ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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 ああ……英雄の器を担いし〝只人の少年〟よ……

 私は舞台に上がること無き端役に過ぎないが……

 汝の道に癒しと幸福があらんことを、そう願うことは出来るのだ……

 英雄では無く一人の少年として、私は汝を見守ろう……


只人

 エイナとの約束を果たし隠し教会(ホーム)へと向かい始めたベルは、緩やかな速度でメインストリートを歩いていた。

 

(やっぱり夕暮れは、良いな。沢山の笑顔が花を咲かしている。……僕の望む光がここにあるんだ。だって皆の幸せは、僕の幸せなんだから)

 

 ベルの視界に入るのは母の手を引きながら笑顔を浮かべる少年の姿や、ダンジョン帰りに酒を交わし合う冒険者の姿、そして己の横を過ぎ去っていく賑やかな人々の姿があった。

 

 この景色こそが英雄になると誓ったベル・クラネルが求めたかけがえのない日常であり、何よりも大切な幸福だ。

 

 彼らの笑顔こそが己の守るべき未来なのだと分かるから、ベルは穏やかな微笑みを浮かべて歩みを進めていく。

 

(……だから。……だから、僕が守らないといけない! 悪党如きに彼らの尊き未来を奪わせはしない!)

 

 しかしそれと同時に燃え滾る憤怒の激情が、ベルの心に大時化(おおしけ)のように渦巻いている。ベルの心には相反する二つの願いが、複雑に混ざり合っているのだ。

 

(今はまだその力が無くても、僕は誰かの涙を拭って、誰かの笑顔を守るって誓ったんだから!)

 

 彼等の輝かしき幸福も悪という理不尽を前にした時、いとも簡単に奪われてしまうとベルは知っているから。

 

 守るべき『誰か』の不幸を考えてしまったベルは、気が付けば拳から血が滴り出る程に強く両手を握りしめていた。

 

(この程度の痛みは、奪われる未来に比べればなんてことはないんだ……僕の傷は治るけど、失ってしまった幸せは二度と帰って来ないんだから……)

 

 その瞬間。ベルのスキル【鋼鉄雄心(アダマス・オリハルコン)】が発動して両手の傷を治癒すると共に、英雄が抱く怒りを過去のものとする。

 

 己の激情に支配されたのは刹那の間であり、誰もベルの変化には気が付かない。

 

 ふとすれ違う誰かがベルへと視線を向ければ、そこにはオラリオ中を魅了した〝未完の英雄〟の姿だけがあるのだった。

 

「おや? おお、ベルではないか」 

 

「……こんばんは、ミアハ様。その荷物はお買い物ですか?」

 

 そんな時だった。背後から耳慣れた声を聞いたベルはゆっくりと振り返る。

 

(ははっ……相変わらず、優しい方だ……貴方は……)

 

 そこに居たのはヘスティアと同じ超越存在(デウスデア)である、美麗な青年の姿をした神ミアハが立っていた。

 

 神を前に刹那の間ベルは右眼から閃光を迸らせると、にこやかにミアハと挨拶を交わす。

 

「うむ、夕餉の買い出しにな。……それにしても聞いたぞ、ベル。お前はまた、無茶をしたのだな?」

 

「ご心配をおかけしたみたいで、すみません」

 

 ベルにとってミアハは主神であるヘスティアを除いて数えるほどしか居ない、しっかりと言葉を交わし合って(・・・・・・・・・・・・・・)親交を深めた神様なのだ。

 

 だからこそベルはミアハに心配をかけたことへの申し訳なさと、心配されるほどに軟弱な己に不甲斐なさを感じて仕方が無い。

 

 もっと己が強ければ、傷つきさえしなければ、ミアハ様にも心配をかけることはなかったのにとベルは自身に強い憤りを覚える。

 

「……なに、男は度胸とよく言ったものだ。心配している者がいることを忘れていないのなら、私からは言うべきことなど何も無いさ」

 

 しかしそんなベルの心を見透かしているかのように、ミアハは優し気に笑って見せる。お前が怒りを抱く必要はないと、お前は良く頑張っていると優しい瞳が物語っている。

 

 ──元より己は英雄譚の舞台にすら上がれない、脇役以下の端役に過ぎないとミアハは理解している。己が紡いだ想いは、きっと他の誰かが伝えてくれているだろうことも。

 

「それに……」

 

「……それはヘスティアの役目であるのだからな」

 

 そして何よりも、己の紡ぎ出した想いは既にヘスティアが伝えてくれていると、ミアハは分かってるのだ。

 

 己と同じく眷属を深く愛する事の出来るヘスティアであるのならば、子供の征く道をしっかりと見守っているだろうと信じているのだ。

 

「そうだベルよ、これを渡しておこう。出来たてのポーションなのだが、ぜひ受け取って欲しい」

 

「そんな! この間も頂いたばかりなのに受け取れませんよ、ミアハ様!」

 

 だから己に出来るのはこの位しかないのだと、ミアハは懐から作り立てのポーションを取り出してベルへと渡す。

 

 もう既にポーションすら必要ない(・・・・・・・・・・・・・・・)のかもしれないが、己が渡せるのは肉体を癒す優しき祝福しかありはしない。

 

 ──それ以外に険しい道を進む少年へ手を貸せることが、何も存在しないのだ。

 

 ──だから受け取って欲しい。私に英雄にならんとする少年の手助けをさせてはくれないか? 

 

「なに、良き隣人への胡麻すりだと、そう思ってくれればいいのだ」

 

「……それに、お前を見ていると私も心配でな? せめてこれぐらいはさせて欲しいものなのだよ」

 

 ベルが断ろうとするのは目に見えていたミアハは、今のベルが最も心に留めている言葉を紡ぎ出す。

 

 それがズルい事だと分かっていても、ミアハは傷だらけでも進み続ける少年の力になりたいのだ。

 

 ──何故ならベル・クラネルは〝英雄〟である前に、〝一人の人間〟なのだから。

 

 ──戦えば傷つき、嬉しいことがあれば笑い、悲しいことがあれば涙を流す只人の少年なのだから。

 

「……そう言われたら受け取らない訳にはいかないじゃないですか……ありがたく頂きます、ミアハ様」

 

 心配をかけてしまったのは己なのだからとミアハの想いを真摯に受け止めるベルは、その手でしっかりとポーションを受け取る。これはまだ誰かの想いを背負うことすら出来ない、弱い己への激励にしようと。

 

(まだまだ僕は弱いな……〝未完の英雄〟だなんて、僕には過ぎた二つ名だよ。本当に……)

 

 前へと進むことしか出来ないベルは、その後ろから見守ってくれる者が居ることを知っている。彼等は己の身を案じ、心から心配してくれているのだと、解っている。

 

(【ランクアップ】したからって驕ったりなんかしない。もっと……! もっと……! 僕の願った英雄の高みは遙か先にある……! 

 

 だからこそ、その想いも糧として英雄は前へと進み続ける。

 

(いつかミアハ様の想いも背負えるようになってみせる……!)

 

 慮ってくれる彼らに誇れる強さを手に入れられるように。己が願った英雄になれるように。ベル・クラネルは信じた未来を必ず掴み取ってみせると、何度だって己の魂に誓うのだ。

 

「ああ、そうしてくれ。……だが、ベルよ。無茶もほどほどにしておくのだぞ? 人の命とは儚いものだ、いつその首に死神の鎌が振り下ろされるのか、神であっても分からぬのだからな」

 

「……それでも、ですよ。ミアハ様。例えそれが僕が進む道の未来(末路)だとしても、立ち止まるつもりはありませんから」

 

 ミアハは知っている。英雄と呼ばれる者であっても、いとも簡単に尊き命を散らしてしまうということを。悪意ある刃に心臓を貫かれることも、信じた仲間に裏切られてしまうことも星の数ほどあるのだ。

 

 どれほど強い意志を持っていようと己の〝宿命〟を前にした時、英雄であってたとしても死の鎌が振り下ろされることを、神であるミアハは嫌と言うほど理解しているのだ。

 

 だがしかし神からの忠告を受けても尚、ベルは前を向き進み続ける。己の征く道の最後が理不尽な死なのだとしても、悲惨な末路なのだとしても一向に構わないと覚悟(ヒカリ)に満ちる瞳が語っている。

 

 進み続けた先に救われた命が、守られた笑顔が確かにあったのならば、それだけでベル・クラネルは十分なのだ。誰かの希望になれたのならば、ベル・クラネルは最後まで英雄として立ち続けて己の命を散らすだろう。

 

 ──なぜならベル・クラネルは、未完なれど英雄の器を持っているのだから。

 

 ──いずれ多くの民が抱く想いを背負い、誰もが笑顔で生きられる未来を切り拓いてみせると誓ったのだから。

 

「……そうか。いや、ベルならばそう言うであろうことは、私とて分かってはいたさ。……ならば私は精一杯祈ろうでないか、お前の無事をな」

 

 だからこそミアハもベルの想いに応えるのだ。彼の物語が閉じるその時までベルを英雄としてでは無く、一人の人間として見守るとミアハはこの胸に改めて誓うのだ。

 

 確かにベル・クラネルは英雄になるのだろう。どんな形であれ近い将来必ずその手に栄光を掴んで、人々の心を魅了し歴史に名を残すのだろう。

 

 いずれベルの生涯は英雄譚として語り継がれ、吟遊詩人たちが口々に謳い、無垢な子供に憧憬を与える未来が今にも目に浮かぶのだ。

 

 ──ならば一神くらいはベルをただの人の子として見ても構わないだろう? とミアハは天に向かって微笑んで見せる。何故なら己は英雄譚の舞台に上がることのない、ただの端役なのだから。

 

 ベル・クラネルの英雄譚(人生)を見守ることしか出来ない、名も無き民衆に過ぎないのだから。

 

「…………ありがとうございます、ミアハ様。貴方の言葉(想い)はしっかりと胸に刻ませてもらいました」

 

 ミアハが紡ぎだした万感の思いは、紡がれる言葉と共にベルの心へ痛いほどに伝わった。

 

 ──彼が見守ってくれるのなら、きっと己は最後まで人の子でいられると。

 

 全てを鏖殺する化け物ではなく、誰かを守れる英雄になれるのだとベルは心の底から思うのだ。

 

「……ふむ、これ以上私の為にベルを引き止めるのは野暮というものか。英雄色を好むとは、よく言ったものだ。女神(ヘスティア)だけでなく【剣姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)】までだとはな。ふははっ、それではなベルよ」

 

「はぁ……? ミアハ様、それはどういう……」

 

 話が一段落した時、ミアハはベルの後方に視線を向けると、どこか嬉し気な笑みを浮かべる。

 

 その表情は安堵と慈愛に満ちていて、ベルは改めてミアハ様は超越存在(デウスデア)なのだと理解した。身体から漏れ出る隠しきれない神聖さは、とてもじゃないが人間では放つことが出来ない清廉なものだから。

 

 しかしミアハの妙な言い回しに疑問しか浮かばないベルは、首を傾げながらも言葉を投げかけようとしたが、彼が歩みを止めることは無い。

 

 そしてミアハは最後までベルの疑問にこたえることはなく、メインストリートの人混みに消えていった。

 

 大地に恵みを与える絢爛な太陽が落ちて、遍く心を鎮める美しくも厳粛な夜が訪れる。

 

 英雄が望む温かな幸福はそのままに、オラリオは賑やかな狂騒へと姿を変えていくのだ。麗しき青年は輝き始めた星を眺めながら人混みを掻き分けていく。

 

 そして、一度だけその歩みを止めると少年が居ただろう道へと振り返り……

 

「……ベルよ。いつかお前が抱くもう一つの願い(・・・・・・・)に向き合ってくれる者が現れることを、私は祈っているぞ」

 

 ──我が願うは癒しと幸福。傷ついたのならば癒し、幸福を願うのならばその未来へと手を貸す。

 

 ──汝、〝只人の少年〟よ。走り続ける人の子よ。汝が道に寄り添いし永遠の伴侶が現れんことを、我は願う。

 

 ──英雄が抱く光も闇も、その全てを包み込む柔らかな風が寄り添ってくれるを、我は祈る。 

 

 ──少年の歩む人生に幸あらんことを。

 

 小さく呟かれたミアハの言葉を聞いた者は誰もいない。その資格を持つ者も今はまだ誰もいない。ミアハの言葉を理解できる者がいるとするならば、それはベル・クラネルの全て(・・)と向き合った者だけだろう。   

 

レフィーヤ・ウィリディスのサブヒロイン化計画(ティオナは内定)

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