妖術師の横たわらぬ墓は幸いであり、妖術師がすべて屍灰と化した夜の町は幸いである。
『イブン・スカカバオの手記』より
「おい、アルアスの娘がいるぞ!」「マジかよ、亡霊と見間違えたぞ」
アルアス家は代々続く墓守の家系。私は父と母を同時に亡くし、自分の手で両親を土に埋めた。それから年寄りたちは私に近付かなくなったし、若者たちは何かと言い分を付けて私を罵ったり手を上げる。皆な死んだら誰か世話してくれると思っているんだろうか。でもそれは仕方ない事。墓守という仕事と内面的な性格が災いし陰鬱なやつとして映ってしまうのだろう。
「姫様、墓地に戻りましょう。俗人などに構う必要など在りません。ささ
うん、と私が反応すると黒人奴隷のレクは墓守用のローブを私に着せた。それから私のライトブラウンのくせっ毛の強い髪を直すと一つ頷き共に森の中へ、墓地に続く虚空へと溶け込んでいった。この寒村の墓地は
*
我ながら無謀な事をしたものだと思うのも何回目だろう。冬の寒波に吹かれ枯れ木と化したものたちは、まるで行く手を遮る死者の手の様に、蟲を待ち続ける捕食者の食虫植物の様に永遠と続いていた。白い吹雪に視界を塞げ何度も何度も瞬きするうちに石造りの町に残してきた妻エリゼと娘アンリが、瞼の裏に映し出されていた。しかしそれは段々遠ざかっていく様に見えて、私は走って追いかけた。冷静に考えなくても分かる。馬鹿な事をしたと、そして私は案の定足を滑らし谷底へと落下していった。
次に目が覚めた時、私は黒人と目が合った。腐り軋み唸る様な声を挙げる小屋で私は目を覚まし、黴臭い刺激臭と激痛が鼻を襲った。黒人は机の上にあったカサブランカの花を握りしめ、手のひらで磨り潰すとその匂いを私に嗅がせた。とたん急に刺激臭が和らいでいき、私は激痛から解放された。礼を述べると黒人は一言も喋らず、元居た木製の椅子を通り過ぎ白い嵐が吹きすさぶ外へ出ていた。そんな黒人を目で追っていたところで、ようやくこの部屋にいるもう一人の人物の存在に気付いた。暖炉の前にしゃがみ込み火に薪を足しているため、顔は良く見えないが美しいライトブラウンの髪が炎のようにメラメラと暖炉から放たれる不規則な光を反射していた。
「あのもしかして二人が助けてくれたのかい?僕はラクトン=コシュープ。君は?」
「...リークス、リークス=アルアス。墓守よ」
そう返したライトブラウンの少女の声はどこか水音を含んでいて妙な違和感を覚えた。まるで子供が食事中に口に物を入れながら話している様な喋り方だ。しかしそれ以上会話が続かず私が少女に声を掛けようとした矢先、扉を開け黒人の男が入ってきた。男は私を一瞥すると、少女の耳元で何事かを囁いた。すると少女は半ばヒステリックな声を挙げながら、小屋を出ていきやがて声が遠くなるにつれ吹雪にかき消され聞こえなっていった。そして再び静寂が小屋の中を支配した瞬間、黒人の男が隙間風の様な凍える声で言った。
「私と姫は生者には構わぬ。充分に体を温めるか、吹雪が止んだら出ていくが良い。ただし丘下の墓地には絶対に来てはならぬぞ。あの墓地は神聖な領域故、
言い終えるか否か、男は乾燥した薪を暖炉の近くに置き再び白い嵐の中へと出て行った。
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人とはなんと愚かな生き物か。それとも職業柄と言うべきか。そもそもこんな山奥に登山してきたのは、冬に寒村である祭りが行わているとう噂を聞いたからだ。ホラー作家である私がその噂を聞いていても立ってもいられなくなったのは語る必要もない。そして今、私は黒人に入るなと言われていた墓地に足を踏み入れていた。そして後悔していた。墓石の名前の下、石造りの棺桶の蓋に必ずナーコトの五角形が刻まれていたからだ。ネタ探しの際、アメリカ合衆国マサチューセッツ州アーカムにあるミスかトニック大学の特別閲覧室で読んだエイボンの書に記されていた魔術の印だ。当時の私はよくもまあこんな大量の誇大妄想を書き留めたものだと、関心半分あざけり半分で読んでいた。しかし実際こうして使われているのを見てしまっては話が違う。確かエイボンの書にはナーコトの五角形は時間に関する存在からの護符になる他、死者が蘇り地上に戻ってくるのを防ぐために紀元前1万500年前に使用されていたらしい。
私の心は既に恐怖に蝕まれ、巣窟と化していた。そのせいか雪を踏み固める自身の足音に驚き横転していまった。もう限界だ。私はコソ泥が家主に見つかり、転げ帰る様に墓地を出ようと足をがむしゃらに動かした。しかしぐちゅりという生理的嫌悪を覚える音が靴裏より冬の静寂の中に響いた。恐る恐る足元を見るといつの間にそうだったのか、地面は雪の白さではなく蛆の白さによって覆われていた。そして背後から響く地獄からの声がより一層恐怖を際立たせた。
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何なんだ此処は!悪夢なら醒めてくれ!私はそう願うしかなかった。もう私の体重によって蛆が潰れ奇声を上げようが、妖蛆の詠唱の声にあのライトブラウンの少女の声が混じっていようが何でも良い。私に安全を保障してくれるものなら聖人でも悪魔でも何でも良い。悲痛な祈りが通じたのか、視界に仄暗い洞窟が入った。私は一目散に洞窟へ駆け込み、奥へ奥へ地下へ続く階段が黄泉へ続く階段があるにも関わらずひたすら下った。そこで私を待ち受けていたのは、硝子の棺桶に保管された灰色の死体であり、もはや木乃伊と化していた。そして私はあの悪名高いネクロノミコンに記されているものと同じ文章がムナールの炎の星と共に刻まれている事を視認した。
書きもののない骨と肉は哀れなるも、
見よ、アルアスの言葉は大いなる印のもとにあり、
見よ、劣悪な印のもとにではない。
私は絶叫した。おおアルハザードよ、これ程までに怖ろしい事があろうか。ここに記されているのは妖術師が死に眠る事を示唆する文章ではないか。そしてその妖術師の名はアルアス、つまり地上で小屋で会話した詠唱していた少女は妖術師の子孫という事か。それだけではない。妖術師直々に墓守をすれば、聖職者も誰も妖術師の死体の持つ地を人を悩ませる畏れ多き力に勘づく事も、封ずることも出来ないではないか。己の悍ましい知識によって脳裏に関連づけられる多くの事実が私の魂を心を蝕む中、私はもっと現実的な脅威に気付く余裕もなかった。洞窟の暗闇に紛れていた黒人の男の存在に、彼の握る肉切り包丁の脅威に。
完
明日以降に「少女の日記」と解説、裏話、元ネタ等を投稿します。
少女の日記は本作のリークスの日記です。