荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
事を始めるというのは、念入りな下準備がとても大事だ。
計画というのは綿密な準備とそれを支える実行力が重要である。
だからこそ、今日のこの時が来るまでじっくりと時間を費やし準備を積み重ねてきたんだ。
「船長、こちらの部分について少し疑問があります」
そう私に告げるのは、ゲキテツ一家のイサカであり、参謀術に長けている女性だ。
性格もキッチリと真面目で信頼が出来る人物である。
当初は彼女に嫌われていたと考えていた私であったが、お互いの認識を改めていくと……徐々にコミュニケーションを取る仲になったのだ。
「……船長。私の話を聞いているのか?」
ごめん。イサカとの出会いを思い出していました。
そう謝罪しながら資料を受け取り、読んでいく──なるほど、彼女の指摘通り、いくつかの疑問点を解消する必要がある。
これは困った。
「人の心など移ろいやすいものだ。彼らからすれば自分達の生活が第一であり、害を成す者を退治してくれるのなら誰でも構わないだろう。厳しい事を言うが、支持率などという曖昧なものに振り回されるとろくな目に遭わんぞ?」
確かにね。それで昔、散々な想いをしてきた。だが、それでも人を信じなければならない時もあるんだ。
信じて裏切られようとも、行動をしなければ何も起こらない。
そうして人から信用を得られ、期待に応えることができるようになるのだから。
「全くを持って甘いな。だが、それを理想と掲げるお前だから私は安心して着いてきている。信念を貫いてくれる上官というのも悪いものではないがな」
そう言って微笑みを浮かべるイサカ。
苦言を呈してくれる人が側にいてくれるからこそ、より良い未来が描けると確信しているからだ。
「ゲキテツ一家の方でも情報収集は続けているが、部隊存続に賛成を表明すると思われる街はおよそ七割。反対が三割弱ほどいる……私の気掛かりは他にもある」
不安材料はまだある、ということなのか。それとも懸念事項以上の情報を抱え込んでいるのか。
「単純な話だ。票を動かすのにもっとも有効なのは金だ。反対表明をする理由は、空賊被害よりも金銭面によるものが多い」
意外に低俗な理由にも聞こえてくるが、否めない部分はある。
街によっては、空賊被害よりも日々の食い扶持を稼ぐのに苦労しているところも多いだろう。
生きて行くのに必要なのだ、当然と言えば当然か。
ともかく、反対表明を表明しそうな街だけでも洗い直しておくべきだろう。
「ああ、そうだな。これはすぐにでも手配しよう。そのメモ用紙をくれないか? 書きながら話しても構わないか?」
構わないよ。手隙に続けて欲しいし。
「ありがとう。船長との仕事は捗る。これが他の幹部たちなら、口うるさい連中が多くて面倒でね」
冗談めかして口元を緩めたイサカは、丁寧なペンの動きで手元の紙に要件を書き記していく。
部隊存続に必要な一定条件から、相手から予想される妨害工作への対処、その後のアピール方法などを重点的に煮詰めていく。
これは元より決めていたのか、さらさらと迷い無くペンが動く中で、不意にイサカが口を開く。
「なあ、船長。貴方は可能な限り揉め事を大きくせずに事態を収めようとしているんだろうが……それが叶わない場合もあることを理解しているか?」
話し合いで事が済むならイジツじゃないさ。エライ人側の連中と一戦交える事は確かだ。
その中で相手側に回った街の人達の被害を最小限に留めるよう、出来る限りは頑張っているつもりだ。
それは意地とも言えるかもしれない、小さなプライドの表れだ。
そんなささやかな己の矜りを示すと、イサカは少し口元を緩める。
「……そうだな。貴方はそういう人だ。確かにそれはある意味で正しいのかもしれない。だが、それを肯定した上で尚、言わせてもらいたい。私達の行いは決して綺麗事だけではなく、大なり小なり命を賭しているのだから──多少の犠牲は、やむを得ないよ」
全てを救うなど無理難題の極致だ、と冷たく言い放ってくる。
だが、彼女は解っている。その実現が困難であることを。
そしてその上で、少しでも犠牲者が少なくなることを、妥協点を見つけようとしている。
やむを得ないこと──かつて私がリノウチの空で零した言葉を、今この瞬間に返されるとは思わなかった。
そして彼女なりの矜りに対して、私は約束できない。犠牲を軽減させる努力はするが、最悪の事態に至る場合だってあるだろう。
その時はどうか私を差し出してくれ。
「冗談でもそういう事は言うな。次に同じ事を発言したら、私がお前と喧嘩してやる。いいな?」
彼女のペンを動かす手を一瞬だけ止めて、こちらに目線を飛ばす。
釘を刺す真剣な瞳に思わず背筋が伸びる。
そんな彼女から確かな苛立ちと、不安が見て取れた──私だけじゃなかったんだと安心してしまうのは失礼だろうか? そんな後ろめたい気持ちを抱えつつ話を続けるが……。
イサカ、もしかして怒ってるか?
「当たり前だ。成功へと導く為にと思考をフル回転させている傍で、最悪時の処理を考えているなんて聞かされればな。私だって苛立つ」
……すまない。
そういうつもりでは無かったのだが気に障ったか?
申し訳ない、と謝罪する私に呆れの眼差しを寄こし大きく息を吐く彼女。
イヤリングを揺らしながら髪が揺れた。
そして髪を搔き上げる仕草と共に、溜息を吐きながら私に言葉を吐き捨てる。
「船長、貴方は優しすぎる。この世界において甘さは諸刃の剣だ、失ってしまえば二度と戻らない」
それは空賊退治に現れる荒々しさと苛烈さが垣間見える、普段とは全く異なるイサカの一面であった。
その物言いも彼女が普段の温和な性格とは違う事が伝わってくる程であった。
「そして、理解が出来ないのが、貴方がリノウチの英雄と呼ばれる程の戦闘機乗りだったという事だ。優しい人間があの戦いで最も苛烈に戦う事が出来る理由が思い描けない。少なくとも、私にすれば到底納得など出来るものでは無かった」
……かつての私についてか? 確かに、無茶で無謀な戦いを挑み、敵とすら心を通じ合せようとしたことがあったな。
当時は仲間を護ろうと必死だった。私自身、何故あそこまで盲目になれたのか今でも理解する事はできないが……それでも結果的に……。
「あ……いや! 船長を責めるつもりはなかったんだ! すまない!」
不意に謝罪の言葉を口にするイサカに、面食らってしまう。そんな彼女の姿は私の思い描くいつものイサカではなかったからだ。
そんな私に詫び言がなおも続く。
「言葉が過ぎた。決して貴方の過去を否定するものではなくてだな。船長とこうして話す限り、否定などせず受け入れるべきだな、そう思った」
彼女はそう話しつつ私が口を挟む前に矢継ぎ早に言葉を続ける。
「いや、違うな……。言葉も態度も少しばかり不躾過ぎた。非礼を詫びよう船長」
先程までの真剣な表情とは打って変わって和らげられるその顔。こういったところはやっぱりイサカだなぁと思ったりもするのだが……。
よし、一度休憩を入れよう。サイダーが飲みたくなったから持ってくるとするよ。
イサカはそう告げると立ち上がり、私は部屋から出ていくのであった。
──何故、船長は私の失礼な発言と態度にも何一つ咎めることもなく、なんなら自らを非礼と認めてしまったのだろう……。
一人残された一室でポツリと零してみた思考の波紋は、心の奥にまで染み渡り広がっていくようであった。
──強い信念。強い情愛。他者を惹きつける魅力。そして、護りきろうとする強い意志──
胸の内が疼く感覚を覚え、自然と自らの肩を抱く自分であったが、それが何故かは理解できず、ただ鬱屈とした思いをひとり抱えて立ち尽くすだけであった。
「首領の件があったというのに、私はまだまだ甘いな……」
声に出して自分の不甲斐なさを嘆いた後、一人椅子に座り込む。
机には計画に必要な資料が広げられてあったが、それを手に取る気にはなれなかった。
ただ一人、考え込む。
──この世界には様々なしがらみがある。マフィアとして生きてきた以上、恨みを晴らすため殺されたとしても甘んじて受け入れるしかないのだろう。そんな残酷な世界だ。
それが分かっているから、分かっているからこそ、私は……。
その時、ドアが開き、船長が現れた。お盆には少し多めのサイダー瓶が載せられている。
それらを机上に静かに並べると、船長は言葉を投げかけてきた。
イサカ、いつもありがとう。君の率直な意見には頭が下がるばかりだよ。
そんな言葉を戯言でも受け取れば、いつもの調子で返してしまうのだが、今そんな気分でもなかった私は素っ気ない返答しか出来ない。
……何がありがとうだ。自分勝手に腹を立ててそれを怒鳴り散らすなんて小娘も良いところだろう……。
我ながら呆れてしまう。
そう自嘲めいた謝罪の言葉が紡がれると、不意に頭を撫でられる感触がした。
驚いて顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべて見つめる船長の顔があった。
お互いに気持ちを知るのは難しいことだからね。無くしたものを嘆くことができることは悪いことではないよ。
言葉を紡ぐ口元には微笑みが湛えられている。その言葉と表情に……なぜだか深い安堵を覚える自分がいたのだ。
コップも用意されず、栓抜きをされたサイダー瓶を手渡され、乾杯と言って笑いかけてくる船長につられて私も笑みが溢れていた。
……救われた気分だった。どん底にまで沈んだ思考が一気に浮き上がり、低迷した心が嘘のように軽い。
先程の失礼な態度について再度謝ろうとするのを遮って、船長は言葉を続けた。
喧嘩はおしまい。さあ、飲もう。仲直り記念ということでね。
口元を緩めて笑いかけてくる船長に釣られて、私の口角も緩んでいくのを感じた。
……私は多分、この時初めて本当の意味で信頼できる人が出来たんだろうと思えたのだ。
この人と仲間達がいればどんな困難な戦いも越えられるんじゃないかとも。
それは仮定ではなく確信であり希望だった。暗闇の中に輝く小さな灯だ。
先ほどまで暗く冷え切った心だったのに、気付けば穏やかな気持ちで満ち溢れている自分がいるのだから不思議なものだ。
そして、私は柄でもない事を彼に伝えるのである。
「……船長の話が聞きたい。悲劇でもなく、喜劇でもない、些細な事……冗談、裏話でも。なんでもいいから、沢山色んなことを……私に教えて欲しい」
船長は一瞬驚いたように目を丸める。が、直ぐにまた優しく顔をほころばせた。
私の言葉に船長の微笑みが大きくなり、ふと、自分に向けられてくる優しい目線に頬へ熱が集まるのが分かる。
恥ずかしいな……自分の顔が赤くなったのは自覚しているが、それを誤魔化そうとサイダー瓶に口をつけて飲み干していく。
そうしてから船長へ視線を送ると、彼は嬉しそうに話を始める。
内容は本当にしょうもない事ばかりだ。幼い頃に体験した失敗や馬鹿らしい思い出話。それを楽しげに語ってくれる船長の隣で、いつしか私は自然と笑えるようになっていった。
こうして少しずつ、少しずつ……自身の心が潤っていくのを実感する。そして同時に確信に至った。
この仕事が終わらなければ良いのに──。