ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか 作:まだだ狂
──英雄の前に立ちはだかるは、女神の加護を受けし神の使徒。
──されど英雄は立ち上がる。誰かの笑顔を守る為。誰かの涙を拭う為。誰かに幸福を
──故に……
──それは、至高。
──それは、最強。
──それは、究極。
──それ以外に、形容すべき言葉無し。
──今こそ示せ、汝の
──英雄と成れ。
「マジ、かよ……!」
「ソードスタッグ四匹を、一瞬で……!」
「あり得ねえだろうが……! あいつは、本当にLv1だっていうのかよ……だとしたら俺達は、一体……!」
「これが〝
──威風堂々。
ソードスタッグの躯の上に立つ雄々しき英雄は、
ベル・クラネルの胸底には勝利への喜びも、栄光への昂りすら欠片も存在しない。
鋼の英雄が己の心に抱くのは、ただ一つ。
助けを求める誰かを守り通せたことへの安堵のみ。戦場に立ち、勝利するなど当然のことなのだ。
守るべき誰かのために、ベル・クラネルは負けるわけにはいかないのだから。
たった一つの敗北も許されはしないのだから。
○
──しかし英雄の戦いは、未だに終わることはない。
これより鋼の英雄の前に立ちはだかるのは、有象無象の群れに非ず。汝が打ち倒すべき真の悪が、舞台の上に姿を現す。
──
『グルゥゥゥ……!!』
怪物の名をシルバーバック。その双眸から黄金の輝きを荒れ狂わせながら、英雄の
──我が愛おしき女神の名の下に、英雄を騙る只人の魂を冥府の底に送り届けよう。
「なっ! いつの間にっ! くぅっ……!」
──鋼の英雄に油断は無い。戦場であるのならば常に警戒を怠らず、集中力を途切らせることも決してない。
──鋼の英雄に隙は無かった。極限まで張り詰めた精神は絶対不可侵の結界となり、手に持つ悪滅の刃が鎧袖一触の閃きとなって敵を屠り去るのだから。
「重いっ……! 受け、流せないっ……だってっ!?」
しかしベルの眼前へと忽然と現れたシルバーバックは、英雄の洗練されし堅牢なる領域を土足で踏み荒らしてきた。
気が付いた瞬間には、ベルは息をする間もなく迫る巨岩のような拳をその身に受けて吹き飛ばされていたのだ。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
疾風と錯覚してしまうような速度で吹き飛んでいくベルは、地面に接触すると石が水面で跳ねるかの如き勢いでオラリオの街を突き抜けていく。家を破壊し、道路を抉り、遂にはギルドの
「がっ……ごほっ! ごほっ!」
──
「ぅ……あ……ぁ……」
シルバーバックの振りかぶった拳をその身で一度受けただけで、五臓六腑の悉くを破壊し尽くされたベル。
「右腕の……骨が、砕け、てる……」
シルバーバックの一撃を受け止めた右腕は、振るわれた重圧に耐えきれなかったのか、手首や肘といった関節部分が軋みを上げて砕かれていた。
「左……足も……ぐぅ……動か、ない……」
そしてベルが視線を向ける左足も受け身を取る際の犠牲となり、目を逸らしたくなるようなほどに惨い打撲傷が幾つも刻まれている。
「ごほっ……! ごほっ……!」
裂傷などオラリオを飛行している時に数え切れないほどに負い、無事で済んでいる箇所は最早ない。
「でも……!」
しかし本来であれば死んでいてもおかしくない傷を前にしても、鋼の意志を持つ英雄は気合と根性で意識を強引に繋ぎ止める。
「……身体は……動くっ……!」
このまま倒れる選択肢など、鋼の英雄には存在しないのだ。
己はまだ死んでいない、ならば戦いもまた終わってなどいないのだ。
「僕、は……まだ……!」
これほどの暴虐を野放しにするなど、鋼の英雄には許されない。己はまだ立ち上がることが出来る。
ならば涙を流す誰かを守ることが出来るのだから。
──
「……死んで、ない……なら、まだ……立ち、上が……れるっ!」
朦朧とする意識の
──迸る魔力は、まだ幽か。天神の雷霆は、絶望を前にしても目を覚まさない。
『ルググゥゥ……』
──既にシルバーバックが立っていた。
──待ちくたびれたと、欠伸をするように。
──己の勝利は揺らがないと、あざ笑うかのように。
(もう予備のナイフが、無い……さっきの一撃で……全部……)
鋼の英雄の前に現れた邪悪は、あまりにも強大過ぎた。
まるで英雄譚の
(それに……)
「こいつ……ただの、シルバー……バックじゃ……ない……」
『グゴォオオオオオオン!!』
「ぐぅ……!」
痛みに震える身体を何とか動かし己の腕で必死に攻撃を捌いていくベルではあるが、武器すら失った英雄の体には痛々しい傷だけが増えていく。
(ありえない……シルバーバックがここまで強い訳が無い……)
ベルは既にダンジョンで、シルバーバックと相対している。だからこそ目の前で猛威を振るうシルバーバックに驚きを隠せない。
十一階層に現れたシルバーバックなど、
(ダンジョンで出会った奴とは……全てが違う……)
己が未だに未熟だと誰よりも理解しているベルには、この化け物に勝てる未来が一切として見えてこない。強さの次元がまるで違う。いや、
ミノタウロスと戦った時とは、立っている舞台が大きく異なっている。英雄の前に迫りくるのは、只々圧倒的な絶望だけだった。
(走る速度も……)
──英雄が一歩を踏み出す時、シルバーバックは五歩も先を征く。
(殴ってくる拳の威力も……)
──英雄が必死に捌くシルバーバックの拳は、まるで威力を殺しきれない。
(それにこいつ……僕の動きを見切っている……)
──英雄が刹那の隙を掻い潜って振りかぶった殴打は、先読みをされたかのように軽々と回避される。
(まるで……まるで何かの
シルバーバックが備えているあらゆる能力が、英雄の遥か上を行っていた。
『ギギィッ!!』
まるで誰であっても超えられない壁であるかのように、英雄の前に豪然と立ちはだかるのだ。
『うふふっ……ほら立って? ……あなたならこの子だって倒して見せるのでしょう? だってあなたは私の英雄だもの……!
あまりにも無慈悲な神の試練を与えるのは、愛を司る女神にして黄金を生み出す女神であるフレイヤだ。
そう……フレイヤこそが今日という日の為にシルバーバックへ
「しぃっ……!」
『グガァッ!!』
眼前にて繰り広げられているのは、英雄と怪物による魂を賭けた死闘。フレイヤの待ち望んだ光景が、視界いっぱいに広がっていた。
『ふふっ……うふふふふっ……!! さあ早く魅せて、〝
妖艶に笑い溢れんばかりの神威を振りまくフレイヤは、前人未到の英雄譚が紡がれることを心の底より願っている。
『誰にも成し得ない栄光を掲げた時、あなたはもっと輝くわ!! 美の女神である私に相応しい〝
ベル・クラネルの魂は、既に閃光のような煌めきを放っている。今の時点でフレイヤはベルを天界へと連れだしても良いと考えるくらいには、心を奪われ魅了されているのだ。
しかしベル・クラネルは……
──もっと輝くことが出来るのに今抱きしめてしまうだなんて、そんなの勿体ないじゃない……
『私自身、あなたが
──だからフレイヤは用意した。
試練を授けた己であっても、到底勝てるとは考えられないほどの絶対的な
──故にこそ超えて見せろベル・クラネル。過去の歴史を遡り古今東西どんな英雄であろうとも成し遂げることの出来ない、前人未到の勝利をその手に掴んで見せろ。
そして神話に名を連ねる真の英雄となった時、愛の女神が汝の心を抱きしめるだろう。
『グゴォオオオオオオン!!』
「しっ……!」
時間が経つごとに開いていくベルとシルバーバックの戦力差。【
『グゴォオオオオオオ!!』
「ぎぃ……!」
嵐のような暴虐を振りまく怪物を前に、ベル・クラネルは抵抗することが出来ず痛みが増していくばかり。だが瀕死の傷を負い足元が覚束ないにもかかわらず、無数に飛び掛かってくる死線をベルは紙一重で超えていく。
洗練された戦闘能力と気合と根性を携えた鋼の英雄は、絶対的な不利に陥っていようが貪欲なまでに勝利を目指している。
『グガァッ!』
「ぐぅ……あああああ……!!」
一合、二合と刹那の時を掻い潜っていたベルだったが、次に繰り出された拳を前にして時が止まるような悪寒を感じ取った。
「不味い」「危険だ」と直感的に上半身を捻り、歪な構えを取る。上半身を反らさなければ、死ぬ予感がベルの脳裏に過ぎったのだ。
ふとシルバーバックの拳を逸らす為に構えていると思っていた右腕へ視界を寄越すと、己の意志に反して既に力尽きたようにだらんと垂れ下がっていた。
瞬間。ベルの肉体に最初の一撃を受けた時のような激痛が巡り始める。ベルが受け流せると思っていたシルバーバックの暴撃は、無防備な肉体を軽々と打ち抜いていたのだ。
「………………ぁ……」
もはやベルの抱く鋼の意志を前に、身体は置き去りにされていた。限界など二重も三重も易々とぶち破る英雄の光に、只人の肉体は付いていくことが出来ず悲鳴をあげて崩れ去ってしまう。
凄まじい衝突音と共に地面へと埋め込まれたベル。神の使徒を前に、人間如きでは話にならないと戦場が告げる。
──勝利など掴み取らせはしない。汝はもはや只人なのだと、暴雨の如き力を纏う怪物が語っていた。
「…………ぎぃ……!」
だがしかし只人の少年はこれほどまでの絶望を前にしても、全くとして敗北を受け入れていなかった。まだだ。ここで倒れるわけにはいかないと、気合と根性を滾らせている。
「ま……だ……だ……戦い……は……終わっ……て……ない……!」
例え肉体が終わりを迎えようとしていても、己には英雄になるという誓いが、揺らぐことのない願いが宿っているのだと戦場へと何度だって吼えるのだ。
勝利は必ず掴み取る。己が只人の少年であろうとも負けていい理由になどなりはしないと、
──誰かの笑顔を守りたいと願った想いに、英雄か只人なのかなど全く関係ないのだから。
「動、けぇ……!」
戦場に鋼の意志が轟いた。燃え尽きた筈の肉体に、英雄が抱く
「動、けぇ……よぉ……!」
オラリオに少年の願いが響き渡る。背中に刻まれた炉の祝福が、仄かな光を放ち始めている。
「動けよぉぉぉぉ!!」
天に向かって英雄の雷鳴が瞬こうとしていた。再び眼前へと現れた〝
『グゴォオオ!!』
「……がぁああああああ!!」
──しかし神の使徒たるシルバーバックは、英雄の覚醒を許さない。己の使命は〝
ならば〝
「が……ぁ………………」
三度目の
(強い……強すぎる……全てが、僕の力を……圧倒的なまでに上回っている……)
隔絶……隔絶……隔絶……隔絶……隔絶……隔絶……隔絶……隔絶……隔絶……隔絶……天と地ほどの隔絶……
(僕じゃ……こいつに……勝てないっていうのか……)
敗北……敗北……敗北……敗北……敗北……敗北……敗北……敗北……敗北……敗北……英雄の敗北……
(神は……世界は……現実は……)
不可能……不可能……不可能……不可能……不可能……不可能……不可能……不可能……不可能……不可能……勝利は不可能……
(僕に〝
絶望……絶望……絶望……絶望……絶望……絶望……絶望……絶望……絶望……絶望……揺るぎない絶望……
「うわあああああああん! お母さぁぁぁぁぁん!!」
「……っ!!」
ベルの意識が闇に沈もうとしたその時だった。暗がりの世界に声が響き渡った。守るべき誰かの嘆きが。涙を流しながら叫ぶ少女の声が。
『うわあああああん! おじいちゃぁぁぁぁぁん!!』
冷たい海に漂っているベルの視界に、走馬灯が波紋となりて滴り落ちる。それは在りし日の過去、己がまだ無垢なる少年だった時の叫びだった。
(おじい、ちゃん……!)
──少年の追憶。
──英雄の起源。
恐ろしいまでの邪悪を前に立ち向かい続ける祖父を、勇敢な祖父の後ろ姿を眺め恐怖と悲しみで涙を流し続ける少年の嘆きを、〝未完の英雄〟ベル・クラネルは思い出した。
(なにを、してるんだ……僕は!! 負けるわけには、いかないんだろうがっ! 泣いてるんだぞっ! 僕が守ると誓った誰かが!! 悲しんでるんだぞっ! 温かな幸福を奪われて!!)
──瞬間。闇に包まれる世界がガラスのように簡単に砕かれる。
もう誰も悲しませない。己のようにやるせない怒りと苦しみなど抱かせはしない。涙を笑顔に、不幸を幸福に。
(そんなのっ……許せるわけないじゃないかっ!!)
──民の幸福こそが僕の願い。僕はあなた達の為に生き、あなた達の為に死のう。
──それが英雄になることなのだと、ベル・クラネルは想ったから……
次に現れたのは光輝く未来のような美しき世界。英雄の求める希望が灯った幸福な世界だった。
「立ってくれ!」
「勝って! 負けないで〝未完の英雄〟!」
(まだ……聞こえてるっ……!! 僕の耳に……届いてるっ!! 守ると、誓った……誰かの声が!!)
天と地ほどの隔絶……? 英雄の敗北……? 勝利は不可能……? 揺るぎなき絶望……?
否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! いいや否だ!
(ならっ! 目を開けろ! 拳を握って、自分の足で立ち上がれ!! そうだろ、ベル・クラネル!! 英雄になるって誓ったんだから!! 無様な姿を晒すなよっ!!)
少年の背に刻まれた炉の女神より賜りし祝福が、聖火となって燃え上がり英雄の勝利を約束する。全知全能たる天空神の半身、裁きの雷霆がまた一つ
「お前は!」
「あなたは!」
「ベル・クラネルは!」
「
「……っ!!」
民の声に呼応するように、閉じていた瞼が見開かれる。
〝未完の英雄〟の双眸より悪逆なる神の使徒を討たんと、滅尽の雷火が迸った。
「まだだぁああああああああああああああああ!!」
──
汝、鋼の英雄よ。その身に〝天神の雷霆〟を纏いて、民の幸福を掴み取れ。
ベル・クラネルの咆哮と共に膨大なる魔力の渦が雷となってオラリオに轟き狂う。あまりの凄まじさに大地は震え、天に浮かぶ雲海は怯えるように姿を消す。
(魔力を集めるのは……!! 左腕でも……右足でもない!! ……僕の肉体、その全てだ!!)
──
暴れ回る滅雷を集束させるは、この身の全てにあり。天に坐す天空神へと捧げるは、ベル・クラネルが抱く想いの全て。
ミノタウロスの死闘とは比べ物にならない激痛と魔力の波動が、世界に向けて雄叫びをあげた。
──雌伏の時は終わり、格上殺しの英雄譚が幕を上げる。
──鋼の意志を持つ英雄に、不可能は無い。襲いかかってくる艱難辛苦、その悉くを乗り越えるだけだ。
「な、なんだあれ……? 体が、光っている、のか……?」
「……金色の、稲妻……!?」
「なんつう魔力を放ってやがる! 踏ん張るので精一杯だ!」
圧倒的な絶望に覆われた戦場に、約束された勝利の雷霆がその姿を現した。
「雷が、落ちて……きてるの……?」
「違うわい……雷霆が……天に昇っていっとるのじゃ……」
大地を焼き、宇宙を滅ぼし、混沌を消し去る
(こいつの動きが視えないならっ!! 視えるようになればいい! っ!)
雷を纏い強制的に意識を覚醒させたベルの視界からは無駄な色彩が消え去り、黒白の世界がどこまでも広がっていく。
(シルバーバックの動きについていけないなら! ついていけるようになればいい!!)
もはや物言わぬ躯と変わらない筈の肉体が、雷霆の衝撃を受けて冥府の底より帰還する。
「【
英雄より紡がれる詠唱は、己の誓い。全能の証明。臨界まで達した雷の魔力が〝
(そうだ……簡単な話だったんだ!!)
ベルの肉体はギシギシと不快な旋律を響かせながらも英雄の
(武器がないっていうなら!! 僕自身が!! 全てを賭して邪悪を滅ぼす刃になればいいだけだ!!)
神の使徒が何だという。隔絶した
ならば後は、己の誓いを信じ限界を超えるだけだ。
──それが英雄というものだから。
幼い頃に祖父と共に語り合った英雄たちの物語を、今こそ己も紡ぐのだ。
「
──
諦めなければ願いは必ず叶う。只人の少年だって進み続ければ英雄になれるのだと、ベルは心の底から信じているから。
だからベル・クラネルは、何度だって立ち上がれる。誰かの笑顔を守って見せると、勇ましく謳えるのだ。鋼の英雄は諦めない。決して挫けることはない。
前へ、希望へ、未来へと愚直に進み続けるだけだ。
『
【
・
・雷属性
・チャージ可能
・チャージ時間に応じて威力上昇
』
『ガァァァァァァァァァァァァァ!』
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
英雄の覚醒に
──己には愛に魅入られし神の加護があるのだぞ!
『……グ、グガァ!!』
「らぁあああああああああああああああああああああああ!!」
『グギャ──!!』
だがしかし、鋼の英雄は雷光と共に勝利の道へと駆けのぼる。己の背に刻まれた炉の加護が灼熱の如く燃え滾り、鋼の意志と共に英雄へと無限の力を
色の消えたベルの世界は、全てが緩やかな動きへと移り変わり停止する。シルバーバックの振りかぶった拳は、閃光の瞬きの前には遅すぎた。
英雄が握りしめる雷霆の拳は、
『ギャギャッ……!!』
人間という種の限界を超えたとしか思えない異常な動きに、シルバーバックは慄き怯えてしまった。「こいつは一体何なんだ!?」「本当にこいつは人間なのか!?」
──ベル・クラネルこそが正真正銘の化け物なのではないか……!?
太陽のような輝きを放つ英雄の雄姿を前に、シルバーバックは
「……っ! ……遅いっ!! 踏み砕けぇえええええええええええええええ!」
戦場に置いて一時の迷いは死に繋がる。
英雄の威風を前にして、只の怪物は己の矮小さを知った。神の加護を得ようと、己は弱者であるのだと鋼の意志を前に理解してしまったのだ。
『ゴォオオオオオオオオオオオオ!?!?』
ならば訪れる終幕はただ一つ。神の使徒を騙る哀れな怪物は、民を守らんとする英雄の一撃を以て討ち取られる。
シルバーバックの腕を伝い天空へと瞬き翔けるベルは、暴れ狂う雷を右足に集束させる。視線の向く先は黄金に迸るシルバーバックの双眸。
──汝、天空神に仇なす咎人よ。裁きの刻は訪れた。
──汝の罪は、〝
間を置く暇もなく、落雷する。
オラリオに雷鳴が轟いた。
『──────』
人々の視界を埋め尽くす〝黄金の閃光〟が英雄の手によって晴らされる。
戦場にはベル・クラネルが……〝未完の英雄〟が立っていた。
雷霆の裁きを前にシルバーバックは己の心臓たる魔石まで粉々に砕かれ、灰へと帰ることで敗北を刻み込まれた。
「……はぁ……はぁ……僕の……勝ち、だ…………!!」
勝利の女神は、ベル・クラネルに微笑んだ。圧倒的な戦力差を前にしても挫けることを知らず、諦める事の無かった鋼の英雄がその栄光を勝ちとったのだ。
「「「「「………………」」」」
──訪れる静寂。
「「「「うおおおおおおおおおおっ!!」」」」
──しかし次の瞬間には、民の歓声がオラリオの街に爆発したかのように響き渡る。
──英雄の雄姿に敗北はなく。手にする勝利は必定となった。
ボロボロになり膝をつきながらも、ベル・クラネルは戦場に立っていたのだ。誰かの笑顔を守らんと戦い続けた英雄は、民の幸福を掴み取る。
『あはっ……! あははははははっ!! そうよっ! そうよっそうよっそうよっ!! それでこそよ私の英雄!! 今あなたは神話に名を残す英雄の資格を手にしたのよっ!!』
己の待ち望んだ展開が、目の前に広がっている。それだけでフレイヤは己の心に燃え滾る情熱が暴走するのを感じた。
──本当に勝利してしまった。圧倒的な理不尽を打ち砕いた。
──神の試練を乗り越えて見せたのだ。
『やはりあなたは最高よ〝
振りまく神威を抑えようともせず、フレイヤはいずれ訪れる約束された勝利を夢想する。ベル・クラネルは英雄になる。もはやそれは定められし宿命だと、美の神は宣言する。
──〝
『もっと輝いて私の英雄! あらゆる英雄を超えたその時、私にあなたを抱きしめさせて!!』
英雄譚の第一章は、終幕に向けて動き出す……
──汝、未完の英雄よ。黄昏なる眷属の叫びを聞け。
──炉の神による試練を前にして立ち上がったのならば、汝はその手に二刀神想を担い、己の物語を超えるだろう。
○
「あぁそうだっ! それでこそだぜっ〝
英雄が勝利を掲げた戦場を、
再び目にした英雄の雄姿は、あの日に見せた輝きが不変であると示していた。その手に掲げるのは勝利だけ。敗北など訪れない。
故に〝
「さあ速く駆け上がって来いっ! 俺は……〝
待っているぞ、我が理想の牙を鍛えし英雄よ。お前がこの高みへ昇ってくる瞬間を!
俺とお前が並び立ったその時こそ、共に戦場を駆けようぞ。勝利の雷鳴を、共に天へと轟かせるのだ。
○
「うんうん! 実に順調じゃないかっ! ……て言いたいところだけど、
「でもまぁ……今はまだ様子見ってところかな?」
英雄の雄姿をこの目に納めんとする人々でごった返す狂騒の中、羽が付いた鍔広の帽子を深く被り目元を隠す男が一人。唯一覗かせる口元は、夜空に浮かぶ三日月の様にひどく歪んでいた。
○
『……グルル……コノ気配ハ……ヤハリ……』
英雄の雷霆を感じ、大陸の最果てで黒き暴虐が目を覚ます。宿命の出会いは、まだ訪れることは無い。