荒野の空、イジツの片隅、ユーハングの情景 作:星1頭ドードー
一度サボれば一枚溜まり、それが積み重ねられていけば、いつの間にか塔のようにそびえ立つのが書類整理だと思っていたが、最近は真面目に書面を読み、サインを繰り返し書き続ける毎日。
日に日に仕事量が増えて、それに加えて新しい仕事が山積みになり続けている。
こればかりは仕方のない事ではある。混沌としたイジツの世界で生きていく為に、みな必死なのだから。
「せんちょー、難しい顔してるよ? 眉間のシワがしわしわー」
そう言って小さな手で私の顔に触れるのは、ハルカゼ飛行隊のガーベラ。
同飛行隊で最も幼い少女であるが、精神年齢的には一番大人びていると思える。
どうやら本日は一人お留守番の様で暇を持て余して船長室へ訪れたようだ。
彼女は私の眉間をほぐすように指でグリグリ押してくる。
「ほらほら、笑って笑って」
子供特有の笑顔を振りまく彼女を見ていると、自分の疲れが吹き飛ぶような気分になる。
これがアイドル効果という物なのだろうか? いや、これはきっと彼女の人徳だろう。幼い容姿なのに、年齢よりもずっと落ち着いていて、芯も強い。
そんな彼女の明るく振る舞う姿を見るだけでこちらも元気になってくるから不思議だ。
なんだかんだで元気を分け与えられているのだな、と思う。と自覚せざるおえない。
「あれ? この書類って……」
ガーベラが処理済みの箱から一枚の紙を取り出す。
そこには街とも呼べない小さな集落から空賊被害と、その相談。
自衛をするのが難しく、手持ちが少なく用心棒も雇えないので手を貸してほしい。という内容の文面であったはずだ。
この部隊における通常業務。その範疇なのだから彼女が知っていてもおかしくない。
ただ、どうしてわざわざこっちの書類まで覗き込んでくるのか、という点で気になるところではあるけれど。
そんな事を考えていると彼女が話し出す。
「そっちの書類も同じ内容だったの? せんちょー?」
そうだよ。と相槌を挟む。
「ヒドイよね! 戦えない人達からお金や食べ物を奪うなんてさ!」
プンスカと怒った顔を浮かべながらガーベラは頬を膨らませている。
彼女の言い分も確かに分かる。こんな時代なのだ、道理など通じないのは仕方がないことではあるのだけれど、だからといって好き勝手を許していいはずも無いだろう。
どちらも商業船の通る航路図から外れた空路。そして用心棒も居なく自衛もできないとか言うような場所ならば、空賊共からすれば思う存分暴れられる大当たりの場所となる。
住む場所を変えればという意見もあるのだが、生活基盤のない弱い人達にしてみれば他に選択の余地など無いのだろう。
それに……そこが特別な場所であるから、やむを得ないと考えている人も少なくは無い。
だから私は納得はしている。帰る場所を失った者として、その選択を。
「ガーベラたちがこの空賊を退治して、みんなを安心させてあげるんだね!」
フフン、と腰に両手を当てて自信満々に胸を張る彼女。その様子を見て私は笑みを浮かべる。
そうだな。その通りだよ、ガーベラ。私達が力を見せれば彼等も安心してくれるだろう。
イジツの空の平和を守る為にも、頑張らなくてはな。
「うん! 任せておいて! ハルカゼがやっつけてあげるからね!」
うん、そうだな。と言って頭を撫でながら返した。彼女のポジティブさや自信に満ち溢れた表情はとても頼もしく、いつも癒されている。
自分自身も彼女のように明るく振る舞っていきたいものだ。
再びペンを走らせていると、ガーベラは独り言のように呟いた。
「ハルカゼ飛行隊と出会って、色々な事を乗り越えて、せんちょーに出会って……世界が一気に広がってる気がするよ」
遠くを見てそう語る彼女の表情は、今までより大人びていた。
私だってそうだ。彼女達と共に部隊を率いて旅をしていなければ、知らなかった事ばかりだろう。
見知らぬ土地を飛び、見知らぬ人々と出会い、遠く長い距離を旅する。
空で戦えばその分怪我をする事もあるし、機体も弾薬も修理や点検が必要になる。
それでも私達には帰るべき場所があり、目的があるからこそ精一杯飛ぶことが出来るのだ。
ガーベラもまたその意志と決意は同じなのだろう。私達は同じ道を歩んでいるのだから。
私も彼女の言葉に同意を返せば、満面な笑みを浮かべた。
そしてガーベラは何を思ったのか私の懐に忍び込んできて、膝の上にちょこんと座った。
突然の事に少々驚くが、それに応える様に彼女を軽く抱き寄せつつ頭を撫でると、嬉しそうな表情をしながら質問を投げ掛けてきた。
「せんちょー、ガーベラのお姉ちゃんの事は知ってる? 新生ルワイ組の」
と言って上目遣いにこちらを見てきたので、もちろんと答えた。
ゲキテツ一家と提携を結び、新たにやり直すことにしたマフィアの一つ。
ボスはガーベラのお姉さんであるカスミさんであっていたよね?
「うん。そうだよ。色々あって街の安全を守る為に──ってせんちょーなら知ってるよね? いつもガーベラたちを気にかけてくれてるし、ウッズ社長とかゲキテツの人達からも話を聞けてるみたいだし!」
足をプラプラとさせながら私の膝に座るガーベラがそう答える。
直接的なやり取りはしていないが、人伝で話は聞いていたので知っている。
彼らは以前のやり方とは別の方法で街の治安向上の為に必死で取り組んでいるとも。
私の返答に対し満足そうに笑うと、ガーベラは言葉を続ける。
「うん! そうなんだ! ……って私も直接見たわけじゃなんだけど。私のお姉ちゃんは凄いんだよ!」
今度は目を輝かせながら話をする。本当にお姉ちゃん子なのが見てとれる。しかも自分の事の様に誇らしげに話す姿が可愛らしい。
と同時に、彼女の口からお姉ちゃんの事が語られる。それはとても誇らしくもあり、同時に少し寂しさを感じさせた。
それを払拭させたくて、つい私の手はガーベラの頭にあるミツバチ帽子を横に置き、撫でた。
驚いた顔で見つめられたのだが、構わず続ければ段々と気持ち良さそうな表情に変わる。
寄りかかるようにこちらに身体を預けてきたので、そのまま続けていると、小さく笑った。
「せんちょーも、お姉ちゃんも、ガーベラに優しすぎだよ!」
笑いながら……少し涙を浮かべた彼女なりの照れ隠しの言葉なんだろうと思う。
そして、彼女は黙ったあと一息ついて、これまで以上の強い口調で語りかけた。
「でも、だからこそ。ガーベラはもっと強くなって、二人に心配されないくらい強くならなきゃ! ハルカゼのみんなと一緒なら怖くない! 頑張る!」
その言葉からは決意が強く感じられ、それは仲間達と固い絆で結ばれているのが分かる。
互いに高め合いながら過ごした日々がそうさせているのだろう。
僅かなやり取りで交わす言葉でも、自分の想いを相手にしっかりと伝えることができるものだ。
失意の中を歩き続ける虚しさは知っているつもりだから、胸に宿った思いをうち明かすことは難しいものであるという事も分かる。
それゆえに彼女の言葉は他者に伝える思いが籠っており、そして語るべき相手はしっかりと見えているのだろう。それはとても素晴らしいものだと私は思う。
私がしてやれることなんて何もないとは思うが、それでも何かしらの手助けになれば良いなって。
そう思った時に、ガーベラは突如こちらへ向き、急接近。そして私の頭を抱え込む様に抱き締めた。
彼女の鼓動が小さな膨らみを通じてどくんどくんと聞こえてきて、それが心音である事は直ぐに理解できる。
そして、膨らみに顔を埋めた状態で耳を澄ましているうちに、その鼓動は段々と早くなっていくのを感じた。
小さな心臓……きっとまだ未熟な彼女の中では色んな想いが行ったり来たりしていそう、と予想できてしまう。
とは言っても、言葉では表現しにくいのでどうしたものか。
ただただ幸せな感触で思考が支配され、ぎゅっと私を抱き締めて少し痛い位に圧迫する。
行き場を失った自分の手は暫く彼女に触れる事もできなかったけれど、次第にガーベラのやわらかさを感じていき、その癖の強さも心地よさも存在していて、肺が幸福で満たされた。
どれくらいそうしていただろうか。不意に離して貰えたと思ったら、今度は私の両頬を包む様にして彼女は顔を近付けてきた。
そして、少しの沈黙の後、私はガーベラの目を見る。……いや、見ることしかできなかった。
「せんちょー、一人で無理しちゃダメだよ? 昔の私みたいに意地を張って自分を誤魔化さないでね?」
息が掛かる……程ではないが、ほぼそれくらいの距離にまで距離を詰められている私は、何も答えられなかった。
その代わりと言えばなんだが、私は彼女の目を見て頷くと「うん! よろしい!」と彼女は満足そうな笑顔で頷いた。
「お仕事の邪魔してゴメンね! ガーベラはちょっと散歩に行ってくるから、また後でね!」
手を振りながら颯爽に船長室から去っていく彼女。怒涛の勢いを貰う私は暫く放心してたが、ハッと我に返ると既にガーベラに姿は無かった。
余りにも色々な衝撃が積み重なったせいか、気が付けば重かった身体と意識も大分軽くなっていた。
妖精のイタズラだったのだろうか。……いや、違うな。これは、私の中にあった不安が和らいでくれたからだ。
そう、あの小さな身体と心で。
──船長室の扉を閉めて、すぐに私は壁に寄りかかりながら自分がせんちょーにした事を思い返した。
やっちゃった……。
でも仕方ない。あんな顔したせんちょーが悪いんだ! あんなにシワを寄せながら寂しそうな目をした人を置いていけなんて、無理に決まってる。
胸に手を当てながら溜息をつき、むず痒くて照れくさいような、ぽかぽかとした暖かい気持ちを感じながら、ずるずると壁からずり下がっていく。
そして、膝を抱えて丸くなると、また大きく息を吐く。自分にも聞こえる程の鼓動の高まりと体温の上昇。
あああああ! どうしよう!? どうしよう!? 汗ばんだ手で胸元を握りしめながら、私は悶える。
変な匂いとかしてないよね? せんちょーに嫌われたりしないよね? と不安が頭を過るが、すぐにその考えを振り払うように首をぶんぶんと横に振る。
……ううん、違う! 私はあの寂しそうな目をしたせんちょーに笑って欲しかっただけ! 何故か自分に言い聞かせる様になってしまった。
モヤモヤとした感情のやり場に困りながらも、自分の言う事を素直に頷いてくれたせんちょーの優しい笑顔を思い出すと、途端にニヤニヤが止まらない。
大人でキチンとしている人かと思えば、だらしない姿を隠そうともしていなかったり、かと思えば意外と子供っぽかったり、積極的かと思えば恥ずかしがり屋で控えめな姿もあって……。
怖いくらい加速していく思考に恐怖すら感じてしまったが、少し口元を綻ばせてしまう。
なんだか現実味のない夢を見ているような感覚。この船に訪れる様になってからは、ずっとこんなことばかり。
分からないなぁ……せんちょーの事もそうだけど、自分に対しても。
終いには、この気持ちにどう向き合ったらいいのか分からなくなってきちゃったけど、案外この気持ちもすぐに忘れちゃうかもしれない。
低い天井を仰ぎながら、そんな暗い思考を打ち消して考える。
今は、この瞬間だけは気持ちに素直になってもいいよね? うん。そうしよう! そして、私はボソッと息を吐くように呟いた。
……それが終わると同時に異変が起こる。身体中が熱くなり、頭がボーっとする。
まるで夢を見ているかの様で、自分が自分じゃないみたい……。
でも、不思議と嫌な気分じゃないのはどうしてだろう? この気持ちの正体はきっと……。
けど、今はただ……この瞬間を楽しみたいな。
そして、私はゆっくりと立ち上がりながら呟いた。
「うん、やっぱりガーベラは……」
その続きを言葉にする代わりに、そっと胸に手を当てる。
ドクンドクンという鼓動を感じながら、私は静かに微笑んだ。
これはまだ非日常の始まりに過ぎない。これからもっと不思議な出来事が待っているのだろう。
それは新しい世界へ踏み出すように一歩を踏み出した瞬間だった。