荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
羽衣丸内部に併設されている乗務員部屋の一室、二段ベッドの上でワタシは横たわりながら、壁に描かれた自作のウーミを見つめながら思った事がある。
海はとても遠い存在。
この世界、イジツには海が存在しない。
本で読んだ言い伝えでは、大昔にワタシ達が住む世界の底が抜け、海が全て流れ出されてしまった。と記されていた。
「……海ってなんだろう?」
誰に伝えるでもなくワタシがポツリと呟くと、少し経ってからベッドの下から淡々とした口調で答えが返ってきた。
「海、陸地以外の部分で、海水に満たされたところを差す」
「それは海のウーミを読んだから、なんとなく想像は出来るんだけどさー?」
声の主を確認する為、ワタシは身体をベッドからはみ出る様に乗り出して下を覗き込む。
そこには手元にあるノートに何かを書き込んでいる灰色の髪をした女の子が、壁に背中を預けた状態で存在していた。
「でも、それってユーハングだったり、お話の存在であってイジツには存在しないじゃんか。ケイト」
天井の明かりが光源となっている部屋の中、ワタシはケイトに話しかけた。
彼女はゆっくりと顔を上げ、視線をコチラに合わせる。
「ユーハングから海の存在が伝えられ、イジツに情報が残されたという事実。その言い伝えや話が何処まで正確であるかは不明」
「むー! それじゃ想像上の存在と変わんないじゃんか?」
ケイトの回答にワタシは不満気に頬を膨らませて、小さな抗議をした。
すると、彼女は感情の籠らない声で返事をする。
「大昔の言い伝えとユーハングより伝えられた情報、偶然が重なって広まる。海を見た事がない人物が信じる可能性と、知る人物が口にする確率を考えると、殆どゼロに近い」
「だったら、やっぱり無いじゃんかー!」
先程より大きな声でワタシが不満を爆発させると、ケイトはこちらをじっと見つめながら静かに問い掛けてきた。
「チカはイジツの海を確かめたいか?」
「そ、それは知りたいし、確かめたいけど……無理でしょ?」
ケイトの問いにワタシは顔をふいっと背けながら答えるが、彼女はこちらへ来るようにと手招きをしてきた。
それに従い、ワタシは二段ベッドを下りてケイトの隣まで移動した。
そのまましゃがみ込んで彼女の横顔を見つめると、ケイトは小さな声で言った。
「一度、ケイトと情報の整理をしてみよう」
「うん? う、うん」
思わぬ申し出に、ワタシは間の抜けた返事をしていると、ケイトからノートと筆記用具を渡された。
「ケイトは文字に書き出して思考する。チカは絵に描いて想像をするのが効果的と判断」
「分かった!」
そう言ってワタシは渡されたノートを開き、ベッドの上でうつ伏せになった状態で頭の中にある海のイメージを絵に描いていると、こちらをジッと眺めてくるケイトの視線を感じたので、今度はワタシが手招きして隣に来る様に促す。
少し驚いた表情を浮かべた彼女は無言のままワタシの隣まで移動すると、同じようにうつ伏せになってノートを開く。
時折、足が畳まれたり、伸ばされたりを繰り返されてゆらゆらと動く足は、まるで海を泳ぐかの様で少し面白い。
「にっしっし、なんかこういうのって良いよね」
「ん、悪くない」
お互い見つめ合いながら少し笑い合うと、ワタシはさっき考えていた事を話し始めた。
「あのさ、イジツの海って底が抜けたせいで消えたんだよね?」
「言い伝えでは、そう記録されている」
「色々なものを見てきた今だから思うんだけど、言い伝えに残されてる底って表現は、やっぱ『穴』の事を指してるんじゃないかな? 本当に地面の底が抜けて海が無くなったなら、イジツのご先祖様たちでも生き残れないっしょ?」
ワタシはそう言いながらノートに絵を描き始める。
「言い伝え通りであれば、人はおろか、生物全体の危機が訪れたとされ、生存は絶望的であったと考えるのが自然である。けれど、ケイト達は今もこうして存在している。事実は消えない」
「なんだかんだでマロちゃんも生き残ってるもんねー。こういうのって何て言ったっけ? トクベツヘンタイ?」
「突然変異。常軌を逸する異質な存在、または進化の事を指す。欠かせない存在」
「それそれ。なかなか言い得て妙だよねー。ワタシ達は今を生きてます! って事で、取り敢えずこの疑問は置いておくとして!」
ワタシがご先祖様の話を逸らすと、ケイトは頷いて口を動かす。
「岩塩の存在や地層調査などから、過去に海が存在していた事は証明されている。ただ、なぜ今は海が存在しないのか。イジツの海が消失する原因である底の正体。それをケイト達は把握できていない」
「……もしかしたら、まだ誰も辿り着いていない未開の大地がイジツにあるのかも?」
思い付いた事をワタシが言うと、ケイトはノートに文字を書きながら首を横に振る。
「情報が不足。ユーハングでも辿り着けなかった土地を、イジツに生きる者が開拓するのは非常に困難。運よく到達出来たとしても、その事を誰かに伝えるのは、なお難しい」
「あー、そっかー。確かにそうだよねぇー……なんかフワフワした感じで言っちゃったけど、冷静に考えるとケイトの言う通りだよね」
「チカらしい柔軟な考え方。ケイトは羨ましく思う」
お互いに手を止めて、ワタシとケイトは顔を見合わせると、笑いが込み上げてきた。
ワタシが声を大きくして笑うと同時にゴロンと仰向けになった。
視線の先にはベッドの天井が映り、それを眺めながら思った事を口にする。
「『穴』ってさ、空以外で開いた事ってあったっけ? 地上で開くのは聞いた事も無い気がするけど?」
「アレンの調査においても、『穴』の出現する兆候と実際に開いた位置は、上空の傾向が高く、陸地に発生する事例は確認されていない」
「そうなると、底イコール『穴』っていうのは無理かぁー」
暫く考え込んだ後にワタシが落胆した声を漏らすと、以外にもケイトが否定をした。
「そうとも限らない」
「え? 何で? 否定されたばっかだよ? 地上で穴が開いたのなんて聞いた事ないって?」
「確かに。だが、それは現在のイジツの大地を基準とした標高や高度での話である」
「どういう事?」
ワタシが疑問符を浮かべると、ケイトは更に言葉を続ける。
「海が存在した時代、ラハマがある荒野は海の中にあった」
「断言するって事は、何かカクシンがあるの?」
「ん、知識」
ケイトはそう言って小さく頷きながらペンを走らせた。
「ラハマの名産品である岩塩は、この土地に残された海水が長い年月を掛けて浸透し、堆積して出来た岩石が結晶化したものである」
「よく分かんないけど、つまりイジツには海があったのは当たり前ってカンジ?」
「その可能性は非常に高い。ただし、塩が結晶化するまでにどれだけの年月が必要かまでは未知数」
ケイトから教えられた事を頭の中で反芻して理解しようと試みるも、ワタシの頭では難しすぎてこれ以上は無理そうだ。
「まあ、塩の事はともかくとして! 問題は底だよ! ソコ! 底の謎!」
「以前、ラハマに『穴』が開いた時の事を覚えているか?」
「イサオがラハマを爆撃しようとした時の事だよね?」
ワタシの言葉にケイトが頷き、語り始めた。
「ラハマで発生した『穴』は、富嶽によって発生した衝撃により崩壊。それと同時に大規模な爆発と吸引が始まった」
「あの時はヤバかったよねー、機体ごと持っていかれそうになったもん」
ラハマの上空に突如現れた『穴』は、富嶽が引き金となって様々な現象を引き起こし、機体がバラバラになるんじゃないかという不安感をワタシ達は味わった。
それでも墜落しなかっただけ、運が良かったと思う。
「その時に発生した『穴』は、富嶽がラハマへ爆撃を開始する為の高度と同程度。低空に位置していた」
「アレ、そんなに低かったんだ? 大きかったからもっと高空にあると思ってた」
「地上にいた人でさえ吸い込まれそうな感覚があった程。アレンが言っていたので間違いない」
ワタシの疑問にケイトは淡々と答え、続けて補足もしてくれる。
「再び海の話へと戻す。ラハマがまだ海であった頃、仮定として同位置同規模の『穴』が発生していた場合は?」
「……開いた『穴』に水が吸われて、海がなくなる?」
「肯定。イジツに異常をきたす程の膨大な力。それは自然現象に介入し、水上竜巻などの気象現象を引き起こした可能性もある」
「水の竜巻!? そんなの起きたら海にいた生物まで全部丸飲みにされちゃうよ!?」
あまりにも壮大すぎる話にワタシが声を上げると、ケイトはノートに何か書き始めた。
そして、書いた文字を見せるように指でトントンと叩きながら、彼女は口を開く。
「そう、丸飲み。飲み込まれて消滅、誰も助け出す事はできない。自然の力には到底及ばない。人間を含めた生物は、海に頼らない進化を遂げる必要に迫られた」
「でもさー、そんな簡単に変われないよね? 進化って言葉で簡単に纏められるけどさ、実際そうなるのは時間掛かるっしょ?」
「チカの言う通り、容易な進化ではない。しかし、人は知恵を後世に託し、種を残す。そうして環境に適応した人が生まれては消えていった。時間は掛かるが、それを継続すれば不可能ではない」
「うー、最初に想像していたよりも、途方もない展開になってきた。ケイト、頭がパンクしそうだよ。頭痛いー」
ワタシはそう言いながらケイトに抱き着く。
一切の抵抗を感じさせない彼女は、優しくワタシ抱きしめ返してくれた。
お日様の匂いがして、とても心地良い。
「この話は、あくまでチカの話から推測に推測を重ねて辿り着いたもの。まだ全てが解き明かされた訳ではない。他に間違いや気づいた事があれば、些細な事でもケイトに話して欲しい」
「りょーかい! でも一つだけいい? ケイト?」
「何か?」
疑問を浮かべるケイトに、ワタシは胸を張って答える。
「これはワタシとケイトで考えたお話だよ! 正解じゃないかもしれないけど、嘘でもない! ホントのお話!」
ワタシがそう言うと、ケイトは少し驚いた表情を浮かべてから、納得した様に小さく頷いた。
「……ん、そうか。そうかもしれない」
「でしょ? 心に王宮を建てるのって大事!」
自然と笑みが零れるワタシに、ケイトも小さく微笑むと、少ししてからボソッと小声で呟いた。
「とても楽しい。嬉しい。至福」
「うん! 一人よりも二人の方が絶対楽しいし! 共感出来ると嬉しいし! 幸せだよ!」
そう言ってからワタシは再びケイトの胸に顔を埋めて、体を預ける。
彼女の鼓動と温もりがワタシに伝わってきて、安心感を覚えた。
「感謝する、チカ」
「それはコッチのセリフだよ! ありがとね! ケイト!」
ぎゅーっと力一杯ケイトを抱きしめて、感謝の言葉を口にすると、少ししてから彼女の方からも同じくらいの強さで抱きしめ返してきた。
それから暫らくして離れた後、ワタシは起き上がってケイトの手を掴む。
「それじゃあさ! サルーンに行って発表会だ! どうせキリエなら暇そうにパンケーキでも食べてるでしょ!」
「チカ、心の準備をする時間が欲しい。ケイトは王宮初心者なので他者に伝えるのは……」
「だめ! 思い立ったがキチジツ! さ、早く行こう!」
戸惑うケイトの手を引いてワタシは部屋を出て行く。
きっと、この瞬間の幸せを楽しいと思える気持ちを忘れずにいられるなら、それは本当に幸せな事だと、心の底からそう思った。