荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
あれからどれ程の時間が経過したのだろうか、無気力で自堕落なケイトは今日もこの部屋に訪れる人達の視線を浴びる。まだ誰も来ないけれど。
絶望を感じている最中、お腹は小さく鳴る。このような状況でも身体はまだ生を求めている様だ。折角、誰もいないのだからもう少し気合の入れた鳴り方をしても良いだろうという理不尽な怒りが湧いてくる。
その時であった。どこからともなくドタバタとした足音が聞こえ、こちらに誰かがやってくる。
「ケイト、まだ戻って来てないよね?」
「写真でも眺めているか船長に捕まってるんじゃない? キリエって妙なところで心配性だよね!」
「別にいいじゃん! 気になったままだとなんか落ち着かないんだよ!」
「はいはい、そういう事にしておこ!」
船長室の前に立つ二人。チカが扉に向けて盛大にノックをするが反応が返ってこず。
「という事は入ってもいいって事だよね、キリエ?」
「この船だけのルールだけどね。てか何で私に聞き返すのさ?」
「誰かさんが船長の椅子で寝てたって噂になってるから! しかもご丁寧に船長の上着を被ったまま!」
「あれはたまたまですー! 船長に直接渡せってマダムから言われてたから仕方なく待っていただけですー!!」
「へぇー! まっそういう事にしといてあげる!」
「んぐぐ……ただでさえ他の飛行隊の子から視線を浴びる機会が増えて大変なのに!」
キリエの発言を気にも止めずチカは扉を開ける為にドアノブを操作するが、開くはずの扉はびくともしない。
再びノックをして耳を澄ますと、何か物音が聞こえる。だが、あくまで物音であり誰かの声ではない。
「中に誰か居るっぽいんだけど返事がない!」
「扉の方はどうなの、開きそう?」
「んーダメだね、ビクともしないよ。おーい! 誰かいるー?」
「……音で返って来るって事は、助けでも呼んでるのかな?」
「んじゃさ! 羽衣丸の時みたいに通気路を辿って船長室に潜入してみよっか!」
「おっけー! 通気口がここから一番近い場所ってどこだろ?」
「私知ってるからついてきて、キリエ!」
そう言ってチカは走り出し、最も近いとされる位置に存在する通気口に向けてキリエと共に移動を開始した。
「チカとキリエが来た。これでケイトは救助される」
羽衣丸でも様々な場所に侵入してはマダムに叱られていた二人である。このまま大人しく待っていればケイトを発見してくれる事だろう。
チカの閃きと行動力に感謝を、キリエに対しては先程まで好き放題に感想を述べていた事を心で謝罪しよう。
ただ、今のケイトの姿を見つけ出した時、二人は何を思うのだろうか。そこだけはどうしても気になってしまう。
しかし、あの二人だからこそ見られても想定の範囲内で収められる。他者であれば対応に一苦労するであろう。
……無事に救出してもらったら、お尻運動を日課にしなくてはとケイトは誓う。その矢先の出来事であった。
通気路から誰かがこちらに向かってくる気配がする。チカ達はもうここまで辿り着いたのか。
正確、迅速、丁寧の三拍子。ケイトの中の好感度も跳ね上がりである。
真っ直ぐに伸ばしたままの両手の間から物音がする方向へ視線を向ける。
そこにいた人物は、チカでもキリエでもなく、船長の姿であった。
「船長、何故ここに?」
ケイトは何故ここにいるか? それは扉が開かなくて退出が出来なかったからである。非常時の際に非常口を使う事は何も問題ないとケイトは判断した。
確かに。そう言いケイトに同意するように頷く船長。理解が早くて助かる。
「船長は船長室に入れなくてこちらから来たのか?」
再び頷く船長。なるほど、ケイトが船長室に入れたのは偶然であったのか。この様な時に運を使わなくてもと船長は言い、笑う。
確かに。運頼みというのはケイト自身あまり好まないが、理解はする。
現状のケイトを救い出してくれるのは、運頼みでもあったからだ。
しかし……そう呟く船長にケイトは問う。
「何か問題……ケイトがここにいるせいで船長は室内に入れないという事か」
視線を再びケイトのお尻へと移す。わがままに育ってしまったせいで通気口がケイトのお尻に埋まるこの状況に溜息が漏れる。
だが、船長はその事を伝えたい訳ではない様だ。先程から無言でどこかを指差している。
「船長、言葉で伝えてもらわないとケイトには理解が……」
出来てしまった。決して認めたくない事実を知る事になった。
船長が指差す先にあるものは直角の曲がり角。その通路の先は、船長室に備え付けられているもう一つの通気口の存在を。
つまり、ケイトは本来、想定されている非常口からではなく日常で使用される事を前提に設置された通気口から船長室を脱出しようとしていたのだ。
情けない、あれほど準備を整え思考を重ねた結果の行動だというのに初手から間違いを起こしていただなんて。
再びケイトは無気力状態となり全身の力が抜ける。やはりケイトは船長室のインテリアとして生きていくのが相応しい。
ここへやってくるお客に対して話題の種を撒きながら船長の熱い視線を浴びて生きていくのが相応しいのだ。
ネガティブ思考の沼に嵌まり込むケイトを余所に、船長は室内へ。ケイトのお尻でも鑑賞するのだろう。
情けないケイトのお尻をどうか貶さず触らず、そっと見つめるだけでして欲しい。
「……船長?」
先程から妙な音が聞こえる。それもケイトの近くでだ。
物と物がぶつかり合い、力が加えられ何かが軋む音。
それを幾度か繰り返された時、不意にケイトの重心が足の方へと引っ張られる感覚を覚える。
船長から指示が出され、命令通り身体を船長室の方へと戻す。その際にお尻は一切の抵抗を覚えず、思い通りに身体を動かせた結果、船長室へと舞い戻る事ができた。
これは一体どういう事だろうか? 五体満足での帰還、生命の喜びも程々にケイトは自身の身体を調べる。
お尻に未だ通気口の枠が取り残されているのを確認でき、絶望が襲い掛かるところへ船長が道具を持ちこちらへとやってくる。
枠の角に道具を差し込み、ゆっくりとした動作で切り込みを入れた瞬間、枠が地面へと落ちていった。
自由、これはまさに自由というもの。ケイトにとっては初めてかもしれない経験。再びケイトはオウニ商会所属コトブキ飛行隊の隊員へと戻ったのだ。
「船長、ありがとう。このお礼は必ず」
顔の前で拒否する様に手を横に振る船長。逆にケイトの身体を心配するその言葉。人一人の人生を救い出したというのになんて謙虚な姿勢だ。ケイトの中で船長に対しての好感度が右肩上がりである。
破損させてしまった物を一旦部屋の隅へと移動させ、ケイトをソファに座る様に案内した後、紅茶を入れる準備を始める船長。
差し出された紅茶を船長と共に。普段よりも美味しく感じられるのは、特別な経験をした後だからだ。間違いない。
ケイトが何故、船長室に居たのかさえ問い出さない。むしろ何事も無かったかの様に振る舞うその姿にケイトは感動さえ覚える。
これが船長としての器。いや、船長だからこそ持ち合わせている器だ。レオナが尊敬しているのも納得してしまう程の衝撃と経験。
器物破損には触れず、ケイトの身を労わるだけで済ませようとする船長につい甘えてしまう。
この様な大人の男性と出会うのも初めてだ。どう対処すればよいのかケイトも迷うが、答えは明白であった。
笑ったケイトは可愛いね。
そう伝えてくれる船長の言葉に、微笑みで返せば良い事に。
「ケイト! 待っててね! 今向かうから!」
「中にいた人がケイトじゃなくて船長だったらどうする?」
「そんときは口止めとして何か奢ってもらお!」
「それじゃ私は船長お手製のパンケーキ!」
この話題に触れたらリガルの二の舞だと、船長は察した。