荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
とぼとぼと船内を歩き回っていたら、いつの間にやら居住区へ到着したようだ。
普段はあまり立ち寄ることのない区画。
理由は言わずもがな、船員達の心休まる場所に上官が訪れてどうするというのだ。
特にこの船は女性の比率があまりにも高い。男は必然的に肩身が狭い空間なのだ。
早いとこ退散しよう。そう思い背を向けた瞬間、どこからか少しばかり覇気の籠る声。
引き返すべきなんだけど、やっぱり気になってしまうもので、ちらりと声の聞こえた部屋を覗いてみたら……。
そこにいたのは、カナリア自警団のシノがトレーニングに励んでいる姿であった。
少々汗だくで色っぽくなった彼女の吐息が漏れ出す。
タイミングが良いと思い部屋の扉を軽くノックしてみると、少し驚いたような表情を浮かべながら、それでも笑みを作りこちらへ話しかけてくれるシノ。
「船長、お疲れ様です。珍しいわね、ここに足を運ぶだなんて」
本当はすぐに引き返そうと思ったんだけどね、何やら声が聞こえたから気になって。
そう言ってみると彼女はばつが悪そうな、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「丁度、誰もいなかったので気合を入れて鍛錬していたところだったのよ」
引き締まった身体をしているなと思ったけれど、どうやらきちんと鍛えていたようだ。
そんなふうについ思ってしまったことを伝えると、彼女は照れ笑いをしながら否定してきた。
「私なんかまだまだよ。最近はユーハング式護身術の練習もなかなか出来ていなし……」
その言葉は、全てを言い切る前に途切れてしまった。
何か考え事をしていると、シノから提案が出されたから。
「船長、失礼なお願いなのは承知なのだけど、少し身体を触らせても良いかしら?」
これはまた突拍子も無いお願いが来たものだ。しかし別に拒む理由はないので素直に頷くと、シノが近寄ってきて胸板や腹筋を触れてきた。
制服の上からとはいえ、細指の感触が身体から伝わり、少し気恥ずかしい。
こちらの心中を知る由もないシノは、いたって真面目な表情を浮かべながら、いくつかのポイントで押したり引いたりを繰り返し始める。
身長を比べると、こちらの方が高いのだが、女性達の中ではシノも高めの部類だ。
私の身体を調べる動きには迷いや躊躇いは微塵も感じられない。恐らくは骨格や筋肉の付き方の確認でもしているのだろう。
真剣に取り組んでいることが見て取れたので、しばらくの間その流れに身を任せてみることにする。
無言の時間がしばらく続き、やがて満足したのか、シノは大きく頷きながらこちらへと顔を向けてきた。そこには、何かをやり遂げたような達成感があった。
「ありがと。なんだかんだで船長も日頃から鍛えているじゃない。見直したわよ」
シノの褒め言葉に悪い気はしないが、少々大げさ過ぎる気もする。別に大したことをしている訳では無いのだ。
ただ普段から歩かないせいで多少鈍っている自覚はあったので、人知れず自主トレを重ねているだけだから。
「男性の筋肉などを触れる機会は滅多にないから勉強になったわ……あ、セクハラじゃないわよ!? 別にやましい意味などはなく、純粋に……!」
必死そうに言い訳を並べるシノの頭を軽く撫でてやると、一瞬驚いたように身体を震わせたもののすぐに大人しくなった。
私もシノに触れたので、これでおあいこってところだ。
そして一瞬の間の後、シノはふふっと声を出して笑う。どうやら機嫌も直ったようで良かった。
「イヅルマの自警団にいる男達は、あまり身体を鍛えている者がいなくてね……。でも船長は流石ね。私もそれなりには鍛えているつもりだったけど……」
いやいや、十分な程ストイックだと思うけれど。自警団の活動をしていれば嫌でも体力はつくだろうし。
それにシノの事だ。沢山の努力を積み上げてきたんだろう? それは簡単には無駄になることはない。誇りを持ってこれからも続けて欲しい。
そう言いながら感謝と労いを込めて微笑みかけると、シノは照れくさそうな笑顔を見せてくれる。
最近のシノはよく笑うようになったな。私としては非常に嬉しいことだ。
今まで私に対して少し壁を感じていたように感じていた。
だが、最近は自然体で接してくれることが多くなってきた気がする。
こちらとしては肩肘を張らずにリラックスできるのでありがたくはあるのだが、それと同時に距離を縮められたようで何だか嬉しい気持ちになるな。
もっとも、私が疑心暗鬼の時期が長過ぎただけなのかもしれないけれど。
そんな中、シノは何かを言おうとしていたらしく、そのままの体勢で言葉を紡ぐ。
「その、もしよければ……船長にお願いがあるのだけど」
なんだろ? 何でも聞くぞ。私もシノと親交を深めたいからな。断る理由は無い。
そう考えた私は気軽に言葉を返す。が、シノの方は真剣な表情をしていた。
一体何を要求してくるというのだろう。
「……ユーハング式護身術の練習相手になってもらえないかしら?」
なんだ、そんな事でいいのか? それならわざわざ畏まって言うようなことでもないだろ。
私も色々と合った身ではあるがゆえ、様々な護身術に知識を持っている。
シノの練習相手……というよりは、受け手側になるのだろうが、それで彼女が納得するのであれば付き合おう。
そう告げるとシノは嬉しそうに目を輝かせて微笑む。
「ありがとう! 早速準備をしてくるから、ちょっと待っててね!」
シノは私から離れると急ぎ足で倉庫へと姿を消す。
こちらもユーハング式の護身術を身につける良い機会かもしれない。
そう考えた私は一人納得すると、彼女の背を追いかけるようにして歩き始めた。
─── そして、シノによる護身術の訓練は始まる。
「船長、手始めに私の胸倉を掴んでもらえるかしら?」
それよりも、普段の制服姿のままなのだが、いいのか?
そう尋ねてみるものの、シノは特に気にした様子もない。
「問題ないわ。本番の時は練習着で相手をする事などありえないし、実戦を想定しているのであれば尚更でしょ?」
なるほど。それでは遠慮なく失礼するよ。
手始めに正直すぎる程のまっすぐな私の手が、シノの胸元を狙うように伸ばされる。
だがしかし、その瞬間を待っていたかのようにシノが脇を締め、伸ばした腕を上へと掲げるような姿勢を取るとそのまま投げ飛ばし、油断していた私はあっさりとマットの敷かれた床に転がされた。
その手際の良さに感心しながら、ゆっくりと体を起こして相手の様子を窺う。
「護身術の中でも定番の技よ。落ち着いて捌けばこうして反撃の機会を作ることが可能なのよ」
シノの言葉に頷きながら、考える。
確かに攻めの一手だった者が、この技を掛けられたら自分の状況を見失うだろう。
「このまま何本かお願いするわね、船長!」
そうして何度か繰り返された練習は、時に身体が宙を舞う感覚を味わい、時には腕を締め付けられたりと、シノの攻撃を受けるたびに思う。
こう、なんていうか。女性らしい柔らかさはあるのは間違いないのだけど、腕を十字に締められて攻撃を受けた際、ストッキング越しの足と、締められた腕に伝わる鼓動がダイレクトに伝わりすぎて寂しいというか何と申すべきか。
気にしてそうだから黙っておこう。
「どうかしら? 私のユーハング式護身術。上品とは言い難い戦い方だけど、実践ではこのような形になるでしょうね」
大の字で倒れている私の腹部に、しれっと腰を下してシノが言う。
しかし、こうして寝転んでみて初めて分かった。
……シノのお尻って柔らかい。
喜ばしい状況だろうが、如何せんあらゆる技を受けたばかりで、満身創痍だった。
シノ自体は、そこまで息が乱れた様子もなく、にこりと笑顔を浮かべている。
「私としては、上手く出来たかと思っているけど……というか、ごめんなさい。船長ばかり受け身をさせてしまって……」
不意に心配そうな声色になるとシノは起き上がり、私の腕を優しく掴み起き上がらせようとする。
気遣いも忘れていなかったのだろう。優しい娘だ。
立ち上がり、身体の調子を確認する。軽い打撲はあるようだが怪我はない。強いて言うなら乱れた服装を整えるくらいだ。
「少しばかり調子に乗りすぎたわ。ここまで相手をしてくれる人は今までにいなかったから、嬉しくて」
シノが嬉しそうにそう告げる。
確かにここまで身体を動かせる機会は無いだろうな。私とて、久方ぶりの感覚を思い出せたのは怪我の功名と言えるかもしれない。決して無駄な時間ではなかった。
「良い練習になったわ。……またお願いできる?」
彼女からのお願いに、笑顔で頷く。
私で良ければ、喜んで相手になろうじゃないか。
そう伝えるとシノは満足そうに微笑み、もう一度頭を下げてお礼を言ってきた。
────-
船長に練習を手伝ってもらい、一通り感覚を思い出したところで解散になろうとした時、私は思い出した。
私ばかり攻め手になって、船長からは一度たりともお返しをもらっていないことを。
慌ててそれを伝えたところ、気にした様子を見せないのがまた腹立たしい。
「船長、練習というものは交互に行うべきよ! だから私にも何か技を受けさせて頂戴!」
自分でも分かる半ばヤケになってそう言うと、少し考え込んでから船長は私の訴えに答える。
どうやら一番最初に受けた技を、私に仕掛けたいようだった。
私がその提案を受け入れたことを伝えると、戦闘態勢に入る。
身長差が有るために見上げることになるのだが、そこからこちらも身構える。
すっと伸ばした私の腕は、船長の胸元へ伸びる。このままいけば、私の身体は宙を舞って一回転していることだろう……。
しかし、実際に回転したところまでは覚えている。だけど私の身体はマットに叩きつけられることなく、船長の腕の中に収まっていた。
何が起きたのだろう? 理解できぬまま固まっていると、にやりと笑っている船長の顔が間近にあった。
やられた! はめられたのだ! 私はまんまとその罠に引っかかってしまっていたのだった。
「船長! ズルいわよ! 予定通りに行いなさいよ!」
私の抗議は、完全に見透かした顔をした船長に受け流される。
この男は……! 以前からそうだったけれど、私をからかうことが大好きだ。全くもって困った船長である。
こんな風に遊ばれるから、余計にしっかりしようと頑張っているのに! 全く……本当にもうこの人は! そんな船長の行動につい語気を強めてしまったが、当の船長は相変わらずどこ吹く風だ。
飄々としたその態度にすっかりペースを持って行かれてしまい、私の怒りは呆れへと変化していった。
全く。こんなやり取りをしていると、こっちが子供扱いされている気分になってくる。
おのれ、許すまじ船長! こんな扱い、他の誰にも許しやしないんだから覚悟しときなさいよ! ふんと鼻を鳴らしながらも、私は未だに船長の腕の中。
何が可笑しいのか、船長はくすくすと笑いながら目を細めている。
もうっ……性悪にも程があるでしょう、この船長! けど私は自覚がある程に意地っ張りだから、ここで引くわけにいかないのだ!
……こうなったら意地でもやり返してやるんだから! もぞもぞと動き、私が反撃に出ようとした時、ちょっとだけバランスを崩してしまった。
それでも、マットからは近い高さだし、少し痛い程度で済むかと気楽に考えていたのだが……。
船長が素早く私を抱き抱えると、衝撃を一切受けることはなく、改めて安全にマット上に着陸していた。
……なによ、その動き。こんなの反則よ!! ずるいじゃない! もう……っ!! そんな感情が胸いっぱいに広がる前に、更に船長は私の心をかき乱す。
体勢を立て直すと、何故か私の頭を撫でながら見つめてきていたのだった。
ぶわっと恥ずかしさが全身を覆う。どうしてこんなことをするのかしら……いやまあ悪い気はしないけど。
ってかそういうところよ船長……! もういい大人なんだし、そろそろちゃんと自覚持ちなさいよ!
そんな抗議の言葉は浮かんでくるものの、撫で続けられる手によって思考力がまとまらない。
全く……もう……! 本当に敵わないわ……。