ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか 作:まだだ狂
現在オラリオの大通りにはいつも以上に出店などが立ち並び、冒険者や市民といった様々な人々が弾むような声をあげて楽しんでいる。
年に一度というだけあって大きく賑わう
「この先が
「……見ていく?」
「そうですね……気にはなるんですけど、僕は彼らの笑顔を見てる方が、きっと楽しい……」
オラリオの東部に存在する
小さく呟かれたベルの言葉だが、アイズの耳には一字一句しっかりと拾われていた。
神に〝祝福〟されているとしか思えないベルとのデートを掴み取ったアイズは、全力で楽しむために変な方向に集中力を使う。
アイズの提案を受け少しだけ考える仕草を見せたベルであったが、その視線は大通りを歩く人々に向けられている。笑顔で母親の手を引く子供や、初々しいを感じさせる男女のカップルなど。
大通りにはベルが望むかけがえのない日常が、視界一杯に広がっていた。英雄になると誓ったベルの望む
「……ふふっ……なら、もっと回ろう?」
「ありがとうございます、アイズさん」
心の底から幸せだと高らかに宣言するように、ベルは精悍な面立ちを破顔させる。アイズが覗くベルの横顔は、年相応の幼さを感じさせる少年らしい可愛らしさがあった。
右手から伝わるベルの熱と、穏やかに流れる幸福な時間にアイズは喜びを隠せない。温かい、幸せだ。私の光はここにあると、詩にしたいほど有頂天な気分に包まれる。
「………………?」
「「きゃああああああああああ!!」」
「モ、モンスターだぁあああああああああああっ!!」
しかし闇から抜け出した精霊の姫が掴んだ筈の晴れ渡る幸福は、英雄を求める民達の声によって終わりを告げる。
刹那のように感じさせた休息。英雄が過ごした日常は、既に遙か過去へと過ぎ去っていく。
「声が、聞こえる……」
──ここに英雄譚の第一章は、幕を開ける。街へと現れ出でた悪逆なる怪物は、笑顔に花を咲かせる人々の幸福を奪わんと蛮声をあげるのだ。
──立ち上がる刻が訪れた、英雄の立ち上がる時が。その手に担うべき英雄の武器が無くとも、涙を流し助けを求める声が聞こえているならば、鋼の意志を以て前へと進め。
──振り向くな。ただ進み続けろ。汝の輝かしき雄姿で、民に希望を与えるのだ。神話に綴られる英雄譚を紡ぐのだ。
──振り向くな。前だけを見据えろ。英雄が振り向いた先にあるのは、民の嘆きと涙だけなのだから。
「この気配は……!」
もはやそれは条件反射だった。悲鳴が聞こえただけでベルの心が、ベルの肉体が助けに征けと奮い立つ。早く、速くと、ベルが抱く鋼の意志が雷鳴の如く轟くのだ。
アイズとのデートはとても楽しかった。ここまで純粋に心が躍ったのは祖父を失って以来だと、ベルは断言できる。
それでも、しかしそれでも、ベル・クラネルはどこまでも英雄だった。
悲しみに濡れる民を助け、己の前に立ちはだかる悪を滅ぼす英雄だった。
「……あ、待って! ベル……!」
「ごめんなさい、アイズさん……! デートの途中に……! でも、でも! 声が聞こえたんです! 守るべき誰かの悲鳴が!」
「なら……征かないと……僕が征かないといけないんです! 守ると誓ったんですから! 彼らの笑顔を奪わせたりなんか、絶対にしないって! 僕自身の魂に刻んだんですから!」
気が付いた時には両足は馬車馬のように駆け出し、
何故ならば、アイズもまたベルのとって守るべき大切な人だから。彼女の笑顔を奪うだろう悪を、ベルは討たねばならぬと
ベル・クラネルの誓いは揺らがない。幸福な日常に身を浸そうとも、己が抱く覚悟の光が陰ることなど決してないのだ。
あるとするならば、その時は……もはやベル・クラネルは、己の命を散らしているだろう。
「ベル……」
「なんで、君は……一人で……征っちゃうの?」
だからこそ精霊の姫は、アイズ・ヴァレンシュタインは、金色の瞳を悲し気に揺らす。
何故一人で征ってしまうのかと。何故ベルは誰かの手を借りようとしないのかと。
己は英雄の道を共に征くには相応しくないのかと、寂しさに嘆く。
何故ならばベル・クラネルは紛れもない英雄だから。己もまた守るべき『誰か』であるのだと痛感したから、アイズは胸の苦しみを抑えられない。
想いのままにこの嘆きを詠い、湖の底に身を沈めてしまいたいとアイズは胸の痛みを必死に抑える。
「ベル……私は……私は君と……! 君と一緒に……!」
この日初めて、アイズは雄々しく進む〝
英雄に寄り添うと誓ったアイズは、ベルの抱く想いの強さを前に佇むことしか出来なかった。
精霊の姫は自問自答し続ける。英雄への誓いは未だにこの胸に燃え盛っている。だがしかし、心に刺さる闇という名の棘が、彼女の足に絡んで離さない。
光の英雄に寄り添い一心だけでは、その道を共に征く者として相応しくないと戦場は重々しく告げていた。
ベルへの恋情と怪物への復讐心だけでは、英雄の征く道にその一歩を踏み出す資格は無いと雄々しく背中が叫んでいたのだ。
英雄の雄姿を前にアイズは、運命の鎖に囚われる。茨の如き呪縛を前に、眠り姫の目が覚めることはない。
眠り姫の求める英雄は、誰かの明日を守らんが為にと戦場を駆ける
──【
○
(どうしてモンスターが檻の外に! 一体何がおきてるんだ!)
ベルは一分も経つことなく悲鳴の聞こえた現場へと赴くと、視界には20階層に現れる雄鹿のようなモンスター、ソードスタッグの群れが暴れ回っていた。
「う、うわあああ!!」
(いや、そんなことは後回しだ! 余計はことを考えてる暇なんてない!)
幸福が奪われる光景を目の当たりにしたベルは、火山が噴火するかのような怒りを燃え上がらせる。
許せない、奪わせない。貴様ら邪悪を斬り伏せると、ベルは右眼から雷光を迸らせながら服に仕込んだ隠し収納からナイフを取り出す。
己が無駄な思考をしている間にも、守るべき人々の笑顔が涙へと転覆させられているのだ。今すべきことは彼らを助けること。
それ即ち、ソードスタッグの群れを壊滅させることにある。
(あの人たちを守るんだ!)
ソードスタッグが二十階層より下で出現することなど、ベルの頭には無かった。もう涙を流す必要は無い、僕が必ず助ける。
覚悟を漲らせ、気合と根性さえあれば悪に屈することなどありはしないのだ。人とは心一つで神話に至る英雄になれるのだと、ベルは信じて疑わない。例え誓いの果てに己が邪悪を滅ぼす■の■になってしまったのだとしても、後悔など決して抱くことはないのだから。
それで守られる命があったのならば、紡がれる未来があるのであれば、ベル・クラネルは己の道を振り向ことなく進み続けるだろう。
「しっ……!」
『グギャッ!?』
破邪の一閃が瞬いた。
英雄の刃はソードスタッグの首を刹那の時も許さず断罪する。これがお前の罪であると、怒りに震える刃が何よりも証明していた。
「はあっ……!」
『グガァァァッ!?』
神速の一閃が煌めいた。
英雄の威光を前にソードスタッグはただ触れ伏すのみ。彼等の笑顔は奪わせないと、覚悟を抱く英雄は進み続けるのだ。
「す、すげえ……」
「あ、あんたはっ!?」
一太刀振るえばモンスターの鮮血が舞い、英雄がその一歩を前へと進めば悪は一閃の元に滅ぼされる。
物語に語られる英雄譚の一幕が、彼らの前に威風堂々と現れた。
「早く逃げて下さい! 僕がモンスターを惹き付けている内に、早くっ!!」
「は、早く行こう!」
「あ、ああっ!! ありがとう〝未完の英雄〟!」
モンスターを前に雄々しく立ち向かうベルの後ろ姿は、英雄そのものだ。ベル自身は認めずとも、誰かの笑顔をその手で確かに守ったのだから。
「お前達は必ず守る」と雄弁に謳い上げる英雄の雄々しい姿は、民に希望という名の光を灯す。
彼なら……〝
〝
鋼の意志を体現した英雄の雄姿に人々は魅了される。心を奪われるのだ。
なんだこの気持ちは。想いが滾って仕方が無い。あの人みたいになりたいと、遠くから見ていた少年の憧憬となる。
ベル・クラネルは、彼らに栄光ある未来を示すのだ。
『『『『グギィィィィィ……』』』』
「来いっ! お前たちの敵はここに居るぞ!」
そしてベルもまた、己の意志が
ベルの身体に漲る誓いと覚悟は、もはや天井知らずの無際限。
背中に刻まれた炉の祝福が英雄を喝采している。前へと進め。栄光を示せ。勝利をその手に掴んでみせろと、号令を下すのだ。
『『『『グギャァァァァァッ!!』』』』
「僕が立っている限り……! モンスター如きに、彼らの幸せを奪わせたりなんかしない!」
だが悲しきかな。女神に心奪われた狂信者程度では、鋼の意志を抱き進撃し続ける英雄の【
ベルにとって敵となり得るのは、強き心を持つものだけだ。どれだけ強大な力を持っていようと、心が眩い輝きを放っていないのならば、気合と根性で乗り越えられるから。
──敗北するなどあり得ない。
「ふっ……!」
『グギャッ!?』
ソードスタッグの群れを前に、ベルクラネルは不安を抱かない。己は勝てる、負けるわけがないと疾風怒濤に大地をひた走る。
「はっ……!」
『グ……ギ……』
すれ違いざまに撫で斬りにされたソードスタッグは、女神に心を奪われたまま冷たくなった躯を晒す。
「しっ……!」
『ギャッ……!?』
「はぁぁっ!」
『……? ……グ……』
痛みなど感じる暇もない。己の罪を悔いる時すらない。ソードスタッグは英雄の無双劇を前に、断末魔を上げることしか許されないのだ。
「マジ、かよ……」
「ソードスタッグ四匹を、一瞬で……」
「あり得ねえだろうが……! あいつは、本当にLv1だっていうのかよ……だとしたら俺達は、一体……!」
「これが〝
──威風堂々。
ソードスタッグの躯の上に立つ英雄は、その瞳に覚悟を迸らせて佇むのみ。ベル・クラネルの心には勝利への喜びも、栄光への昂りも存在しない。
鋼の英雄が心に抱くのは、ただ一つ。助けを求める誰かを守り通せたことへの安堵のみ。
勝利など当然のことだ。守るべき誰かのために、ベル・クラネルは負けるわけにはいかないのだから。たった一つの敗北も許されないのだから。