。
目の前に置かれた空になっているカップに紅茶を注いでいると、風に乗って花弁が一枚流れ込んできた。
それは間違いなく、庭先で咲き誇るソメイヨシノのものである。
「お誕生日おめでとーだってさー」
「あら、キリエってばいつの間に植物と会話が出来るようになったのですか?」
「違わい! この手紙に書いてあるの!」
「そうでしたの? てっきり本当に会話が出来るのかと……」
「そんなことあるわけないし まったくもう……!」
顔を赤くするキリエだったが、やがて溜息を一つ吐くと、こちらを見て笑みを浮かべた。
その表情はとても穏やかなものだった。
「……誕生日おめでと。ありがとね、いつも傍にいてくれて」
ポツリと零されたその言葉は小さくて聞き取りづらかったが、確かにわたくしの耳に届いた。
だからわたくしはこう答えたのです。
「どういたしまして、ですわ」
わたくしはこれからも、あの桜を咲かせ続けたい。
ソメイヨシノが運んで来てくれた出会いと共に、いつまでも、どこまでも、大切に守っていきたい。
キリエが読んでいた先生からの手紙には、いつも通りの「またね」の文字に足されてこう締めくくられていた。
──『桜咲く時、春告鳥が啼き渡る』