ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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逢瀬

 怪物祭(モンスターフィリア)、当日。 

 

 黄昏の館(ホーム)の一室では、人形のように愛らしい金色の少女アイズ・ヴァレンシュタインと、神すら嫉妬するだろう麗しい容姿を持つリヴェリア・リヨス・アールヴが向き合っていた。

 

「……ね、ねぇ……リヴェリア。……この服で、……大丈夫……かな?」

 

「ああ、安心しろ。よく似合っているぞ、アイズ」

 

 現在アイズはベルとのデートに向けて、身に纏う衣服をリヴェリアと共に選別していた。

 

 ベルと約束を交わした時は、迎えに来てくれる事実にだけアイズは囚われていたのだが……

 

 しかし一夜が経ち、気が付く。デートの約束をした時点で、勢いしかなかったことに。デート当日の計画など、まるで考えていなかったことに。

 

 衝撃の事実に気が付いたアイズは、すぐさま【ロキ・ファミリア】の母親(ママ)ことリヴェリアの部屋に駆け込んで相談することになる。

 

「……うん、……ありがとう。……ベル……喜んで、……くれるよね」

 

「ふっ……当然だろう? 今のアイズは、オラリオの誰よりも可憐なのだからな。これで文句を言うようなら【レア・ラーヴァテイン】を喰らわしてやるさ」

 

「……リ、……リヴェリア!」

 

「冗談だ。ふふっ……だからそんなに怒るな」

 

「……もぅ」

 

 現在はリヴェリアと冗談交じりの会話が出来るほど落ち着いているアイズ。

 

 だが駆け込んできた時に見せたアイズの慌てようは、それはもう凄まじいものだった。

 

『……リヴェリアっ!』

 

『どうしたアイズ、お前がそこまで慌てるとは珍しいではないか』

 

『……大変っ! ……大変なの、……リヴェリアっ!』

 

『分かった、分かった! だから少し落ち着け』

 

 ベルとのデートなど考えただけで意識が燃え上がってしまうアイズは、一体何から手を付けて良いのかまるで分からなかった。

 

 強くなることに必死であったアイズは、そもそも男性とデートなんてしたことがないのだから。

 

『……ね、……ねえ……リヴェリア! ……べ、……ベルと……ベルとデートするんだけど……どうしたらいいの?』

 

 顔を真っ赤にしながら迫ってくるアイズを前に、リヴェリアは聖母のような慈愛の笑みを浮かべた。

 

 本当に変わったと。己の想いを、恋を知ったアイズはどこまでも魅力的だった。

 

 今のアイズはオラリオ一可愛い! いや元からだったな! と、リヴェリアが親バカを発揮するくらいには。

 

「……う、……うん。……じゃあ……行ってきます……!」

 

「ああ、存分に楽しんでくるといい」

 

 ベルが迎えに来る時間が近づいてきたアイズは、明るい笑顔を浮かべながら黄昏の館(ホーム)から走り出していく。

 

 アイズの無邪気な笑顔と、今にも踊り出しそうな両足を見たリヴェリアは手を振って見送る。

 

「やれやれ。今のアイズを見れないとは、さすがの私もロキの不運を嘆くぞ」

 

 それと同時に、この場に居合わすことの出来なかった己の主神(ロキ)に対して哀れみを抱く。この日に限って外せない用事など、不運以外の何ものでもないだろう。

 

 今日のことをロキに伝えて良いものか、リヴェリアは数十分は頭を抱えて悩むことになる。

 

 今のアイズを見れなかったと知れば、血の涙を流しながら悔しがる光景が目に浮かぶのだから。

 

「それにしても、どうしても外せない用事とは一体……」

 

 しかしそれ以上にリヴェリアは、用事があると黄昏の館(ホーム)を後にする時に見せたロキの横顔が忘れられない。

 

 鷹のように鋭い目付きと、重々しい重圧感を思わせるあの気配(神威)

 

 まるで己の知るロキではないかのような錯覚を、リヴェリアは覚えたのだ。

 

 オラリオで何かが起きようとしている。

 

 それは冒険者として何度も修羅場を潜ってきた、リヴェリアの勘によるものか。エルフとして長い時を生きてきた、経験によるものかは分からない。

 

 ただ……〝何かが起こる〟。これだけは間違いないと、リヴェリアは断言できるのだ。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)が始まろうとしている、オラリオの空は青い。澄んだ空気に純白な雲が漂い、まるで今日という日を祝福しているようだった。

 

──まるで何かが起きることを、心待ちにしているようだった。

 

 ○

 

 待ち合わせの時刻丁度に、ベルは黄昏の館にその姿を現した。

 

 アイズとのデートではあるがベルの身に纏う衣服は、ダンジョンに赴くものと同じ機能重視のものだった。

 

 女性との逢い引き(デート)であっても、決して油断はしないとベルのその姿が暗に語っていた。

 

 ──悪とは理不尽なまでに自由だ。今日という日が人々の笑顔で満ちていようと、彼らにとってはまるで関係ないのだから。

 

 ──寧ろ悪辣なる者達は、このような希望に満ちた日に悪意を振りまく。

 

 だからこそベルは、ダンジョンに潜る時と変わらない完全装備なのだ。武器を持っていなかったから救えなかったなどと、情けない言葉を英雄が吐くことは許されない。

 

 慢心していたから負けたなど、英雄譚には存在してはいけない。

 

──英雄の立つ戦場に、敗北の二文字は無いのだから。

 

「こんにちは、アイズさん。……お待たせしてしまいましたか?」

 

「……ベル! ……こ、こんにちは! ……ううん……私も出たばっかりだから、……全然待ってないよ?」

 

「そうですか、それなら良かったです」

 

 ベルが駆け足気味に近づくと、そこには無垢な純情を思わせる精霊の姫君が佇んでいた。

 

 まるでこの場だけ切り取られ絵本の中に迷い込んでしまったかのような、不思議な気分にベルは陥る。

 

 それほどまでに、今日のアイズは可愛らしかった。神にすら引きを取らない美貌に、純情無垢な金色の瞳。そして太陽の輝きによって煌めく金色の長髪。

 

(まるで、精霊みたいだ……)

 

 ベルの姿を視界に収めたアイズは、鳥が空に羽ばたくように軽い足取りで駆けてくる。

 

──闇に囚われた精霊の姫君は、英雄の覚悟(ヒカリ)を抱きしめる。

 

──希望を背に抱く光の英雄は、精霊の姫が抱く闇を優しくその手で払う。

 

──互いが互いへ手を伸ばし、英雄神話は始まりを告げた。

 

──ここに英雄譚の第一章が幕を上げる。

 

「……ベル……えっと……どう、かな……?」

 

「……アイズさん」

 

 ベルの前で立ち止まると、アイズは少し照れながらも精霊が舞うように一度、ふわりと回って見せる。リヴェリアと共に選んだ服を、ベルの目に焼き付けたかった。

 

 ──可愛いと褒めて欲しかった。

 

「純白のドレスにあなたの金髪が映えて、……凄く可愛いですよ。とても……とても似合っています」

 

 何者にも染まらない純白に彩られたワンピースは、アイズの愛くるしい顔立ちと煌然(こうぜん)とした金色の瞳、そしてそよ風になびく長髪によく映える。

 

 人形のように愛らしいアイズであれば何であっても着こなすと思うベルだが、今の彼女が纏うワンピースは心の底から誰よりも似合っていると断言できた。

 

 きっとアイズは、悩みに悩み抜いて選んだのだろう。己とのデートの為に、どの服が似合うのか何度も考えたのだろう。

 

 それほどまでに今日を楽しみにしてくれたことが、ベルにとっては何よりも嬉しかった。

 

「……べ……ベル……! ……凄く嬉しいん……だけど……そ、そこまで言われたら……恥ずかしい……」 

 

「すみません。でも、僕は本当に似合っていると思いましたから。この気持ちを隠すことなんてできないですよ」

 

 ベル・クラネルは己の心を偽らない。

 

 正しいことは正しいと言葉で紡ぐし、間違っていると思ったら間違っていると相手に伝える。

 

「あ……う……」

 

 前に進む事しか出来ないベルは、心を偽る術など持っていない。己はただ前を向き、走り続けるのみ。

 

 その道が間違っているのならば己の主神が、親交を深める神が、己が守るべき誰かが間違っていると咎めてくれると信じているから。

 

──未完の英雄は、決して立ち止まらない。立ち止まることが出来ないのだ(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 だからこそ可愛らしく着飾ったアイズを褒めたい想いも、ベルは隠さない。ミアハにも告げられたように、いつ己の首を死神の鎌が薙ぐのか分かりはしないのだ。

 

 当たり前のように過ぎ去るこの刹那を大切にしたいと、伝えられることは言葉にしたいとベルは強く思う。

 

 それだけが前へと向くことしか出来ないベルの、唯一見守ってくれている者達に贈れる感謝だから。

 

「……うぅ~……」

 

 ベルから向けられた真っ直ぐな賛辞と爽やかな笑顔を前に、アイズは恥ずかしさを我慢できず俯いてしまう。

 

 きっと己の顔は今、真っ赤に紅潮させているに違いないから。

 

 このままベルの顔を見ていたら、また前のように意識が飛んでしまう気がしてしまうのだ。

 

 折角のデートを台無しにだけはしたくないアイズは、恥ずかしさで煮えたぎってしまったほとぼりが冷めていくのを待ち続ける。

 

「あ……」

 

 その時だった。

 

 アイズはロキが呟いていた言葉をふと思い出した。それはベルと怪物祭を共に回る約束をした夜の話だった。

 

 ロキが珍しく何かの書類に向かって小難しそうな表情を浮かべながら、ぶつぶつと呟いていたのだ。

 

『ふむふむ………………はぁ?』

 

『ベル・クラネルが約半月で、【ランクアップ】、やって……!? ありえへん……まだ冒険者になったばっかなんやろ……こんなもん信じられるわけっ……!』

 

『…………』

 

『せやけど……間違い……なわけあらへんか……ギルドがこんなヘマするわけないもんな……なら考えられるんは……まさかあのドチビ……』

 

 アイズが聞き取れたのは、ベルが【ランクアップ】を果たしたこと。

 

 長々と何かを呟いていたロキから拾えたのはベルの【ランクアップ】についてだけ(・・・・・)だったが、その言葉こそアイズの求める情報だった。

 

 アイズと初めて出会った時のベルは、間違いなくLv1の冒険者だった。

 

 ベルがLv2であるのならばある程度の装備を身に纏っているだろうし、ミノタウロス相手にあれほどの重傷を負う可能性も低い。

 

 ならばロキが言ったようにベルは、〝半月〟と言う僅かな期間で【ランクアップ】したことになる。その事実はアイズにとっても、驚愕に値するものだった。

 

 常人にはとてもではないが、成し遂げることの出来ない正しく英雄の偉業だ。

 

 そもそも冒険者の大多数はLv1であり、Lv2以上は上級冒険者と呼ばれるほど器を昇華させることは難しい。

 

 それを思えば、ベルの【ランクアップ】が如何に前代未聞なものか分かるだろう。

 

 ベル・クラネルという少年は、たった半月で上級冒険者の仲間入りを果たしてしまったのだから。

 

「ベル……【ランクアップ】おめでとう……Lv2になったん……だよね……?」

 

「あ、はい。ありがとうございます、アイズさん。そうなんですよ、やっと(・・・)僕もLv2に【ランクアップ】出来たんですよ」

 

 何故アイズがギルドの発表を待たずして、己が【ランクアップ】したことを知っているのか少しばかり不思議に思ったベルだが、その瞳からは悪意を一切として感じない。

 

 ならば己の情報を持っているのは彼女ではなく、【ロキ・ファミリア】に所属する他の誰かなのだろうとベルは静かに思考を巡らす。

 

 しかし今はアイズと向き合っているのだ。血生臭いことより、今も己の前で微笑むアイズのことを想おうと、ベルは思考の海から浮上し、己の想いを吐露する。

 

 長かった(・・・・)とても長かった(・・・・・・・)。Lv1からlv2への【ランクアップ】に、半月も(・・・)費やしてしまったのだから。

 

「これでまた一歩、アイズさんの背中に追いつきましたね」

 

 ベル・クラネルは己の現状に、まるで満足していなかった。

 

 Lv2になった程度では、誰も守れない。もっと強くならなければ、闇に蠢く悪を討つこそすら出来ないのだ。

 

 故にベルの心に喜びが満ちることなど、あり得ない。守りたいと願ったアイズにすら、ベル・クラネルは追いついていないのだから。

 

 ならばもっと速く、もっと多くの戦場を駆けて、これまで以上に強くなるしか無い。

 

──英雄になると、アイズに誓ったのだから。

 

「うん……! やっぱりベルは……」

 

──英雄、なんだね……

 

 ベルの凜々しい横顔を眺めるアイズは、喜びに満ちた己の心を優しく抱きしめる。

 

 ベルは強くなっている。誰かの笑顔を守れる英雄になる為に。己との誓いを守る為に。

 

 父の背中と重なるベルの後ろ姿は、誰よりも雄々しい。

 

「?」

 

 急に微笑みを浮かべたアイズを不思議そうに眺めるベルだが、深く気に留めることはなかった。その幸せそうな横顔には、不安を抱かせる要素がただの一つもないのだから。

 

 笑顔を浮かべる理由にたどり着けないベルではあるが、アイズの嬉しそうにしている表情を見ていると心が安らぐのを仄かに感じた。

 

……この想いの名が何なのか、英雄はまだ知らない。

 

「ふふっ……それじゃあ、行きましょうかアイズさん」

 

「……う、……うん」

 

 挨拶も早々に怪物祭(モンスターフィリア)に繰り出そうとするベルとアイズだったが……

 

「……? アイズさん、どうかしましたか?」

 

 アイズはすぐその歩みを止めた。

 

 動きを止めたアイズを不思議に思ったベルもまた両足を大地に繋ぎ止めると、後ろへと振り向く。

 

「……ねぇ、……ベル……お願いがあるの……」

 

「お願い、ですか?」

 

 ──ベルの目の前には、可愛らしい無垢な少女が立っていた。

 

 恥ずかしそうに視線を泳がせ、両手を握って震えを抑えるアイズ。恋する少女は想いを押し留めることなく、少年に願いを伝える。

 

 もっと己とベルの繋がりを、確かなものにしたかったから。我慢してしまったら、進み続ける英雄の手を取ることは無理だと想ったから。

 

「……うん……その……えっと……手、繋いでも良い……?」

 

 ……言ってしまった。

 

 震える唇でようやく紡ぎ出した言葉を前に、漠然とした不安を抱くアイズ。言わない方が良かっただろうか。しっかりと言葉を紡げただろうか。

 

 言い知れない不安に襲われるアイズだったが……

 

「手、ですか? ……僕ので良いなら、全然構いませんけど」

 

「……本当に!」

 

 ベルは少しキョトンとした表情で、アイズの願いに応えて見せた。アイズにとって一世一代といえる願いは、ベルから差し伸べられたその手を以て叶えられる。

 

「おっとと……! ……はい、本当ですよ。男性は女性をエスコートするものだと祖父にも教わりましたから、アイズさんが手を繋ぎたいと想ってくれるなら、喜んで」

 

「……ありがとう、ベル…………!」

 

 思わず前のめり気味になってしまったアイズだが、そんなことは知ったことではないと嬉しそうに差し出されたベルの手を優しく握り締める。

 

 初めて感じる、ベルの温もり。それはあまりにも優しく、心が満たされるものだった。

 

 ベルの手から流れてくる情熱は、英雄だった父のような安堵を(もたら)してくれて、精霊のように美しかった母のような癒やしを与えてくれるようで。

 

 ベルと手を繋いだアイズの心は、幸福に満たされていた。

 

「ふふっ……それじゃあ改めて、行きましょうアイズさん!」

 

「うん!」

 

 英雄と精霊の姫は共に笑顔を浮かべて、王道なりし英雄譚の舞台へと進んでいく。

 

 誰かの涙を拭わんとする光の英雄よ。今一時は、温かな日常(平和な日々)を過ごすと良い。 

 

──運命の時は近い。

 

 燦々(さんさん)と大地を照らす太陽と彼方まで澄み渡る青い空が、英雄の到来を待ち望んでいる。

 


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