ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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終幕

【未完の英雄】が産声を上げる時、停滞していた時代の流れは加速度的に動き出す。

 

 精霊の姫が、光の英雄の道に寄り添いたいと願ったように。

 

 美の女神が、黄金の閃光を永遠の伴侶(オーズ)に選んだように。

 

 炉の女神が、鋼の英雄に課せられた末路を見守ると誓うように。

 

 鍛冶司る独眼が、己が鍛えし雷霆との約束を果たさんと魂を燃やしたように。

 

 己が眷属を深く愛する道化の神は、神の試練(定められた敗北)を超えた英雄の轟きを前にして胸に何を秘めるのだろうか? 

 

 これは、英雄の物語(イロアス・オラトリア)ではない。

 

 これは神の試練を見届けた道化の神が、英雄に抱いた想いを綴る誰にも語られない物語(ささやかな幕間)だ。

 

 ○

 

 

 怪物祭(モンスターフィリア)の見世物としてダンジョンより厳重な体制の元に輸送されてきたモンスター達の脱走によって、オラリオ一帯は瞬く間に恐慌状態へと陥っていた。

 

 冒険者達は突然巻き起こった混乱の中でも臨機応変に立ち回りモンスターの撃退に乗り出した。

 

 しかし、【神の恩恵(ファルナ)】を持たない無力な市民達は、突如として訪れた命の危機に対して我武者羅に逃げ回ることしか許されない。

 

「だ、誰か助けてくれ!」

 

「こっちに来るな、モンスター!!」

 

 蔓延していく負の感情。止まり方を忘れた負の連鎖。

 

 絶叫、慟哭、流れる涙。崩れ去っていく、平和な時間。踏みにじられた、幸福な日常。

 

 笑顔で満ち溢れていた人々の表情は一転して、恐怖の色に染まりきっていた。

 

「来いっ! お前たちの敵はここに居るぞ!」

 

 先程までは、と言う前置きが付くが。

 

 今、周囲を見渡して見れば、視界に入るのは安堵した表情を浮かべる者ばかり。

 

 それどころか、目を眩く輝かせ興奮している者まで居た。

 

 恐怖に押し潰され、絶望を享受するしかない弱者の叫びなどただの一つも存在しない。

 

 何故ならば──

 

 彼等が抱く恐怖の総てをその背に担い、一遍の救いも無い絶望を振り払わんとする英雄(キボウ)が現れたからだ。

 

 オラリオ全土に【未完の英雄】として勇名を馳せる、次代を担う英雄の器。希望の体現者。

 

 ──少年の名を、ベル・クラネル。

 

 自分達では抵抗することすら許されない悪を討ち滅ぼす絶対なる断罪者が、化け物(モンスター)が支配する闘争に満ちた戦場へ、毅然として立ち上がる。

 

「貴方達は必ず守る」、「傷の一つとて負わせはしない」と、白兎を彷彿とさせる幼くも雄々しい少年の背中が語り、民達の心に歓喜と安堵を齎すのだ。

 

「【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】──────!!」

 

 故に。

 

 どれほどの傷を受けようとも、英雄は膝を折らず。どれほどの戦力差を突き付けられようとも、少年は屈服しない。

 

「必ずお前を討つ」と、胸に宿る意志を燃やし進み続ける【未完の英雄】だけが、戦場で閃光の如き刃を振るう。

 

「……っ! ……遅いっ!! 踏み砕けぇえええええええええええええええ!」

 

 ならば、訪れた勝利は必然だ。モンスターの敗北は、当然でしかないのだろう。

 

 彼は、ベル・クラネルは、ただの一度も諦めてはいないのだから。傷つくことなど、百も承知。力量差など、考えるまでもなく。

 

 だが、ベルには信念があった。揺らぐことを知らない鋼の意思が、その胸に宿っていた。

 

 そして何より、少年は知っていた。諦めなければ、負ける筈がないと。

 

「……はぁ……はぁ……僕の……勝ち、だ…………!!」

 

 憧憬は己が過去、祖父の背中で。未来を切り拓くは今、己が勝利で。

 

 ──刮目せよ、英雄譚は此処にあり。

 

「ああ……」

 

「あれだけボロボロなのに、まだ立てるのか……」

 

「英雄だ、彼こそが……英雄なんだ……」

 

 眼前にて繰り広げられる華々しい英雄譚を前に、人々は歓喜する。

 

 私達はいずれ吟遊詩人に謳われる万夫不当の英雄が戦う姿を、この目で直接見ているのだと。

 

 これこそが、英雄譚。幼き日、母が読み聞かせてくれた絵物語の具現者。

 

 人々の希望(ヒカリ)一色に染まった眼差しは、覚めることを忘れていた。

 

 ○

 

 そんな子供(人間)達を眼下で眺めるのは、美の女神フレイヤと道化の神ロキ。

 

 先程の騒ぎで賑わっていたテラスからは人の気配は消え去り、この場を支配するのは二柱の女神のみ。

 

『『……』』

 

 この場はもはや、異界と化した。人間如き矮小な存在では立ち入ることの許されない、神の領域である。

 

 咲き狂う歓喜。【フレイヤ・ファミリア】が主神は、胸の内に広がる歓びを惜しげもなく振り撒き続ける。英雄が上げる産声を誰よりも祝福する様に。

 

 大時化(おおしけ)る激情。【ロキ・ファミリア】が主神は、今回の騒動を引き起こした黒幕に対して鋭い視線を向ける。その身に駆け巡る苛立ちを、深く吐き出すように。

 

 一つの空間にて競合する、二つの神威。抱く感情は、歓喜と憤怒。故に対極。相容れる未来は訪れない。

 

 モンスターが暴れ出すまでは心が満たされ、安らぐような穏和な空気が漂っていた筈のテラスは、一転して混沌に覆われる。

 

 神が吐き出す感情の(捌け口)として。彼女達がぶつかり合う為の生贄として。

 

『おい、フレイヤ……! オラリオにあんなイカれたモンスターを放つやなんて、何のつもりや? 下手したら街の半分は消し飛んでたで?』

 

 小さく呟くように紡がれたロキの言葉には、どんな怒声よりも重く伸し掛かるような静かな怒りが孕まれていた。

 

『……あかんなぁ。とうとう色ボケし過ぎて、絞りカスほど残っとった正気まで全部、失ったんとちゃうか?』

 

 さながら、噴火する前の火山である。

 

 この場に人間が立ち会っていたら、その魂魄にまで恐怖が刻み込まれて自我を失い、瘴気を取り戻せなくなる程に。

 

 ロキの抱く想いは純然なる怒り。嚇怒の雷火。

 

 そして、一抹の疑問だ。

 

 何故? どうして? 一体何がフレイヤをここまで駆り立てる? 

 

 これまでも自身の欲に従って動くフレイヤに何度も手を焼かせられていたロキであったが、それでも最低限の分別は付けられていると思っていた。

 

 そう、思っていた。

 

 今日という日を迎えるまでは。

 

『うふふ……』

 

 彼女(ロキ)の眼前にて佇むのは、愛情を司り、豊穣を齎し、死者を迎え、そして……黄金(英雄)を生み出す美の女神フレイヤ。

 

 オラリオにモンスターを放つという許されざる暴挙に出たにもかかわらず、浮かべる笑みは依然として不敵。

 

 いや……己が感情を隠そうともせず剥き出しにして笑うフレイヤは、どこか狂気じみているような印象を受けた。

 

 狂信者と言う言葉がお似合いだと、ロキは内心で毒づく。

 

(まぁ、原因なんてどう考えても一つしかないやろ)

 

 フレイヤが変わり始めた原因は一つしかない。ロキの脳裏に浮かぶ人物は、ただ一人。

 

 フレイヤの視線の先に在るのも、ただ一人。

 

 美の女神に魅入られし憐れな子供の名は、ベル・クラネル。

 

 己が蛇蝎の如く嫌うヘスティアの眷属であり、己が娘のように溺愛するアイズの想い人でもある男。

 

 あの少年(英雄)が、フレイヤの愛情を射止めてしまったのだ。

 

 魅入ってしまったのだろう、少年の魂に。

 

 願ってしまったのだろう、英雄の覚醒を。

 

 求めてしまうのだろう、ベル・クラネルの総てを。

 

 故にこそ、今の彼女がここに在る。

 

 己が欲望に忠実な、神としての在るべき姿をしたフレイヤが。

 

『ふふ……怖いわ。ロキったらそんな鋭い目付きで睨んできて。たかが(・・・)モンスターが暴れた程度で、何をそんなに怒っているのかしら?』

 

 ロキが放つ憤怒の嵐を前にしても、フレイヤの表情は不変。何一つとして変わらない。優雅に妖艶に、天の袂で微笑を浮かべて佇むだけ。

 

『たかが……やと? これだけの事を仕出かしといて……どの口が言うてんねん……!』

 

 在り得ない。

 

 いくら神が娯楽と言う欲求に突き動かされる存在だからと言っても、限度がある。

 

 愛すべき子供の、それも他の神(ヘスティア)の眷属に強化の限りを尽くした正真正銘の化け物(シルバーバック)(けしかけ)けるなど、流石の神でも「面白いから」の一言では済まされない。

 

 ベルがもし「敗北」していたら、甚大な被害がオラリオに齎されるのは必至だっただろう。

 

『あら? 何か問題があるのかしら? 死人は出ないように気を遣ったし、怪我をした子だって、きっとほんの少しよ? その程度の損害、あの子(ベル)が覚醒する為の対価としては安すぎるぐらいだと思うのだけれど』

 

 しかし、糺弾されるだろう己の行動の総てをフレイヤは「何も問題はない」と、ロキに対して本気(・・)で口にした。

 

 危険もあった。被害もあった。しかし、どれも致命的ではない。英雄の覚醒(ベルの勝利)に比べたら、今回オラリオが被害に遭った損失など余りにも安い。黄金を路傍の石と交換したと言っても過言ではないほどに。

 

 なによりフレイヤは、信じている。ベル・クラネルならば如何なる絶望が襲い掛かってきたとしても、胸に宿した鋼の意思で必ずや凌駕してくれると。

 

 敗北など、ベル・クラネルには存在しない。

 

『……っ!』

 

 絶句するロキ。隔絶した価値観。英雄狂いの思考。己へ向けるフレイヤの双眸が黄金に染まっているように見えるのは、気のせいだろうか? 

 

 光の亡者を目の当たりにしたロキは、気圧されるように後ずさりしてしまう。

 

『ふふっ……怖がる必要は無いわ、ロキ。だって貴女も見たでしょう? 黄金の閃光(あの子)の太陽神ですら霞んで見える、魂の輝きを。鋼の如き不屈の雄姿を。その眼でしっかりと』

 

 委縮するロキを見たフレイヤは、慈愛の笑みを浮かべる。

 

 ゆっくりと、優しく、貴女にも英雄の輝きを知って欲しいと、理解して欲しいと。何処までも盲目に、恋に恋する少女のように、フレイヤは己が想いを噛み締めるように吐露する。

 

『何が言いたい……』

 

 突如として語られるフレイヤの独白を前に、困惑した表情を浮かべるロキ。

 

『神であるというのなら、導いてみたいと思わない? 私達が見てきたどんな英雄をも超える、黄金の如き英雄の輝きを。至高の光へと』

 

 ロキの顔を染めるのは、驚愕の二文字。

 

 フレイヤは希う。己が用意した()を討ち倒し、英雄としての道を雷鳴の如く駆ける未来を。

 

 己が求める理想の英雄になって欲しいと、神が人に与えられる最大限の愛情をフレイヤは捧げているのだ。

 

 今は未完な、一人の英雄に。

 

 今回の騒動を起こしたのも、全てはベル・クラネルの為。延いてはベル・クラネルの進歩(成長)の為。

 

 今のままでは満足できない。

 

 もっと強くなってほしい。もっと誰かを守ってほしい。

 

 もっと強大な悪を打ち滅ぼしてほしい。もっと覆しようのない絶望を乗り越えて欲しい。

 

 もっとベル・クラネルの意思を輝かせてほしい。

 

 ──英雄になって欲しい。

 

 ただそれだけ(・・・・・・)の為に、今回の騒動をフレイヤは画策した。

 

──だって、美しいじゃない! 

 

 暴れ回るモンスターを前に、逃げ惑う民衆達。そして立ち上がる、希望の英雄。彼の誓いを妨げるは、絶対無比なる白猿の化け物。【未完なる英雄】には荷が重すぎる、理不尽の権化。

 

 民衆を守る為に立ち向かう英雄は、化け物の圧倒的な強さを前に傷つき、大地へ屈しそうになる。

 

 ──しかし! しかし! 英雄は諦めない。

 

 誰かを守る為に魂を燃焼させて再び立ち上がり、覚醒を果たした暁に勝利をその手で掴み取るのだ! 

 

『あぁ、思い出しただけでも身体が火照っちゃう。私の予想を超えて勝利を叫ぶあの子は、誰よりも「英雄」だったもの!』

 

 あぁ……なんと華々しきかな、英雄譚。王道なるかな、【未完の英雄】。

 

『……っ!』

 

 ──巫山戯ている。全く以って、巫山戯ている。

 

 そんな絵物語のような展開は、正しく創作物の中でしか存在しえない。「気合」と「努力」と「根性」だけで絶望的な劣勢を覆すなど、子供に読み聞かせる絵本のようではないか。

 

 そんな妄想(ヒカリ)を、冒険者としての道を歩き出したばかりの14歳の少年に課すなど拷問にも等しき所業だ。

 

 ロキだって、理解している。己の眷族達が今の高みへ至るまでに何度も修羅場をくぐって(冒険してきた)きたことを。

 

 修羅場を乗り越えたならば、その経験は大きな力となって器の昇華(ランクアップ)にすら手を届かせるだろうことを。

 

 だが、フレイヤが与えた神の試練は違う。

 

(これは……これは! そんなもんやないっ! 認めてたまるかっ! こいつ(フレイヤ)がやった事は間違いなく、あの子を殺すようなもんやった!)

 

 あれは絶望()。ただただ、ベルという存在を殺すためだけに立ちはだかる、絶対的な敗北だった。

 

 勝利を掴む未来など、欠片も存在を許されない。

 

 僅かな可能性からの逆転すら、嘲るように否定される。数多くの英雄たる冒険者を見てきたロキだからこそ、ベル・クラネルの陥った状況が如何に詰んでいる(・・・・・)のか、正確に理解できた。

 

 無理、無茶、不可能。過ぎる考えは諦観、ベル・クラネルの敗北。

 

 しかし、フレイヤの考えを肯定するようで癪だが、ロキが描いた物語の結末は決して訪れることは無かったのだ。それは、ベル・クラネルが神の予想すら凌駕する逸脱者であることの、何よりの証。

 

 決定していた筈の敗北を、「諦めない」と言う意思一つで粉々に粉砕してしまった。

 

 二つの眼に焼き付けた光景は、正しく英雄の戦いだった。あれほど鮮烈で、胸が滾る戦いはそう何度も拝めるものではない。

 

 肯定して良いのだろうか? フレイヤの求める鋼の英雄を。ベル・クラネルが『誰かの為に』、『未来の為に』と、どこまでも雄々しく邪魔する者を轢殺しながら突き進む事を。

 

 光の奴隷であることを、認めても良いのだろうか? 

 

 駄目だ。ロキの想いが否定する。もしベル・クラネルを光の奴隷だと断じてしまえば、それはアイズの恋路を否定することになる。

 

 だってそうだろう? 光の奴隷であると認めてしまえば、ベル・クラネルの捧げる愛は、名も知らぬ『誰か』のモノであると証明してしまう。

 

 少年の抱く鋼の誓いも、英雄が掴む不変の勝利も、ベル・クラネルが切り拓く耀き未来も。

 

 その総てが『誰か』に報いる為だから。

 

(せやけど……なんや、この違和感は。大事な部分で噛み合ってないような引っ掛かりは……)

 

 しかし雷を纏う少年の瞳に宿る鮮烈な意思は、天すら衝かんと轟いた雄叫びに込められた感情は、清廉潔白な白き輝きなどでは無く。

 

 もっとドス黒い闇のような……執念にも似た……

 

 ベル・クラネルの本質へ微か触れそうになったその時、神の直感が囁く。

 

 ──まだ触れるな、と。その先を知る時は今ではない、と。

 

『……っ!』

 

 鳥肌が立つような身体の震えに、ロキは思わず息を呑む。ベル・クラネルには何かがある。【超越存在(デウスデア)】である己ですら恐怖してしまうような、ナニカ(・・・)が。

 

 アイズの恋路を止めるべきなのかもしれない。ロキの脳裏に微かに過ぎる悪魔の言葉。ベル・クラネルには近づかない方が良い。あの少年は遠くから見ているだけで済ませるべき存在だ。

 

 危険。あまりにも危険。止めることの出来ない不安の暴走列車。

 

「ベル・クラネルから離れろ」と警報を鳴らす神の直感にロキは……

 

 ──……私も、……ベルと一緒に……戦える! 

 

『……アイズたん?』

 

 その時、風が吹いた(声が聞こえた)優しく英雄を包み込む、黄金の風が(ロキが愛する、アイズの声が)

 

 瞬間。壊れた玩具のように警報を鳴らし続けていた神の直感が、ピタリと鎮まった。今までロキの頭に響き渡っていた危機感とも呼べる予感の総てが、風に流されるが如く消え去ったのだ。

 

──物語が、書き換わった。

 

 祝福の風がオラリオに満ちる。鋼の未来が、白銀へと昇華する。

 

──ベル・クラネルの、新たな道が拓かれる。

 

 ──……心配しないで、ロキ。ベルは、きっと大丈夫。私が寄り添って見せるから。……だから、信じて? 

 

(アイズたん……)

 

 運命と言う名の鎖が引きちぎられる音を、ロキは確かに聴いた。

 

(……はぁー。ほんっとうにバカやな、うちは。大馬鹿や。あの時、決めたやんけ! アイズたんの恋路を全力で応援するって! その為に出来るだの手助けをするって! なのに、何アホなこと考えてんねん! ……こんなんフレイヤのこと、馬鹿にできんで)

 

 ロキの心を満たしていた筈の怒りと恐怖は、優しく吹いた風と共に遠い彼方へ旅立った。

 

(あかんあかん。自虐すんのも、ここまでや。アイズたんが必死で頑張ってんのに、うちだけかっこ悪いとこ見せる訳にはいかへんやろ。英雄狂いの色情魔に、吠えづら掻かせたるわ)

 

 この身に猛るのは、神威以上の何か。今まで抱いた事の無い歓喜の嵐が、ロキの胸内で打ち震える。

 

 アイズはきっと成し遂げたのだろう。「英雄」と呼べる者達に纏わりつくクソッタレな運命を打ち砕き、新たな未来()を示したのだ。

 

 ──ベル・クラネルに、寄り添えたのだ。

 

 視える。迸る雷鳴(【未完の英雄】)を包み込むように寄り添う黄金の風(精霊の姫)が。共鳴しあう二人の姿が。新たに紡がれる、二人の物語(イロアス・オラトリア)が。

 

『ふふっ……これで貴方も理解した筈よ。あの子(ベル)の胸に秘められた強さを! 抱く意志の輝きを! 英雄としての可能性を!』

 

 フレイヤには、ロキの感じた風の音が聞こえていないのだろう。だからこそ、フレイヤにとって手遅れになっている現在の状況に未だ気付かない。

 

『アホか、理解すんのはお前や。フレイヤには聞こえへんのか? うちの可愛い可愛いアイズたんの(決意)が。ほら、はっきり視えるやろ? ベル・クラネルの隣に立つ、アイズ・ヴァレンシュタインの雄姿が』

 

『……なんですって?』

 

 光に狂っているフレイヤの瞳に、僅かだが困惑の色が宿る。先程まで怒りに震え俯いていた筈のロキが、悪巧みをする時のようなあくどい笑みを浮かべながら、突如としてアイズ・ヴァレンシュタインの名を出したのだから、当然とも言える。

 

 ──【──目覚めよ(テンペスト)

 

 静かに響く、誓いの詠唱(ランゲージ)

 

『……そんなもの』

 

 されど、まだ聞こえない。

 

 ──【──精霊の姫君(アリア)

 

 燃え上がる、少女の恋情。

 

『……何も』

 

 されど、まだ感じない。

 

 ──【──英雄に寄り添う精霊の風(エアリエル・ダンス)】!! 

 

『……!? ……何が!?』

 

 フレイヤの疑問に答えたのは、ロキではなかった。彼女の疑問に答えたのは、オラリオ一帯を麗しき精霊が踊っているかのように軽やかに吹く、黄金の風。アイズのベルへの恋慕が開花させた、魔法の力だった。

 

『うちさえ抑えれば計画に支障をきたさんと思うてたみたいやけどな、フレイヤ。その考えは間違いだったみたいやで』

 

 ──神造の英雄譚は幕を閉じ、神聖(新生)なりし英雄譚が幕を開ける。

 

人の子(ベル・クラネル)の未来に寄り添うのは、人の子(アイズ・ヴァレンシュタイン)や。神様(お前)やない』

 

 ──もはや、誰にも止められない。たとえそれが、神であろうとも。

 

『あり得ないわ!! そんなこと!!』

 

 油断。否、これは己の油断などではない。

 

 何人たりとも比肩を許さないベル・クラネルの征く道に、寄り添える者など誰もいない。何故ならば、総てを背負い、己こそが希望の御旗にならんと愚直に突き進むのがベル・クラネルという英雄の在り方であった筈だから。

 

 戦場に立つのは、己一人。他の総ては、「守るべき誰か」と「討つべき敵」かのどちらかでしかない。

 

 孤高なりし、鋼の英雄。

 

 ──その筈だった。

 

『あの子の横に立てる人間なんて、居る訳が!!』

 

 だが、フレイヤの眼にも残酷なほど鮮明に映った。ベル・クラネルの横に、寄り添うように立つアイズ・ヴァレンシュタインの雄姿が。

 

 黄金の瞳に宿すのは、決意。英雄に寄り添うという覚悟。凛として咲くアイズの雄姿が黙して語る、「私は守られるだけの誰かじゃない」と。「貴方の道に寄り添える一人の女」だと。

 

 フレイヤはここに来て、久しく感じていなかった焦燥に身を焦がす。それと同時に湧き上がってくる感情の名は、嫉妬。

 

 ──好きなだけ泳がせておけば良い。最後にベル・クラネルを抱きしめるのは、己なのだから。

 

 自分自身の考えをここまで愚かだと断じる時が来るとは、フレイヤは思ってもいなかった。

 

 今のアイズ・ヴァレンシュタインでは、絶対にベルの隣に立てないと甘い見立てを立てていた己を、フレイヤは呪ってしまいたいと心の底から思う。

 

 憤怒、嫉妬、焦燥。ベル・クラネルが他の女に奪われるかもしれないと言う可能性に至っただけで、フレイヤの胸内は嵐の如く吹き荒ぶ。暴走する感情の波濤。止める必要のない激情。

 

 許せない。アイズ・ヴァレンシュタインが。彼女の意思に屈した、運命が。何よりも。これより紡がれるだろう【英雄神聖譚(イロアス・オラトリア)】が。

 

『アイズ・ヴァレンシュタイン!!』

 

 このような現実は、決して認めない。これから紡がれるだろう未来も、断じて認めない。英雄の隣に誰かが立つことも、絶対に認めない。

 

 今ある総てを、フレイヤは認めない。

 

 あの魂の輝きは、【未完の英雄】たる少年は、黄金の閃光は、ベル・クラネルは。

 

 ──私だけのモノ。

 

 迸る神威。荒れ狂う愛欲。揺ぎ無い恋慕が、慟哭する。

 

 美の女神たるフレイヤが告げる。アイズ・ヴァレンシュタイン(凡庸なりし人の子)よ、運命を前にひれ伏し……

 

『フレイヤ……見とるで、うちが』

 

『くっ……ロキィ!!』

 

 なりふり構わず行使しようとした【神の力(アルカナム)】は、ロキの一言を以て霧散した。今この場に居るのは、フレイヤだけでは無い。自分自身が呼び寄せた道化の神が居る。

 

 自暴自棄にも程がある。ここで、終わるわけにはいかない。ベル・クラネルを、この胸に抱きしめるまでは。

 

『さっき自分が言うてたんやで、「私ですら無理だと思っていた試練を乗り超えてみせた」って。ベル・クラネルはフレイヤの予想を上回ったんや。お前のお望み道理な』

 

『………………』 

 

 ──好きなだけ泳がせておけば良い。最後にベル・クラネルを抱きしめるのは、己なのだから。

 

 憔悴するフレイヤの脳裏を過るのは、先程まで愚かと切り捨てた自身の発言。そうだ何を取り乱しているのか、英雄は未だ未完。器が満たされる事はなく、完成は遥か彼方にある。

 

 詰みであるなど、早計にも程がある。王手すら、かかっていない。

 

 取り乱す必要など、欠片も存在しないではないか。

 

『なんや? だんまりか?』

 

 先程までと打って変わり、沈黙を続けるフレイヤを不審に思うロキ。

 

 静寂に包まれる空間。

 

『ふふっうふふ……アハハハハハハハハハッ!』

 

 そうだ。まだ慌てふためく時間ではない。ベル・クラネルの物語は、まだ始まったばかり。綴られた【神聖英雄譚】は、未だ第一章でしかない。

 

『あぁ、可笑しいわ。あの子の物語(英雄譚)は、始まったばかり。何を焦る必要があるというのかしら? ロキもあの泥棒猫(アイズ・ヴァレンシュタイン)も、黄金の閃光(ケラウノス)のこと何一つとして理解していないじゃない。付け入る隙は、これから幾らでも生まれるわ』

 

 今はアイズ・ヴァレンシュタインが、ベル・クラネルの横に立っているかもしれない。しかし、それは「現在」でしかない。

 

「未来」は幾らでも変えられる。運命の鎖は、総て砕けた訳でない。未だ多くの呪縛(宿命)に、ベル・クラネルは囚われている。

 

 ならば。

 

 これより多くの艱難辛苦を退け数多の絶望を希望に変えた時、真の英雄となった時、ベル・クラネルの横に立っているのが(フレイヤ)であればいいだけの話だ。

 

 終わり良ければ総て良し。それまでの過程など、英雄の物語をより美しく彩るささやかな刺激(スパイス)でしかない。

 

『なんや、負け惜しみか?』

 

『違うわ、確信よ。あの子の道に寄り添える者は、誰一人としていない。黄金の閃光(ケラウノス)の英雄譚は、黄金の閃光(ケラウノス)だけのモノ。そして最後にあの子を抱きしめてあげられるのは、私しかいない』

 

『でも……えぇ、そうね。今日は面白いモノを見せてもらったわ。私の思っていた以上のものを、ね』

 

『さよか、それはよかった。うちもアイズたんの可愛い姿見れて、めっちゃ満足しとるもん』

 

『ふふっ……それは良かったわ。わざわざお茶会に誘った甲斐があったというものね』

 

 笑い合う両者。互いの双眸に映る表情は、恐怖すら感じるほどの清々しい笑顔。形作られたその表情は、まるでマネキンのような不気味さを醸し出す。

 

『また誘わせてもらうわ、ロキ。なんだか今度は、もっと楽しめそうな気がするもの』

 

 困難を乗り越えたのならば、より大きな困難を。絶望を覆したのならば、より深い絶望を。

 

 勝利をその手に掲げたのならば、より輝かしき勝利を。

 

 勝利からは逃げられない。否、私が絶対に逃がさない。

 

 ベル・クラネルは、鋼の英雄になるのだから。

 

『ハッ! そんなんお断りに決まっとるやろ?』

 

 図ったかのような、言葉が返ってくる。

 

 フレイヤの内心を、ロキは見透かしているのだろうか? 

 

 ベル・クラネルは、光の奴隷になりはしない。少年は選んだ。立ち塞がる敵に一人で立ち向かうのではなく、己の背中を預けるに足る英雄と共に進み征く道を。

 

 小さな選択は、大きな変革を少年に齎す。

 

 テラスから去るようにゆったりと歩みを続けるフレイヤへ別れ際に一度、ロキが視線を向け。

 

『お前とのティータイムなんか、今回だけで十分や』

 

 道化のように、嗤った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一章 天霆に炉の祝福を 終幕

 

 

 

 







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