荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
「せんちょーいるー? っていないし」
船長室の扉をノックしても返事がこない。恐る恐る開いてみれば部屋の中はもぬけの殻。
本来なら船長が居るはずの場所には無人の椅子、そこへ制服が大雑把に掛けられていた。だらしないなぁ。
誰もいないのなら気を遣う理由もない。伺う様に丸めていた身体を元に戻し、堂々と部屋の中へと入室する。
部屋の主が不在でも船長室への入室が許可されている飛行船はイジツを探してもここぐらいだろう。そういう意味でも相当な変わり者だと思う。
察しが良い人ならお分かり頂けるように、いま私がいる飛行船は第二羽衣丸ではない。
「船長がどこからともなく連れてきた人達に最初は驚かされたなぁ」
コルクボードに貼り付けられている写真を見つけ、当時の事を思い出す。
イケスカ騒動と名付けられた戦いの後、増え続ける空賊に対して各町が連携を取り合い、一つの決断を下す。
長距離飛行が可能で戦闘機を収容する事が出来る飛行船を母艦とした、対空賊用に特化した部隊の設立だ。
イヅルマから最新鋭の飛行船とそれを動かす為の人員が提供され、他の町からは契約を結んだ飛行隊や自警団、アレシマ航空運輸局の認可が下りたフリーランスの人達もかき集め、各地で起きる騒動に対応する。といった形だ。
だが、この部隊を設立するにあたって問題が発生した。責任者の存在だ。
イジツを守るという途方もない重大な責務を背負い、戦闘機乗りという荒くれ者達を率いる事が出来る人物が果たして見つかるのかと。
「そんな人、本当にいるのかなぁ?」
「無理じゃない? やる気のあるオッサン達はいても現状は実力が伴わないのが大半だし」
「チカ。もう少し言葉を慎みなさい。彼らなりに日々切磋琢磨と鍛錬に努めているのですから」
「あの騒動後、自分達の力で町を守るという明確な意思を持ち始め、行動に移せる様になれた事は評価すべき。ただパイロットと船長では役割が違う」
そんな事を羽衣丸でチカやエンマ、ケイトと共に話をしていた。きっと有耶無耶になって終わるんだろうなと、その時は思っていた。
ある日、ラハマで行われた各町の代表者が集う会合で、とある人物が紹介された。見つかるはずのないと思っていた船長を務める事になった人物である。
その反応は様々。ある人は浮かれ、ある人は渋い顔をしていた。
けれど他に人材がいない事も事実なようで、部隊の設立は着々と行われ、あれよあれよという間に発足の日を迎えた。
「一体誰なんだろうね。空賊からイジツを守ろうって最初に言い始めた人は」
視線を動かせば写真の数々。それこそボードが埋まりきる程に。
写真の構図は見事にバラバラでみんな自由気ままに過ごしている姿が写し出されている。
この飛行船内で起きた出来事、停泊した際に町へと繰り出した時の一コマ、騒動が起きた後も変わらず毎日が空戦の日々を送るイジツの風景。それとアノマロカリスを見つめている船長の姿。気にしたら負けなんだろうなぁ。
でも共通している部分がある。みんな笑顔だ。なんだかんだとありながら、飛行隊も自警団も、怪盗団もマフィアも、フリーランスから取材に来たはずの記者と一緒にやってきた子たちまで、この生活を楽しんでいる事は間違いない。
一人で腕を組みながら納得するように頷く。そういえば船長に会いに来た理由を忘れてた。
マダムから渡された一枚の請求書。金額に目を配らせれば、これ一枚で大金が移動するのだから、私じゃなくてレオナに任せれば……と思ったけど駄目だった。
船長とレオナは昔からの知り合いらしい。それもレオナが恩人だと言い張る程に。船長も序盤からお世話になっていたとか言ってた。なるほど、分からん。
二人には何かがあって、その影響でレオナは船長を前にすると極度に緊張してしまう。目の前にあるボードにも引き攣った笑顔でレオナが船長と握手を交わしている写真があるぐらいだ。
こういった姿を実際に見ると、私はまだコトブキのみんなについて知らない事の方が多いんだと実感する。
「本人に直接手渡せって言われてるけど、いないし」
仕方ない、椅子にでも座ってしばらく待つか。
預かってきた請求書を机の上に放り投げ、椅子に掛けられた船長の制服をコートフックに掛けようと思い手にした瞬間、何かを感じとる。
臭うのかな? 制服に鼻を近づけて嗅いでみたけどそんな事は無く、むしろ妙に落ちつく。昔、似たような経験があったような……?
何か匂いの元でも入っているのかと思い、制服を手荒く動かしてみるがそれらしき物は見つからず。見上げるように掲げた制服から両手を離し、顔で受け止めてみる。
何処にでもありそうな制服なのに。その制服からは私の心を落ち着かせる不思議な匂いがする。そして懐かしいという感情が体中から溢れてくるのが分かる。
ここで自分を押さえつける事が出来ればよかったものの、次第に頭はぼんやりとし始め、身体が勝手気ままに動き出した。
皺になるのではないかと思うぐらい制服を抱きしめ、匂いを求めるように顔を埋める。
それだけに飽き足らず、仕舞には服の上から船長の制服を羽織っていた。そこからは船長の温もりがまだ感じられた。
袖を通した腕を伸ばしてみるが、私の腕の長さでは指先が少しはみ出るぐらいだ。
「やっぱり大きいんだなぁ、船長って」
そのまま袖口を掴み、椅子へもたれるように腰を掛ける。私の身体では持て余している制服が、私の身体を包み込むような状態となり、残されていた温もりと心地よい匂いにより急激な眠気に襲われる。
心が安らかになる感覚に浸りながら、瞼は徐々に下がり、やがて閉じられる。部屋に居なかった船長が悪いんだと理由を決めつけながら。
意識が無くなる寸前に、ようやく気が付いた事がある。
「あぁ、そっか。大きくて、暖かくて、こういう風に誰かに寄りかかれた相手って……」
答えを口から出し切る前に、私の意識は現実から切り離され、眠りについた。
私の大切な人との思い出に浸りながら。