荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景   作:星1頭ドードー

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船長と巡り合い ヘレン

 ついに伝えてしまった。こんなにもあっさりと。

 まるで時の振り子が止まったような静けさの船長室で、私は自身の意思をなぞり、自身の発言を耳の中で反芻させる。

 長い沈黙の後、ようやく絞り出した声は自分でも笑ってしまうくらいに震えていた。

 

 恐らく今、私の顔は今まで生きてきた中でも最も間抜けな表情に見えているかも知れない。

 口はパクパクとぎこちなく動きながら、目尻からは涙がじわりと漏れていく。

 数年ぶりに、心に火を灯しただけで、直ぐに消えてしまう炎のような危うさで……そんな己の弱さを目の当たりにして……無性に悔しさが込み上げてくる。

 

 泣いてはだめだ、泣き虫船長。

 

「せんちょー、泣いてるの?」

 

 うおっ! と飛び上がりそうになる私の隣で、頭にハテナマークを浮かべている緑髪の美女が眠たげな表情で首を傾げていた。

 潤んだ目を瞬きで誤魔化してから彼女を見ると、私の背中をポンポンと叩く。

 

 まるで子供をあやすように接するその手の温かさが、今の私にとっては胸を締め付けられるような暖かさであり……どうしようもなく泣きたくなる感情が胸の奥からこみ上げてきてしまった。

 

「よく分かんないけど、泣くだけ泣いたら? 他の子はいないし」

 

 嬉しい事を言ってくれるがな、大人は泣くには覚悟が必要なんだよ、ヘレン。

 

「せんちょーって、大人だったっけ?」

 

 ……その発想は浮かばなかったが、子供に戻っても構わんのだろうか。

 文字通り気が緩んでしまった私は、ヘレンが差し出してくれたハンカチを受け取り目尻をそっと拭ってから返す。

 

「あ、それもう汚いから捨てていいよ」とか言われるのだろうか? などという心配も他所に、彼女は素直に受け取り、何かを考える様にじっとハンカチを凝視していた。

 それから暫くすると何か閃いたのか、クスッと小さな笑みを溢す。

 

「こっちに来て、せんちょー」

 

 という言葉と共に彼女が私の手を取ると、船長室に置かれているソファーに向かった。

 ソファーに二人で腰掛けると、ヘレンは違うといった視線と仕草をしてくる。

 つまり、私はソファーで横になり、頭をヘレンの膝の上に載せろという事なのだろう。

 

 いや、出来ないよ? 流石に。ヘレンのお父上は大変おっかない……子煩悩な方ですし。

 

「ここにお父さんはいないし。泣いてた事をみんなに教えてもいいのなら」

 

 喜んで置かせて頂きます! ええ、それはもう喜んで! だから皆には黙ってて! お願い! 

 

「んー、分かった」

 

 満足げに目を細めると、私の頭をぎゅっと引き寄せ、そのまま膝上に寝かしつけた。

 ……まてまて。スカートのスリット部分が近くないか? あと頭をそんなに押し付けられると色々とヤバいんですが。

 ヘレンが着用しているカナリア自警団の制服の一部が大きく盛り上がっていて、天井が半分も見えやしない。

 

 イヅルマの大地が生み出し、人々から大いなる希望と、そして信仰を集める奇跡の山。

 それは牛乳から出来上がった白きデザートなのだ。といったら、ヘレンの育ちの良さが伝わるだろうか。

 この日、私が見る世界は永遠となるかと思われた。それこそ新たな世界の誕生を想起させるほどに。

 

「疲れている時は、ゆっくりした方がいいよ? 膝なら貸してあげるから、少し休も?」

 

 ゆったりとしたヘレンの口調は凄く柔らかい。

 そんな声色が私の鼓膜を伝い、脳内に入り込むと、それに合わせて薄れかけつつある意識が水面に落ち始めた。

 

 これは凄い。意思を取り戻した私の中で、再び自由を取り戻し始めた三大欲求ですら、ヘレンの優しさに浄化されそうになっている。

 

 気を抜けば眠りに落ちてしまそうな、そんな感覚が恐ろしくも気持ちが良い。

 長い髪の癖っ毛からは花の香りと太陽の匂いに加えて、静かに鼻をくすぐるヘレンの匂い。

 ああ、段々と薄れていく意識を最期に、せめてヘレンの顔を見ながら感謝を……。

 

「……すぴーすぴー……」

 

 ヘレンが先に寝るんかい! っていうか寝付きが良すぎるよね、この子! 寝顔が可愛いからいいけど! 

 声を出す訳にもいかず、心で突っ込みを入れながら、そっと膝枕から頭を起こして、ソファーへ身体を預ける。

 ふうっと小さく呼吸。普通なら上体を起こすだけで済むのに、ここまで神経を研ぎ澄ませながら回避行動をするとは思っていなかった。

 

 自信もって、これは危ない! と断言しよう。現役時代に狭い谷間を飛行するよりも心臓に悪い。

 私が離れた後も、ヘレンは規則正しいリズムで胸を上下にさせながら寝息をたてている。

 起きているときは美女でも、寝ている時は可愛らしい女の子と言ったところか。

 

 長々と女性の寝顔を観察するのはよろしくないな。寝室からブランケットでも……って、なんか温かいんだけど。

 まあ気にしないでおこう。この船に関しては、船長室のプライバシーなど皆無なのだから。

 持ってきたブランケットをヘレンの身体にかけてから、ありがとうと一言伝えて船長室から離れることにした。

 

 さて、どこへ向かうとしようか。

 

 

 ──その頃の船長室では、ヘレンがブランケットを握り締めながら、うとうとと船を漕いでいる。

 意識がふわふわとしている中で、一つ前の出来事。船長が涙を零しそうな姿をみかけて、胸が苦しくなった事を思い出す。

 少し悩んでから、船長をお昼寝に誘ったんだ。今思い出してみると、あの行動はちょっぴり強引だった気もする。でも、後悔はしていないし……。

 

 船長もいつもなら抵抗するのに、その日はすんなり受け入れてくれた。

 普段なら……って、あたしに負けず劣らずダラけてばかりいる姿を見せていたけど、泣いている船長なんて初めてだったから、どうにも放っておけなかった。

 

 船長は、視線が定まらずどこか遠くを見つめているようで、なんだか消えてなくならないようにと、そのまま強く頭を抱き締めて膝に押し付けてしまった。

 最初はビクッと驚いたように身体を震わせた船長だったけれど、逆らうことなく素直に身を委ねてくれた。

 

 少しは落ち着いてくれたようで、顔もどこか穏やか。優しく撫でると手が髪の間を通って行く感覚が妙に心地よくて、なんだか……落ち着く。

 こちらまでうとうとし始めていたら、あたしが寝ていると勘違いした船長が、ゆっくりと膝から起き上がる。

 

 ……何故か物凄く慎重な動きだ。ただ、起き上がるだけの動作なのに……何だろうか。

 あ、そっか。あたし船長の顔が見たくて俯いたままだったから……。やっぱり船長も男の子なんだなぁ。

 

 でも、こちらに触れないように、身体を動かす動作が、少しだけ可笑しかった。

 そんな遠慮する仲じゃないのに。それでもあたしを大切に扱ってくれる気持ちが伝わって来て、とても嬉しかった。

 こうして寝冷えをしないようにと、ブランケットが身体に掛けられて、ふとした船長の呟きに心臓の鼓動が強くなったような気がした。

 

 感謝を伝えられただけなのに、妙に胸が暖かくなる。

 うん、心地よい。カナリア自警団と同じぐらい、この船は、この場所が、自分の居場所だって思えるようになった。

 面倒くさいと感じても、お小言を言われても、なんだか嬉しい。

 

 こんなに嬉しく感じるのは、船長室で昼寝をすると良い夢が見れるから? 

 そう思いながらも、幸せな時間を少しでも長く味わっていたくて、あたしはそのまま……静かに目を閉じた。

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